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<戦術・組織総括> われわれの新たな活動方向

1994年6月


−はじめに−
 1980年代末以降、われわれはソ連邦の崩壊をはじめとする世界史的激動に際会してきた。新しい情勢の中で、ブルジョアジーは共産主義・プロ独を完全に埋葬しようとしている。それに対して、共産主義・プロ独の語それ自体や革命党の権威を振りかざしても人々を動かすことなどできはしない。そもそも、今日、革命の意味や革命党の存在根拠そのものが問われているのだ。われわれは階級闘争構造を大きく転換させている力、特に大衆的な運動に内在する力をとらえ、それと直接結びつき、プロレタリア革命を内実において復権しなければならない。このたたかいを遂行し得る団結体の建設が問われている。
 そのために、完全な破産と敗北を喫したスターリン主義の根底的な批判、総括が必要だ。それは我々自身を縛ってきたスターリン主義と同質の理論、戦術、実践、組織を洗い直し、変革し、革命的な綱領・戦術・組織を生み出すことでもある。この「党の革命」をわれわれは 大衆運動に対するはたらきかけと結びつけて追求してきた。

「1.労働者大衆が始めている様々なレベルの・・・活動を革命的に支持すること・・・資本の運動そのものを廃絶するという意識性をもって民主主義を利用する、という点から運動の発展を援助していくこと。2.直接の政治活動だけでなく、様々な社会活動に大衆を参加させていくこと。『計画する』という点で彼らの能力を発展させていくこと。広い意味での共同行動における決定への直接の参加と、決定への自己規律に基づく服従。意見の相違が当然であることを認め、徹底して討論し、判断の共有を作っていくこと。この質をあたりまえの日常活動として・・・あらゆる大衆運動体の中にまで作り出していくこと。3.労働者の中に入っていくこと。」(『火花』106号)

「人々が始めている運動の内的質をとらえ、その中から普遍的な目標、レベル、スタイルなどの違いに関わらない質的同一性を様々運動体の中に作りだしていくこと・・・」(『火花』107号)

 階級闘争の今日的な特徴を踏まえて、われわれが提起したのはこのような活動方向だ。
 「スターリン主義モデル」の革命を崩壊に追い込んだ世界資本主義の発展、成熟は、一方で、様々な矛盾の噴出と多様な運動の広がりをもたらしている。われわれは、この運動の中に革命(プロ独)の新たな芽をみいだし、それを内在的に生長させていくようなはたらきかけが必要だと考えたのだ。
 この主張に基づく模索の中で、われわれの宣伝・扇動活動、組織建設戦のありようは変わった。「新しい運動・新しい組織」として提起してきたたたかいは階級闘争の現実に迫り得る、左翼の意気沮喪と空元気を脱却する展望をつかみ得る、という直感のようなものがわれわれにはあった。そして、それはこの間の経験の中でより確かな裏づけを得てきた。
 だが、一方、われわれはある種の「もどかしさ」を感じている。活動の方向性は示してきた。が、われわれの主張の中心である「商品生産の廃絶」「民主主義の死滅」、それらを今の運動の中に準備するということがイメージできない、党独自の活動の形態や意義がつかめない、党員・諸グループの個別的な経験が全体化・定式化されていない、「新しい運動・新しい組織」の意味や、そのポイントとして きた労働者大衆の「自己規律」「文化水準」等の意味、さらには戦術・組織のもっとも基本的な概念における不一致がある・・・。
 こうした問題が、今日、階級闘争の変貌とその中で党の存在意義そのものを問う深みから「党の革命」をとらえなければならない、という困難と結びついていることは確かだろう。この困難を引き受け、突破していくために、われわれは運動−現実からより広く深く学んでいきたい。すでにこの志向をもってはじめている自らの活動をより意識的なものとし、有機的に結合させていくとともに、そこでの経験に裏打ちされた論争を組織し、綱領・戦術・組織に定式化していきたい。
 もとより、これらの闘いはわれわれのうちに閉じられるものではない。
 以下、われわれの新たな活動方向を提示する。事業の共有と論争をよびかける。

