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都知事選結果に見るファシズムの進行

渋谷 一三
387号(2014年3月)所収


<はじめに>

 自民党が節操もなく支持した舛添氏の当選によって、「原発は都政の問題ではない。」と言い張ってきた輩が、その舌の根の乾かぬうちに「都民が原発容認に転じたのは何故か。」などと、原発が容認されたと言い張っている。
 この展開は予想された展開である。
 舛添氏は出来るだけ早く原発から脱却すると言った上で、都政の問題ではないと言っていたわけで、それはそれで説得力のある位置だった。衆議院選で反原発の売れない俳優が当選したのは、曲がりなりにも国政選挙であったからで、都議選に反原発のみを持ちこむことには違和感があった。
 例えば細川氏は、待機児童問題に「都営住宅の空き家を活用する。」などという全く問題の所在すら理解していない答弁をする始末で、結局のところ、宇都宮氏の足を引っ張り舛添氏を支援するために立候補した結果になった。
 宇都宮氏が共産党の推薦など受けなければ、細川氏の立候補もなくなり、共産党の傀儡「政権」を嫌う健全な都民の支持も得られ、舛添氏といい勝負をしたであろうことは疑いがない。
 だが、本稿の目的はここにはない。
 極めて重大な兆候が田母神氏の60万票に表れている。
 本稿は、この事実の分析を試みるものである。

1.維新の会と安倍の距離

 橋下代表が「安倍首相はいい。」と秋波を送り、安倍氏も「責任野党のみなさん」と呼応する。田母神氏が「安倍首相に一番近いのは自分だ。」と公言して憚らなければ、この発言を迷惑だと否定もしない安倍氏。自党の推薦する候補者がいるのに、このような発言を放置するのは、極めて不埒な行いである。
 ことほど左様に、安倍氏が右派歴史歪曲主義者(歴史修正主義者と一般には言われている)であり、彼と維新の会との違いは、安倍氏が自民党の支持層の上にまんまと乗っかっているのに対して、維新の会は都市貧民層というファシズムの独自の基盤を形成してその上に乗っかっている点にあるだけである。
 いうなれば安倍派は毛利長州藩という明治維新の正当な勝利藩出身である出自を最大限に生かして、ブルジョア本流を演じ、ブルジョア政党の基盤を詐取しているのである。
 歴史歪曲主義は決してブルジョアジー本流の考えではない。何よりも米国という現代ブルジョアジーの本流が戦後処理をしたのであり、東京裁判をしたのであり、一連の戦後処理はブルジョア本流の考えに忠実な歴史観を表現しているのである。
 歴史修正主義を自称するこれらの輩は、証人が死に絶えた戦後60年を過ぎたころから「南京大虐殺はなかった。」だの「従軍慰安婦は日本軍が強制連行したものではない。」などという卑怯な「修正」をおそるおそる始め、維新の会がファシズムの基盤を形成することに成功するや勢いづき、マスコミを支配して歴史歪曲主義者を大量に送りこんで歴史を学んだことのない都市貧困層の「落ちこぼれ」の子弟を騙し、取りこんでいる。
 安倍氏はファシストを大量に番組に登用した上に高視聴率を取った功績を讃えて、首相自らが発起人になるという前代未聞のなりふり構わぬ醜態を曝け出してまで、「やしき・たかじん追悼の会」をするそうだ。
 期を一にして、NHKの新会長が歴史歪曲発言をし、経営委員の長谷川氏が朝日新聞というブルジョア新聞と刺し違えると同社で拳銃自殺した野村氏を称賛し、田母神候補を支援した同NHK経営委員の百田氏が「他の候補は人間のくず」と発言し、安倍政権が露骨にマスコミを支配している現実が露呈した。
 現在の自民党政権のマスコミの露骨な支配は目を覆うばかりであり、米帝を始め他のブルジョア国家が危惧を抱くレベルになっている。
 だが、日本の野党はこうした会長や委員を罷免することすらできないほど脆弱になっている。かなり危機的な状況といってよい。

