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中国式資本主義の未来(1)

斎藤 隆雄
384号(2013年12月)所収


 中華人民共和国の経済を資本主義とみなすようになってから久しい。赤色資本主義という名すらある。しかし共産党が統治する資本主義国家という相矛盾する政治と経済を従来の尺度から整合的に説明できないことで、あれこれと議論を繰り返してきた。つい最近も、橋爪大三郎の三人の仲間が売れ筋の対談集を出して、中国の分析をしている。(『おどろきの中国』講談社現代新書)
 釣魚島(尖閣島)を巡る領有権争いで日本中国関係がなんだかんだと騒がしい時に、タイムリーな書物ではある。果たして、中国とは何ものなのかと問われて、ある意味で世間受けする?解答を与えているのが本書である。とりあえずは紐解いてみよう。

1.中国は神政政治?

 橋爪が通俗的な疑問をぶつける。
 「『社会主義市場経済』の組み合わせが、そもそもおかしい。なぜ、『民主主義市場経済』にならないんだろう?世界中が民主主義市場経済なのに。」
 わざとらしい疑問だが、これがふつうの人の疑問だという。民主主義の規定にもよるが、国民経済レベルで民主主義市場経済が多数派だと思い込ませる詐術が、そこに潜んでいる。更に、大澤がそれに輪をかけたように言いつのる。
 「そのとおりです。社会学者だってそう思っているでしょう。」
 と。
 そこで橋爪が我が意を得たりとばかりに、「キリスト教文化圏だって、こうなった(民主主義市場経済になった)のはつい最近のこと」と釈明し、「そこで、中国は、神政政治の一種だと考えればいい。」と規定する訳である。
 「そもそも儒教国家なるものは、儒教を体現した行政官僚が国家をつくっていて、そこには複数政党という発想がない。」(p.326)
 資本主義経済と政治体制とは元々別個のものだということをここでは暗に示されている訳だが、しかし論者たちはこの中国の体制がいずれ行き詰まるという風に捉えている。では、行き詰まるのは政治なのか経済なのかといえば、政治だという。ということは、この論議の延長線上に浮かび上がるのは、儒教的共産主義官僚政治がいずれ崩壊するということになるのだろうが、その理由は彼ら社会学者たちには示すことができない。なぜなら、他方の経済がなぜ生き延びるのかということを論証できないからであり、むしろ市場経済がすべての前提にある論議だからである。
 この種の論議は現在、中国を巡る分析のなかで一つの流れとなっている。日本の現実政治のレベルではたかだか明治維新以降の歴史だけを論議の対象としていることに比べれば、儒教文化圏や漢字文化圏あるいは中華思想圏といった千年レベルの論議は中国を理解する上で有用ではあるが、そこから見えてくるのは文明論と言った議論であろう。そういった分析は、当初発せられた中国式資本主義というものへの疑義に何の回答も与えることにはなっていないのである。
 更に悪いことには、橋爪たちの「神政政治」規定が「文化大革命」の延長線上にあるというのであるから、その意図が透けて見えてくるということだ。
 大澤が言う。
 「文革が、いったん伝統を無化してしまい、更地のようなものを創ったおかげで、今日の、改革開放も可能になったのではないでしょうか。」(p.212)と。
 「改革開放こそ、文革の最終的な仕上げだったのだ」(p.304)と言い切ってしまう。
 ここに見られる発想は、近代化という単線的な発展史観を文革と改革開放にあてはめて一つの線でつなぐというおきまりの論議が浮かび上がってくる。その「近代化」こそが歴史の発展段階であり、その上に政治が乗っかっており、中国式資本主義は毛沢東を神とする「神政政治」と結合しているという、まか不思議な論議となるのである。
 しかし、結論は「おどろき」ではあるが、そこへ至る道筋はどこかで見たような歴史観でもある。結局のところ、資本主義は政治体制がどうであれ成り立つものであり、それは脅威の成長も実現できるということになり、民主政治は必要ではないという現実の世界中の国民経済の現実を承認するしかないということになっている。開発独裁のシンガポールも軍事独裁のエジプトも王政のサウジアラビアも資本主義だということ以上には何も語っていないことになる。

