共産主義者同盟(火花)

イラク・沖縄などの解放闘争と結合する社会政治革命を

流 広志
274号(2004年6月)所収


国連安保理決議1546号とイラク解放の闘い

 国連安全保障理事会は、6月8日(日本時間9日)、米英などが提出した決議1546号を全会一致で採択した。この決議の内容は、今月31日の暫定行政当局(CPA)とイラク統治評議会の解散と暫定政権への主権委譲、おそくとも2005年1月末までの選挙による憲法制定と新政府準備のための暫定国民議会創設、同年12月31日までの総選挙と新政府の発足、イラク国民の石油などの天然資源を含む主権の確認、新政府発足までの多国籍軍の駐留、それの1年後の見直し、イラク政府の要請による撤退権限の付与、イラク政府の多国籍軍参加が自由意思によることの確認、多国籍軍との緊密な協議、国連事務総長特別代表と国連イラク支援団(UNAMI)による支援、等々というものである。
 小泉首相は、さっそく、自衛隊の多国籍軍参加を表明した。6月10日付『読売新聞』社説は、米英日政府と与党の立場に立って、決議の採択を歓迎し、多国籍軍への自衛隊参加は当然であり、独立した指揮権の下での人道復興支援活動は「武力行使」ではないと述べ、政府与党の機関誌ぶりを示した。
 今のところ、フランス・ロシア・ドイツ・中国の多国籍軍参加表明はない。決議案の修正過程では、米英が譲歩して、中国の意見がかなり取り入れられ、中国の存在感が強まったことが明らかになった。
 アメリカは、今後も10万人以上の軍隊を駐留させ、ニカラグアでのコントラによる住民虐殺を支えたネグロポンテ現国連大使を世界最大規模のイラク大使館の長にすえるなどして、イラクを実効支配して、利権の確保を狙っている。
 アメリカは、当初の占領プランが破綻して駐留米軍規模を増大させねばならないはめになり、在韓米軍の一部をイラクに派遣せざるをえなくなった。かつて、国防長官ラムズフェルドは、自信たっぷりに、米軍は二正面作戦を遂行することが可能だと言っていたが、当面、イラク中東に集中せざるをえなくなったのである。アメリカの軍事予算は冷戦期を超えており、またイラク対策の別枠の予算も増加し続けている。財政赤字の圧迫は、日本などが米国債を買い支えることでしのいでいるにすぎない。この決議は米帝の世界政治の限界を示したのである。
 イラクでは親米のアラウィ氏を首相とする暫定政府が発足し、6月末の主権委譲の受け皿が作られた。各政党が組織している民兵の解散も合意された。しかし、ファルージャでの散発的な衝突や南部での石油施設攻撃など、反米武装闘争は続いている。多国籍軍という形での指揮権を握る米軍の大量駐留と親米派を利用した実効支配が続く限り、イラク労働者共産党が米帝による占領支配からの解放を第一義の政治課題として広範な勢力と連携して闘う方針を明らかにしたように、占領軍によるアブグレイブの拷問虐待やファルージャの虐殺に象徴される抑圧的差別的占領支配に対するイラク人民の自己解放闘争は続くのである。それと連帯する国際反戦運動も持続されねばならない。

