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政府の意図されない隠された真実

斎藤 隆雄
440号(2020年7月)所収


政府の意図されない隠された真実

 集団免疫を目指そうとした政府の隠された意図は集団免疫検査によって見事に裏切られ、今や第二次感染爆発に準備しなければならなくなっている。しかし、未だに謎に満ちたウィルスは世界を席巻しており、小康状態にある日本が今後どのような政治的決断をし得るのか極めて心許ない状況である。この状況で事態は政治的判断を根拠づける材料が不足する中、意識化されない地殻変動が静かに進行している可能性がある。

1.日銀の巨額金融支援と補正予算

 政府の二つの巨額な補正予算案*1が可決され、国会が閉会した。これらの予算のほとんどが国債による調達が確定的である。本年度の多くの企業収益はいずれも大幅赤字であることは自明なので、法人税収入は大幅に落ち込むことは確定的である。税収の落ち込みと支出の拡大は当然政府の国債発行の拡大となり、緊縮財政派にとってはますます危機的な財政状況だと危機感を募らせることになるだろう。そのような状況で日銀が巨額の金融支援*2を継続しているのは何のためなのだろうか。黒田のやろうとしていることは、市中銀行への金融支援なのだが、その担保は多くは株式相場の維持に当てられている。既に6月に入って株式相場は3月の暴落を克服しつつあることはご存知だろう。何故、株式相場だけが活況を呈しているのか、と疑問に持たれている人には、これが「日銀相場」だと言っておこう。
 これほどまでの大盤振る舞いによって自粛経済下にあった人々の暮らしが改善されるのであろうか。この間の日本のGDPの落ち込み予想は20%余りと言われているが、今後の経緯も含めて当面100兆円余りが吹き飛ぶだろうと考えられる。問題はそのコロナ恐慌によって縮小する経済にあって大量の失業と企業倒産が起こるだろうということである。そして今後数年間は海外渡航の制限と第二波以降のパンデミックの可能性により消費需要が持続的に落ち込むことは明らかだ。故に、経済政策にとって最も重要なことは人々の暮らしに最も密着した需要喚起が必要となるのだが、安倍政権の経済政策は供給面での企業支援が中心であり、需要喚起は観光支援という「新しい生活様式」とは矛盾する施策に偏重している。これでは現下の恐慌局面によって起きるだろう更なる所得格差が一層拡大することは自明である。では何故このような愚策を安倍は許容しているのだろうか。
 まずこの間の安倍政権のコロナ対策が集団免疫政策であったことを思い出してほしい。この政策は以前にも言ったように新自由主義政策の延長線上にある施策である。つまり、安倍の経済政策も明らかに新自由主義政策理念に基づいたものだということが言えるが、彼らはそれを自覚しているとは思えない。というより、彼らにとって現在の状況に対する有効な施策が何であるかということが理解できていない。議会答弁で安倍が共産党議員の生活保護施策の重要性についての追及に対して渋々ではあるが権利であると遠回しに認めた場面で彼の脳裏にあるのは人々の生活権が忌み嫌う民主党(彼の頭の中では民主主義と同義)の政策であるということでしかない。そして財務省の麻生あたりの念頭にあるのは、このコロナ恐慌による企業淘汰によって産業基盤の整理を行えるという程度の認識であると予想される。
 しかし問題はそこにはないであろう。というのも、巨額の国債発行によって政府の財政健全化なる展望が完全に破綻するという事態である。これまでも何度も本誌で指摘してきたように、ここ30年間の日本の経済は赤字国債によって維持されてきた。とりわけ、2010年代には市中銀行の貸し出し残高の推移に国債発行残高の推移が追いつき、追い越したという事態となり、もはや日本経済は国債発行によって成り立っているという驚くべき事態となっているのである。このことが何を意味するのか、いよいよ経済が奇形化しつつあるということこそが問題の焦点である。

2.借金は返さなくていい?