2.中国式資本主義経済の実像

では、中国で発展している経済の様式は何なのだろう。問題は政治ではなく、まずは経済にあると見るべきだ。1978年の改革開放路線開始から現在までの紆余曲折を経ながら発展してきた蓄積過程が何なのかを分析しなければ、目の前の現実を明らかにすることはできない。
多くの左派は、中国経済を新自由主義経済と規定しているが、その根拠をケ小平がフリードマンやキッシンジャーを招聘して学んだということ以外に何らかの根拠を示しているとは言えない。確かに、80年代以降の世界的な経済の金融化とグローバル化に歩調を合わせたように中国経済が発展してきたことは確かである。それは中国の資本主義化に大きな影響力を及ぼしたし、絶好のタイミングでさえあったが、他方で世界経済の新しい発展形態が立ち現れてきたと見ることもできる。しかし、現状の中国経済の内部でどの程度資本家階級が形成されているのか、という視点から見ると、意外と違った風景が見えてくる。
1980年代に市場経済を導入した中国は、初期の請負制から金融改革を先行させた。これがいわゆる新自由主義的であるという根拠にもなったわけであるが、この金融改革は計画経済からの脱出という意味では大きな意味があった。計画経済が既に破綻した政策であることを我々が知ることになるのはソ連邦崩壊以降であったことを考えてみれば、この中国の方向転換は当時「驚き」ではあった。国有企業の余剰を中央当局が計画分配するのではなく、課税という形で集約し、減価償却を企業の自由裁量にしたことは、企業会計規則を導入する先駆となった。この税制改革は金融改革なしには行えないし、貨幣経済への全面的な突入以外には行えないものである。
89年の天安門事件による一時的な足踏みの後、92年の「南巡講話」以降、第二期の改革が始まる。この89-92年の問題はソ連邦崩壊を挟む激動の時期であるが、これは本論では取り扱わないことにする。むしろ、この80年代の年率10パーセント以上の成長率が何故可能になったのか、を考えるべきだろう。いわゆるネップが始まったという理解は当時もあっただろうが、注目を浴びた郷鎮企業の発展はそのことを論証しているように思われる。そして更に、先に述べた税制改革はネップ以上に大胆な改革であったと考えられる。我々が注目しなければならないのは、計画経済が破綻しているという批判だけではなく、その批判の後に提起されるべき新たな経済システムが何であるのか、という最も緊急で実践的な課題に共産主義者は答えなければならなかったということである。とりわけ、中国共産党の指導者たちは猶予なしにこれに回答を与えなければならなかった。まさに、この80年代の改革がそれであって、単にこれを資本主義への回帰、新自由主義への屈服という観点から捉えるのはある種の先進国ジャーナリストの宣伝的な視点でしかない。
しかし、だからといってこの改革政策が計画経済に代わる真の過渡期の経済政策であるという断言は控えなければならない。過渡期経済がどのような経済であるべきか、という視点なしにはどんな批判も有効ではない。そこで我々がこの時期の中国共産党の政策の基本が社会主義経済の何を原則として行われたかを検証する必要があるだろう。
中国共産党がこの時期の政策を、そして今現在も掲げている呼称は「社会主義市場経済」である。市場経済を資本主義経済とは別個のものとして規定し、市場機能を再分配の役割として導入したということは、先に言ったネップと同じ構想である。経済の基幹部分と土地を政府(国家)が所有するという原則を維持しながら、貨幣を用いた市場機能をフルに活用して経済を活性化させるという発想は、これまでも東欧を中心とした改革路線に見られたものでもある。また、ネップ期において論争の対象となったクスターリ工業の評価もまた、郷鎮企業と同型と見える。
80年代は、90年代の第二期と比べて未だ公定価格制度が維持されていたし、国有企業改革は穏便なものであったが、ネップと基本的に異なるものは金融改革であった。このことが第二期への「展開」の重要な柱となるものであった。資本財の中央統制を市場に委ねることは、決定的にネップと異なるのである。それは90年代の「株式会社法」への飛躍となって現れる。ここからは、初期ロシア革命期論争とは全く異質な問題が発生することになるのである。

