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信用資本主義の収奪構造-安倍黒田政策の帰結

斎藤 隆雄
380号(2013年7月)所収


「帝国」と呼ばれる統治形態が世界に覆い被さっている、と言われている。グローバル資本主義という蓄積形態が世界にあまねく広がっている、と言われている。アベノミックスの喧噪で株式市場に手を出した人々は、もしかしたらこれを実感しているかもしれないが、株価の乱高下だけがその現れではない。そもそも、信用資本主義経済の基本的な蓄積形態と収奪の構造は如何なるものなのか、この間の経済現象から垣間見てみよう。

1.負債が世界を支配している

昨年翻訳されたM.ラッツアラートの『〈借金人間〉製造工場』は、信用資本主義の収奪構造を見事に描いている。彼は言う。
「〈負債経済〉は、まず第一に、国家の主要な特権である貨幣を左右する主権と張り合ってこれを無力化し、貨幣の破壊と創造の力をもとに国家の主権権力を再構成する。」(p.126)
我々は負債と聞けば、単に債権債務関係の借り方としてしか理解しない。労働者にとっては重くのしかかる住宅ローン、零細自営業者にとっては運転資金に借りた債務を思い浮かべるだろう。しかし、この借りるという経済行為が何を生み出しているのか、誰が誰から借りて、その資金はどこから何処へいくのかを精査しなければならない。信用資本主義はこの債権債務の巧妙な仕組みをもって、見事な収奪構造を創り上げている。
「金融界は、銀行貨幣の持つ機能の大半を専有し、中央銀行の政策は金融界による貨幣の流通要求に強く条件づけられるところとなる。書式通貨、つまり単に記入によって表現される通貨が、負債をもとにして民間銀行から発行されるようになる。こうして負債は、内在的な貨幣としての性質を持ったものとなり、したがって『負債通貨』とか『信用通貨』と呼ばれるようになる。それはいかなる物質的な計量単位とも結びついていなくて、負債との関係以外にいかなる実体とも無縁の存在である。かくして、書式通貨とともに負債が生産されるだけでなく、通貨そのものが『負債』であり、債権者と債務者の間の力関係以外のなにものでもないという状況が生まれる。ユーロ圏においては、この私的な負債=通貨が、金融総量のなかにおける流通通貨全体に占める割合が、92.1%にのぼるところとなる。」(p.127)
我々が貨幣とよぶもの、あるいは通貨とよぶものはいったいどのように生まれるのか。この素朴で根源的な疑問を多くの人々は問おうとしないし、たとえそれが脳裏に浮かんだとしても次の瞬間にはやりすごしてしまう。しかし、この根源的な問いこそが我々を苦しめている信用資本主義の根源的な起源を明らかにする最初の問いなのだ。今回、私は貨幣商品金が生まれる機縁については触れない。それはマルクスの『資本論』を読んでいただくこととして、いわゆる銀行が創造する通貨、すなわち不換紙幣あるいは管理通貨について、まず最初に明らかにしておきたい。でなければ、ラッツアラート氏の言う『負債通貨』の意味が分からないからである。
今日流通している通貨のほとんどは民間銀行が創造していると言うと、多くの人は驚くかもしれない。しかし、この単純な事実は決定的である。1937年にイングランド銀行の理事であったスタンプ氏がこの事実を「今まで発明された奇術の内で最も仰天すべきものである」と言ったそうであるが* 1、 もちろん、これは奇術ではない。
周知のように、銀行には企業や個人が預けた貨幣が金庫に収まっている訳ではない。銀行は単なる金庫業者ではない。もしそうであれば、我々は銀行に預かり手数料を払わねばならないだろう。そうではなくて、銀行はその預金を第三者に貸すことで利子を稼いでいる。ここに債権が生まれている。だが、我々は銀行に預けた時、預かり証を受け取っている。いわゆる通帳である。これはいつでも払い出せるものであるし、今日ではコンビニでも手続きができるぐらい容易であるが、銀行は預金しているすべての人が一斉に払い出すことはしないことを知っている。銀行にはだから常に膨大な貨幣が眠っていることになる。この貨幣を利用しない手はないのである。銀行は一定に準備金(払い出しのための準備)を残して、後はすべて第三者に貸しているのである。この時、貸し出した貨幣は例えば企業Aの支払いのために貸し出すとして、そのAの取引銀行に振り込まれる訳である。取引銀行はその貸し出された貨幣を預金としてAの口座に記帳する。既にこの時点で、同一の貨幣が二重に記帳されたことになることを理解していただきたい。* 2