シーアイランド・サミットの意味するもの

 6月9日(日本時間10日)、G8・シーアイランド・サミットでは、アメリカが提出した「拡大中東・北アフリカ地域パートナーシップ」が合意された。この政治宣言は、改革を外から押しつけず、地域の多様性と自主性を尊重することを原則として掲げた上で、民主化や社会的及び経済的改革支援を目的として、G8と域内各国の外相、経済相らによる「未来のためのフォーラム」を設立し、支援策を継続的に協議するとしている。また支援計画として、識字率向上のため、15年までに2000万人に読み書きを教え、09年までに10万人の教員を育成し、中小企業育成のため、世界銀行傘下の開発途上国向け融資を行う国際金融公社に1億ドルの「拡大中東・北アフリカ民間企業開発基金」を設けることなどを決めた。しかしこれらの方策は、国連などの国際機関が貧困削減、経済自立支援などの名目でこれまでも進めてきたものや、日本政府が「人間の安全保障」概念をもとに、各種国際機関の人道活動に基金を設けるなどして行ってきたものと変わりはない。日本政府は「基金」への最大1000万ドルの支出を表明した。
 中東・北アフリカ地域の「民主化」の騎士を気取るアメリカ流民主主義の実態は、他者の模範になるような立派なものではない。例えば、米国の二大政党制の下では、民主党であれ、共和党であれ、下からの大衆的支持を受けていても、選挙本番までの過程で、政策変更の圧力をかけるなどして、支配階級の許容範囲を越えず、その意に添う者しか残されない。支配階級は、多額の選挙費用を出すスポンサーになって影響力を行使したり、手中にあるマスコミを動員するなどの方法を使う。今回の大統領予備選でディーン候補は、些細なパフォーマンスを徹底的にマスコミで叩かれて失脚させられた。二大政党制が支配階級のメンバーが交代で政府を担当する仕組みであり、アメリカ流民主主義が、金持ちどうしが金にものをいわせて政権をたらい回している形式民主主義にすぎないことをあらわしたのである。
 シーアイランド・サミットから浮かび上がってくるのは、金融的経済的競争が原因の分裂であり、仏独(露)と米英日の帝国主義の二大強大国グループへといったん編成されつつある世界分割図であり、米帝の中東侵略の野望の強さである。

ネグリ『帝国』論批判と帝国主義論

 金融独占資本主義としての帝国主義の世界支配をめぐる闘いの激化とそれからの解放闘争が先鋭化している時に、ネグリ・ハート共著の『帝国』が現れた。ネグリは、国境を越える資本の運動を「帝国」の基礎にあると見ているようだ。この領域については、20世紀のはじめに、カウツキーの超帝国主義論、ローザ・ルクセンブルクの『資本蓄積論』の資本主義に二面性(隠れた内乱と公然たる植民戦争)があって世界経済になりえないという主張、レーニンので金融独占資本主義=帝国主義とする『帝国主義論』の主張があった。
 レーニンの帝国主義論は、国民国家の帝国主義国家化と対外膨張・直接的領土化・暴力的侵略等々とみなされていることが多いが、それは『帝国主義論』の一部から構成されたものにすぎない。実際には、『帝国主義論』は、金融資本と独占資本の融合、国内市場の狭隘化、過剰資本の圧力の増大、国際的カルテル・トラスト・シンジケートなどの国際的資本家団体の形成と市場分割協定と競争、国際的資本家団体の競争戦への国家の引きずり込み、他国地域の金融的経済的従属化、諸国家の分裂と対立の促進、世界分割のための政治とその延長である戦争への傾向、等々を指摘した。それから、カウツキーの超帝国主義論を社会主義の彼岸化と反戦運動の放棄と自国の戦争政策を支持する日和見主義として批判した。先の二つの世界戦争は、カウツキーの超帝国主義論の誤りを完全に実証した。
 ローザ・ルクセンブルクは、資本主義的蓄積が、剰余価値の生産場所(工場、農耕地、商品市場)で遂行される面と資本と非資本主義的生産形態との間で遂行される面とがあると主張した。前者の場合、この過程は、形式上、平和、所有権と平等が支配的である。したがってこの場合は、所有が他人の財産の獲得に変わり、商品交換が搾取に変わり、平等が階級支配に変わるかを暴露するために、科学的分析の鋭い弁証法が必要である。後者の場合は、世界を舞台にして、植民政策としての国際的借款体制、勢力範囲政策、戦争が支配的である。暴力、詐欺、圧迫、略奪があからさまに行われる。混沌とした政治闘争や暴力の下で経済的な厳密な法則を発見するのは大変であるが、政治的暴力は経済的過程の媒介者にすぎない(『資本蓄積論』岩波文庫下196〜7頁)。彼女は、資本主義的蓄積は隠された内乱と公然たる植民戦争だというのである。彼女が、資本主義は蓄積実現のためには非資本主義領域との交換が必要なので、原理的に世界経済になりえないと主張したことも、アフリカの現実や先進資本主義国における小商品経済(二重構造や自営農の広範な存在)の実際を見ればうなずける。それは、金融独占資本への従属的な形態で存在している。彼女は、第二インターにはびこるカウツキーの小商品生産者が資本主義の発展につれ完全に解体するとか超帝国主義が世界全体を先進資本主義同様に資本主義化するという主張の非現実性を暴露したのである。
 今月の『マンスリー・レビュー』のバシール・アブ・マネフ氏の「帝国のイリュージョン」という論文は、サイードのアメリカ帝国主義によって長年準備された戦争という湾岸戦争論とネグリの帝国的正義の戦争という湾岸戦争論を対比して後者を批判している。現在のイラク侵略戦争は、レーニン、ローザ・ルクセンブルク、サイード、マネフ氏の見地が正しく、ネグリの見地が誤りであることを示している。
 イラクのアブグレイブ収容所で起きた米兵によるイラク人拷問・虐待は、中南米諸国で行われてきたことの延長である。米帝は、フセイン独裁政権を倒したが、それは、帝国的な正義の実現などではなく、系統的に準備してきた中東アラブ侵略の一過程にすぎない。それは帝国主義の姿であり、ネグリのいう「帝国」の姿などではない。

