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都構想の歴史的位置

斎藤 隆雄
398号(2015年5月)所収


 この論考が読者に届く頃には、大阪市の住民投票の結果が明らかになっているだろう。我々は橋下政治に対して一貫して批判的立場を表明してきたが、住民投票の実施という一地方都市の政治的事件をもう少し幅のある歴史的な文脈で捉え返す試みが必要であると感じる。投票結果がどうであれ、都構想とその背景にある橋下の政治的理念、維新の党という国政レベルでの位置づけを、ここ数十年の政治的文脈で確定しておこう。

1.二重行政という不合理

 都構想の一番の目的が二重行政の解消だと言い、しきりに宣伝されてきた。一方、各種の世論調査で賛成票を投じると言う人の大きな理由に「大胆な改革」というものがある。さてそこで、この二重行政の解消が大胆な改革なのか、ということが次に問題となる。
 二重行政という仕組みを根本的に改革しようとする者にとって理想の行政とは何かを考えてみれば、この大胆さが理解できる。つまり、一重行政ということである。分かりやすく言えば、中央集権の合理主義的な行政(合理化)を目指すという意味となる。この発想は、きわめて近代的な管理主義的発想であり、いわば前世紀的な計画経済的発想であり、独占的市場支配の資本主義的構想がその根底に潜んでいる。橋下が知事時代にこの二重行政を一元化したいと発想したのは、府(将来の都?)レベルから見て、言うことを聞かない市レベルが「無駄」に見えたのである。このような発想自体は、実はあまり革新的でも、維新的でも、革命的でもないことは誰の目にもあきらかで、21世紀的なジャーナリズム的発想から見ても、きわめて古典的な発想である。
 では、何故彼の構想を相当数の人々が「大胆な改革」と見ているのだろうか。一つには彼の改革が新自由主義的規制緩和と公共機関の民営化という、これも前世紀に一斉を風靡し、今世紀に入ってから小泉内閣が鳴り物入りで実施し、結果、拡大する所得格差を更に推し進めたという実績を、「よかった」と見なしているということがある。いわば「ミニ小泉」を橋下に期待しているということになる。しかし、この規制緩和・民営化路線は実際のところあまり期待したほどでもないことが明らかになりつつある。というよりも、むしろ民営化によって変革される領域は限られているということを、この間の政治状況が物語っている。小泉の郵政民営化によって何が変わったのか、多くの人は実感していないだろう。地方では、むしろサービスの低下を実感し、都市ではメガバンクがひとつ増えただけで、郵便代はむしろ値上がりしただけに終わっている。規制緩和によって、一部業界が恩恵に浴したものの、いわゆる行政サービスというレベルで言えば、ほとんど変わることがなかった。
 そうなると、人々は橋下に何を幻想しているのだろうか。どこに「大胆な改革」を見ているのだろうか。単なる一重行政というだけなら、確かに、江戸時代の幕藩体制(分散型統治)から中央集権的明治政府体制へ変革した「明治維新」にはそっくりだろうけど、今さら百年以上前の手法を再現して、何事かができるなどと夢想するのは、おめでたいという他ない。それも小さな地方自治体を目指すというビジョンもあまり聞かないし、むしろ権力的な手法だけが目立つ橋下政治に、何を期待しようというのであろうか。

