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アベノミクスの惨めな失敗―現実の変化の積み重ねとしての歴史認識の欠如―

渋谷 一三
394号(2014年12月)所収


<はじめに>

 アベノミクスの失敗は、ようやっと誰もが認めはじめた。
 IMFが日本の経済成長率を0.7%下方修正し、アベノミクスの第3の矢はないとコメントしたことで、アベノミクスなる造語を流布させていたマスコミは雪崩を打ってアベノミクス批判を始めた。正確に言えば、批判めいたことを口走り始めた。
 黒田日銀総裁に命じて30兆円の大規模な追加量的緩和をさせ、株価をつり上げたものの、「株価が上がった。それがどうした。」という大衆の反応がようやっと見られるようになった。さほどに、「アベノミクス」呪文の呪縛から解き放たれ始めた。
 安倍首相のブレーンというよりはアベノミクスなるものの発案者とでもいうべき浜田イェール大学名誉教授は、アベノミクスの失敗の原因を消費税アップのせいにしようと、11月4日の「諮問会議」で消費増税反対を唱え、責任回避を図り始めた。
 11月17日、GDPは年率換算1.6%のマイナス成長と発表された。このことを7日に内密に報告を受けた安倍政権は、衆議院解散増税延期のシナリオを描き、支持率の下がりきらぬ内に総選挙を行い過半数を維持する道を選択した。この選択は、表面上は増税延期の是非を民に問うとの名目だが、実質上は「集団的自衛」の名の下に米軍と国際的共同行動を取れる軍とその政治体制を構築してしまうためのもう4年の安倍政権維持のための策動である。
 「安倍のmix」は円安による物価上昇と、大衆への収奪の強化による消費の縮小に起因する生産の縮小という最悪の経済状況を招来してしまった。「アベノ・ミックス」はハイパーインフレの扉を開けてしまった。今ならまだ後戻りできるのだろうか?

1. アベノミクスは古臭い経済学

 『金利引き下げは、貿易の面で言えば、通貨安が輸出を有利にし輸入を抑えることで、短期の雇用改善が期待できる。』
 これが、従来の経済学の常識とされてきた見解である。
 現在の日本で通貨安は輸出を有利にするだろうか。
 輸出産業の代表とされる自動車産業を例にとってみよう。
 1980年代の日米貿易摩擦によって、トヨタ、ホンダをはじめ米国に雪崩のように輸出していた企業は現地生産に切り替え、米国内部に生産工場を作った。このことによって、米国への輸出は統計上激減し現地法人の利益だけが本国(日本)に送金されることになった。雇用は日本国内では減り、米国内部で生み出された。雇用改善ではなく、雇用の悪化を生み出した。今、円が下がったところで、現地で生産している以上、ドル建て価格は変動せず、得たドルを日本円に替えた時に円表示では利益が増大したかのように表示されるだけである。円安になっているので、購買力は同じで、利益が増大したわけではない。
 また、その後世界的なアウト・ソーシングが進行した。部品の国際分業である。労賃の安い諸国で生産した部品を買い集め、「本国」あるいは第3国で組み立てて製品化するシステムがコンピューターやスマホのみならずあらゆる製造業で進んだ。パナソニックやシャープの没落とサムスン(韓国)や台湾の企業の勃興。南米における現代(韓国)や起亜(韓国)のトップシェア獲得などなど。
 アウト・ソーシングが普遍化した結果、円安になれば部品の調達価格が上昇し、その結果製品価格を値上げせざるを得なくなる。同じ商品が高くなるのだから、インフレは「達成」できるものの売り上げは減り、企業業績は悪化する。
 このように、かつての「経済学の常識」は全く通用しないのである。

2. アベノミクスを批判出来ずにケインズ主義を対置するだけの「共産党」

 日本共産党の経済「理論」はケインズ主義でしかない。
 曰く、8%に増税した結果の不況を克服するために不況対策の公共事業や財政出動を主張する。公共事業や財政出動の山が1000兆円を上回る国債の残高を生んできたのに、国家財政を悪化させるケインズ主義経済政策しか対置できていないのである。理論的にも現実対応能力を失っている。
 このアンチテーゼが国家財政の赤字を削減するためにスリムな政府を作るべきだとする新自由主義の発生であり、その亜流として統治機構のスリム化を対置する維新の党やみんなの党などの行政改革主義である。さらに下層階級の窮乏化の深化に伴う怒りの鬱積と結びついてあらゆるところをその場その場で攻撃すること自体を自己目的としパフォームするファシズム政党=維新の会の発生の根拠もこのアンチテーゼの範疇にある。
 ケインズ主義を対置するだけの「共産党」であるからして、ケインズ主義の行き詰まりを反映したアンチテーゼを批判することが出来ないのは当然である。

3. 維新の党の再分裂は必然

 日本維新の会は、石原旧太陽の党グループと橋下旧大阪維新の会とに再び分裂し、みんなの党から分裂した江田グループとくっついた。このくっついて出来た維新の党は、江田グループが行革路線であるのに対し、橋下グループは他者攻撃を自己目的とするファシズム路線であるため、再分裂は必至である。東京と大阪の分裂だと強弁しているが、そもそも政治路線が全く違うのである。すでに、再分裂の兆しは出てきており、橋下の意向を無視した「東京」「国会議員団」グループに業を煮やした橋下グループは、大阪市長と大阪知事とをそれぞれ辞任して国会議員に立候補する動きを見せている。大阪都構想実現という大義名分すらかなぐり捨てて、あちこちいじり回して、思い通りにならないと、思い通りにするために必要だと強弁して現場を投げ出す、この繰り返しを見抜けないほど疲弊した下層の民はどれほどいると言うのだろうか。