 ただし、伝統的労働運動がシステムの一部になってしまっていることへのネグリの批判など学ぶべきものもあるように見えるし、そのように読まなければ、「これは「反米」の書なのか―アントニオ・ネグリ&マイケル・ハート『〈帝国〉』書評」(『論座』2003年5月号)が言うように、冗談に終わる。氏は、日本の知識人がネグリを反米的に読んで誤読を広めているのは誤りだと批判しているが、あるインタビューでのイラク戦争にアメリカ人は弱い支持を与えるだけだろうというネグリの見通しははずれたし、現実をしっかりと見ている人は事実をもとに判断するだろうから、今あるそのままのアメリカに正義の道徳騎士の役割を期待することが非現実的であることは簡単にわかるはずである。
 チョムスキーやサイードと同じ見地に立って、キューバ、朝鮮半島、中南米諸国への戦争準備に対する持続的反戦闘争を組織しているANSWER連合のように、ファルージャの虐殺やアブグレイブ拷問虐待事件などにはっきりと現れているアメリカの帝国主義性のを根本的変革と結びつけてイラク反戦運動を闘うのが正しいのである。

金融資本の運動の一帰結―途上国の債務地獄

 また、階級闘争・被抑圧人民の解放闘争の前進のために、経済的影響が大きい金融独占資本の国際的運動の実態解明が必要である。
 例えば、前号で紹介したロンドン金融市場のユーロダラーの問題には、オフショア市場問題も絡んでいる。ここでの資本の動きが、中小国家経済をあっという間に潰すほど大きな影響力を持つ存在になっている。しかし、オフショア市場は、投機やマネーロンダリングや多国籍資本の逃避場などになっており、そもそも国家の規制がないのが特徴であるために、実態がつかみにくいのである。(斉藤さんがこの問題を『共産主義運動年誌』第5号所収の「国際決済制度と世界資本主義の変容」でとりあげているので参照されたい)
 しかし、1997年に始まったアジア通貨危機の背景には、当時のアジア地域におけるオフショア市場をめぐる競争があった。それまで、ロンドンのオフシェア市場に依存していた東京・シドニー・香港・台湾・シンガポール・タイ・マレーシアなどが、オフシェア市場構想を打ち出した。アセアン諸国においては、シンガポールは地域のオフシェア市場としての実績が高かった。この市場で投機筋によるタイ・バーツの通貨取引操作が行われて、1997年のバーツ危機を発端にアジア通貨危機が発生したのである。このアジア通貨危機後に、アセアン諸国政府は、自国通貨を非国際化して自国通貨の防衛に走った。世界の成長センターといわれたアセアン経済が一気にしぼんでしまったのである。ロンドン市場でも、ジョージ・ソロスらのヘッジファンドの操作に対して、イギリス政府が徹底的な介入を行って通貨危機を瀬戸際で防いだ事件があった(NHK特集)。なお、1996年12月に開設された東京オフショア市場の規模は1998年以来2002年まで縮小し続けている(財務省データ)。現在はタイに国際金融センター的な機能が育っている。また、ドル・ベッグ制をとる中国元の香港マーケットでの国際化問題が課題にあがっている。景気過熱気味の中国での通貨・金融問題の発生が懸念されている。
 先進資本主義諸国に発する過剰金融資本問題は、世界的な債務問題を生みだした。貧困国では債務支払いに富が吸い込まれていくばかりである。世銀・IMFが重債務貧困国イニシアチブなどの方策で債務削減を進めているが、それによって救済されるのは一部にすぎない。シーアイランド・サミットの場で、アフリカ諸国は、アメリカがイラクの債務削減を各国に迫ったのに対して、イラクのように石油収入があてにできる豊かな国の債務削減が優先され、貧困に悩むアフリカ諸国の債務削減が後回しになっていると不満を述べた。
 債務債権関係の形成は、「パリ・クラブ」に代表される債権国グループと重債務貧困国などの債務国グループに世界を分け、債務圧縮などをめぐる諸国家間や金融資本間の利害対立を生んでいる。このような関係を生んでいるのは、先進資本主義的帝国主義の側の過剰資本の蓄積実現の圧力である。