このような操作は、遅くとも18世紀には行われていた。金本位制の下で兌換紙幣が発行されていた時代であっても、銀行には発行された紙幣に見合った金を準備していたわけではない。中央銀行が紙幣の発行を担うようになっても、仕組みは基本的には同じである。民間銀行は中央銀行に債権や手形を中央銀行に預け、紙幣を発行させることができる。
ラッツアラートが「通貨は負債だ」と言うのは、元来通貨はそのようにして創造されてきたからである。債権債務の関係がなければ通貨は生まれようがないのである。更に言うなら、この関係の中から利子が生まれ、その利子をもって通貨は管理されてきたといってもいいだろう。資本主義の勃興期には民間銀行は独自に貨幣を発行していたし、金融業が未発達な地域においてはある種の商品が貨幣の役割を果たしていた時代もある。中央銀行が発展して、貨幣発行権が国家の承認を受けて独占化されても、市場に流通する貨幣は民間銀行の債権債務を基準として発行されてきたのである。産業資本主義の時代には企業間の流通は多くが手形を用いていたが、決済期には貨幣が要求されたし、また可変資本たる労働者への支払いは貨幣が用いられた。小商品生産者や小売業への流通には小額紙幣が多く用いられたが、それらはこの金融機能が重要な役割を果たしていた。中央銀行はこれらの流通量を民間銀行が持ち込む債権買い取りへの利子をもって調整していたのである。これがいわゆる公定歩合である。確かに金本位制の時代にあっては、中央銀行の保有する金地金の量によって流通する貨幣量が左右されたが、これは外国貿易すなわち国際収支による決済に関わる地金量の変化が大きく影響した。産業資本主義の時代にあっては、だから産業政策の大きな領域を貿易関係が占めていた。
しかし、1972年のドルの金との切り離し(ニクソンショック)と外国為替の変動相場制への移行以来、現代の貨幣は何の物質的な根拠も持たなくなった。我々がこれを信用資本主義と呼ぶのは、このためである。まさに貨幣の主権が金と切り離されて完全に銀行のものとなった訳である。だが、この信用貨幣があたかも架空の想像上のものだと言って事をすます訳にはいかない。あるいは、国家が恣意的に発行していて、貨幣発行権が経済権力の根源だというわけでもない。実のところ、我々が生活の中で貨幣を使用するのはほんのわずかな領域でしかない(紙幣発行額はその経済規模に比して、年々減少している)。給与支払いが銀行振り込みになり、買い物を電子マネー(カード)で済ませ、更に借金までがカードで容易に行える時代である。これらの小額紙幣や硬貨からの解放という金融機能の発展は単に買い物を便利にするためになされてきた訳ではないのである。これらのデジタル化された支払い機能を銀行が行い決済するには、その内部で債権債務の関係が膨大な量となって蓄積される必要がある、ということが重要だったのである。債権債務の連鎖こそが貨幣を生み出す根拠であり、その貨幣を自由に操る金融資本こそが人々を負債の呪縛へ閉じ込め、膨大な貨幣をマネーゲームで稼ぐための道具立てなのである。
70年代から始まるこの金融資本の収奪構造は、しかし一挙に生まれたわけではない。ハーヴェイが分析したように、この40年間の金融資本の歴史は新自由主義の発展の歴史として、ある時は意図的に、ある時は意図せざる結果として発展してきたのである。
「要するにネオリベラリズムとは、あらゆるものが金融化され、資本蓄積の権力の中心が所有者とその金融機関に移り、資本のその他の部門が衰退することだ。だからこそ、金融機関を支援し、金融システムの統合性を保つことが、ネオリベラルな国家の集合体(G7のような)の中心的な関心となって、グローバルな政治を支配するようになってきたのである。」* 3
ハーヴェイは新自由主義を非常に広い範囲で捉えているが、彼の言う特徴の半分は信用資本主義の発展と同義である。1970年代を転換点として資本の蓄積構造と収奪構造が根本的に変化したことに最初に気づいたのは、共産主義者でも経済学者でもなかった。これまでも指摘してきたが、一連の社会学者であった。しかし、彼らはこの変化を資本の蓄積構造としては認識できなかったし、ましてやハーヴェイのように正しく階級闘争としては認識できなかった。
では、この信用資本主義の収奪構造を現在の日本の金融政治経済政策と照らし合わせて見てみよう。