1.われわれは、かつて、'80年代中期までの自らの宣伝・扇動の問題点を次のようにとらえた。
 「資本主義の『悪』に綱領を対置していくことと内乱の思想が、自然発生的な運動を批判する上で不断に教条的なものになって」きたこと。「政府・権力問題」を「現在という歴史的に一時期の特徴との関係で・・・分析することが不可欠」であるにもかかわらず、その重要性を一般的に語るにとどまっており、硬直性を免れ得なかったこと。そこから「民主主義の防衛、そのための帝国主義打倒の武装闘争という部分に対する党派性」が「暴力革命の領域ではあいまいになった」こと。
 そして、こうした「弱さ」を克服するために、「革命的スローガンについて」「戦争国家とプロレタリアートの任務」等、「今日の国際主義的戦術(『内乱の思想』の今日的復権を巡る党派闘争)」に関する問題意識、すなわち、「現在の日本における国際主義的戦術を方針として、政治闘争と経済闘争の結合の新しいあり方や、どのような『亀裂』を利用して内乱を促進していくか、ということを解明していくこと」の継続を確認した。高度に発達した資本主義国−日本において、「直接に共産主義革命をめざす政治」を掲げ、「労働者大衆の多数」を代表していく、そのために「革命的スローガン」(綱領)のもとに日帝の侵略・抑圧・反革命に対する個別的なたたかいを結合させ、新たな大衆運動(団結の構造)を建設していく、この方向性をわれわれは改めて確認したのだ。
 われわれの大衆運動との実際の関わりは、社共より急進的な反帝統一戦線としてある政治闘争(共同行動)の場に出ていき、反帝主義的・戦略主義的な運動との団結のあり方を転換せよと呼びかける、というものだった。むろん、われわれは、運動の「外」から「革命的スローガン」を押しつけようとしたわけではない。新左翼圏の活動家たちの中に、運動と組織をめぐる判断をプロレタリア革命との関係で下していくような意識性をもつ部分をつくりだすこと、プロレタリアート独自の目標を基準とする結合体の建設に向けて論争、判断、行動、総括の共有を組織していくことをめざしたのだ。
 われわれは『火花』を軸としたこの活動のもとに、プロレタリア行動委等の活動(政治行動部隊をもってする運動の場への「進出」)に限定されない、多様な形での大衆運動へのはたらきかけを集約しようとしてきた。

2.今、「革命的スローガン」に示される活動方向はなお意義を失っていない。が、次のような課題が浮かび上がっている。
 「『綱領』で示されるような『目標』それ自体は、大衆運動内部で承認されないわけではない。問題は、なぜ現在、それを全面に掲げるべきと判断するのか、である。この問いと批判は、多くの運動指導の『段階論』的な発想から出されてきた。が、すでに『綱領』で示されていることの中身をめぐって大衆的な運動の中で実践・交流・論議が進んでいる。この現実の側からも問われていると言えよう。われわれにとって重要なのは後者である。」(『火花』124号)
 ここで言う「大衆的な運動」は、新左翼に典型的な「政策反対政治」とは「別の」ところで活発に展開されている、いわゆる「新しい運動」をさしている。「革命的スローガン」−「綱領のもちこみ」をめぐって、われわれには新たな課題に答えていくことが問われているのだ。この課題に対する解答を実践的に見いだしていかないかぎり、「直接に共産主義革命をめざす政治」のリアリティはない。「革命的スローガン」は、いたるところに転がっている「左翼的空文句」と同じ土俵で「革命性」を競い合うにすぐないものとなるだろう。
 むろん、新左翼諸派の、あまりにも教条的で硬直した主張や指導と比しての優位性、という点でわれわれに注目する部分、問題意識は共有できるという部分はいるだろう。しかし、階級闘争全体から見たとき、それはごく小さな部分であって、そこから「労働者の多数」の獲得、革命という巨大な共同事業の建設を構想することなどできない。新左翼全体が大衆から乖離し、階級闘争への影響力を失っている中、その政治・運動圏内で、問題意識や認識において一致する少数を獲得する、という現状にとどまってはいられないのだ。
 今の情勢の中で、この現状をどううち破っていくかがポイントである。

