共産主義者同盟(火花)

ヘゲモニーと労働運動

流 広志
277号(2004年9月)所収


 坂井與直氏は、「レーニンのヘゲモニーについて」(『坂井與直著作集』)という文章の中で、「実は第二次ブンドには独自のヘゲモニー論があったのであり、これが誤っていたのであって、今日、我々はヘゲモニー論を復権し、継承するということをむしろ主張しなければならない」(144頁)と述べている。坂井氏は、1997年に亡くなられているが、第二次ブントの関西での中心メンバーであり、最初のRG議長を務めた人である。氏は、いわゆる革命戦争派として党の蜂起を追求した。われわれは、その政治思想からいろいろと学んだものである。氏は、革命戦争派の総括を関西ブントの政治過程論から行うべきだと述べ、また、赤報派の革命戦争路線の総括点を『赤報』4号以来、それが最大限綱領主義的に理論づけられたことに求めている。検討するのは、そのことではなく、ヘゲモニーについてである。
 坂井氏は、レーニンが1912年1月のロシア社会民主労働党第六回プラハ全国協議会を準備する過程で、解党派・清算主義者との論争の一部である『ナーシャ・ザリャー』のヴェ・レヴィツキーの「ヘゲモニーではなく階級政党を」という主張を批判した部分を引用している。まずそのいくつかを孫引きして確かめたい。

 「マルクス主義はつぎのように言う。すなわち、過去に『ヘゲモニー』があったから、したがって、職業、専門、ギルドの総体から階級が成長したのである。というのは、ヘゲモニーの思想の意識こそ、自分自身の活動によるこの思想の具体化こそ、ギルドの総体を階級に転化するからである。ところで、ひとたび『階級』が成長をとげたなら、・・・この芽生えを圧殺することはできない。たとえそれが表面に『見えなくても』かまわない。・・・しかしそれは溌剌と生きている。それは現在でも『過去のもの』を保存しており、それを未来へもちこむであろう。ヘゲモニーは過去には存在していた。だから、マルクス主義者は、ありとあらゆる放棄論者に反対して、現在も将来もヘゲモニーの思想をまもりとおす義務をもっている。このようなイデオロギー上の任務は、ギルドから階級をつくりだしたところの、いまなお階級をつくりだし拡大し強化しつづけているところの、また『ブルジョアジーの影響の』あらゆる『現れ』にたいする反撃を強化しているところの、物質的諸条件にまったく合致しているのである。」(同。一七巻四五〜四六頁)(同上145〜6頁)
 「労働者階級のヘゲモニーとは、住民の他の諸要素の民主主義(民主主義が存在しているときには)から非民主主義的な夾雑物をとりのぞくという意味であらゆるブルジョア民主主義の限界性と近視眼とにたいする批判という意味で、『カデット主義』(もし自由主義者の演説と政策との思想的に腐敗させるような内容をこう呼ぶなら)との闘争という意味で、労働者階級と(その代表者)が住民の他の諸要素におよぼす政治的作用である。」(「わが解散論者たち」一七巻六七頁)(同上145頁)
 「プロレタリアートの任務は、このような情勢のなかから、きわめてはっきりとした明確な形で生まれてくる。現代社会で、最後まで革命的な唯一の階級として、プロレタリアートは、完全な民主主義的変革のための全人民の闘争抑圧者と搾取者に対するすべての勤労者と被搾取者の闘争の指導者となり、主導者とならなければならない。プロレタリアートは、このヘゲモニーの思想を自覚し、それを実行するかぎりでのみ、革命的なのである。この任務を自覚したプロレタリアートは奴隷制に反抗して立ちあがった奴隷である。自分の階級のヘゲモニーの思想を自覚しないか、あるいはこの目標を断念するプロレタリアは、自分の奴隷としての状態を理解しない奴隷である。せいぜいのところ、彼は、自分の奴隷としての状態の改善のためにたたかうだけで、奴隷制の打倒のためにはたたかわない奴隷である。」(「ロシア社会民主党内の改良主義」一七巻二三五頁)(同上147頁)。
 「ブルジョア的改造(もっと正確に言えばブルジョア革命の時代には一国民の決定的な瞬間に、ヘゲモニーがブルジョアジーにではなく『下層民』に、つまり一八世紀の『平民』に、一九世紀と二〇世紀のプロレタリアートに、どの程度にうつるかに応じて、それぞれの国のブルジョア民主主義の形成の仕方がきまり、その形態がきまり、そのなかで民主主義が育成される伝統がきまり、そこでみとめられる民主主義の最小限度がきまるという思想―すべてのヨーロッパ諸国の、歴史的経験によって確証されている、まさにこの思想は、ヴェ・レヴィツキー氏には縁もゆかりもないのである。このヘゲモニーの思想こそ、マルクス主義の根本的命題の一つをなしているものなのである。」(「古いが、しかし永久に新しい真理について」一七巻二一五頁)(同上148頁)
 「プロシャでは、そしてドイツ全般でも、地主はブルジョア革命の時期には終始ヘゲモニーを手ばなさなかった。そして自分に似せてブルジョアジーを「教育した」。フランスでは、ブルジョア革命の八〇年の全期間にプロレタリアートは、小ブルジョアジーの「左翼ブロック」分子といろいろな仕方で結合して、あのように四度も(一七八九年、一八三〇年、一八四八年、一八七一年の四回という意味−引用者)ヘゲモニーをたたかいとった。その結果、ブルジョアジーは、その対蹠物〔プロレタリアート〕にとっていっそう有利な政治制度をつくりださざるをえなかったのである。」(「選挙カンパニアの原則的諸問題」一七巻四二六〜四二七頁)「ブルジョアジーにもいろいろある。ブルジョア革命は、当のブルジョアジーまた労働者階級のさまざまなグループ、層、分子のきわめて多様な組合せを、われわれにしめしている。二〇世紀初頭の一〇年間のロシアのブルジョア革命の具体的諸問題にたいする答を、もっとも狭い意味のブルジョア革命という「一般概念」から「ひねりだす」ことはマルクス主義を自由主義に卑俗化することを意味する。」(同。一七巻四二七頁)(同)

