共産主義者同盟(火花)

状況―『国体論』に寄せて

斎藤 隆雄
425号(2018年7月)所収


 居直り続ける安倍政権の実態とは何か。その前代未聞の倫理性の欠如は歴代内閣においても群を抜いている。そのあからさまな醜態は現代日本の社会状況をそのまま表しているのだが、批判的言説もまた今日のねじれた政治状況を反映して一筋縄ではいかない。怪奇現象の解明に補助線を入れてみよう。

1.国体という視点

 『永続敗戦論』で戦後日本社会を批判的に分析してきた白井聡氏が、今年になって新たに日本の明治以降の政治過程を「国体」という観点から大胆に切り分けた論文(『国体論』)を発表した。ここで語られている日本の近代史とは、日本政治史の底流にある統治の闇を語ることだということのようだ。確かに、日本の明治以降の政治言説はこの国独特の精神形態を伴いながら形成されてきたし、それを対象化するための様々な言説もまた現れてきた。明治以降の現状変革的な言説においてもこのことからは自由でなく、むしろこの精神形態を如何に対象化するかをめぐって紆余曲折してきたと言っても言い過ぎではないだろう。この精神形態、没主体的精神構造の現れと淵源を探る様々な言説は日本のイデオロギー論争の中心となってきたことはある意味で西欧文明との対比において日本の政治構造の解明に欠かせないものであるだろう。とりわけ、ここ数年の安倍政権の特異な政治手法によってそれが露呈してきたことが白井氏の言説にリアリティを与えている。
 今日、ここで状況を分析するにあたって問題とすべきは、これまで本誌で幾度も指摘してきた安倍政権の二重性、つまり親米と保守という一見相反するように見えるテーマの同一性の問題である。「アメリカのポチ」と呼ばれるほどに媚びへつらう政権の有り様は安倍のみならず内閣と官僚の戦後一貫した共有理念となっている。その異様なまでの政治理念はかつて右翼が常用していた「売国奴」という罵倒語に匹敵するものである(国を売買できるか否かは問わないが)。にもかかわらず、彼らにとっては身を摺り寄せるような親米姿勢は確信的に日本の国益に利すると考えているのであり、それこそが主体的に考えた結果だと言うのである。国家利害/真の独立を声高に叫ぶその舌の乾かぬうちにトランプに擦り寄る、その異様さを例示するために白井氏はドイツとフィリピンを挙げ比較しているが、おそらくどの国をあげても良かったのだろうと思う。むしろ問題とすべきは、内閣と官僚たちが考えている親米という「合理性」の内容ではないだろうか。何故、かくも長きにわたってこのような醜悪な媚態をアメリカに示しているのか、その合理性をどう正当化できるのだろうかを、暗に批判される側の論理であった「国体」ではなく彼らが構築する論理で考えてみることも必要である(「国体」が現状では保守側の論理ではなく、それを批判する側の論理となっていることに注意が必要だろう。「ファッショ」あるいは「ファシズム」が100年前の実践的政治スローガンではなく今やそれを批判する側の常套句となっている事態と同様である)。つまり、日本政府と官僚すなわち日本という国家を統治していると自認する人々にとっての、アメリカへの政治的軍事的経済的依存の意味を解剖してみることが求められている。彼らにとっての星条旗とは何か、それが問題なのだ。