2.法の下の平等という仮象は、資本主義の根幹をなす概念である

 商品は価値通りに交換される。この価値通りに交換するシステムが市場であり、市場がきちんと機能しなければ奴隷労働や封建的強制労働を廃絶する位置に立てず、商品の価格はまちまちで恣意的なものになり、広汎な市場自体が成立しなくなる。
 マルクスが資本論で分析しているように、労働力商品もまた価値通りに支払われており、ここに「不正などない」のである。
 労働力商品の所有者=「個人」は、この商品の平等性の体現者として、実際は不平等であるにもかかわらず、対等な仮の姿を取らされる。この仮象が成立してこそ、価値がどこに行っても同じであり、だからこそ交換可能になり、交換価値を持つ。
 「平等」というのはブルジョア概念であり、極めて重要なブルジョア概念である。
 言うまでもない。資本主義の勃興とともに平等という言葉・概念が生まれたという歴史事実自体が何よりも雄弁にこのことを物語っている。
 歴史歪曲主義者は、平等が資本主義にとって必要不可欠な概念であることを理解しないばかりか否定する。平等の追求は共産主義者の仕業だと。オイオイである。マルクスを読んでくれというしかない。
 かくして、「さぼる者、努力しない者も同じ報酬を要求する社会主義者ども」という仮想敵を作り出し、「恵まれている大企業の正社員」や「公務員」への反感を日夜感じ ている労働者下層の煽動にある程度成功している。
 労働者下層は、正社員や公務員よりはるかに劣悪な労働条件で労働を強いられているのに、賃金は逆で、のうのうとしている正社員の方がはるかに高い賃金を得ている現実に苛立っている。連合の労働運動などチャンチャラおかしくて、むしろ敵対してやりたい。
 かくして、滅多にない高速道路を利用する障害者のために必ずある障害者駐車スペースにいらいらするとともに、建前の美しさに面と向かって反論できず、実は鬱屈と沈殿させられている本音=「他に空いていない時には駐車させろ」など、「言ってはならぬ本音」を解放したくて鬱屈としている。ファシストはこうした屈折した本音を公然と言ってくれる。
 疲弊している下層大衆はこうしてファシズムに自己表現を見い出し、解放感を感じている。
 権利というブルジョア概念を振り回す市民運動はブルジョア社会の重要な構成要素の一つであって、決して共産主義運動ではない。資本主義の底辺を担わされている下層階級は資本主義への本能的な憎しみを持つがゆえに、実は市民運動に資本主義を感じて反発しているのに、「権利ばかり主張しやがる共産主義者どもめ」と思わされ敵意を醸成している。繰り返すが、権利という概念自体も資本主義の発生とともにある。王権を制限したマグナカルタに権利概念の萌芽がみられるのである。
 『歴史の真実はわからないが、田母神氏のように考えれば誇りが持てる。』(26歳男性)『平和を守る気持ちを維持するため、靖国神社を参拝すべきだ。』(25歳女性)など、田母神氏に投票した人々には、歴史の不勉強と倒錯した結論が共通している。
 朝日の出口調査では、20代の24%もが田母神氏に投票したという。ゆとり教育で歴史の勉強を避けさせられてきた世代が、歴史の歪曲を批判する力がないのは当然とも言える。
 だが、若者のこうした傾向は、無知の故ではなく、根本的には現状に対する激しい不満ゆえであり、この不満が無知ゆえに間違った方向に導かれているだけのことなのである。共産主義者はファシズムと戦い、こうしたファシストに組織されかかっている若者を共産主義の下に組織することができる。
 どちらが不満分子を組織することが出来るかという戦いである。

