共産主義者同盟(火花)

帝国の崩壊か再生か

斎藤 隆雄
415号(2017年3月)所収


 現代世界が不安定になっていると米国の某調査会社が警告したそうだ。確かに現象面で見ると、そのように見える。偽のニュースが蔓延ると人びとは不安になる。そして、情報を見なくなる。しかし、これを好機と見る人びとは先物を買う。先物だけが跋扈して、現物はほとんど動かない情勢が今の世界である。現代世界が不安定になっているのではなく、不安定になっていると見えていることが問題なのである。その代表格が言わずと知れたトランプ政権であろう。彼の政策を検討してみよう。

1.自由貿易とは何だったか

 TPPをちゃぶ台返ししたトランプだが、帝国の理念であったはずの自由貿易政策はどうなったのであろうか。歴史を紐解けば、自由貿易政策には長い歴史があり、18世紀英国の貿易政策から始まるが、それは英国産業構造(加工貿易)の特性に合わせた政策であり、「自由」という言葉の隠された意味は強者の論理であった。英帝国の強大な生産力を背景にした資源外交の別名であったというのがその正しい意味であり、意義であった。自由や互恵と言いつつも、実の所想定された相手国との格差をまったく計算に入れていないか、悪くすればそれを前提にしてこその「自由」であった。
 そもそも「自由」とは、何からの自由であるのかが明らかでなければ、それはいかようにも機能する。解放か抑圧かはその対象に関わってくる問題である。その意味で、帝国の自由主義とは自由気ままに収奪するということなのであり、大人と子どもが無慈悲に食糧を取り合うというような図式なのである。勝負は初めから決まっているが、ルールは自由平等と強弁する。そのようなことは誰でもが知っていることだが、歴史的証明がいるかもしれない。遡ってみよう。

 アメリカ合衆国が歴史的に保護貿易政策を長年取っていたことは周知だ。特に有名な事例は、29年恐慌の後、自国の産業保護のために驚異的な高関税をかけた(30年スムートホーリー法)ことで第二次世界大戦のきっかけを作った。では、彼らはいつ自由貿易政策に転換したのだろうか。
 これも有名な話ではあるが、1941年の大西洋憲章の起草にあたり米国が戦後の自由貿易構想を英国に要求した時、チャーチルが「国家的債務の許す限り」という挿入句を入れるように要求した。これこそ英帝国から米帝国への移行期であった時期の特徴的な逸話であろう。帝国の政治家達は「自由」の意味をよく分かっていたのである。戦争によって、かつて強敵であった諸国が疲弊したことを見越して、「自由」を振りかざしたのである。
 トランプが国境税を提起しているのは明らかに自国産業保護である。それは、1930年代への回帰を希望しているように見える。もう一度、時間を百年ほど巻き戻そうとしているかの如くである。WTOも、SALTも、国連もいらないと大言壮語を吐いているのがその証拠である。
 歴史的に見れば、オバマ政権がリーマン危機の後始末を済ませたことと、ルーズベルトのニューディール政策とは構図的に相似形であった。更に、歴史的教訓を踏まえてフーバーの轍を踏まず、FRBの大量の貨幣供給という大恐慌の総括を踏まえた政策(バーナンキ政策)も実施している。これと比較して、トランプの政策は明らかに第一次世界大戦期のアメリカの政策に類似している。国際連盟に加盟せず、自国経済の殻に閉じこもることで危機に対処するというスタイルがそれである。しかし、1920年代のアメリカ経済の好景気をトランプが夢想しているとしたら、それは時代錯誤であると言えよう。20年代の好景気は当時の第二次産業革命とさえ呼ばれる重化学工業の隆盛が支えていたからである。当時、自動車産業と鉄鋼、化学などの新しい産業が次々と生まれてきていた。第二次世界大戦後の世界にアメリカンスタイルを流布したのはこの産業だった。
 では21世紀の現在、アメリカにはどのような産業が隆盛を極めているのか。問わなくても明らかなように、自動車や鉄鋼ではない。それらの産業は今や斜陽産業である。トランプの夢想がどうであれ、かつて英帝国がポンドスターリング圏に閉じこもり自国産業を守ろうとしたことと同じように、それは一時代の気休めでしかない。
 かくの如く、自由貿易とは産業覇権国家の政策であり、強者の論理である。中国の全人代で李首相が自由貿易の危機を憂慮していると発言したことがそれを証明している。日本の安倍も自由貿易を守るためにトランプを説得すると言わざるを得ない。なぜなら、中国も日本も製造業で自国を支えているからだ。
 自由貿易が何らかの崇高な理念を表している訳ではない。それは常に資本の論理に貫かれている。最も強大な生産力が生み出される産業の政策なのである。アメリカが本当に崩壊の一歩を踏み出したのか否かは、トランプの言説が本物か否かにかかっている。