NGOをめぐるいくつかの問題

  例えば、貧困者の技能修得支援をやっているアメリカのNGOがある。記録から見ると、このNGOは能力開発に力を入れている。それは、国際機関の援助論でもよくお目にかかるエンパワーメントや自立支援や能力開発支援という考え方に近い。この領域では、単極的な個人精神を植えつけ、孤立化しながら資本に結合する構造的な力としての資本制分業・協業形態、技術や労働の中身を問わねばならないし、根本的には社会的人間の形成や雇用側の企業や自治体の労働などの社会変革が必要である。自立を社会的従属からの解放の社会関係を示す形態にしなければならないのである。
 それから、アメリカに本拠を置き、日本など数カ国に組織があるオックスファムという国際NGOは、先進国と途上国の間の貿易が不公正だとして、それを推進しているWTOを批判し、フェア・トレードなどの活動をしている。このグループは、6月10日、シーアイランド・サミットの成果は、G8首脳の言葉は立派だがカナナキス・サミットで約束した高い目的を達成するには足りないと批判し、アフリカのエイズや貧困問題を解決するには支援とテロとの戦いを切り離すべきだし、貿易政策を貧困削減を目的とするように改めるよう提案している。
 かれらは、北の先進国政府が途上国には高い関税障壁の保護貿易を行いながら北同士の貿易では自由貿易を行うという不公平な二重基準をとっていることを批判して、真の自由貿易の実現が途上国の人々の利益になると主張している。かれらは、資本輸出入、資本取引、資本移動、資本の交易が国際貿易を基本的に規定しているのに、物的商品交換としての国際貿易しかみていない。資本流通を視野に入れないと国際貿易の正確な姿はとらえられないし、真の商品等価交換の自由貿易による途上国の貧困削減はありえない。世界的な計画の下に資源の分配や技術移転などを長期的に進めることが必要なのである。
 また、NGOといっても、実態は政府の予算で政府=公的機関の民間代理人として活動しているものがある。例えば、「全米民主主義基金」(NED)である。在日米国大使館は、今年1月20日、ブッシュ大統領の一般教書演説を説明する中で、「全米民主主義基金(NED)は、レーガン政権時代に、世界各地における民主主義の拡大を目的として、議会が設立したものである。独立した超党派的な理事会が管理するNEDは、毎年数十カ国もの国々で、民主主義促進団体を支援する数百件もの助成金を提供している。NEDの活動の一部は、民主主義、人権、宗教的寛容、報道の自由、および自由選挙のために闘う非政府機関(NGO)や市民団体への直接の助成金を通じて行われる。昨年のNEDの予算総額は3960万ドルであった。大統領は、NED予算を倍増し、増額分の4000万ドルを中東におけるプログラムに割り当てることを求めた」と述べている。益岡賢氏によれば、この組織は、「金も出すが口も出」し、国内では「アメリカ労働総同盟・産別会議(AFL-CIO)の所属組織(たとえば米国国際労働連帯センターなど)」などに資金を提供し、フランス・ポルトガル・スペインで「労働者寄りの戦闘的な労働組合に反対するために中道・右派の労働組織に資金を出」し、ニカラグア・モンゴル・アルバニアなどの選挙に介入し、ハイチで反アリスティド派を支援し、1980年代後半にはフィリピンのゲリラ潰しのために労働組合運動やメディアに資金を提供していたという。NGOの中には、こういうとんでもないものがまじっている。
 日本でもPARCが古くからあるし、新しいNGOが阪神大震災を契機に続々と生まれた。NGOにもいろいろあって一括りにはできない。また、力量が増大したといっても、NGOだけで、富の偏在や何億という人々の貧困をなくせるわけではない。収入の限界ということもあるが、根本的にはこうした世界の現実を生み出している基本的要因である資本主義的帝国主義そのものを変革し、新たな社会を建設しなければ、同じ問題が再生産され続けるという構造的問題がある。
 NGOなどの社会運動が、かかる構造的問題の根本的解決に踏み込み、今日の資本主義的帝国主義の抑圧・差別・戦争や貿易・金融・経済・生産・消費・分配などの具体的な矛盾を根本的に変革する社会革命の推進力の一つとなることが必要である。

