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ウクライナの分割問題

斎藤 隆雄
388号(2014年5月)所収


 ウクライナ情勢がいよいよ内戦の様相を見せ始めて、新聞紙上を賑わしている。三月初めにケリーとラブロフがパリで会談した時、「大変難しい議論だった」とケリーがつぶやいたという報道を目にした時、誰もがユーゴ内戦を思い浮かべただろう。あるいは、それはイラク戦争だったかもしれない。歴史学者は20世紀初頭のポーランド問題を、あるいは17世紀の分割問題を思い出したかもしれない。ともかくも、余りにもありふれた既視感がそこにはある。30年代への「螺旋的回帰」というのは、こういうことなのか。
 ソ連邦崩壊以降20数年が経過し、「西側民主政」が方向性を失い始めていることは確実である。「先進国」内部で極右政党が台頭し、国際政治の勢力均衡はその平衡感覚を失い、誰もが自由民主主義の旗の下で自らの政治・経済的利害を貫徹しつつある。問題はそれが単純な回帰ではないことである。東西冷戦下におけるあまりにも長い保留期間が、一世紀前の未解決問題をまったく違った様相で示しつつある。グローバルな資本の嵐が全世界をくまなく席巻しつつある現在、かつての未解決問題が実は限定的であったということを証明しつつある。本当の意味での辺境がなくなりつつあるということが、「西側民主政」という限定商品の賞味期限を示しつつあると言えよう。