4. デフレと括るあやまち 

 前民主党政権を含め、今の議会政党の全てが、民主党時代の物価の下落を「デフレ」と括っていた。
 経済学の常識としてのデフレ経済とは物価の下落のみならず、労賃も下落し、その結果として消費市場が縮小し、生産そのものが縮小していく経済現象を指す。
 民主党政権時代の経済は物価の漸減と「小泉改革」(=米国規準の受け入れ)の結果としての膨大な労働者下層の出現という現象だった。生産は縮小するどころか漸増しており、GDPも1%近く増えていた。
 これは明らかにデフレではない。
 この経済が進めば、日本の労賃は下がり、日本企業は海外に生産拠点を移さなくても国際競争力を回復する水準で平衡状態になるはずだった。必要なのは、自分の労賃分を稼ぎだしてもいない労働者上層部(もはや少数派となった正社員層)の解体と労働者下層の労働条件の改善による国内消費市場の再構築だった。別の言葉で言えば、新中間層の形成だった。
 経済をまともに学習したこともない民主党の政治家たちはデフレと思い込んでいる自民党・公明党と同様に、疑いもせずにデフレと思い、財務官僚の言いなりに消費税アップをする以外の経済政策を持たなかった。目玉政策の高速道路の無料化を一時的にすら実現することもなかった経済半可通だった。
 自民党も全く同様に経済半可通で、安倍氏は特に軍国主義者なだけの経済半可通である。そこで、カビの生えた経済学者にアベノミクスなる計画を吹き込まれ、この正否を判断する力もないまま円安政策を進め、原材料高・原油高によるコスト・プッシュ・インフレを招き、生産そのものの縮小というとんでもない事態を招いてしまった。
 労賃の低下による物価の低下をデフレと認識するお粗末だった。2010年前後の物価の下落は、実に90%以上、労働者の賃金の低下(非正規社員による生産)によって実現されたものだった。それは過剰生産による物価の下落でもなければ、需要の縮小による物価の下落でもなかった。
 これを乱暴にも「デフレ」と括り、未曾有の量的緩和をしたのだからたまったものではない。
 残念なことに現存する議会政党の全てが、上記の「インフレ」認識への考察や反省がない。だからこそ、「アベノミクス」を批判することに失敗し続けてきたのである。

5. 統治能力を失っている日本のブルジョアジー 

 「安倍のmix」の原料の1つである日銀は、バブル時の深刻な反省を踏まえた「独立性の尊重」が完全に破壊され、安倍氏の道具になり下がってしまっている。マスコミも警察発表の垂れ流しと政府発表の垂れ流しおよび米国メディアの情報の垂れ流し体制が完成し、独自に取材するジャーナリズムは死滅させられてしまった。マスコミもまた政権の道具になり下がってしまっている。
 こうした結果、秀吉政権よろしく『殿、ご乱心』になっても何でもできるようになってしまった。「根回し」も要らなくなり、妥協も必要でなく、白紙委任を取りつけて気まぐれ思いつきを乱発する。要するに、ブルジョアジー内部の意思統一をしなくてよくなったのだ。言い換えれば、ブルジョアジー内部の意思統一が出来なくなったということである。
 この事情の反映が、人格的には府知事を投げ出し市長になったかと思うと、市長を辞任し再度立候補して再選させ、その市長をまた辞めて衆議院議員選挙に立候補するというファシズム政党の代表の人格の登場であり、『安倍のミックス』で経済をいじり回してグチャグチャにしてしまった首相の登場である。
 また、制度的反映として、従来の階級・階層を反映した議会政党の枠組みの外にブルジョア政党が乱立するという事態が現れた。
 例えば、北方4島の即時返還と引き換えに日本の対ロ投資を集中的に行い、投資を中国からロシアにシフトして『ロシアをGDP世界第2位の国にする』などといった戦略を立てることも可能な時期であり、中国に対抗するに米国に隷従する安倍路線とは違うロシア協調路線をとることも可能である。だが、こうした案を立案しても仕方がない。こうした案を採用する政治家集団を一から作るという「気の遠くなる」作業が必要になってしまったのである。従来の根回しや派閥政治よりもはるかに効率の悪い政治体制を作ってしまったのである。
 橋下グループは「二重行政の解消のための都構想」という単なるイシューのために政党を作ることから始めなければならなかった。政治的にはファシストとして同じ系列の軍国主義者安倍氏と極めて近いにもかかわらず、新しい政党を作ることから始めなければならなかった。その上、大阪都構想は2重行政の解消どころか、区長公選・区議会創出をもたらす3重行政の開始にすぎないのだが、こうした指摘をして未然に誤った政治を防ぐという機能も失ってしまったのである。

<おわりに>

 日本のブルジョアジーは統治能力を失っている。また、当然のことだが、統治の方針すら全く持てていない。そのことがファシズム政党の創出を許してきた根拠ではある。
 こうした政治の混迷を放置しておくことはファシズムの台頭を許すという点でも、極めて危険である。
 労働者階級は新しい統治能力を獲得していく道を避けていては居られない。議会政党も作って行く事業に着手していくべき時ではないのだろうか。


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