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Covid19の世界

斎藤 隆雄
438号(2020年5月)所収


 4月26日現在での世界の感染確認数は286万を超え、死者と確認された数が20万を超えたようだ。確実にこれよりも数倍か数十倍かの感染者が存在し、死者もまた同様だろう。この間の二、三ヶ月の間に世界は決定的な転換点に差し掛かったと考えていい。では、どのように変われるのだろうか。それは今現在進行形の事態を描写することの困難が我々の前に立ちはだかるが、少なくとも今言えることは可能な限り記録に留めておく必要があるだろう。

1.ロックダウン

 最初に発症が確認された武漢において中国政府は都市封鎖を実施し、たった10日間で建設した隔離病棟という手荒い手法で徹底的な封じ込め作戦を展開した。この都市封鎖という手法はその後欧州と北米で繰り返された。しかし今から思えば、初動が遅れたと言われながらも、中国においてはその後見事に収束へと導いたが、欧州と北米はピークを超えたと言われているものの中国以上の感染者数と死者を出している。この原因は様々な要因が考えられるが、初動の遅れとともに、それぞれの国家の医療機関の資源の相違と政府の危機管理能力が関わっているようである。武漢のように巨大な病院を一夜の間に作り上げるなどということは、その能力があってもできるわけではない。一党独裁国家の強みが発揮されたとしか言えないだろう。
 しかし、ロックダウンという手法が欧米においてすぐさま実行されたことは特筆に値する。日本の「緊急事態」とは色々な意味で異なるのだが、欧州と英米系とは非常事態の捉え方が違うようだ。いずれもパンデミックに対する政府の自由権の制限を伴ったロックダウンに対して民衆が比較的静かに受け入れている*1。また、それぞれの政府に対する信任も厚いようだ。それに比して日本政府のこれまでの感染症対策はお粗末と思えるほどの有様であり、信任も日に日に減少していっている。アベノマスクといい、なんだか訳のわかない動画配信(みんなと踊ろう)といい、市中感染が燎原の火の如く広がっている最中に打ち出す情報戦としては目も当てられないほどの勘違いぶりである。これは安倍政権の無能ぶりを示しているのだろうか。彼の背景にある政治勢力のオカルトぶりについてはこれまでも言及してきたが、ここまで無能であるとは思いもしなかった。野党勢力やインターネット上での批判に耐えかねて政権は一律十万円の給付を約束したが、どうやら公明党の危機感と自民党の内部分裂の余波で実現したというのが実態のようだ。これらの事象を見ても、政府の実施した「非常事態」という代物は「自粛要請」という忖度政治の延長上にあると考える方が良いのかもしれない。ところが、他方でリベラル左派からはこの非常事態が憲法改悪への地ならしなのではないかという言説が立ち現れてきている。この危惧に対して我々はどのように考えていくべきだろうか。
 欧米におけるロックダウンの法的な根拠とその背景にある文脈を知る立場にないので、日本における自由権の制限を伴ったロックダウンという制度がどうあるべきかを比較考証する能力は私にはない。ただ、今回の感染症の蔓延という事態に対して国家が市民社会に対してどういう政策を下すべきかという問題は極めて重要だということは確かである。そのことについて姜尚中があるテレビ番組で興味深いことを述べていた。非常事態を巡っては国家と市民社会との関係が問われるというのだ。市民社会が強く、国家が弱い(韓国)と非常事態はうまく機能するが、市民社会が弱く、国家が強い(中国)と非常事態は危険だというのだ。そして、日本は市民社会も弱く、国家も弱いというのである。これは言い得て妙である。この指摘が当を得ているかどうかは別として、日本の非常事態が私権の制限を法的には取らずに自粛という手法で当初補償も与えずに実施しようとしたという事実は何を意味するのだろうか。
 これは実に日本的な権力行使だとみるべきではないだろうか。安倍政権は以前から「やってる感」という政治手法を取り続けている。実態は大したこともしていないのだが、言葉と情報戦であたかも何か立派なことをしているように見せかけ、小さな綻びは居直りと忘却でやり過ごしてきたという前歴がある。これは中央行政組織への支配構造についても同様のことが言える。人事権と利権まみれの政権の支配構造はそういう手法の長年の積み重ねによってほとんど機能しなくなってきているのだ。小手先の情報統制と改竄隠蔽というよくある縁故資本主義国家の事例と全く同じであることを思い知るのである。今回のような危機において彼らが全く機能していないというのは至極当然の成り行きであるだろう。では、彼らが自らの失策で自滅するかと言えばそれは期待できない。なぜなら、それらを受けて立つ市民社会が弱いからである。つまり、政権のそういうオカルト政治を批判する能力が市民社会の側に備わっていないのである。確かに政権の利権を通じた情報統制はある意味精緻を極めているかもしれないが、市民社会を構成する諸組織そのものが批判能力を喪失しているというのが実は彼らを生き残らせている根拠であるということだろう。その一端が実はリベラル左派と呼ばれている勢力にあることは確かだ。戦前回帰やファッショ的強権発動があるという危機感だけを煽りすぎて、安倍政権がなぜここまで生き延びてきたのかという特異な状況への分析が決定的に欠けている。ただ警鐘を鳴らすだけではダメで、それに至らないための緻密な分析が必要だ。政権が依拠している日本社会そのものの構造が明らかにならない限り、彼らに言説がむしろファッショを招くという逆説が成立してしまうという危惧さえある。
 確かに、特異的な日本における感染症蔓延の特徴が現在の状況を生み出したということはありそうだ。欧米に比して感染者数が緩慢に増大していくという事態は人々に安易な楽観を許したかもしれない。その上、検査体制の不備と資源の不足から「クラスター対策」なるチンケなごまかしを厚生省が固執し、あろうことか専門家集団がそれにお墨付きを与えたことで、見えない市中感染が拡大したことは確かである。おそらく生活習慣と市民生活上のコミュニケーション慣行の特異性が日本において感染を欧米に比して緩慢にした可能性はあるだろうし、そのことを無自覚に判断し、感染症対策が最悪の事態を想定するべきという原則から逸脱させたと考えられる*2。インフルエンザという過去の経験からの類推で、今回の得意なCovid19の特性を見誤らせた可能性は大いにありそうだ。とは言え、日本社会における非常事態が「自粛」という曖昧なタームで実施され、行政にフリーハンドを与えるような手法がいかに危険かは論議されていない。私権の制限のあり方とその政治的実施の過程の透明化と事後の検証、そのための機構の権力からの独立といった根本的な民主主義的構造の論議が欠かせないのだが、そういった議論のかけたところでは常に行政と政権の恣意的な情報操作と緩慢な管理強化が進行するであろうことは明らかである。これからのロックダウンの議論は安倍政権のオカルト性と正面から対峙し、根本的な論議を大胆に取り組む必要があると考える。