1.ソビエト崩壊後の残響

 最新の情報では、ウクライナにおける「親ロシア派」が内部抗争を起こしつつあるという。そもそもキエフにおけるクーデタは何だったのだろうか?逃亡したヤヌコーヴィッチは何者だったのだろうか。暗躍する極右勢力は何者なのか。04年のいわゆる「オレンジ革命」とは何だったのだろうか。あまりにも変転するウクライナの政治情勢は何を表しているのだろうか?
 民族自決権問題?いやいやそれは違う。直接民主政?いやいやそれは違う。この間のウクライナ情勢にはあまりにもきな臭いにおいが漂っている。アメリカとロシアの諜報機関が暗躍しているという非公式な情報が後を絶たない。プーチンがウクライナを「国家ではない」と言い切ったそうだが、現象面を見る限り、さもありなんと言わざるをえない。
 まず、クリミア編入がかくも安易に成立したことを考えてみよう。クリミア半島は、ソビエト時代にはロシア領であった。かのフルシチョフが1954年に、ロシアとコサックとの協定300年を記念して、ウクライナに贈ったということ自体が驚くべき事実である。彼(ウクライナ出身)は、ソビエトが崩壊して、このような事態を招くとは思いもつかなかっただろう。つまり、ウクライナとロシアは通常の国家関係とは言えないような歴史的背景があるということである。今日の我々の目に見えている事態は、複雑に入り組んだ歴史的産物であるということを、それも独特の産物であるということを認識しなければ、正しい判断に到達しない。
 まず、あれだけ大騒ぎしておいて、アメリカもEUも、クリミアについては編入後何らの実質的行動を取っていない。まるで始めから決まっていたシナリオのようだ。そもそもあそこはロシア領だったという暗黙の了解があったとしか考えられない。つまり、ソビエト崩壊以降のいわゆる「崩壊後処理」の一環としての今日の情勢であるという認識がそこでは成立しているのではないか。ユーゴスラビア崩壊後の処理に躓いた西側諸国は、彼らが「自由世界の勝利」とうそぶいたソビエト解体が実は「自由世界の解体」をも連鎖する事態であったということに気づいたのではないか、ということである。なぜなら、帝国のグローバリズムが第二次大戦以降に創り上げた彼らのイデオロギー、その正統性を無効にしつつあるからだ。
 クリミアが独立投票を行い、編入を宣言した時、そこには民族国家として崇高な独立精神など何もなかった。そこにあるのは、ロシアへの帰属を画策する動きだけである。ロシア系住民が多数を占め、ロシア語が日常会話であり、ソビエト崩壊後経済的に停滞するウクライナに嫌気がさしている住民にとって、ロシアへの編入は願ってもない好機であったに違いない。クリミアの一人当たりのGDPは2000ドルにも達していないが、ロシアは1万ドルに近いことを考えれば、これは納得のできる合理的選択?であると言える。住民投票も独立宣言もいわば見せかけの民主主義的儀式だったのだ。それはしかし、キエフにおけるクーデタよりは民主的だったと言うことが可能だろうか。
 今、ウクライナ東部の諸州でロシアへの帰属を巡って有象無象がうごめいている。西部諸州がEUに秋波を送るのと対称的な動きである。まるでウクライナをどこかに高く売りつけるバザールのようだ。ユーゴスラビアにおいてもそうであったけれども、今やソビエト崩壊後の諸国民は何処へ行こうとしているのだろうか。オーストリアとハンガリーには極右政権が浮き沈みしており、EU主要国の旦那連中の悩みの種になっているが、彼らとて東部欧州を切り捨てる訳にはいかない。その上、ウクライナも仲間に入れてと言われても、なかなかすんなりとは肯んじ得ないだろう。ギリシャやスペインでさえ手を焼いているのだから。
 さりとて、これらの一連の動きを帝国的浸透などと規定して、新たな戦争の前触れであるかの如くには捉えることもできない。もともとウクライナを争奪するというロシアやEU/アメリカの利害は何処にあるのか。ソビエト崩壊以降、国際金融資本とその手先たちの新自由主義的な簒奪は凄惨を極めたが、いわゆる「移行問題」は惨憺たる結果に終わった。プーチンの登場がロシア民族主義の復権だとか、国家資本主義的傾向だとか、あれこれと不平を述べ立てているにも関わらず、それが自らの簒奪の結果だとは気づかない。グローバル資本主義構造の中では、彼らのウクライナへの経済的利害は穀物生産と若干の鉄鋼製品の供給国であるという以上には出ない。現在のウクライナの生産資本家たちは、計画経済時代の官僚たちが崩壊以降簒奪した「地元オルガルヒ」たちとロシア資本との争奪戦の結果、ウクライナ財閥がやや優勢であるものの、経済的な取引関係では切っても切れない関係となっている。ウクライナへの天然ガス供給を巡ってすったもんだの駆け引きもウクライナが旧ソビエト圏にあったという歴史的文脈でしか語ることができない。エネルギー供給を断たれればウクライナ経済の先行きは絶望的なものになることは確実である。
 そこで見えてくるのが、EUとロシアとの安全保障上の領土獲得合戦という視点である。しかし、これもソビエト崩壊以降、何を巡る安全なのかが明らかではない。それこそ、二世紀以上過去のロシア脅威論が復活したというのだろうか。あまりにも滑稽だが笑えない争奪戦が、今現実に行われているという事実は、ソビエト崩壊が何だったのかをうっすらと浮かび上がらせてくれる。東西冷戦時代にアメリカ帝国主義が振り回していたイデオロギー上のあれこれは、実はソビエトという彼らにとっての特異点があってこそ成立するものであったということである。そして、逆にソビエト連邦にとってもそれは鏡の如くに対称形をなしていたと考えてよいだろう。
 反共(反帝)鏡が喪失した以上、支えを失った「自由世界」は糸の切れた凧の如くに風のまにまに漂い始めた。違いを探して、対立を演出しなければならない。それは、文明だとか、宗教だとか、人種だとか、それこそありとあらゆる違いをあげつらっていかなければならなくなった。民主政はそのための格好の道具であることも判明した。
 国際ジャーナリストの谷口長世氏は、この間のウクライナを巡る石油利権と昨年の11月にNATOがロシアを仮想敵国として実施した軍事演習の関係を、次のように書いている。
 「過去数週間のNATOの米欧諸国とロシアの関係の険悪化の本質…は今後、根強く続くであろう。けれども、それは管理された『険悪化』の関係である。換言すれば『つくられた』危機である。」(谷口長世「天然ガス・パイプラインから眺めたウクライナ騒動」『世界』5月号p.132)
 結局、ウクライナ分割はソビエト崩壊後の、新しいが、しかし絶望的でもある世界の幕開けなのである。

