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社会主義運動の現状と課題3 −中国−

渋谷 一三
383号(2013年11月)所収


<はじめに>

 第2の天安門事件が起きた。
 ウイグル族の一家3人が、車を天安門広場の壁に激突させ炎上、焼身自殺した。
 中国当局は、これをテロと決め、ウイグル族の独立運動を弾圧する口実にしようと躍起になっている。

1.国共内戦時の少数民族との約束を破った中国共産党

 おそらくありもしなかった、航空機爆破予告まででっち上げて、『テロの脅威』を演出している。それが、でっち上げだというのは、予告電話が4件あり、緊急着陸させた1機に爆発物がなく、他の3件は同一犯からの電話だからとして、残る3機を緊急着陸さえさせなかったからである。なんとも、邪魔くさがりの、影響を最小限にとどめようとする意図が見え透いたでっち上げである。尤も、一日に本当に4件もの航空機爆破予告があったとすると、それほど反中国共産党のすそ野が広いことになってしまい、これまたマズイ。苦肉の策が、同一犯による「4」件の爆破予告というでっち上げにすることにしたのだろう。
 どうでもいいことに「知恵」を絞っている。
 仮にテロであったとしても、大いに結構。自爆テロを行うまでに強固な武装組織がウイグル族の間に組織されている証左で、一家による抗議の焼身自殺よりも力強い。テロなどというレッテルを貼っている側の主観でしかない概念など何の正当性もない。
 チベット族ばかりでなく、ウイグル族に対しても民族抑圧を強めている中国共産党はもはや共産主義ではないことを示す象徴的な事件である。毛沢東時代の中国共産党はレーニンの原則を忠実に踏襲し、抑圧民族たる漢民族は被抑圧民族の最大の自決権を尊重し、かれ等が望めば分離独立する自由を無条件に承認し、被抑圧民族自身の選択として大国家に入ることが得策であると選択して連邦に「加入」しているのだという原則を採用した。
 だが、孫文革命の正当な後継者という政治的位置を獲得しようとするあまりに、国名を「中華」にしたこと、共和国連邦ではなく、人民共和国にしたこと、これらのことの内にすでに他民族への抑圧が孕まれてしまっていた。
 今日の中国共産党は、国内少数民族への抑圧者であり支配者である。そればかりか、他民族への支配者たらんとし、ソ連邦と珍宝島で戦い、インドと戦い、米帝をようやっと放逐した疲弊しきったベトナムに軍事侵攻した政党である。
 社会主義の理念を支えた一つの大きな柱であった「戦争を廃絶しうる政治形態」という理念は跡形もない。この点からも、中国共産党は最早社会主義運動とは全く無縁の存在になっている。
 社会主義運動が、ソ連邦に続き中国でも反社会主義的抑圧物を生み出す結果になっている。このことが、社会主義運動の崩壊ともいえる今日の低迷を生み出している。

2.「人民解放」軍のタガが緩み中国共産党は崩壊に突き進む。

 人民解放軍の献身性を支えていたのは社会主義の理想・理念だった。これが、崩壊してしまった今日、人民解放軍を貫く規律を維持するイデオロギーは無くなった。
 このことは中国社会全般にも言えることで、商品生産の繚乱とともに拝金思想が蔓延したと嘆き、キリスト教や官制儒教団体などが数億人規模の信者を獲得するまでに至っている。
 拝金主義の社会現象は特別なことではない。資本主義が生み出すイデオロギーであり、こればかりではなく個人主義を必ず生み出す。全てが商品の価値=交換価値という尺度で量られ、労働力商品所有者という貧しい形態も含め商品所有者としての自己意識の開花として個人主義が蔓延する。このことは、マルクスが資本論で明らかにしてきたことで新しい発見ではない。大切なのは個人主義も必ず人々の意識を支配するという点であり、この点が、「拝金主義」批判では欠落する点である。
 個人主義の蔓延ゆえに、賄賂や汚職が絶えるはずがない。そればかりか、共産党員であることが資本家になることの特権であったし、共産党幹部は軒並み高額蓄財者である。体制を支える理念が無くなった以上、個人しか拠り所がなく、蓄財に走るのは論理的必然である。
 この点にのみ自覚的であり、だから拝金主義を嘆き、道徳の力で社会秩序を回復しようとする反動が、キリスト教や儒教が蔓延しだした根拠であるが、中国キリスト教が1億人以上の信者を獲得した本当の原因は、切り捨てられた社会的敗残者を互助的に救済する機能を唯一果たしているからである。
 キリスト教に比して儒教は、拝金主義批判を旧来の道徳の復旧によって実現しようとするもので、だからこそ体制たる中国共産党が主導できるのである。『宗教を廃絶できるはずの共産主義』というフォイエルバッハのテーゼに基づく原則をここでもまた中国「共産党」は投げ捨てている。
 だが、所詮拝金主義批判のみの浅薄なものである以上、中国資本主義が生み出した悲惨を救済する力はなく、互助機能を主たる機能としているキリスト教にかなうはずもなく、中国社会がキリスト教に席巻されることによって、ますます個人主義という資本主義思想が蔓延していくことになる。
 個人主義が蔓延した軍隊で規律を維持できるイデオロギーは、個人のイデオロギーすなわち民主主義イデオロギーでしかなく、これを弾圧して軍隊の規律を維持することはできない。
 個々人が王様であり絶対的権能を保持しているという幻想が国民主権の概念の前提であり、絶対者としての商品所有者の意識に照応している。この体系こそが思想上の個人主義思想であり、民主主義思想である。
 中国資本主義の勃興とともに台頭してきた民主主義思想を弾圧したのが天安門事件であった。
 民主主義思想を弾圧したまま軍事力を背景に「共産党幹部子孫」支配体制を維持しよとする目論見は必ず破産するしかない。背景であり、力の源泉たる「人民解放軍」の規律が維持できず、軍内部の汚職・賄賂に始まり、不正を糺そうとする「正義」の運動すら起きる。この正反対に見える両者を貫くのが、個人の意識が全てに優越する個人主義の意識であり、不正を不正と認識する個人の認識・意識・価値尺度という個人的なものが、個人的なものではなく普遍的なものと意識させる個人主義イデオロギーである。
 賄賂という習慣も一つの社会システムに過ぎないのだが、これを悪と価値認識させる価値観を疑いもせずに正しいとする意識こそが個人主義である。それは、資本主義の商取引の前提である交換における平等性に照応する価値観である。文字通り、価値の平等性を反映する『価値』観なのである。
 中国共産党は、人民解放軍の規律がゆるみ、共産党への忠誠意識が薄らぎ、個々人の意識レベルでの党への反乱の積み重ねによってやがて崩壊する。それはそう遠くない将来、10年単位での将来の必然である。


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