3.会社法(公司法)の意味

1997年第15回共産党大会で、国有企業への株式制度導入と企業改革を決定している。ここに明らかに資本の所有と経営との分離という視点が見られる。基幹産業法人の株式のほとんどを国家が所有し、流通することはないので、所有権はあくまで国家が握っていると言える。また、管理部門の役員たちはその大半を党員が占めているということも国家統制を手放していないという言い訳にもなっているだろう。しかし、問題はそこに見られる所有権という原則が果たして過渡期の経済政策にとってどのような意味を持っているか、ということである。
確かに、資本主義経済において所有権は決定的意味を持っている。アダム・スミスは企業の所有権を握る者が資本家であるという原則にあくまで忠実であった。彼は、有限責任の株式会社を本来的な企業とは認めず、あくまで特殊なものに限られるべきだと考えていた。なぜなら、株式の出資をもって所有権を分割し、有限の責任を認めれば企業経営は無責任となり、委任された経営者も自らの所有ではない企業の運営は官僚的なものになると、考えていた。企業はあくまで無限責任を負う資本家の下でのみ経営されるべきであるというのがスミスの理念であった。これはロック以来の所有思想の基本でもあった。
このような古典的な資本家像をもって今日の資本主義経済を見るなら、その本来の資本家は非常に限られたものとなり、階級として見ることさえできないだろう。既に、このスミスの言う古典的資本家は19世紀の半ば以降、急速にその姿を変えていく。比較的遅くまで古典的資本家が残存したのは英国であるが、1850年代に法的な有限責任制度が認められ、19世紀後半になればもはや巨大な資本を必要とする鉄鋼業や鉄道業などは、無限責任の形態(古典的資本形態)では成立することができなくなった。
マルクスもそのことを新しい資本主義の傾向として論評し、『資本論』第三巻に書き込んでいる。
「株式会社の形成。これによって、(1)個別的諸資本にとっては不可能であった生産および企業の規模の、膨大な拡張。同時に、従来は政府企業であったような企業が会社企業となる。
(2)即自的に社会的生産様式に立脚して生産手段および労働力の社会的集積を前提とする資本が、この場合には直接に、私的資本に対立する社会=会社資本(直接に結合した諸個人の資本)の形態をとるのであって、こうした資本の企業は、私的企業に対立する社会=会社企業として登場する。これは、資本制生産様式そのものの限界内での、私的所有としての資本の止揚である。
(3)現実に機能する資本家が他人の資本のたんなる支配人・管理人に転化し、資本所有者が単なる所有者、たんなる貨幣資本家に転化する。」(『資本論』第三部第四篇第27章長谷部訳)
この記述は、1860年代に書かれたことから考えて、当時英国での最新の経済現象をすばやく捉えてマルクスはこれを「私的所有としての資本の止揚」としていることは驚くべきことである。彼はこれを生産協同組合への過渡として社会主義社会像を見通していたのだというとらえ方もあながち間違っているとは言えない。
しかし、我々はこの記述から150年後の世界にいる。この所有と経営の分離という現象は、その後20世紀初頭には資本主義経済様式の決定的な現象となり、今や管理人たちも労働者だというような倒錯した見解まで現れてきた。ここから考え得ることは、中国式資本主義(社会主義市場経済)の、所有の国家管理と資本の市場的運営という組み合わせが、150年前の枠組みとしては有効ではあるが、現代資本主義的枠組みからは異様であると言わざるをえなくなる。問題なのは、所有形態にあるのではなく、経営にあるということをマルクスが指摘したということが、協同組合への期待となって現れたのであるから、単に株式の所有を私的所有から公的所有に転化するだけで社会主義社会が生まれるというのであれば、政治革命のみが課題とならざるを得ないはずである。
90年代の中国における経済法改革は、近代化路線の下での資本の集積を意図したものであること、巨大な資本集積なくして現代資本主義世界の中での階級闘争は成立しないという現実があることを認めた上で、更には「プロ独国家」としての中国という前提での選択肢として、それは成立しうるであろうか。このことへの解答は、新しい世紀に突入した現代中国の選択として重くのしかかってきている。
次回はその後の中国共産党の路線転換を見る中で、現代中国の姿を検討していきたい。

補足:本原稿はルネサンス研究所における研究活動に多くを負っている。


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