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ファシズムの物的基盤もまた脆弱である

渋谷 一三
385号(2014年1月)所収


<はじめに>

 都知事選に細川氏が立候補を決めた。ファシズム政党の維新会で国会議員をやめて準備していた東国原氏はこれで立候補を断念した。
 尤も、維新の会は一枚岩ではない。本体の橋下徹を代表とする大阪がファシズム政党であるのに対し、東京の石原慎太郎を代表とする部分は安倍首相に極めて近い極右ブルジョア政党である。この亀裂の表現が、東京維新が東国原氏の存在など全く無視して早々と田母神元幕僚長を立候補させた点にも表れている。
 細川氏の立候補を最終的に決断させた小泉元首相が面白い世界観を表明している。
 彼にとって自民・反自民などという区分けは何の意味も持たない。そればかりか、保守・リベラルという米国を模した区分けも意味も実体もないものと映る。今ある対立軸は原発推進か脱原発かという軸であり、この軸こそが意味も実体もある対立だと主張している。
 まことに面白い。
 志位氏は「自共対決の時代が来た。」と唱えるが、何が対決しているのかを示すことすら出来ていない。実際、日本共産党は自民党の政治内容に対立する内容を提示できていない。
 そもそも社会主義運動自体が資本主義の行き詰まりを前にしながら対立する内容を提示できないでいる。このことすら自覚できていないからこそ、「自共対決時代」などと空騒ぎが出来る始末である。少ない支持率がさらに下がっているのも頷けるというものだ。

1. 靖国参拝は外国との軋轢を避ける為に止めるべきという謬論がファシズムを力づけている。

 安倍派は大いなる勘違いをしている。遺族会の票が欲しいだけの狭い利害から参拝していた旧来の自民党政治屋の利害はますます狭くなってきた。遺族会自体が高齢化し、会員の死亡により少数化している。票欲しさという動機では、参拝する必要は減少してきている。なのに、参拝を強行したのは、死者が出る国軍の建設の必要性が高まっているという現状認識による。
 参拝を批判する政治的部分の一つは、戦犯が合祀されているからだと主張する。
 公明党などもこの部分に入る。自身、宗教団体の政治部なのだから、神社神道を容認するわけには行かないという狭い利害から反対すべきなのだが、「政教分離の原則」から反対することができない政治的位置にいる。したがって、別途国立墓地を作ればよしとする。この結論には民主党などの「野党」も入る。
 国立墓地を作れば良いという結論は、「死者が出ても耐えられる国軍の建設」という目的からは一向に構わない許容できる結論である。何ら対立はない。
 安倍派が愚昧なのは「死者が出ても耐えられる国軍の建設」という路線に無自覚で純化できていない点にある。
 先の愚昧な狭い政治的利害に基づく神社神道を軍のイデオロギーとして維持するしかないと踏んでいる点である。言い換えれば右翼の軍事イデオロギーが準備できていないということである。左翼だけが行き詰っているのではない。右翼もまた現状を吸い上げるイデオロギーを持てずにいる。
 この結果、自分のしていることがヤルタ会談の否定であり、国連というイデオロギーの否定であることに気づいていない。
 戦犯を決めたのは連合国(United Nations)の側なのである。戦勝国である米国・ロシア・中国・仏・英のUN(なぜか国連と訳している)の常任理事国になっている5カ国なのである。
 これを、戦勝国の裁判であり勝者のおごりであるなどという稚拙なファシストの論理で否定しようとしたため、米国を含め、ロシアをも敵に回したのである。なのに、そうした行為をした当の本人はキョトンとして、なんで同盟国の米国や「関係のない」ロシアまで怒るんだろうと、平然と「北方領土返還交渉」をしようとして、逆鱗に触れてしまっている。
 米国にあきれられているのである。disappointed とは「あきれた」という語意を含む単語である。戦後処理秩序を否定するということは、戦勝国を認めないということである。とんでもない挑発であり、挑戦である。もう一度戦争の続きをしようではないかと宣言しているに等しいのである。
 こんなとんでもないメッセージを出していながら、対中国包囲網を作るのに米国は協力すべきだとでもいう横柄な態度で米国に接し、「積極的平和主義」という美名を発案して米国の防衛にも協力しようとしている安倍政権を何で支持しないのだ、米民主党政権だから駄目なのだというトーンで対米外交をしようとしている。だから、国連という枠組みを否定する靖国参拝という行動をしておきながら、まさにそのさなかに常任理事国入りのための布石と称してアフリカ諸国歴訪の旅に出ている。
 このトンチキさ加減が、ほとほと呆れられているのである。