 都知事選が始まって、山本太郎が15兆円の都債発行を提起しているが、この政策の注目すべきところはいよいよ日本において反緊縮潮流が具体策を提起したということであろう。大手マスコミはことごとくこの政策を無視しているが、日本経済にとってこれは重要な意味を持つものとなるだろう。また私見と断っているとはいえ、れいわ新選組の大西つねきがYouTubeで「借金は返さなくていい」と正面切って断言している*3。この大西の大胆な提案は一歩間違うと「徳政令」と誤解されそうだが、これは正真正銘のMMT視点からの現代金融経済の事実なのである。15兆円の都債発行にせよ、「借金は返さなくていい」にせよ、これらの政策の意味を大衆政治の中で如何に共感を得ることができるか、これが今後の日本経済にとっての試金石になるだろう。政治闘争(階級闘争)の底流で進行している世界経済の地殻変動が国民経済と政治を巻き込んで流動しつつある現在、この争点は当面の注目すべき隠された論点だということを知る必要がある。
 大西が提起している問題が何故重要なのかというと、貨幣についての根底的な異議申し立てだからである。しかしこれは根底的であるが故に、人々の共感を得るにはこれまでの貨幣にまつわる様々な偏見と思い込み(これをフェティシズムとこれまで呼んでいた)を克服しなければならない。これは並大抵のことではない。山本がこのコロナパンデミックに際して提起し得たのは、これが危機であるからであり、街頭に失業者が溢れ始めたからであり、緊急性が求められるからである。そうでなければ、このような提起は一笑に付されるだけだっただろう。第二次大戦後のインフレーション期以外にはこのような経済の落ち込みはなかったことを考えれば、コロナパンデミックは70年に一度の稀ごとなのだ。にもかかわらず、民衆が貨幣とは何なのかを理解する上で決定的なハードルとなるものが数多くあることも事実である。既にその一つについては「内生的貨幣供給論」として本誌で明らかにしたが、それ以前に市中銀行の「信用創造」というカラクリでさえ理解されることが困難なのである。しかしそれでも1929年の世界恐慌時に提起された「シカゴプラン」と比べるなら、当時金本位制が崩壊して間のない時期であったことを考えれば、百年近い歴史の経過と金と分離された管理通貨制度と国際通貨ドルの席巻が人々の理解を容易にするだろうことは期待される。後期金融資本主義時代である現在、その金融資本システム自体が機能不全に堕ちっているということ、すなわち市中銀行がもはや貸し出しするに値する資本を見つけられず、国家が国債によって貨幣供給せざるを得ないという現実は、皮肉にも「日銀相場」と名付けられるような株価の下支えがあたかも総資本を国家が所有するという名目的な国有資本となっているという奇妙な現実を見ることになるのである。
 銀行システムが借金によって貨幣を創造するという仕組みの限界は無限に成長する経済を前提にしたものであると大西が指摘しているが、新自由主義経済とはかの大阪維新の党が言うようにまさに成長を止めることができないのであり、止まれば倒れるようなシステムなのである。コロナパンデミックでまさにそれを証明したと言っていいだろう。膨大な失業者の群れを生み出しながら、人々の生活圏と公共圏を蝕む経済成長路線は自律的経済社会そのものを崩壊させることは自明である。何故なら経済が借金の借金による借金のための経済だからであり、持続可能性は皆無だからだ。
 これも既に何度も指摘してきたが、ここ4半世紀にわたって世界中の金利が低下しているのは何故なのかを誰も説明できない。そしてゼロ金利になっても資本主義経済が倒れない。何故なら国家が支えているからである。まさに国家が銀行システムを支えているというのが現在の国民経済のシステムなのである。ゼロ金利、すなわち資本主義がもはや価値を生み出すことができない時代に突入し、それでも資本主義を持続したい資本家階級は国家を利用してもはや死に体となった資本主義から収奪しようとしゃにむになっている、それが今の銀行システムを存続させる機動力なのであって、「借金を借金で維持する」経済構造という無限ループに陥っているのである。だからこそ、「借金は返してはならない」のであり、それは民衆を救済するどころか更なる借金地獄を現出させるものなのである。

3.MMTは説明理論である

 これも何度も述べてきたが、今一度確認しておこう。MMTは現実を説明する理論であって、資本主義から民衆を解放する理論ではない。我々は今二重に困難な事態に直面している。まず、資本主義経済様式が今どのような段階にあり、どのようなカラクリで起動しているのかを知ることから始めなければならないということなのである。これまでの新自由主義経済を説明していたマクロ経済理論が全くのでたらめであったということは何度も申し上げてきたが、他方で左派がかつて依拠してきたマルクス経済理論においてもその貨幣理論が金本位制時代の遺物であったという限界性を現在にまで克服できていないのである。つまり、主流反主流を問わず現在の目に見えるメジャーな説明理論はことごとく現実とそぐわなくなり、現実を説明できず、ただただ限られた世界の中で自足するしかない現状なのである。そこにMMTが現れて、かつての世界恐慌時に提起された銀行システムへの異議申し立てを復権させたのである。更に加えて、百年前にはまだ起動していなかった国家システムとの融合が進化し、国家財政システムとの融合が密かに進行していることである。すなわち、国家が貨幣を供給し始めると、財政と徴税とはその連関が断ち切られ、徴税とは単なる景気調整機能に特化し、財政は社会的再分配機能に特化するという従来の財政観を革命することとなった。これもまた多くの人々の理解を阻むハードルとなっているが、銀行システムの「信用創造」と「財政革命」を理解することは現在の資本主義経済の過渡的な、そしてニューディール民主主義的な改革理念である。
 この過渡期の社会革命は、しかし極めて階級闘争的で抗争的なトラブルに満ちていることも確認しておかなければならない。元々新自由主義改革が80年代に開始された時参照された理論は、国家財政をめぐる問題でもあったからである。サッチャーが英国病を克服するとしてぶち上げたのが新自由主義だったことを想起してほしい。国家が福祉国家として公共圏を拡大していた労働党政策に対して、大きな政府は金がかかるし、インフレを助長するし、議会は民衆におもねって赤字財政を調整できないと批判していたからである。しかし少なくとも80年代初頭の銀行システムはまだ金融資本主義としての機能を保有していたし、国際金融システムは金との離脱を果たしたばかりであったことを考えれば、現在とは隔世の感がある。過渡期の資本家階級との抗争は80年代的な様相を一時的には呈することが考えられるが、その時民衆のニューディール民主主義革命がこれを押さえ込むことが最も重要な試金石となるだろう。ここに至って初めて、貨幣廃絶の条件が萌芽的にでき始めると言っていいだろう。MMT革命が社会主義革命の初期条件であるということをここでは確認しておこう。