3.ファシズムと戦うためにできる不買運動

 とりあえず、第2次森永不買運動ができる。安倍の政治資金の後ろ盾は妻の実家たる森永製菓にある。ヒ素ミルク中毒を起こした上に責任を認めなかった森永乳業に続いてファシズムを急速に根付かせている安倍政権を支えている森永製菓の製品を買わないという運動は今すぐにできる運動である。
 おなじく、TPPを妥結せよだの何だのといちいち政治に口出しをする経団連会長米倉の住友化学の製品の不買運動もすぐにできることである。ネットを見ればすぐに分かるように、米倉氏は右翼ファシストからも名指しで売国奴と罵られている。戦前の財閥が売国奴とか死の商人とかレッテル貼りされ、ファシズム運動の攻撃対象にされたのと同じ構図が再現されている。
 資本家を攻撃しながら実はブルジョア本流とは異なる資本主義擁護運動をする、これこそファシズムの昔も今も変わらぬ本質である。
 ファシストが声高に個別資本家を罵り、実は反資本主義的・反社会的不満分子を資本主義体制内に取り込むという役割を果たしていることと自らを区別した運動として、不買運動は静かに進行する打撃運動として有効である。強力な運動ではないが、有効な運動である。

4.賃上げなどの労働運動自体は革命的でも何でもない資本主義の一部をなす運動にすぎない。

 『火花』誌上で何回かふれられてきたように、労働運動それ自体は革命的な運動ではない。労働力商品所有者が労働力という商品をより高く売ろうとする市場メカニズムそのものの動きにすぎない。「革命の学校」になる可能性はあっても、革命的運動ではない。労働運動が革命運動ではないと気付くという意味で革命の学校なのである。
 だから、「連合」のように、労働組合の連合体が個別労働組合を支配したうえで資本主義の構成要素の一部として存在するのである。
 今回、政府が賃上げ圧力をかけるという歴史的に珍しい現象が起きたのは、「連合」が力を失いすぎてしまって、資本主義を維持する機能を果たせなくなってしまっているからである。労働組合の本来的機能を失うほど弱体化して考える能力すら失っていたからである。
 賃上げが資本主義的行為そのものであるということを理解するならば、アベノミクスがハイパーインフレと同義語だったと言われないようにするために必死になって賃上げをするしかない。安倍氏は円安で25%も利益を増やした自動車・電気産業を始め、ローソンや「ワタミ」などの御用商人に賃上げさせ、全体の賃上げムードを作りだそうとしている。
 だが安倍氏のなりふり構わぬ懇願をよそに、賃上げは波及せず失敗に終わるだろう。
 円高で潤っていた輸入関連企業(石油関連もふくむ)はアベノミクスで大打撃を受けているのであり、賃上げどころではない。ガソリンスタンドは農村部では急速に淘汰され、都市部では急速に「セルフ」化されている。一部の農産物輸入業者や水産物輸入業者は倒産の憂き目にあっている。
 トヨタの看板方式に象徴される中小企業は、下請け構造から脱却できずにいるため、元請けが増益しようとも全く潤わない。他方、国際的には、台湾や韓国・米国の中小企業に象徴されるように、国際水平分業による増収・増益、生き残りが進行している。日本の優秀な技術をもつ中小企業がこうした国際的企業へと脱皮する成長生き残り戦略は、大企業の支配が成功してしまっているために封じ込まれている。
 このままでは早晩、「優秀な日本の中小企業」は伝説になる。優秀な技術の継承も再生産もできなくなり、深いレベルで、日本の国際競争力は失われることになる。
 安倍政権を早急に打倒することは、プロレタリアート以上にブルジョアジーにとって緊急を要する課題なのである。
 自民党は早急に安倍一派を排除しなければいけないのだが、分かっているのだろうか。
 第2次世界大戦に突入することによって負った日本のブルジョアジーの多大なビハインドという教訓を忘れたのだろうか。
 ファシストとの戦いは、プロレタリアートの戦いであるが、ブルジョアジーの戦いでもあるのだ。それぞれがしっかりとファシストと戦うのが、ここ数年の必要な歴史過程である。


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