 坂井氏は、このようなレーニンのヘゲモニー論は、「党をプロレタリアートの運動に対する指導性と見るというような」(同)ものではないと述べている。これは重要な指摘である。なぜなら、現在の統一戦線の多くがこういうものになり、セクト別に分断されているからである。坂井氏の言うように、レーニンのヘゲモニー論は、階級形成、階級闘争・全人民の闘争におけるプロレタリアートのヘゲモニーを主張したものであり、彼の統一戦線論は、それを基礎にしていると見なければならない。
 グラムシはレーニンのヘゲモニー論から離れていなかった。ところが、ラクラウ・ムフになると、ヘゲモニー論は、「実に多様な決裂点や民主主義的敵対が、労働者の要求と同じ資格で、社会主義的「集団意思」と節合しうる」(『ポスト・マルクス主義と政治』大村書店139頁)という運動の統一論になる。かれらは、「新しい社会運動の進歩的性質をア・プリオリに肯定している、そうした運動についての議論の別の支配的傾向にも、賛成できない」(同上140頁)とも言っている。この背景には、独占資本主義・ケインズ主義によって社会の基本的構造が歴史的に変化し、「企業集中と財産集中との非対称性、中間階層の存続と増大、恐慌回避に果たす経済計画化の役割」(同上50頁)という三つの主要な変化があり、それによって新たなヘゲモニー論が必要になったという判断がある。私は、楊枝嗣朗氏やレーニンの言うとおり、独占資本主義=帝国主義やケインズ主義は、マルクスが解明した基本的な資本制経済社会諸法則を根本的には変化させていないし、あくまで自由主義的資本主義を土台としていると判断している。かれらが言う変化は歴史的なもので、この間、それも歴史的に変化しつつある。中間層の分解、経済計画の放棄、等々。
 また、ブルジョア民主主義革命が最大の課題であり、労働者階級が反専制政府の先進民主主義のヘゲモーンとしての任務をまず果たさねばならなかった専制ロシアと、すでにブルジョア民主主義革命を終えた先進資本主義諸国におけるヘゲモニーの内容は同じではない。しかしそれが、「今や労働者階級は存在論的に特権的な位置を持たなくなった」というような変化ではないことは、今われわれの目の前で進行している階級分裂の拡大・階層化の現実が実証している。資本と賃労働の対立は資本制経済社会の基本的な、そして前者が積極的で後者が消極的な、両極関係である。さらに、かれらは、レーニンはヘゲモニーを政治的にしかとらえないと主張し、それを「知的道徳的」にとらえたグラムシを評価しているが、上記部分でレーニンは、ヘゲモニーに「教育」を入れ、「知的道徳的」にもとらえていたのである。
 マルクスもまた「政治運動と経済運動の関連について」という1871年の手紙で、「労働者階級のpolitical movement〔政治運動〕は、もちろん、自分たちの手に、political power〔政治権力〕を獲得することを終局目的としている」(『労働組合論』国民文庫64頁)ことを確認した上で、個別の経営者と闘う経済闘争と労働者階級が階級として支配階級に立ちむかう政治闘争を区別し、例えば、個々の資本家から労働時間の短縮をもぎとろうとする運動は純経済的な運動であり、8時間労働制の法律をもぎとろうとする運動は政治運動であり、後者は、「普遍的な形、普遍的な社会的強制力をもつ形で、自己の利益を貫徹するための階級の運動なのである」(同)と、経済的地位としての階級と上部構造的な階級とを明確に区別し、後者の意味での階級の運動は、「ある程度のprevious organization〔予備的組織化〕を前提するが、またそれ自体この組織化を発展させる手段でもある」(同)として、階級の政治組織のヘゲモニーを指摘している。そのことは、つづけて「労働者階級が、その組織化の点でまだ支配階級の集合権力すなわち政治権力に決戦をくわだてるまでにすすんでいないところでは、とにかく、この権力に反対する不断の煽動と支配階級にたいする敵対的態度によって、彼らを決戦へと訓練しなければならない」「そうしなければ、彼らはいつまでも支配階級の掌中のもてあそびものである」(同上65頁)」と述べていることからも明らかである。それは、1870年9月からパリ・コミューンの敗北にいたる「フランスの内乱」の彼の教訓でもあった。
 それは、権力奪取の自己目的化ではありえない。あくまでも、プロレタリア大衆の解放、共産主義社会建設が目的であり、その実現の手段として、プロレタリア大衆の社会権力樹立があるのである。その際に、労働者階級のヘゲモーン(主導者)としての自覚・活動・任務が必要なのであり、その点で、「社会主義評論家」(『なにをなすべきか』レーニン)としての宣伝の内容やあり方が問題になるのである。