3.この間、帝国主義ブルジョアジーの主導する国際秩序の形成が国連政治等の形で模索されている。が、安定は望むべくもない。旧来の理念に基づく政治的統合や国家間関係としての国際秩序に対する挑戦と反乱が新たな形で噴き出している。
 例えば、人種・民族・宗教等をめぐる差別・抑圧構造の中で被抑圧の側におかれてきた諸集団が、同権の要求を掲げて次々とたちあがり、国民国家の枠組みそのものをめぐる闘争が激しくなっている。また、「地球環境問題」や「南北問題」が、いわば、待ったなしの課題として浮上している。
 このような状況の中で、国連政治等、ブルジョア政治の限界は明白になっている。空洞化した理念を掲げての軍事行動(国家テロリズム)は発生している問題の構造に対処できていない。また、エゴイスティックな国家利害、特に帝国主義国、大国の利害を最優先させた政治−ごまかしと問題解決の先送りが横行している。
 総じて、巨大化し国際化した資本の運動がもたらす矛盾に、国民国家の枠組みに基づく政治が対応不能に陥っているのだ。このことは、そうした政治の土俵に立つ力学主義的な革命戦略で大衆を「指導」してきた旧来の左翼(権力奪取に成功した党−国家)の破産として、また、第三世界の脆弱な国家体制の崩壊として先行的に現れてきた。が、先進資本主義国においてもすでに支配体制の動揺は深まっている。
 この動揺をさらにおし広げる必要がある。問題解決能力を失ったブルジョアジーを歴史の舞台から引きずりおろし、かわってプロレタリアートが世界史的階級として登場していくために、である。このたたかいの現実的条件はどこにあるのか。

4.今日、国境を越える巨大資本の運動とそれがもたらす「市民社会の国際化」を背景に、開発、民主主義、国際協力等の内容をめぐる大衆的な闘争が拡大している。また、社会生活全体にのしかかるブルジョア国家がますます社会から自己を疎外している状況のもとで、直接民主主義的要求が高まっている。
 われわれが「新しい運動」と読んできたこの運動の裾野は、社会生活総体に及んでいる。資本主義社会における人と人との結合関係の変革や、資本のもとでの巨大な生産力がひきおこす危機の解決、社会主義の経験も含む労働、生産、分配、分業、消費・・・の問い直しが追求されている。むろん、運動においてこれらのことが自覚的に取り上げられているとは言えないし、様々な志向は未分化だが、資本・商品・貨幣の廃絶(死滅)も問題が直接浮上していることは確かである。また、ここであげた一連の模索は、自己を規定するイデオロギー、能力、意識、欲望等、いわば「内面化」された資本主義社会の問題や、運動と組織(指導、団結、民主主義等)のあり方をも問わずにはおかない。
 ここに見られる自然発生的な要求は、帝国主義の悪辣さに対する憤激、告発という水準をこえている。社会革命、文化革命の質を内包していると言ってもよいだろう。むろん、こうした運動は最近生まれたわけではない。先進資本主義国を中心に、少なくとも20年近い歴史をもっている。だが、今日的特徴として、次のような点をあげることができる。運動が世界的に、同質性をもって広がっており、相互の実体的結合を活発につくりだしていること、経済・社会の変革と建設のプロジェクトやモデルをつくりだしていること、しかも、国家、あるいは政党や労組等の力に頼ることなく、「自力」で実績をあげていること、等。
 われわれはこの運動の経験と結びつき、多くを学ばなければならない。現実批判を遂行する理論、行動、団結の能力を高めていくために、相互変革のはたらきかけを組織しなければならない。ほかならぬ資本主義の発達が生み出した現実の中から、プロレタリア世界革命の条件をつかみとることである。
 そして、このことの側から、必要となる帝国主義・国家権力とのたたかい(種々の具体的行動とそれを担い得る組織、物質的条件)を共同でつくりだすことだ。彼我の力関係を分析し、徹底してリアルに、計画的に。
 こうした見地から戦術を練っていく必要がある。階級闘争分析の古い図式や現象に対する一面的な判断をもとに「線を引く」ようなやりかたを捨てなければならない。

