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安倍政権はファシズムか

斎藤 隆雄
392号(2014年9月)所収


 集団的自衛権を閣議決定し、安倍政権が憲法解釈を変更した。それが今後、日本の国際的位置をどのように変化させるか、そして国内政治において、それがどのように機能するか、注目されている。彼の頭の中にある政治構想がどうであれ、日本が今後必然的に招き入れる事態を我々は注意深く探らなければならない。とりわけ、リーマンショック以降、急速に変遷しつつある世界情勢の中で、3.11以後の日本がまたもや情勢認識の錯誤を犯しつつあるのか、注視しておく必要がある。

1.護憲平和とファシズム

 1990年代以降、日本において政治的言語にいくつかの断絶がある。55年体制の崩壊と大騒ぎした議会政治の十年間で、戦後民主主義に起源を発するいくつかの政治的構図が変化し、それと共に新しいものと旧いものとの回路が切断された。ファシズムという規定もその内のひとつであろう。
 安倍政権がファシズムか否かは、そもそもファシズム規定がどのようなものなのかを前提として成り立つ議論であることは論を待たない。議論の前提となっている言葉が共通の合意となっていない現在、しばしば問題の錯誤が頻発する。ファシズムにおいてもそれは見られるが、元々この概念は戦後政治においてどのような位置にあっただろうか。
 戦後民主主義運動において、リベラルを自称する人々と社会主義派を自称する人々との境界はきわめて曖昧だった。とりわけ戦前に於ける帝国政治の有り様に対して批判的であった人々は、総じて護憲平和派であって、ファシズムに対しては三国同盟が戦前期においてそれほどの政治的力とならなかったこともあって、概ね日本政治過程へ適用する概念ではないと考えられていただろう。丸山眞男が敗戦直後に次のような問いを投げかけた。
 「なぜ日本において国民の下からのファシズム??民間から起こったファシズム運動がヘゲモニーをとらなかったのか。なぜファシズム革命がなかったか…」
 この問いは、戦前期の日本の政治体制が真の意味でのファシズムではなかったことを暗示しているのだが、彼のその問いへの解答は、次のようなものだった。
 「…民主主義革命を経ていないところでは、典型的なファシズム運動の下からの成長もありえない…」* 1と。
 戦後の護憲平和運動の基調が民主主義革命であったというのは、日本共産党の方針が影響していること、また戦前期のコミンテルンの32テーゼから間もない時期であったこと等、いくつかの要素があるだろう。いずれにせよ、日本の戦前期の政治を規定する言葉にファシズムを適用する時、「特殊日本型ファシズム」であって、そこには「天皇制」や「農本主義」などがまとわりついていたことは間違いない。
 そこで、戦後期の反動政治を批判する時、あるいは戦前回帰を目指す保守勢力を批判する時、ファシズム規定はそれほどすっきりとした、的を射たものとはなっていなかった。戦後左派イデオロギーにおいても、このことは幾つかの論争によって多様性をもって語られていた。例えば神山・志賀論争にみられるように戦前期の資本主義論争の分岐を引きずりながら、天皇制を巡る規定を封建制やボナパルティズム、軍事的官僚制的な国家論争へと発展していった。
 神山茂夫の「天皇制に関する理論的諸問題」(1947年)では、「…世上『ファシズム』と称されているところの、日本の天皇主義的・軍国主義的・冒険主義者…」* 2という表現が見られ、32テーゼに沿った規定が生きていた。また、吉本隆明も60安保闘争時に北一輝や大川周明らを「農本主義的ファシズム」という規定をしていたと記憶する。総じて、ファシズムという規定は日本の戦後左派にとっては戦前期日本を描く道具としては扱いづらいものであったように思われる。そのことは、日本の戦後革命の基調が民主主義革命であったことを示しており、護憲平和がいまだに左派であるかのごとくに勘違いされるのは民主主義革命が完了していないということを示していることになる。
 では、他方で現在の安倍政権のやろうとしていることがファシズムだと言うなら、同時に今や民主主義革命が成就し、ファシズムが日程に上ってきたということになり、護憲平和運動はその与えられた称号と自ら目指す称号とが錯綜することになりはしないだろうか。この錯誤は何なのだろう。
 この一見矛盾した構図を解明するには、現今の政治イデオロギーと社会運動とをつぶさに見ておく必要がある。

2. 護憲は左派か?