2.根拠なき豊かさ幻想

 ウクライナのクーデタ政権が欧州と協定を結んだが、その協定はウクライナに何をもたらしてくれるのだろうか。確かに、ウクライナの貿易額はGDPの70%を越えるほどであり、対外的な依存関係に支えられた経済構造である。しかし、為替管理政策の失敗で自国通貨は実体経済をまったく反映していない。つまり、ウクライナの生産物は完全に国際競争力を失っているのである。また、貿易額の三分の一を欧州が占めているものの、もう三分の一はロシアが握っている。このような経済状況の中で、どちらかの陣形と手を切るという選択は独立国家としての賢い選択ではありえない。
 ウクライナの経済改革に調査員として派遣された経験を持つ、西谷公明氏は率直に次のように書いている。
 「私には、ウクライナがEUとの連合協定を望む理由が理解できません。利益を得るのがドイツやフランス、ポーランドなどEU諸国であることは明らかです。低迷するEU経済は、人口4600万の一大新興市場を手中にできるのです。けれども、ウクライナが競争力を有する輸出品には厳しい輸入割当が課されます。これではウクライナはEU商品に市場を奪われ、自国の経済を痛めるだけなのです。東部や南部の鉱山業や化学工業は深刻な打撃を受けるでしょう。また、ウクライナ農業は、手厚い補助金に守られたEU産品との競争によって苦境に立たされるにちがいありません。しかも、連合協定を締結したとしても、近い将来EUに加盟できるとは限らないのです。」(西谷公明「誰にウクライナが救えるのか」『世界』5月号p.121)
 では、何故このような状況になったのだろうか。これを理解するのに、格好の指摘がある。中国共産党の対外連絡部に所属している張弘氏の論文である。彼は、つぎのように現状を指摘している。
 「EUに準加盟する協定を署名する前夜のウクライナ社会は『欧州ドリーム』が沸騰する臨界点に達しようとしていた。人々はEUとの協定の基本的内容について十分に理解しておらず、『協定=欧州的生活』と単純に見なしていた。」(浅井基文サイト「21世紀の日本と国際社会」から)
 つまり、根拠なき豊かさ幻想がそこには充満しているのだ。ソビエト崩壊以後、低迷する経済と政治腐敗を経験した人々にとっては、欧州的生活が夢のように豊かで安定していると見えているのであろう。アメリカ帝国主義が第二次世界大戦後の東西冷戦時代に展開した「資本主義の豊かさ幻想」というショールーム政策は、今や寄らば大樹の陰の如く、国家丸ごと売りに出されるという結果を生み出した訳である。ここには国民国家的な独立精神も理念も存在しない。あるのは、かなり怪しい形式民主主義とグローバルマネーへの主体なき依存症である。そして、予想される結末は西谷氏の言うような悪夢になることが目に見えている。
 新自由主義的グローバル経済が世界にもたらした根本的な構造変革は、このウクライナ情勢が如実に示している。世界を駆け巡るヘッジファンド300兆円と国家ファンド1000兆円(この中には、いわゆる国家資本主義とよばれる政府ファンドが大半を占めている)の争奪戦である。石油・天然ガス利権でさえ、その影に隠れて霞んでいるように見える。我こそはこの金脈のおこぼれを預かる資格があるという人々が、ぞくぞくと名乗りをあげている。そのためには、人も土地も企業も丸ごと商品となり、人々が営々と培ってきた慣習や地域に根差した知恵などは、さっさとお払い箱にして、バーゲンセールが繰り広げられるのである。ウクライナのみならず、世界中でこの拝金主義が蔓延り、我先に争って資金を求める、それが現在の民主政のイデオロギーであり、人々が追い求める夢であり、選挙スローガンなのである。
 いよいよ「自由主義」の底が見えてきた。「民主政」の正体が現れてきた、という時代である。かつてポーランドにおいて、「自由」とは貴族の拒否権のことを意味していた。一人でも賛成しなければ何も決まらないというのが、「自由」の正体であった。現代の貴族たる金融資本とグローバルな資本家たちは、その自由を今、謳歌している。そして、「民主政」とは衆愚政治であり、人々がその都度、移ろいゆく物質世界に翻弄される姿を反映する鏡でしかないということが、ますます誰の目にも明らかになってきている。
 我々は今、一時も早く「悪夢」から覚めなければならない。仮想デジタル空間に見える豊かさ幻想、民主政に蔓延る「成長スローガン」とは、豊かさの先送りのことであり、いつまでたっても実現しない蜃気楼であり、実現しない空手形であることを我々はそろそろウクライナの人々と共に悟るべきである。


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