2.星条旗の意味

 日本の近代化は1854年(嘉永7年)の黒船来航と1945年(昭和20年)の連合軍占領という二度の米軍による侵攻によって決定づけられてきた。この二つの契機は日本を統治するエリートたちにとってはどうやら決定的な意味を持っているらしい。その呪縛はおそらく現在もなお日々彼らの頭上に実体的に聳え立っており、日本の現在と未来を管理する主人としてのアメリカが背後霊のごとく取り付いている。その実体と根拠はどこにあるのだろうか。
 本年初頭から始まった朝鮮半島をめぐる流動の現実とその歴史の分析から見ると、その意味が鮮明に浮かび上がってくるのではないだろうか。戦後の現憲法体制、象徴天皇制と米軍支配というセットの理念は1950年の朝鮮戦争を頂点とする東西対立のせめぎ合いの中で生まれた。その時のアメリカ帝国主義は中国との対峙線/防衛線を朝鮮半島、沖縄、台湾、ベトナムというラインを前線として規定していた。つまり日本本土は明らかに兵站基地であって前線とは想定していなかった。故にこそ一定の民主化をも許容できたし、彼ら独自の天皇制分析による利用も可能になったのである。戦争末期に中国大陸から米軍は日本本土を爆撃する計画があったことを考えるなら(また実際に九州を爆撃している)、当時は中国に対する政治介入も展望していたことは明らかだろう。主戦場は初めは中国大陸を想定していたが、結果的に朝鮮半島とインドシナ半島となってしまった。つまり米帝は主観的には中国に押し返された訳だ。
 今、朝鮮半島において平和条約が試金石になっていることを考えるなら、戦後は少しも終わってなどいないし、まだその渦中にあるのだという時代認識がエリート達の頭の中を支配していると考えて間違いがない。そしてその限りにおいて日本は今もってアメリカ軍の軍政下にあるという隠された真実、対中国戦における兵站線であるという真実が常に頭をもたげてくるのである。これらの驚くべき時代認識は、戦後世界における日本の存在意義である製造業立国としての自意識を成り立たせていたドル基軸通貨体制とセットになった時に強力に彼らを支配するようになった。
 戦後欧州の東西分裂の最前線であったドイツがアメリカではなく欧州統合という選択肢を取ることで英米連合と距離をおくことができた政治力学は、極東での朝鮮半島における南半分と中国との関係と重ね合わせてみれば、現在進行している事態の幾分かは、すなわち東西冷戦構造の極東での有様が理解できるだろう。問題となる日本の極東における地理的歴史的位置は出来損ないの擬似英国像を願望的になぞらえているがごとくである。一貫してアメリカ帝国主義を支え自らの同盟国としての献身性を示し続けている日本の保守層は戦後ドル基軸体制と帝国軍事体制の最良の臣民であろうとしてきたのであるが、そのことはつまり戦後の日本の「独立」の意味なのであり、アメリカと切り離して極東における自立した国家としての未来を考えることができないということでもある。何故なら、我彼の位置を太平洋を挟んだアメリカと自国がその属する地勢的に隣接する中国という大東亜戦争における二つの正面という選択を永遠に避けることが敗戦の教訓であって、戦後の東西冷戦構造における朝鮮、沖縄、台湾、ベトナムという最前線から自らを切り離すことが死活の課題だと認識していたからである。
 故にその意味では、安倍の戦後政治の総決算はつまり戦後政治の永遠の固着という意味なのであり、1950年サンフランシスコ条約における左派からの全面講和に対するトラウマを克服することだったのである。だからまた、現在進行している朝鮮戦争の終結と平和条約の可能性という半島政治の激動に対して安倍政権は徹底的に妨害し反動的に介入してくるだろうことは予想がつく。なぜなら、半島の平和は日本の極東における安保体制が意味を失うことに通じるからである。これだけは、日本のアイデンティティにとって最悪のコースとなるだろうから許すことができないだろうし、半島の戦時体制こそが、つまり半島が前線であることが安倍とその政権にとっては維持しなければならない最低の防衛線であるはずだ。
 戦後保守政権が高度経済成長を通じて築き上げてきた日本の世界におけるポジション、「アメリカのポチ」と言われようがなんと言われようが維持しなければならないポジションこそ、この極東における地政学的位置なのであり、帝国の代理人としての極東における軍事的政治的位置なのである。