2.国家か社会かという選択

 「自粛要請」という安倍政権の得意な政治手法を「日本独特の美徳」と褒め称える政治家たちがいる。あの東日本大震災の時も多くの避難民が暴動も起こさずに秩序正しく避難所で暮らしたことを「日本はすごい」と自画自賛した人たちがいた。これらの言説に対して多くの批判が寄せられたが、では何故そういう現象が起こり得るのかについては明らかになっていない。今回の感染症爆発に際しても政権は当初手続きが複雑でほとんど実効性のない補償案を申し訳程度に添えるだけで自粛を呼びかけた。さすがにこれでは生活できないという怨嗟の声が町々に広がり、一律10万円という政策転換が行われたが、基本的なスタンスは変わっていない。欧米諸国が大胆な財政支出を繰り出していることと比べて如何にも見劣りする事態である。しかし、安倍政権はこのスタンスを変える気配は感じられない。それは何故か?
 これは日本社会の成熟度に問題があるという指摘が散見される。つまり、民度が低すぎて自分たちの社会が消えかかっているにもかかわらずそれに気づかないというのだ。まるで前頭葉疾患による病態失認患者が自分の身体が動かないのを認識できない状態と同じなのだと言えるかもしれない。一部SNS上では「今は批判する時ではない、ワンチームでがんばろう」という同調圧力をかける呟きが聞こえるのもこの現れであろう。また、医療関係者や感染者への排外主義的な対応もここかしこに見られる*3。これらの現象は放置すれば極めて危険な社会的動きを誘発する可能性があるが、政権はこれらの動きの上に乗っかって危機をやり過ごそうとしているのではないのかという疑惑がある。感染症対策とはつまるところ医療体制が持ち堪えるか否かという点が最も重要だが、現状はどう贔屓目に見ても最低クラスである*4。この現実を考えると、政府の取り得る選択肢は限られることになる。厚労省や政府官僚たちは緩慢な感染拡大をいいことに、市中感染を放置し、社会を防衛するのではなく、免疫が蔓延するに任せるという方法論をとっているとみるのが妥当だろう。だから、PCR検査をほとんど行わずに、医療体制を現状の貧困な状態のままで維持したいと考えているのだ。つまり、このような手法が可能なのは、市民社会が病態失認という状態であるからであって、この病態に気づけばとんでもない政権批判が爆発することになる。政府はそれが起こらないようにするための情報操作に余念がないが、果たして成功するだろうか?
 社会のことは社会に任せる、政府は援助するが最低限度に止めるというのが新自由主義的な考え方だった。問題は社会が機能していればいいのだが、災害や感染症などの自然災害の場合、自助だけでは復原力に限りがある。大震災の時の大衆の静かな動きはおそらくそれが日本の生産力全体を損壊するほどではなかったことによるのだろうと考えるべきだろう。今回の感染症爆発は首都東京が最も人口過密で経済/政治機能の集中する場所であるだけに被害が甚大となっていることで、これまでの社会任せの手法が頓挫する可能性が出てきている。政府の考える「自粛」という手法が経済に与える影響はこれから結果が出てくるだろうが、結果的に社会が疲弊し国家が全面に登場するお膳立てとなる可能性がないとはいえない。安倍政権が目論んでいるのはこの辺りであろうと思われるが、国家か社会かという選択が問い直される事態が遅くない時期に訪れるだろうことは確かだ。
 今回の事態の教訓として今言えるだろうことは、防災や医療、教育や介護の社会的機能が新自由主義政策によって毀損され行政の棄民政策によって放置され続けているという病態を如何に意識化し、公共領域を取り戻すことが問われている。ここ数週間の間に厚労省の方針とは異なる地方自治体や医師会などの動きが活発化してきているが、このような社会連帯の行動にどのような政治的な意味を付与し、これからのポストコロナ社会の構築へと結びつけられるかが分岐点となるだろう。これに失敗すれば、現政権の利権構造に絡めとられて包摂されてしまうことは確実である。