2.国境税によって起こること

 アメリカ合衆国の外交政策は、これまで自国の利害に忠実であったが、出来もしないことも強引にやろうとする傾向があった。しばしば、「歴史がない国」と言われるのはそのためである。トランプの国境税は成功するのだろうか。
 既に述べたように、それ自体は時代錯誤の政策ではあるが、アメリカの特殊事情として自国内で自閉するだけの条件が揃っていることである。農業大国であり、かつ石油資源をシェールガスによって自給できる可能性があり、また巨大な人口と消費市場があるという条件である。重厚長大産業を国境を遮断して守ろうとすれば、高賃金の労働者を雇用することで諸外国との競争は問題にならない。輸出は不可能である。また、現在世界中に分散している部品供給網に頼らず(輸入せず)に生産を続けようとすれば、外国から米国へ直接投資(部品生産)させるための誘因が必要になるか、自前で工場をつくらなければならない。これらのことを可能にするためには、極端なドル安を実現させなければならないだろう。ドルの今の水準では、米国で作り出された製品を米国以外に輸出することは不可能だし、直接投資のうまみも半減する。
 では、ドル安を実現することは可能だろうか。ここで米国は自己矛盾に陥る。なぜなら、国際決済通貨としての圧倒的な位置にあるドルは、その地位故に自らの通貨の価値を決めることができない。主要な国際貿易のネットワークを形成する諸国の外貨準備は多くをドルで、つまり米国国債で保持されている。ドル安を政策的に実現するためには、かつてのプラザ合意のようにG8の、今ではG20の合意がなければならない。もし合意なしに、つまりトランプの言うように為替操作が悪なのであれば、そうなるのだが、資本主義の無政府性が一挙に吹き出して、30年代への回帰が現実のものになるであろう。故に、トランプは主要先進国の合意を取り付ける必要があるが、その取引は国境税による輸入制限とのバーターになる可能性が大である。ドル安も輸入制限も、という虫のいい要求は他の先進国の許容するものとはならないことは確実である。
 確かに、もう一つドル安を実現する方法がある。それは金利操作である。アメリカの金利を低水準に据え置くと、債券価格は維持できるがドルは弱含みとなり、国内的なバブル発生の温床となる可能性が高まる一方で、資本収支が悪化するという副作用が生まれる。おそらく、この方策をトランプは考えているだろう節があるが、低金利による住宅バブルというリーマンの教訓をまったく踏まえていない。いずれにしても、国境税という選択は米帝国の弱体化を招く結果となることは確かである。
 ただ、ドルに代わる国際通貨が生まれない限り、この自閉モードの政策は無理矢理とはいえ、不可能ではないことも確かである。徐々にではあるが、確実に疲弊し縮小していく米帝国の存在は、国際政治の流動性を高めるが、その世界的脆弱性の最も弱い環である中東・アフリカ諸国の階級闘争が決定的な意味を持ち始めることになる。

