共産主義者同盟(火花)

2004年 年頭にあたって

渋谷一三
269号(2004年1月)所収


1.

 2002年9月11日をはっきりとしたメルクマールとして、21世紀の構造が見えてきた。それは明らかに20世紀後半の構造とは異なる。「社会主義圏」の崩壊によって、それまでの資本主義対社会主義という図式もまた崩壊した。このことが、社会主義運動にも資本主義の運動にも大きな変化を与えたことは間違いない。

2.

 労働運動は社会主義運動との無意識あるいは意識的結合を放棄し、本来の商品売買のルールにのっとった集団セール団体に純化した。このことは少なからぬ影響を社会全体に与えている。労働力商品を需要と供給のバランスに見合うように売るのが労働組合の本来的役割であることから、帝国主義本国においては、その役割を発揮する場面を喪失した。資本が国境を越えていることから、例えば日本の労働者の労賃は例えば中国の労働者の賃金と競争することが強いられる。日本の労働者の賃金は決してアジア諸国の賃金と競争できるものではない。そればかりか、米国の労働者の賃金とさえ競争できない。日本の労働組合はその存立の基盤を失っており、労働者管理の一手段として生き延びる道を選ぶ以外に生き延びる道を失った。この結果、労働運動は姿を消し、労働組合の醜態は労働者からも見放され始め、その組織率は過去最低記録を更新し続けている。早晩、一旦、労働組合は姿を消すでしょう。
 労働組合に依存し、ここから集票し、なんとなく社会主義を目指していればよかった日本型社民主義もその存立の基盤を失った。イラク戦争反対のデモすら組織できないのである。このことがイラク戦争反対の「市民」デモが組織されるようになった根拠でもある。社民主義が存立基盤を失ったことにより、社民党は消滅の運命を辿ることになろう。他方の民主党はもはや社民主義の党ではなくなった。これは民主党の国会議員の比率上にも明確に現れている。少数派となり残っている民主党内社民主義者は、漠然と社会主義を目指し平和を唱えていればいいという無責任な態度を取ることは不可能となり、小沢さんに解体されている。これは小沢さんの力というより、社民主義の基盤が無くなったことによる必然的な過程であったと言える。
 社民主義を批判して社会主義実現を真摯に追求する姿勢を見せていれば良かった新左翼もまた例外ではない。新左翼という言葉自体が最早死語となっている。労働運動の左傾化を図るという戦術も、生産点からの変革というスローガンも、市民運動とのネットワークなる恣意的戦術も、全て無効を宣言されてしまっている。社会主義を現在的課題としてその実現の根拠と、現実の矛盾の止揚形態であることの説明とを、一からやり直す以外にはない。
 「火花」が90年より新しい運動を追求しつづけてきたのはこうした事情による。新しい運動に着手した早さは誇ってもよいものではあるが、それを誇ってみたところで意味はない。10年以上の蓄積は卑下するものではないが、上記の課題に答えることは出来ていない。
 この課題に答えるためにも、資本主義の現在の分析が必要である。

3.

 資本主義の側も大きく変化した。「社会主義圏」が無くなったことにより、やりたい放題にも思える暴走が可能になってしまった。経済的には米国基準の世界標準化=グローバル化の進行。その政治的表現としての新保守(ネオ・コン=Neo Conservative)主義。その軍事的表現としてのアフガン侵攻とイラク侵攻。
 反米主義はその経済政策であるグローバル化・新自由主義経済政策から必ず生まれる。これを押さえ込もうとする政治によって政治的反米主義も根拠を持つ。現に、米国が手を焼いているアルカイダ自体、米国が資金を出してイランを封じ込めるためにビン・ラディンに作らせたものである。
 米国の新保守主義者はこの反米主義の高まりを軍事的に抑え込もうとする、有り得ない夢想を本気で実行し始めた。この暴走を止めることができない。フランスやドイツなどのEU諸国は、反米主義を軍事的に抑え込む目論見にさすがに付き合わないが、米国の暴走を止めることはできない。社民主義者のブレアは米国に追随し、石油利権を死守しようとしている。
これが目下の資本主義の状況である。

4.

 大衆は混乱している。自衛隊の派兵に反対していたかと思えば、復興支援ならやむを得ないと支持率が上昇したりする。自衛隊が行ったことでサマーワの治安が悪化するとなれば、支持率が低下するだろう。いい加減なものである。
 米国の大衆はもっといい加減である。戦死した兵士の妻が反戦運動に加わっていたかと思えば、ブッシュが演説の中で戦死した夫の名前を入れただけで反戦をやめてしまう。反戦を唱えて浮上したディーン民主党候補が予備選の中で苦戦を始めた。1位にはイラク戦争に賛成したケリー上院議員が急浮上した。
 大衆の浮遊状態もまた、社会主義者の混迷と無縁ではない。
 イラク戦争は不正義の侵略戦争であった。このことを忘れ、情勢の流動にころころ態度を変える大衆を教育する必要がある。たとえフセインが人民にとって支持できない人物であっても、帝国主義が解放勢力として歴史に登場することは出来ないということを今回のイラク情勢が示している。アフガンも後退した部族政治が支配する世界となっているが、イラクはより米国にとっての泥沼化が進行するだろう。

5.

 米国の暴走とそれを止めることの出来ない国際政治。社会主義あるいは資本主義のこの戦争と災禍を止揚する運動の混迷あるいは停滞。これが21世紀初頭の世界の構造である。  デモの形態の戦闘性を競うような狭い政治を打破し、共同行動を国内的にも国際的にも大胆に発展させていこう!すでにデモの戦闘性を競うような狭い政治は「市民運動」の側から廃絶されている。
 米国の暴走が強まれば強まるほど、多くの心ある人々は心を痛め行動を欲求している。左翼あるいは運動の混迷と停滞を自覚するならば、暴力革命を叫ぶことや追求することが必要なことではない。はるかそれ以前の問題をクリアーできていないのである。何を実現するか。また、実現できうるのか。この答えを提出するためにも行動する必要がある。
 こうした情勢の下で、デモの戦闘性を競うような狭い政治を持ち込むことは運動にとって犯罪的ですらある。政治的・精神的に大衆を獲得できるような、大衆の本当のところの欲求を政治的に表現する力をこそ、こうした運動の中で獲得して行かなければならないのである。
 理論的立ち遅れを謙虚に受け止め、政治的立ち遅れ(多くの大衆を資本主義の側に組織されてしまっている現実)を謙虚に受け止め、運動の前進を勝ち取って行こう!




TOP