 ここ数年、日本に於ける政治論争の中で、「倒錯的」という言葉が目に付くようになった。これは「ねじれ」とか「反知性」とかといったネガティブな言葉と共に紙上を賑わしている。そのことの象徴的な構図が、日本に於ける政権党が「反憲法」政党だという事実であろう。だから、戦後民主主義運動が護憲であり、反自民であり、反政権党ということになってしまう。
 そういう意味で、日本において憲法は、その言葉の定義通りの意味において国家の根本原理ではないと意識されることとなっているし、またそれを訝しくとも思わないという心性が当たり前のごとくになっている。元々、歴史的に憲法と呼ばれた法体系が日本に持ち込まれたのは、19世紀の黒船と20世紀の敗戦という二つの外圧、それも米国の一度目はそれとなく、二度目ははっきりとしたそれである1。その二つの出来事から生まれた二つの憲法は、日本人が自ら築き上げた規範ではない。そのことが戦前期の政治構造をどう分析し、評価するかを確定できない所以である。それは同時に当然、戦後期においても続く訳である。戦前が分からなければ、戦後が分かるわけがないのは理にかなっている。
 ここで戦前戦後通して、日本がどのような政治体制にあったのかを詮索するつもりはないが、現憲法を護るということが、日本の政治に、あるいは諸階級にどのような意味があるかははっきりとさせておく必要があるだろう。でなければ、安倍政権が何者であるかさえ皆目見えてこないということになるだろう。
 現憲法が比較的に我々を国家権力から護るものとなっていると判断することで、「護憲」が成り立つ。戦前期帝国憲法が国家権力から何を護ったのかを考えると、比較考量することができ、その護憲の意味が明らかとなる。安倍政権の改憲という指向性は、だから戦前期の旧帝国憲法への回帰だとするなら、この一回目の仮憲法の方が自らの利害に合致すると判断しているということになる。
 ではその限りで、戦前期の集団的自衛権と同等な歴史を紐解けば、日英同盟がそれにあたると考えられる。おそらくは、日露戦争時点での日本の国際情勢を現時点にスライドすれば、これこそ今日の日本の主観的政治情勢を描く上で似つかわしいものはないだろう。そもそも江戸末期以降、日本の攘夷と鬼畜米英はほとんど同じ心性の下にある。常に仮想敵への過剰反応による自家中毒が自滅の道を用意することになる。攘夷が日英同盟に転換し、鬼畜米英が三国同盟に化け、ついには日米安保に行き着くという歴史を想起すれば、安倍の集団的自衛権はもう一度栄光の日露戦争を、日本海海戦を再現したいというアナクロな願望でしかないだろう。
 既に述べたように、護憲が意味のある翼になるために、民主主義革命が未完でなくてはならない。ということは、現憲法は民主主義政治にとって不十分であるということでなくてはならないはずである。左派という限りは、それが現状変革的であるという意味を含んでいなければ、語義矛盾になるだろうから、護憲は改憲という意味でもあるはずである。しかし、今のところ護憲派が改憲論議をしたという話はついぞ聞いたことがない。つまり、護憲と左派とは語の忠実な理解の上では両立しないものだということになる。むしろ、最適な表現をするなら護憲は保守であるということでなくては意味が通らないのである。
 なぜこのような「奇妙な」ことになっているのか。護憲派がリベラルで、安倍がファシストだということになるとしても、お互いの政治勢力が相互に対立する陣営を名付けるレッテルが余りにもお粗末で、まさに反知性的なものだから、事態が理解しにくくなっているのである。安倍が護憲派を左派と呼び、護憲派が安倍をファシストと呼ぶ。安倍にとっては自らを保守ないし伝統派と思いたいが故に、目障りな現憲法派を左派と呼んで、あたかも現状変革を試みているのは護憲派であると宣伝しているのである。一方、護憲派は自らをリベラルという自称の下に、安倍を現状変革的な意味を持たせようとしてファシストと呼ぶのである。
 そこで読者は合点がいくであろう。つまり、どの陣営も自らが政治的な中央派であろうとする訳である。(念のために言っておくが、これは自身の政治構図の上において中央という意味であって、相互に同じ立場を共有しようというのではない)日本において憲法が国家の理念として一度も定着したことがないという特異な政治状況の中で、誰が中央に位置するのかを争っているということになる。「左派」という言葉も、「ファシスト」という言葉も日本の政治にとって異端であるという前提が暗黙の内に流布していることをここで見ておく必要がある。

3.憲法を越えて

 日本がまがりなりにも制定した二つの憲法は、およそ半世紀の時間を経て、初めのものは戦争で潰え、その次のものは戦争準備のためにぐらついている。初めのものは、天皇機関説という解釈を「統帥権干犯」として否定し、戦争へと突入した。次のものは、第九条を「集団的自衛権」として否定し、戦争準備を始めている。およそよく似た経過を辿っていることになる。
 安倍政権が何を意図しているかに関わりなく、事態は必然的に似たような未来を準備していると考えていいだろう。なぜなら、既に述べたように日本国民は一度も「革命」を経験したこともないし、「憲法」を自分のものとして理解したことも作ったこともないから、戦前も戦後も同じ心性の下で継続していると考えていいからである。その意味で、白井氏が「永続敗戦」と名付けた時代認識は更に拡大して見る必要があるだろう。
 戦争という対外的な脅威を糧にして、江戸幕藩体制末期以降、日本の権力を目指す勢力は常にその政治を恣意的に創り上げてきた。その心根は欧米列強に対する劣等感であり、遡れば帝国に対する「倒錯」した心情である。反発しつつ、否定しないし、否定しつつ、取り込むのだ。地政学的なあるいは歴史的な分析はここでは保留しつつも、我々はこの国家の基本理念たる憲法という法体系そのものを、今や疑ってかかる時代に突入したのではないのか。
 安倍政権は、表面的には攘夷をかざしながら、国内政治を警察的管理国家として完成させようとしているのは明らかであり、明治政府の意図した帝国建設の二番煎じであることも明らかである。少なくとも、民主主義革命をなそうと試みるなら、こういう日本の歴史的二番煎じを徹底的に封じ込めるような理念が必要である。そのためには、左派は護憲であってはならないのである。

脚注

* 1 丸山眞男『現代政治の思想と行動』増補版1964年未来社p.80(この文章は1947年に書かれている)
* 2 神山茂夫『天皇制に関する理論的諸問題』1970年三一書房p.279


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