3.壁政策は何をもたらすか

 トランプの排外主義の象徴である国境の壁建設政策は欧州の右派に大歓迎されているが、この政策はいわば労働政策の一環である。NAFTAの見直しとセットで語られることが多いが、注意が必要である。米帝国の裏庭と呼ばれた中南米の諸国への貿易協定の見直しは、新たなブロック化を生み出す可能性があり、環太平洋からアメリカ大陸を切り離すという選択肢を捨ててはいない。
 従来からアメリカは中南米を相対的過剰人口のプールとして利用してきた。これを無条件で手放すとは考えられない。壁政策は、中東・アフリカ圏からの移民の制限と同レベルの問題として考えるのは間違いであろう。むしろ問題は、これまで表向きは自由の国アメリカ、という理念を降ろしたことにある。巨大な軍事力と世界一の生産力を誇ってきた米帝国が、自らの理念を降ろしたことで、今後国際政治での主導権を理念ではなく、露骨な利益で語り始めるということである。これまで、アメリカがダブルスタンダードだと批判してきた人びとにとっては、「ダブルスタンダードで何がいけない」と居直るアメリカを相手にしなければならなくなる。21世紀に入ってブッシュ政権が単独行動主義を唱え始めてから、その徴候があったとはいえ、今後はダブルもトリプルもあるということである。
 TPPは言うまでもなく、パリ協定(地球環境)やWTO(公正な取引)、国連(人権宣言)までも相手にしないということは、軍事バランス理論も無視する可能性さえあるだろう。今のところ、経済関係だけが焦点化されてはいるが、政治?軍事交渉で突然の行動に打って出る可能性が増大しているということである。これが示唆する問題は、かつて誰も予想しなかった長期戦になって悲惨な結末となった第一次世界大戦の予兆である。
 それは、現在世界のバランスが帝国主義間戦争を準備しているということではない。そうではなくて、現代世界が第二次大戦後の帝国主義政治を作ってきた枠組み、対ソ包囲網や反共、軍事均衡論などが建前とはいえ「自由と民主主義」を掲げて対置してきたことの使用期限が切れたということである。壁とは、「東西の壁」(理念の壁)ではなく、まさに「利益と独裁の壁」を意味しているが故に、諸国の利害の一挙的噴出を意図せざる形で現前させることがありうるということである。

4.国際金融市場における未来

最後に、国際金融市場について考えてみよう。トランプはこれまでこの分野ではほとんど目新しいことは言っていない。ニューヨーク金融街の経営者達を官僚に据えたことで、債券市場は活況を呈している。明らかにこれは先物買いであるが、議会共和党はグラス=スティーガル法の復活を企図しているようだ。これも30年代的思考である。幾つかの錯綜する傾向がこの分野では生起しているが、トランプ政権側から聞こえてくる政策は、貿易赤字の解消を日中の国内金融政策のせいにしようとしていることである。
言わずと知れたことであるが、今日の世界の統合された国際金融市場においては、自由な資本の移動が生命線である。70年代の変動相場制と80年代の金融自由化が新自由主義の前提条件だった。その条件の下で国際金融資本の収奪が可能になったし、その条件こそが公共圏の簒奪を可能にしたのであった。そこでは、為替政策と国内金融政策と資本の自由化の三つの内、必ず一つは放棄せざるを得ない。ほとんどの国民政府は為替政策を放棄し、資本の自由化を何とか緩やかに規制し、唯一残った国内金融政策を堅持している。ところが、トランプはこの国内金融政策が為替操作の手段となっていると批判し始めたのである。日本の金融緩和政策とりわけ長短金利操作への批判と中国の短期資本管理への批判は、日本と中国をEUにおけるギリシャの地位に甘んじろと命令するのと同じ意味である。これを受け入れる国はまずどこを探しても存在しないであろう。こういう威圧的な要求と保護貿易主義とのセットは自らの軍事的圧力をもってしか実現できないであろう。これはかつて日本帝国主義が中国へおしつけた様々な理不尽な要求とほとんど同じだと言っていいだろう。
今後、米政権が強行しようとする政策の結末がどのようになるかは別にして、現在の米帝国の置かれた政治的経済的位置はまさにかくの如く追い詰められてきていると見ていいのである。70年代以降形成してきたアメリカ金融資本を基軸とする国際金融秩序自体も自ら創り上げたシステムの犠牲となって国民国家を維持することが出来なくなってきている証左である。国内的階級格差の拡大という全世界的に拡がる軋轢と闘争が今、ある意味でトランプ政権を実現させ、また自らをも追い詰めているのである。トランプのジレンマは、変わらぬ現実を映し出していると同時に、我々に解決の方途を要求していると見るべきであろう。




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