 安倍の靖国神社参拝を批判する部分も、上記のような国際的水準を全く理解していない。
 狭い経済的利害を前面に出し、「今、韓国と中国を刺激するのは得策ではない。」とか「今は、中国と韓国の間にくさびを打つべき時なのに、協働化させる愚策だ。」というレベルでの矮小な批判である。
 連合国がA級だとした戦犯なのである。「あんたらなんかもっと露骨に植民地をいっぱい作ったのに、なんで敗戦国だけが責められなきゃならないんだ。」という稚拙な論理が跋扈しているのである。
 このような稚拙な論理が跋扈できるのは、反対派の批判もまた稚拙で的外れだからである。
 反対派の論理は先にふれたように、中国・韓国の反発を招くからいけないという、実に打算的な内容のない「批判」である。神社神道が侵略戦争を遂行するためのイデオロギー上の道具であった歴史的事実を正面から取り上げて批判すべきなのである。そしてこの批判の位置は連合国からの批判の位置と同一であることを述べるべきなのである。そうすれば、戦勝国のおごりだという稚拙な論理は正面から粉砕される。
 さらに、天皇を神格化したイデオロギーの物質化をする装置が神社神道であり、廃仏毀釈運動であり、「靖国」神社と神社本庁などの装置であることを鑑みれば、議院内閣制の首相が靖国神社に参拝するというのは、未だにこのイデオロギーを否定していないという行動表現であることを示している。だから、中国が反対しようがしまいが、日本人民の先の帝国主義戦争・侵略戦争の否定として、靖国神社は解体すべきである。これは一宗教団体の存続の問題ではなく、天皇制神道の特殊な装置の解体を意味するのであり、天皇の人間宣言が神としての天皇を否定したのと全く同じ地平にある行為にすぎない。
 靖国神社の解体に反対することは天皇が人間であると宣言したことを否定することであり、天皇の人間宣言もまた占領軍によって力づくで押しつけられたものだと声高に言うべきなのである。「冗談ではない。天皇は神なのだ。」というべきなのである。

 反対派もまた、「中国や韓国の虎の威を借りる」稚拙で打算的な反対内容であるがゆえに、中国や韓国を虎とあがめる対中韓屈服派と映じるのである。
 こうした反対派の稚拙さが、中国の拡張主義と軍事力を背景にした大国主義への正しい人民の反発を、「維新の会」などのファシスト政党の煽動に包摂させていく回路を作っているのである。

2. 「具体的に大きく対立して将来の方向を大きく左右するのは原発問題だ。他にない。」と断じているに等しい小泉発言

 1で見たように、反対派もまた稚拙であるがゆえに靖国神社問題一つをとってみても決定的な対立があるにもかかわらず、五十歩百歩にしか映じない。
 かくして、差異を表明することすらできない自民と民主の区別など全く意味ないと喝破し、具体的対立を浮かび上がらせ、どちらにつくのだと迫る小泉氏は、彼の尊敬する織田信長の精神を受け継いでいると言える。
 その通りなのである。民主党に滑り込んで国会議員になれた前原氏などは、自民が認めていたら自民で立候補しただろう人物であり、政治路線としては自民党右派・鷹派の安倍派がぴったりするような人物にすぎない。自民・民主などという区分けは何ら意味をもたないのである。
 では、「自共対決だ。」などと、誰もが認めない錯誤を声高に言いつのり、自派系列の宇都宮氏の反原発候補一本化に応じる姿勢を微塵もみせない日本共産党はどうか。
 原発以外の対立軸を提出できているのならば、宇都宮氏の立候補取り下げなどしなくてよい。むしろ細川氏に反原発の大義のために立候補を取りやめるよう提案してよい。そうできないのはなぜなのか胸に手を当てちょっと考えてくれれば分かるだろう。
 対立軸を提出出来ていず、宇都宮氏の方が窮乏化している労働者の味方になると提出できていないからこそ、細川氏の方が人気があるからである。反原発の一点だけ取ってみても小泉氏の方がよほど生き生きと原発即時撤廃を提出できている。
 小泉氏は自分が首相の時、主観的には積極的でないにせよ、原発を推進してきた立場を背負った人物である。そのことを、責任を持って背負った上で脱原発をきっぱりと宣言し、元首相という自分の個人的利害の打算などした風情などない。日本共産党も原発に賛成した過去を、責任をもって背負い、自己批判し、無謬性の神話を自ら打ち壊すのであれば、人民の信頼を得ることが出来よう。だが、日本共産党は「一貫して正しい立場を貫いてきた。」という無謬性の神話を押しつけるあまり、檀君の子孫の金日成とまで行った朝鮮労働党と同じ危険なにおいを漂わせ続けているのである。
 小泉氏のさわやかさに比して、志位発言からは腐った臭いがするのである。