3. 進行する階層分化

 今回の危機に際して主要企業がテレワークという遠隔労働形態を導入している。これは収束後も残る可能性が高いが、この労働形態は今後どのように発展していくかを考える必要ある。まずは良い傾向としてこの労働形態はいくつかの古い労働慣行を革新させる可能性がある。今のところは印鑑文化を電子決済に変えるとか、ラッシュアワーの緩和とかといったありふれたものが言われているが、大きい意味では分散型の産業構造を進展させる可能性があるだろう。しかし悪い傾向として考えられることは、このような労働形態は都市の産業構造を変革し、これまで密集する都市構造の中で生活していた非正規や下層労働者階級の仕事を徐々に減少させていくことである。更に、このような遠隔化は国内に限らないという意味ではより一層の階級格差の拡大を推進するだろうということである。
 現在も既にCovid19によって三つの階層分化が起こっていると言われている。労働者上層の「リモート族」と呼ばれている人々にとっては感染症からの隔離が低いリスクでなされているのに反して、現業部門で働かざるを得ない都市の低賃金労働者階層にとっては日々感染リスクを冒して生活せざるを得ない現実がある。更には働くことさえ不可能な忘れ去られた失業者たちがこれから増加するだろうことである。このような階級分化は収束後には大きく顕在化するだろう。予想されるコロナ後の経済失速に伴って街頭に現れる失業者群を吸収するための新たな産業政策は今のところ相変わらずの観光業や消費喚起だけで目新しいものは出てきていない。主要産業を構成する大企業でさえ今回の危機に対する回復過程で一層の合理化を有能な企業であるほど進展させるであろうと考えられる。また中小零細企業の淘汰の過程はそのような労働者群を吸収するほどの復原力を持つとは考えられない。であれば、今後長いデフレ不況が更に一層深化する可能性が大きいと思われる。このような経済状況は社会的な流動と不安を巻き起こす可能性さえあるだろう。
 世界経済が今後サプライチェーンの再編へと動くことで、いくつかのブロック化が顕著になるだろうと思われるが、その意味でも日本経済は閉塞状況へと陥ると予想できる。忖度政治による安倍外交が何も生み出さなかったことを考えれば、これからの内政外交における危機が遠くない未来にやってくるだろう。その時に我々がどのような社会革命像を提示できるのかが鋭く問われることになる。帝国主義間の不均等発展による競争戦の顕著な表面化が現れた時、危機に対する排外主義的な言説に対して闘う組織された民主主義的な翼が十分に準備されていないという危惧を持つのは私だけであろうか。最悪を想定して準備するという感染症対策の原則は、社会的危機に対しても同様に当てはまるということを確認しなければならない。

脚注

*1パリの郊外で暴動が起きているという情報やアメリカにおいて反ロックダウンの運動が起こっているということもあるので、今後の検証が必要だが。
*2もう一つの可能性として、Covid19の変異がありそうだ。https://nazology.net/archives/57448参照。
*3Covid19の特徴である高齢者や基礎疾患のある人への重症化という特性は、若者と老人との間の世代間憎悪を生み出し、また大阪で見られるような行政が率先して密告を奨励し、開店しているパチンコ店がスケープゴートとなるなど枚挙にいとまがない。
*4日本のICUの人口10万人あたりのベッド数はOECD諸国の中でも最低(7.3)で、医療崩壊したイタリア(12.5)にも達していない。


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