ヘゲモニーと全ての政治生活の系統的日常的評価・生活諸関連の解明

 レーニンは『なにをなすべきか』で1898年に始まった「第三期」(分散、崩壊、動揺の時期)の清算を開始した。
 「第三期」。「指導者の意識性は、自然発生的高揚の広さと力に屈してしまった」(『なにをなすべきか』国民文庫265頁)。「指導者たちは、理論の点でも(「批判の自由」)、実践の点でも(「手工業性」)遅れていたばかりか、あらゆる種類の大げさな議論で自分の立ちおくれを弁護しようと試みた」(同)。「この時期の特徴は、・・・ちっぽけな実用主義と完全無欠な理論的無関心である」(同)。
 「労働運動そのもののなかから自然発生的に成長してくる政治闘争(より正しく言えば、労働者の政治的願望と要求)を完全に承認するが、社会主義の一般的任務と今日のロシアの諸条件におうじた、特有の意味での社会民主主義的政治(共産主義的政治―引用者)を自主的につくりあげることを、まったくやらない」(同上68頁)経済闘争そのものに政治性を与えよという経済主義者、自然発生性に拝跪し運動の後尾についていこうという追随主義者・後衛主義者、清算主義者・解党主義者、等々にたいして、レーニンは、「知識的な労働者のなかからも、インテリゲンツィアのなかからも、政治闘争の指導者がそだってくるようにわれわれが助けないかぎり、大衆もまたけっして政治闘争をおこなうことを学びとりはしないだろう。そして、このような指導者は、もっぱらわが国の政治生活のすべての試みを系統的、日常的に評価することをもととしてのみ、そだつことができるのである」(同上238頁)、「その革命がなによりも第一にわれわれに要求するのは、煽動における熟達と、あらゆる抗議を支持する(社会民主主義的〔共産主義的―流〕なやり方で支持する)能力、自然発生的運動に方向をあたえ、それを味方の誤りからも敵のわなからも守る能力であろう!」(同上258頁)、「この新聞(全国的新聞―流)を中心としてひとりでに形づくられる組織、この新聞の協力者たち(最も広い意味での協力者たち、すなわちこの新聞のためにはたらく人々の全部)の組織こそ、まさに革命の最大の「沈滞」の時期に党の名誉と威信と継承性を救うことに始まって、全人民の武装蜂起を準備し、その日取りをきめ、実行することにいたるまでの、あらゆる事態にたいする準備をもった組織であるだろう」(同上259頁)などを対置している。ただし、それはレーニン自身が言っているように、当時のロシアの情況に対応したものであり、歴史的な型なのである。
 共産主義者の組織は、「戦闘組織になくてはならない柔軟性を保障」(同上258頁)し、「多種多様で、急速に変化してゆく闘争条件に即応する能力」(同)を持ち、「つねにあらゆる事態にたいして準備していなければならない」(同)。こういう組織に官僚主義は合わない。レーニンは、そのような組織は、「最も強力な爆発の時期にも、最も完全な沈滞の時期にも同様に行うことができ、行う必要がある」「全ロシアにわたって統一的で、生活のいっさいの側面を解明する、最も広範な大衆を対象とした政治的煽動の活動」(259頁)によってつくられると述べている。それは今日でもそうである。今日の先進資本主義諸国では、資本主義批判・帝国主義批判・資本制国家批判と徹底的民主主義、共産制社会の実現の要求を結びつけるなどのヘゲモニーをうち立てる内容が必要である。

マルクスの労働組合論。経済闘争と政治闘争とのヘゲモニー的結合