2.橋下言説に見られる合理主義

 マスコミを使ってプロパガンダする彼の政治的言説をつぶさに見ると、彼の持っている近代合理主義的発想とその場のご都合主義がひしひしと伝わってくる。路線変更や論理矛盾は意に介していないし、その場の歯切れの良さと対置する「ある種の曖昧さ」との距離が、彼にとって最も重要な要素なのである。橋下の合理主義は、ある限られた枠の中ではきわめて理路整然としているが故に、「ある種の曖昧さ」に対して歯痒い思いを持っている多くの人々を惹きつける。これこそが、彼の「大胆な改革」期待につながっているのである。
 では、この「ある種の曖昧さ」とは何か?それは実は現代社会の閉塞感に対するルサンチマンの対象なのである。とりわけ、現在の公共空間を管理している官僚たちの歯切れの悪さ、民主主義や自由を阻害している現代社会の狭さこそが、「ある種の曖昧さ」を生み出しているのであり、そこに彼の攻撃対象がある訳である。彼のビジョンが地方公共団体という領域で、生き生きとして見えるのは、彼の論理がある狭い範囲に限られた社会構造を対象としているからである。おそらく、彼自身もそれをうすうす感じ取っているに違いないのである。なぜなら、二重行政を一重行政にするという合理的政策を一貫して行おうとしても、現在の管理社会では到底できることではなく、一重の中に多重が潜んでいることは現代社会分析では自明のことなのである。
 更に言えば、良心的行政マンでさえ今日の多重化した社会構造の中で一元的行政ができるなどと考えないであろう。だから、彼の手法が「大胆な改革」を望んでいる多くの人々と、いずれ起こるであろうすれ違いの希望に終わった時、明らかになるし、彼の命運も尽きるのである。問題はここにはない、と。
 「改革」は合理主義で行われるわけではない。そして、現代行政が合理的でないのは、合理主義が貫徹されていないからでもない。戦前期の翼賛体制にその始まりがあったように、日本の行政は当初より合理的計画的近代的体制であった。だからこそ、いわゆる戦後経済復興の驚異的スピードがあった訳であり、高度成長路線はその結果だったはずである。先進資本主義国の中でも、比較的少数の公務員たちで公共政策を行い得たのは、この合理主義があったからである。
 新自由主義的規制緩和や民営化路線は、かねてから言っているように、遠くは1927年世界恐慌に端を発する資本主義の根底的危機に対する救済策であった戦後福祉国家路線への資本の側からの反撃であって、極端に言えば国家行政はその出先機関でしかなかった訳である。だから、一元行政などと言うことは端から問題ではないのである。そして、その結果も出尽くして、今や国家が資本の危機管理に奔走している時代である。コーポレートガバナンスやら何とかコードやらと、やたらと規制が生まれ始めている時代である。いわば新自由主義戦争の戦後処理の時代であると認識すべきであろう。であるなら、橋下の時代錯誤の構想も結果は目に見えていると言えよう。

3.次に提起すべき問題

 我々は彼が掘り起こした「大胆な改革」を引き継ぐ必要がある。なぜなら、その幻想が姑息な利益誘導や利権に走る一部小ブルジョアジーの目算と切り離せば、まっとうな要求でもあるからである。現在、都構想に反対する大阪における大同団結は、同床異夢でしかないのは誰の目にも明らかであろう。自民党から共産党までの反維新同盟は、住民投票がどのような結果になったとしても、はかない運命にあることは確実である。なぜなら、彼らには「大胆な改革」の計画がないからである。
 今日、「大胆な改革」を希求する人々の脳裏にあるものは、一地方都市の問題ではないはずである。多くの自治体が抱える共通の問題への解答が見えないという現実があり、地方官僚や中央官僚の利権と自己保身、そして「ある種の曖昧さ」こそが怒りの対象なのである。その解決のために、トリックスターとして現れたのが橋下であった。
 では、本当の「大胆な改革」とは何なのか?
 それは、橋下の政治姿勢がはっきりと反面として示してくれている。つまり、明治維新の失敗がどこにあったか、という問題を今現在の時代状況の中で考えることである。橋下政治が権力を握って、思いのままに政治を行うことができなかったのは何故か?それは、ヒットラーがスターリンが権力を握って中央集権政治に失敗したことと同じ問題がそこにあるのである。
 真の改革は、確かに大阪の解体である。大阪を完全民営化するという改革は、「完全」でなければならない。すなわち、直接民主主義を現実化すること、官僚組織を解体し、すべての住民が直接に公共的問題に参加できるシステムを構築すること、そのためには、マスでのコミュニケーションではなく、対面でのコミュニケーションでなくてはならないが故に、細分化された共同体へ再編することであろう。端的に言えば、大阪コミューンを形成することである。
 今、我々はこの問題の端緒に立っている。住民投票とは、かなり長い道程の最初の一歩かもしれないからである。コミューンの形成には、住民自身が公共問題に意思表示をし、これに意欲的に関わり、組織を作るところから始まる。どんなささいな問題にも、住民の参加なくして決められないという政治的慣習を一歩一歩作り上げていくという組織的な行動規範ができあがる時、それは現実のものとしてイメージできるはずである。
 橋下の命運が尽きる時、その遺産を継ぐ者が多数者であることを、胸に刻もう。


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