5.その意味では、われわれが結成以来掲げてきた<四分五裂した「前衛」の統合−大衆的陣形の建設>という計画も現実性を失っている。「階級闘争の成熟」に対応し、社会革命に向けた新たな共同事業とそこにおけるイニシアチブのイメージを見いだすことが必要となっている。多様な運動体が連携し、重なり合い、あるいは分界する、という流動的な場において、新たな計画をつくりだすことが急務なのだ。当然、運動の「統一」や「指導」ということの内容と方法等がそこでは改めて問われるだろう。
 さて、日本の左翼政治・運動は、依然(反帝、反独占)統一戦線の枠内にある。それは、新しい情勢に対応しようとする独占・大ブルジョアジーと労働者上層の帝国主義政治の推進に、小ブル的保守主義を対置するものだ。むろん、「閉鎖的で遅れた」日本の政治・社会は「特有の」問題を生みだしている。このことを等閑視してはならない。また、日帝の侵略・抑圧・反革命を暴露し、反対・抗議の行動を組織することも重要だ。だが、「反戦・平和・民主主義」の窓から問題をとらえ、日本革命を段階論的に考えること、そこから国際連帯の内容を狭く限ってしまうことは誤っている。
 左翼運動の土俵上での(この運動の現実に規定された)われわれの活動のあり方を転換することが必要だ。
 われわれは、プロレタリア国際主義をめぐって、プロレタリアートの経済的地位、解放の条件の国際性ということを次のような側面からもとらえる必要がある、と述べてきた。

 「賃金奴隷といった概念の抽象性を・・・具体性をもって膨らませること・・・プロレタリア国際主義を実践するときの労働者の文化の水準、実務的に働く能力、あれこれの事項を研究し、実験し、調査し等々する能力・・・こうした面での同一性を前提とした、あるいはその同一性を獲得せんとする実践として、国際主義がなければならない。」(『火花』102号)

 「”解放”とは当然にも政治権力の奪取だけではなく、その後の社会革命の過程をも指しているのであるし、今日問われていることはまさしくこの社会革命の過程をめぐって存在している。」(同上)

 そして「先進資本主義国プロレタリアートの任務」について、「自己犠牲、献身性、英雄主義の今日的な内実・・・その実現の現在的な形態」の追求を提起した。「多国籍企業・多国籍銀行形態の中枢の解体・収奪」「資本主義のもとで育成されてきた労働者の高度な規律性・組織性に基づく闘い」等の「プロレタリア国際主義の実践」に関する従来のわれわれの把握を一歩越える方向を提出しようとしたのだ。
 この方向のもとで、いわば左翼政治の常識や古い権威と切れたところで自立的に展開されている運動の場に向かう、すでにわれわれが部分的に着手している活動を促進し、全体化していかなければならない。まず、旧来の「線引き」に拘泥せず、運動の交流と共同の仕事の場を積極的につくりだしていくことだ。

6.この活動の中でわれわれは「自立」「共生」「オルタナティブ」等の理念に出会うだろう。これら抽象的で多義的なスローガンは運動の分散性と結びついている。だが、同時に、先に述べたような今日の運動の自然発生性の質を表している。
 だからこそ、われわれは大衆運動に存在する分散化、分権化の要求に拝跪、迎合してはならない。また、「オルタナティブ」を資本主義のもたらす諸結果に対する部分的批判にとどめ、運動を改良の体系に収束させるようなやり方を批判しなければならない。そうしたことをもって「指導」内容としている党派、グループと闘争しなければならない。だが、個人主義、セクト主義等、分散化の現れに対して説教をし、時代がかった「大義」や「決意」に基づく統一を大衆運動におしつけることは後ろ向きでしかない。
 実際、運動の中で、人々は個々バラバラになろうとしているわけではない。運動の目標や力の集中等の意味そのものをめぐって模索と論議が進められているのだ。また、具体的なとりくみを通じた経験の積み上げや、コミュニケーション空間の拡大によって、より広い観点から合理的判断を下していく条件が広がっている。運動と組織の中に不断に生じる官僚主義の現れを敏感にとらえ、克服し得る人々が生み出されている。
 こうしたたたかいを援助し、見いだされたものの中から普遍的なものをとりだし、不断に定式化していくことをわれわれの宣伝・扇動、教育活動の基本としなければならない。それは、決して一方向の伝達ではない。相互変革を通じて、運動と団結の質を高度なものとしていくためのはたらきかけである。そして、運動の目標と情勢との関係で古くなった理論、運動と組織を解体し、新しい任務にこたえるものをつくりだしていく、この見地から運動と組織の変容と流動を促進することだ。
 われわれは、大衆運動に「統一」や「組織」をおしつけるのではなく、また、統一戦線のような民主主義の<場>(換言すれば、多数決原理に基づく国家の<場>)に引き込むのでなく、「個々の運動体がそれぞれ自己の固有性をつきつめ、それと向き合い、分散化・セクト主義を克服する方途を探る作業」(『火花』119号)に加わり、援助するようにしていかなければならない。分権主義とのたたかいを、個々の運動体が自然発生的な狭い普遍性を脱し、その現実的判断力をいかに高めていくか、という見地から進めなければならない。そして「共産主義者は、こうした運動体の中で活動し、現実的な判断力を磨かなければならない」(同上)のだ。