 雇用や賃金や職場の改善や解雇や待遇をめぐる闘争は経済闘争であり、労働組合は「第一の資格」(マルクス「国際労働者協会ジュネーヴ大会への指令」1866年『労働組合論』国民文庫46頁)では、経済闘争のための組織である。そして「第二の資格」では、「賃労働と資本の支配の制度そのものの廃止を促進する組織された手段として、さらにはるかに重要である」(同)。ジュネーヴ大会後、ドイツで労働者のストライキなどの労働者の闘争が激しくなってきたことを受けて、シュワァイツァーは労働組合の組織に着手したが、彼は「特殊の一宗派に従属せよという要求を階級運動に提出し」(同上50頁)た。マルクスは、それを階級運動に打撃を与えるものだと批判した。そしてマルクスは自身の経験をもとに、「中央集権主義的組織は秘密結社や宗派的運動にはきわめて適しているとはいえ、労働組合の本質には矛盾するとだけ私は言っておこう」(同)とシュワイツァーあての手紙で彼を批判している。また、1869年秋、ドイツを訪れたマルクスは、ラッサール派のハマンとの会談で、ラッサール派の宗派主義を婉曲に批判して、「もし労働組合がその任務をはたそうというのであったら、けっしてそれは、政治団体と関係したり、そうした団体に従属したりしてはならない。こうしたことがおこると労働組合に致命的な打撃をあたえるものである。労働組合は、社会主義のための学校である」(同上60頁)と述べた。労働組合が「社会主義の学校」なのは、資本に対する団結した闘争によって共同性(社会性)を身につけ、学ぶからである。
 それは、労働者階級の政党の必要を否定したものではない。逆である。そのことは、マルクスが起草した1871年国際労働者協会協議会の決議が、インターナショナル規約、創立宣言、「いわゆる陰謀についての宣言」の文句を引き、さらに、「インタナショナルは放恣な反動に反対しており、この反動は労働者の解放をめざす努力を恥じることなく抑圧し、残忍な暴力によって階級差別とそれを基礎とする有産階級の支配を永久につづけようとしていること」、「労働者階級は有産階級の全暴力に対立してみずからを特別の政党に組織することによって、有産階級の全暴力にたいして階級としてのみ行動しうること」、「労働者階級を政党としてこのように組織することは社会革命とその終極目標ー階級の廃止ーのために必要かくべからざること」、「労働者がその経済闘争を通じてすでにつくりだした個々の力の統一はその搾取者の政治的強力にたいするその闘争の槓杆としてまた役だつべきこと」、を考慮して、労働者階級の戦闘状態において、その経済的活動と政治活動を不可分に結びつけるようにインターナショナル会員に注意していることで明らかである(同上63頁)。
 それから、彼は、「労働組合は、労働者階級の完全な解放という偉大な目的のために、労働者階級の組織化の焦点として意識的に行動することを学ばなければならない。労働組合はこの目標にすすむあらゆる社会的・政治的運動を支持し、自分を全階級の行動的闘士かつ代表者とみなさなければならない。それは、かならず組合外部の人々をも味方にひきつけなければならない。もっとも劣悪な賃金をもらっている職業《〔この語のかわりに〕労働者層》、たとえば、例外的に不利な事情のためにこれまでごくわずかな組織的抵抗さえおこないえなかった《〔この二六字のかわりに〕抵抗力を奪われている》農業労働者の利益に、注意ぶかく心をくばらなければならない。労働組合は、その目標が狭量な、利己的なものではけっしてなく、ふみにじられた幾百万人の全般的解放にむかってすすむものであるという確信を、労働者階級の広大な大衆《〔この一一字のかわりに〕全世界の人々》に、きざみつけるであろう《〔この五字のかわりに〕なければならない》」(マルクス「国際労働者協会ジュネーヴ大会への指令」同上47頁)と、ヘゲモニーの必要を主張しているのである。
 労働者階級は、ヘゲモーンとして、労働組合の外部の広範な大衆とも結びつき、政治闘争と経済闘争を結合することなどが必要なのである。