「愛国」主義・排外主義との闘い、沖縄解放、社会政治革命

 日本の帝国主義性の根本的な変革と学校行事での「日の丸・君が代」公的強制などの排外的愛国心強制との闘いを国際主義的に闘うことも重要である。
 6月14日付『産経新聞』「社説」は、教育基本法に「愛国心」を盛り込むべきだと主張した。「社説」が言うように、愛国心は、西欧諸国で尊重される「理念」にすぎない。現実には、愛国心を尊重するアメリカはアラブや東洋を差別視し蔑視している。この「社説」のアイデンティティは西欧帝国主義諸国であり、西欧的理念の視線でものを見ているのである。こういう視線なしで見れば、明治以前には国歌・国旗などなかったし、「日の丸・君が代」は、明治の近代国家官僚と支配階級が西欧列強の物真似で導入したかれらのシンボルであり、帝国主義的大国意識の現れであることがわかる。
 卒入学式での「日の丸・君が代」の公的強制に対する東京都の数百をはじめとする闘いでは「良心・内面の自由」侵害批判が前面に出ているが、「日の丸・君が代」の強制は、教育を在日外国人の多様な民族的アイデンティティの共存の場とすることに逆行する大民族主義の現れであり支配的民族の特権的ふるまいであり入管体制の強化と共通する排外主義の現れなので、国際主義的闘いが必要がある。
 日米帝国主義同盟の犠牲を集中的に背負わされているのは沖縄である。米帝は、ファルージャやアブグレイブ収容所拷問虐待事件で明らかなようにイラク人への差別観を強く持っているが、沖縄をも差別視していることは沖縄史に明らかである。
 米帝のイラク侵略、「対テロ戦争」が続く中で、日本政府は、多国籍軍参加表明で明らかなように、米帝と一緒に、この泥沼にますます深入りしていく方針を固め、米帝は、沖縄の米軍基地をアジア戦略の要として在日米軍を強化する方針を打ち出した。それによって米軍基地が集中する沖縄の基地の重荷が増えることは確実である。
 今年2月22日付「琉球新聞」社説は、沖縄の住民が、「沖縄人」という確固たる「民族意識」を持っている27.5%、「日本人である」28.8%。どちらとも言えない「沖縄人で日本人」41・8%、2割が独立を望んでいるという琉球大学の林泉忠講師らが実施したアンケート調査の結果を伝えている。林氏は、これは「政府への不信感の現れと見ることもできる」(『朝日新聞』)と述べている。このような沖縄の複雑なアイデンティティは、日米同盟の負担が沖縄に差別的・集中的に押し付けられてきたことから生まれたものである。沖縄が自身を規定するのではなく米帝と日米軍事同盟に規定される現実に対する基地問題の根本的解決を含む反戦反基地闘争・沖縄解放闘争は、強いられたものではあるが、今日の戦時体制をうち破る闘いの最前線の位置を占めている。
 今日の戦争や貧困が資本主義的帝国主義から生み出されていることは、イラク侵略戦争や途上国の債務問題に明らかである。それは、世界的な富と貧困の対立・両極を再生産する蓄積を目的に生産する資本主義経済の下では解決できない。その現実を根本的に変革するには、生活欲求を満たすために生産する社会主義経済を実現し、コミュニティー・共同体・協同的社会関係を建設することが必要である。国際反戦運動は、階級的労働運動のプロレタリア国際主義の力や被抑圧人民の闘いの力を示すと同時にNGOなどの社会運動の力を示した。それらを資本主義的帝国主義の一掃と資本・貨幣の廃絶を実現する共産制社会へ人類史を前進させる歴史的事業―社会政治革命に結びつけて推進する高度な結合体を作ることが必要である。




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