3. ファシストは原発にどういう態度を取ったか。

 橋下徹代表は、近畿の知事達を広域自治という聞こえのよい掛け声で作った会議を利用して、原発反対派を演じきることで、その反対派でもやむなく現実主義を貫くしかないというポーズをとって、原発再稼働をさせて行った。
 滋賀県知事なども、同一歩調をとることを重んじる正しい態度を取るがゆえにまんまと騙され、「やむなく原発再稼働容認」路線に包摂されてしまった。
 近畿の知事会などがなければ、また橋下知事が原発反対のポーズを取らなければ、最後まで反対したまま押し切られただろう滋賀県知事を、何はともあれ原発再稼働が現実主義なのだという誤ったメッセージを発信させる主体に仕立てることに成功したのである。
 他方の東京代表の石原氏は、もっとストレートに原発推進を主張している。
 この二人に共通するのは、「原発再稼働が現実主義的選択である。」というメッセージを発信していることである。
 かくしてファシスト特有の態度だが、人民の味方のふりを過激に演じて人民の支持を得、これを人民の敵対物へ賛同させていく態度を、ここ反原発でも演じている。
 かれらが決して人民の友ではないのにもかかわらず下層階級の人気を得るのは何故なのか。
 ナチスドイツ、フランコのスペイン、ムッソリーニのイタリア、天皇制日本など後発の帝国主義国家が、すでに英・仏によって分割されてしまった世界の再分割戦を文字通り帝国主義国家間の戦争形態によって遂げようとしたのが、第2次世界大戦である。
 この時戦争を遂行する主体を確保する必要から、命の価値を自らも軽く感じている窮乏化した下層階級を戦争に動員する必要があった。このため、下層階級が憎しみを感じている対象を、無力な下層階級に代わって激しく叩くパフォーマンスを行い、下層階級の味方のふりをして実は大資本家階級の市場再分割戦を熱狂的に支持する大衆的興奮を作りだす役割を担える政治的部分が必要とされた。これが、口先では資本家階級を激しく罵り、時には個別資本家の一人や二人を血祭りにあげることすらやってのけるファシズム政党の発生根拠だった。
 したがってファシズムは、「出遅れた産業革命を行った」「出遅れた資本主義国家」であるドイツ、日本、イタリア、スペインで発生したのだった。
 今、日本では労働者階級の上層と下層への分化が完了し、労働者上層部を派遣労働者で取って換える過程が急速に進んでいる。労働者上層部はサービス労働と過労死の危険と隣り合わせの危うい存在へと変化してきており、ますますやせ細った社会集団にすぎなくなってきている。
 こうした中で、窮乏化の度合いを深めている下層労働者は、賃金の面でも労働時間の長さの面でも、公務員の半分程度の生活水準に貶められている。賃金は半分以下、労働時間は倍以上、労働強度も倍近く。これがすでに労働総人口の6割を占めるまでに拡大した労働者下層の実態である。
 この6割の中には、「共稼ぎ家庭」が含まれているために、労働者階級の窮乏化は実感的には2割から3割に感じられているが、一たび離婚すれば母子家庭であれ父子家庭であれ、傍目にもはっきりと分かる窮乏世帯として登場する。
 この階級の憎しみの対象もまた、過去のファシズムと同様に、会ったこともない資本家階級や富裕層ではなく、日常的に摺れ合い、摩擦を起こしている少し上層の公務員や大企業の労働者などである。
 維新の会は一貫して公務員バッシングをして人気取りをしている。みんなの党や結いの党などは、行政のスリム化というそれ自体はまともな政策を遂行しようとしているようなのだが、支持している側は「無駄にたくさんの人員がいる公務員」「ちんたら遊び半分に仕事をしていて高給を食む公務員」を減らせという意識から支持している。
 日本共産党ですら「大企業優遇と戦う」と煽動することによって労働者上層部への憎しみを抱いている下層労働者の支持を得ようとしている。だが、日本共産党が「維新の会」や「みんなの党」よりはるかに少ない人気しか博せないのは、日本共産党の政策がプチブル(民主商工会に代表される小資本家)の利害を一貫して表現している小ブル政党の政策であり、その支持基盤は小資本家や労働者上層部であるからである。
 労働者上層部を支持基盤としているくせに、その労働者上層部に打撃を与える「大企業優先の政治と戦う」としているからである。勤務時間を過ぎたら1分たりともただ働きはせず、勤務時間内であっても労働者を搾取する資本家階級と戦い労働力商品の価値以上には働かないようにする(=出来るだけサボる)ことをモットーにしている官公労労働者が自らの支持基盤であることを忘れてしまっているのである。
 自らの支持基盤を攻撃しているにもかかわらず、小ブル層や「未組織労働者」を獲得しようとウィングを広げているつもりだからこそ、支持者はますます減っているのである。労働者下層を獲得することすらできず、維新の会やみんなの党に負けているのである。
 ファシスト政党が強力なように見えるのは、実は労働者政党が不在であるが故であり、労働者政党を自称する日本共産党が実は小ブル政党であるからである。

 都知事選に立候補するつもりで「維新の会」を辞めた東国原氏が立候補を断念せざるを得なくなったほどにファシズムは強くはない。石原維新の会は田母神を立候補させ、橋下維新の会は自主投票と、ファシストの間にも亀裂が走っており、綱領的立場がないことを浮き出させている。
 ファシストもまた脆弱なのである。

 この間隙をぬって、好戦派ブルジョアジー=鷹派の安倍派が跳梁跋扈している、これが現在の情勢の特徴である。


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