自由主義宗派のヘゲモニーかプロレタリアートのヘゲモニーか

 世界の労働者大衆の運動は、90年代の停滞を抜け出しつつある。とりわけ、欧米の国際反戦運動の高揚は、闘う労働組合が自由主義者のヘゲモニーの下から抜け出すことで実現したという側面がある。アメリカでの共和党大会に抗議する50万人行動の背景にはそうしたことがある。イギリスでは、労働党の自由主義的労組指導部のスト破りに対決する消防士組合や教組などの労働争議が活発になりつつある。ドイツにおいても、シュレーダー独社民党政権の自由主義的政策に対する労働組合の闘いが拡がっている。
 日本では、全体としては、労働組合運動が停滞・後退している。その原因の一つは、「連合」の自由主義宗派的ヘゲモニーが支配的なことにある。しかし、国鉄闘争における「1047名の不当解雇撤回、国鉄闘争に勝利する共闘会議」(国鉄闘争共闘会議)・闘争団とそれを支持する国労員の闘いが、長期化や国労指導部の宗派主義や自由主義への接近や統制・処分攻撃や闘争団切り捨て策動やJR連合・JR総連の国労切り崩し等とのとの闘いという困難を抱えながらも闘う国労再生への希望をつなぎ、あるいは、日教組指導部の闘うなという自由主義宗派的統制をはねのけて東京都数百人をはじめとする教育労働者などが「日の丸君が代」強制反対闘争に立ち上がるなど、プロレタリア的な徹底民主主義のヘゲモニーを全住民へ拡げる闘いが生まれている。それと10月17日のアメリカANSWER連合の呼びかける反戦100万人大行進などの国際反戦運動が合流すれば、世界の人々に希望のヘゲモニーを拡げることになる。
 「いや三〇才の『つかれきった』老人と、『分別くさくなった』革命家と、社会民主主義(共産主義―流)の背教者をひろいあげることは、カデットにまかせたほうがよい。我々は、常に先進的な階級の青年の党となるであろう」(レーニン全集第11巻365頁)(『坂井與直著作集』118頁『プロレタリア通信』〔共産主義者同盟政治局通達〕(一九六九・六・二四)わが同盟の火急の任務)。ここでいう「30才」とか「老人」とか「青年」とかは、象徴的な表現であり、実年齢を指しているのではない。80才の「青年」もいれば、20才の「老人」もいる。世界的に自然発生的闘争が高揚しつつある現在、自覚したプロレタリアート・共産主義者は、自然発生性に立ち遅れてはならないのである。




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