3.依存と独立

 戦後資本主義世界は圧倒的なアメリカ帝国の生産力と富によって支配される世界であった。これは疑いを得ない。戦後政治と経済を規定した様々な枠組みがそのことを示している。没落する英帝国支配から勃興する米帝国支配へと急速に移行してきた戦後世界は、政治的には連合国(大西洋憲章)支配であり、経済的にはブレトンウッズ(IMF/GATT)体制であった。アメリカの特殊性はイギリスとは違い、大陸国家であり農業国家であり大衆的共和国であったことだろう。このことは一貫した自国中心主義が貫徹された理由でもある。イギリス帝国体制は少なくとも欧州政治と経済の集合体の中の帝国であって、その政治と経済は常に欧州と切り離しては考えられない。そのことを端的に表しているのはロンドンの金融支配構造であり、ポンドを中心とする金本位体制であった。第一次世界大戦後に脆くもイギリスの金本位制が瓦解したのは、予想に反してイギリスは絶対的な金保有体制ではなかったからである*1。むしろ欧州におけるロンドンの支配的地位は欧州との金融マフィアたちとの共同行為によって支えられていたのであって、イギリスの国際収支構造は銀行原理によって機能していたのであった。*2
 戦後アメリカ帝国支配の構造は単に帝国支配の主役の交代ではなく、ポンドからドルへの移行は構造的変転を孕んでいたのである。戦後体制への批判として登場した「国家独占資本主義批判」規定はこのことを十分には把握できていなかった。なぜなら、このことが鮮明になってきたのはドルが金との交換性を政治的に切り離した1971年のニクソン政権の決定以降であるからである。ここで初めて、金が国際通貨としての機能を失うという歴史的な決定を共産主義者の側が対象化できなかったことで戦後アメリカ帝国の特異性を見失うこととなったのである。すなわち、アメリカ帝国のドル基軸通貨体制はかつてのイギリス金本位制とは基本的に異質な構造であって、あえて言うならアメリカ帝国の軍事的政治的優位性に基礎を置いた国内金融構造の世界版なのである。だからこそドルの金との交換制を政治的に切り離すことができたのであって、切り離すことによってドルの本質規定が露わになったとはいえ、その体制の崩壊でも解体でもなかったのである(このことの詳細な議論は別稿に譲りたい)。
 この1970年代における世界資本市場の激動によって日本の支配層は二つの選択を迫られていたと言っていいだろう。一つは、アメリカ帝国支配からの独立という戦後の隠された保守願望の顕在化である。これは、左派の側でいえば沖縄復帰運動における分岐でもあったし、右派の側でいえば三島由紀夫の時代先取り的な行動であっただろう。もう一つは、高度成長経済の延長線上にある独立を不問に付しながらの経済大国路線である。もはや言うまでもなく、日本の保守と国家官僚は後者の路線を選び、「列島改造」へとひた走ったことは衆目の一致するところである。
 この時、欧州では既にドイツとフランスがEECを基軸に英米連合への対抗軸を形成しつつあった。とりわけ60年代以降の米多国籍企業の欧州進出に対して危機意識を共有していたが、日本のエリートたちはこの時高度成長期の真っ只中にあり自国に優位性を持つ為替水準で輸出攻勢をかけていたことで危機意識すら持ち得なかった。ニクソンショック(71年8月15日)が第二の敗戦記念日だと揶揄されるのはそういう時代的巡り合わせの中にあったからである。同時にそれは60年代後半から泥沼化していたベトナム侵略戦争への兵站基地としての日本の地政学的位置にも由来していたことは言うまでもない。すなわち、日本の官僚と保守は米帝国体制の戦争経済を糧にブルジョアたちを肥え太らせ、帝国戦略の軌道上に位置することで自らの生存理由の合理性を判断してきたのである。
 しかし、このことは日本がアメリカの植民地であったということではない。むしろこの時期に日本は自らの独立を選択することは可能であった。戦前期において二流の帝国主義であったとはいえ既に50年代に戦前の生産力のピークを回復していたのであり、二つの安保闘争はその独立運動の契機を孕んでいたのだが、左派の側においてもこの歴史的位置を把握することに失敗していた。日本の保守にとっても、左派にとっても自国の独立の戦略を立てることができなかったことが、その後の奇形的な資本主義的成熟を帝国体制に依存することで成し遂げることとなったのである。その後の展開は言わずと知れた80年代におけるプラザ合意であり、90年代以降の第一次第二次イラク戦争であり、金融ビックバンであり、規制緩和・民営化路線なのである。むしろこの時期以降こそ、アメリカ帝国への従属構造が強化されたと言ってもいいだろう。
 かくして日本のアメリカ帝国への依存構造は歴史的に形成された強固な構築物となった。これを解体することは少なくとも70年代以降の歴史を解体再編することに等しいのである。安倍とその取り巻き連が如何に日本の独立を云々しようともその構想すら持ち得ていないことは明らかである。憲法体制を変革して軍事大国となるという夢は、ただただアメリカ帝国の東アジア方面軍の将軍となるという夢が関の山だということである。現在の日本の排外主義勢力が日の丸と星条旗を掲げて街頭宣伝するという奇妙な光景は世界に類を見ない光景ではあるが、極めて自らの姿を理解しているということでもある。自らの傀儡性をあまりにも無分別に言い表しているだけに滑稽でもあるが、それが現在の日本の政治の似姿でもあることを自戒しなければならない。

脚注

* 1 当時のイギリスの金準備は総債務の5%にすぎなかった。
* 2 松井均『銀行原理と国際通貨システム』勁草書房 2002年参照




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