7.さて、「新しい大衆運動」は、国家を忌み避けているかのように見える。国家権力との向き合い方も、現在的には、直接的な対決としては現れていない。しかし、運動の発展にとって国家権力との直接的、暴力的対決を避けることはできないし、ブルジョア国家の打倒・解体は不可欠の課題である。同時に、社会革命を全面的に推進していくためのプロ独が必要である。これらのたたかいを今の運動の中で準備しなければならないということだ。この点についての実践的回答を共同で見いだしていくことが特に重要である。
 糸口はある。
 現在、様々な社会運動は、国家権力の暴力、強制力と他方での巧妙な包摂策、あるいは階級闘争(党派闘争等、諸運動体間の闘争)の暴力的な展開等の現実に否応なしに直面している。運動が力量を増すほど、シビアな判断が求められるだろう。
 また、例えば、先住民運動や国際NGOの中から、国民国家を否定しながら、かつ、国家を前提としてきた政治的経済的権利を要求する運動が生まれている。自ら地域の統治や経済建設、さらには国際政治を担う意志と能力をもった主体が登場しているということだ。現にこういう運動の国際的な連携は多くの実績を示し、ブルジョアジーにとっても無視できない政治的圧力を形成しつつある。
 こうした経験と結びついて、運動の自立的な判断と問題解決における「一歩前進」をともに見いだすことである。この活動の指導を通じてプロ独の生きた内実をつくりだしていくことは可能だし、今日、是非とも必要なことである。
 そのために、われわれは運動の種々の場、固有の局面における判断、総括、新たな方針決定のプロセスに積極的に参加していかなければならない。

8.そこにおいて、あらゆる機会をとらえて「国家権力の構造」を暴露するとともに、様々な領域(自らの運動と組織のあり方をも含む)で生じている「参加民主主義」「自己決定」の要求を革命的に支持していくこと、さらに、計画・管理・自治能力の形成を社会総体の領域へ広げていくことだ。運動の中でともに経験を積み、学び、判断能力を高め、この力を基礎にして国家統治への直接参加の要求を組織しなければならない。
 国民国家の矛盾を鋭く衝き、「自立」や「参加」の要求を全面に掲げはじめている在日朝鮮人(外国人)運動、「国家対国家・政府対政府」の「国際交流」を越えて、市民の手によるプロジェクトを推進する、という国際NGO活動、憲法そのものの意味の問い直しや軍隊のない国家(世界)を求める運動、これらに注目していくことが必要だ。さらに、われわれの向かうべき領域を、教育、医療、消費・・・地域、労働、芸術・表現活動の場、様々な社会組織・・・ボランティア・・・等へと拡大していかなければならない。こうした観点からわれわれ自身の条件を検討し、あるいは、新たにつくりだすことだ。
 政治闘争(共同行動)について一言しておく。現在展開されている個別的、政治過程的な闘争への動員等は、それぞれに、これまで述べてきたような活動との関係で具体的に設定されるものであり、また、はたらきかけ全体のひとつの「結果」である。闘争への「決起」に特別な意味を与えること、あるいは、共同行動を無理に計画しようとすることは有効性を持たない。
 現在、海外派兵、改憲、小選挙区制導入等に反対する闘争が組織されている。むろん、われわれはその闘争の場においても独自の政治暴露、宣伝・扇動を行う。政治行動の経験を組織する。しかし、護憲派−「第2社会党(総評)ブロック」の形成という発想に典型的な、とっくに破産を宣告された政治戦略や「陣形建設」に責任は負えない。現状では短期的な共同行動が必要に応じて次々できればよい。それらを狭くくくったり、特別な意味を与えて固定化したりしないことだ。