4.何故過渡期は必要なのか

 かつての帝国主義論は、資本主義の最高の発展段階とされていた。資本主義がその寄生性を最高度に発展させ、世界的な資源争奪戦を開始した20世紀初頭の資本主義は国家と金融資本との統合による帝国主義の植民地争奪戦として描かれていた。その帝国主義は生産の集中と資本の独占化によって最も社会主義に近い経済様式であると捉えられていた。しかし歴史の総括はその理論的展望を裏切った。巨大資本という生産の集中と国家による管理(国有化)が社会主義であるというロシア革命以降の実験は見事に敗北したからである。そして、資本主義生産様式自体は再分配機能を国家による管理として福祉国家理念を全面に掲げ、ニューディール資本主義として危機を乗り切ることに成功した。
 この二つの20世紀前半期の世界の選択は80年代において新自由主義という一つの選択肢へと収斂され、社会主義もニューディール資本主義も解体されることとなった。現在の我々はこの新自由主義体制がいよいよその限界を露呈する事態に直面しているのである。今回の危機はまさに資本主義自体がもはやこれ以上持続できないという局面へ到着しているのである。当然、この危機に対して我々の選択は資本主義に代わる新たな経済様式を準備しなければならないということになるのだが、資本主義そのものは意識的な生産様式ではなく、自然発生的で更なる剰余価値を求める欲望に基づく生産様式である以上、これを自然発生的に克服することなどはできない。であるが故に、死に体となった資本主義をブルジョアジーを中心とする抑圧階級たる国家と国家官僚たちの無意識の生存本能によって維持されているのである。この行き止まりの資本主義を維持するために国家は貨幣を借金まみれの金融資本主義経済として配布しているのであり、それは国民国家経済を構造的にも理念的にも解体する格差社会、身分社会へと変貌させてきたのである。
 我々の眼前にある選択肢は行き止まりの資本主義を即座に解体することではない。何故なら、そんなことはできないからである。資本主義が欲望の体系である以上、欲望の交換という市場経済そのものを解体するとは人々のコミュニケーションを社会からなくすということであり、社会を解体することになるからである。つまり、言葉としてはあるだろうが、それを実行する具体策はどこにもないからである。故に、我々の現在の選択肢は新自由主義経済を終わらせることでしかないだろう。その方途が垣間見えるのが、MMTによって明らかにされてきた資本主義経済の金融構造改革なのである。それは資本主義を解体するのではなく、資本主義を駆動させている貨幣の国家管理によってニューディール資本主義と国有経済(社会主義)の失敗をやり直させることである。つまり、かつて20世紀前半期の壮大な実験であった二つの構想が供給サイドによる管理であったことの失敗を市場経済を維持しながら貨幣サイドからの管理へと移行させ、市場経済が持つコミュニケーション機能を政治的にコントロールする術を我々が一から学び直すことが重要なのである。これを経る以外には貨幣を廃絶し、商品経済を廃絶する社会主義の理念を実現することはできないという意味では、まさに過渡期は絶対に必要であり、かなり長い闘いが待っているということでもある。
 かつての社会主義の実験が市場経済のコミュニケーション機能を、つまり民主主義機能を党と国家が代替えできると楽観視していたことによって、権威主義や民族主義に頼るという結末へと帰結したことは歴史を紐解けば一目瞭然である。民主主義機能とは最も人間社会にとって困難で抗争に満ちた試練であることは人類社会にとっての最後の段階であることを意味する。資本を人間理性の意識下へと統治するための貨幣革命こそが今求められている当面の過渡期世界の綱領である。

脚注

*1第一次補正25兆円。第二次事業規模117兆円。
*2CP/社債買い入れ20兆円、企業支援90兆円、ETF買入れ年間12兆円、国債買入れ無制限。
*3 https://www.youtube.com/watch?v=GLj5mCM9yN4


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