9.綱領を実際活動と団結の基準としていく、このことをわれわれは堅持する。これは運動全体の現実が火花派に要請していることだ。われわれは諸活動を新しい綱領(テーゼ)に集約していく。直接知らぬ人々が自らの闘争基準とし得るような綱領をつくりだしていく。そのために、内容はもちろん、形式(構成)や叙述、また、公開と論争の組織化の方法等も検討していく。
 当面、次のような課題が重要だ。
 資本・商品・貨幣の廃絶、死滅ということの実際の意味について、もっと踏み込んでいくこと。例えば、商品生産の廃絶、社会的分業の廃絶、「労働日(時間)の短縮」と労働そのものをめぐって、さらには、これらを「現実の運動に刻印する」とはどういうことか、現実に意味することは何か、等の論争を種々の手段を用いて拡大していかなければならない。
 われわれは、達成されるべき共産主義の、ある状態と「今」とを切り離し、その間にあれこれの橋をかける、という発想を批判してきた。「資本主義(商品生産)の廃絶」や「国家(民主主義)の死滅」というわれわれの中心的主張を、プロレタリア行動委等の宣伝・扇動では「新たな社会的結合の創出」として表してきたこともそのことと結びついている。大衆運動において現に進められている種々の模索がもつ客観的意義をつかみ、それを共産主義−不断の実践として発展させていく方向性を示そうとしたのだ。また、このスローガンは現実の課題に引きつけた(社会主義の)歴史総括との関係で意義をもつとも考えた。が、なお仮説的である。また、それが、現実に対する意味付与、概念操作のための「標語」として一人歩きする危険性がある。われわれは「新たな社会的結合」の質や内容を実体の側から示すようにしなければならない。
 「綱領をもちこむこと」の中心に、革命を準備する共同事業のための「テーゼ」を作成するような仕事を置くことが必要となるだろう。ポイントは、そのことを可能とするような関係を様々な運動体や個人との間につくりだしていくことである。その際、国際的な舞台で行われている「共同綱領」「共同宣言」作成等の経験も参考となるだろう。いずれにせよ、様々な試みが考えられる。<党−大衆>図式を越えて研究、交流、論争、実験−総括を積極的に、柔軟な形で組織していくことである。
 そのためには多様な工作活動に習熟しなければならない。共同作業をめぐる計画を身軽に行動に移し、また、ともに動けるような人々を拡大することだ。ここにおける指導は、内発性を重視する。系列−義務、形だけの組織的なしばりを無くしていく。活動の性格と形態、組織的結合のあり方は多様なものとなろう。その中で、活動の質的な統一をはかっていくことが重要である。同時に、これらを有機的に結びつけるために、党組織の建設、「団結の構造」の建設にこれまで以上の意識性をもってあたらなければならない。
 党員(グループ)には、より徹底して党に対する責任を負って判断し行動することが求められる。「個々の運動体の中で自らの党の諸決議・決定を実践し、点検し、それをより現実的なものにしていくために闘う」(『火花』119号)ということである。自らの活動の報告、点検、総括(方針)案を作成し、全体の検証にかけていく、それらを党の決議・決定に反映させるために、党諸機関への提起を行う、また、大会を準備する、こうしたことが重要である。種々の組織文書の作成や、意見提出、論争をこの観点からより目的意識的なものとしていかなければならない。

 以上の基本方向を踏まえ、われわれは自らの現在の日常活動、種々の運動との関わりを洗いなおし、新たな計画を作成していく。
 新しい階級闘争の構造の中で、新しい任務を引き受けていくことのできるような党の建設に向けて、われわれは自らを不断に変革する。そして、われわれ同様こうしたたたかいをくぐりぬけた部分による、新たな綱領・戦術・組織のもとでの団結を必ず実現する。


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