2.多重収奪構造としての信用資本主義の帰結

政府機関は膨大な統計や調査資料を公表しているが、これをもって現在の日本の信用資本主義の構造を明らかにすることはできない。官僚機構は自らの利害をよく認識しているが故に、彼らは自らの姿を公開することはない。我々はここから真の姿を探り出さなければならない。
日銀の資金循環統計は表向きの貨幣の流れを表しているが、そこから何が見えるだろうか。まず、日本の膨大な国債残高がデフォルトを招かない根拠となっている、家計部門における金融資産の額から見てみよう。国債の残高が1000兆円を超えようとしている時、家計は1571兆円の金融資産を抱えている。また、企業部門の現金預金は225兆円にのぼっている。では、この家計部門の中身はどうなっているのだろうか。総務省の貯蓄負債統計を見ると、どの階層も貯蓄が負債を上回っている。これは本当だろうか。統計を検索(世帯形態と世代形態)していくと、単身者世帯の統計が実態をいくらか明らかにしてくれている。家計部門における負債総額は250兆円で、その内の単身者世帯は平均531万円の負債を抱え、とりわけ30歳代の世帯は二人以上の世帯でも250万円の純負債であった。これらの数字は何を意味しているのだろうか。
バブル崩壊以降の日本の勤労者所得は実質でじりじりと低下しており、このことが30歳代の労働者に負債が集中している根拠であり、彼らは今後年代が上がってもこの負債を解消することがかなり難しい* 4 。負債の多くは住宅ローンであろうが、その貸し手は銀行を経由した1500兆円の金融資産を持っている家計部門であるが、問題はその中身である。家計部門という形で一緒くたにされているが、その多くが年収1000万円以上の高額所得労働者(労働者と言えるかどうか)の貯蓄であり、彼らがまさに貸し手そのものであることは明らかである。年収1500万円以上の世帯の純貯蓄(金融資産)は3800万円を越えており、特に高齢者世帯(800万世帯)の40%が純資産2000万円を越えている。
逆の方向から眺めてみよう。勤労者6200万人のうち、およそ30?40%の富裕層もしくは大企業正社員が日本の家計部門の金融資産の多くを供給している。そして、下層の30%を占める若年非正規労働者もしくは小経営の若年正規労働者は、その多くが多額の負債を抱えていることが想像される。
負債による収奪は、もちろん生産現場における企業の収奪と重なる。先に挙げた企業の蓄積が200兆円を越えていることを考え合わせると、労働者階級は生産現場においても消費現場においても収奪されていることは明らかだ。更に、金融資本は労働者にクレジットカードを与えることによって、負債を抱えた彼らのわずかばかりの余裕資金を管理し、運用し、利益を上げている。ほとんどゼロに近い金利の下で手数料をかすめ取ろうとする。
銀行はしかしどこで資金を運用しているのだろうか。大企業は資産が800兆円を越えており、銀行からの借り入れは年々減少している。これも周知のことだが、金融機関の運用先は今や企業への貸付ではなく、国債なのである。そしてこの国債は今や日本銀行の買い取りが「異次元」で進行している。つまり、富裕層もしくは労働者上層の階級が、そしていくらかは中間層たる年収400万から1000万までの階級が上昇したり没落したりしながらも、国債のわずかばかりの金利を得ているが、その国債が銀行を経て日銀に買い取られ、貨幣となって市中に流通することになる。それらの貨幣は更に様々な金融派生商品となって世界中でミニバブルを作り出すことになる。金融資本だけでなく、グローバルに展開する多国籍企業もまたシャドーバンク* 5 を通じて金融市場に参入しており、収奪は多層で多重な構造を呈している。
日銀に回収された国債はそのリスクを政府が負うことになるので、これは最終的には税で清算されることになる予定なのだ。勤労者階級の下層たる2000万もの労働者とその家族は生産過程での収奪と賃金支払いの過程での収奪、消費場面での収奪、更に政府による税での収奪という明らかに目に見える形での多重収奪が日常的に日々行われているのである。そしてそればかりではない。彼らが支払わされている社会福祉施策のための医療・年金・保険という収奪がそれに覆い被さっている。なぜなら、年金等の集められた巨額の貨幣もまた、金融市場で運用されており、金融資本のおいしい運用のプールなのである。
資本家たち、政府の高級官僚、政治家たちは言うだろう。それらの貨幣は労働者のためのファンドなのだ、と。しかし、では何故彼らは貨幣を「異次元」に流通させる必要があるのか?もちろん、それは賃金のためではない。インフレを起こすためなのだ。バブルを作るためなのだ。消費物価を上昇させ、企業に価格転嫁を勧め、多国籍企業に更なる海外展開のための資金を供給し、この間のデフレで実質的な低下を食い止めていた国内的収奪を一挙に進めるためなのである。
では、人は言うだろう。そんなことになったら、労働者階級は黙っていないだろう、と。ところがそれはそうではない。収奪されるのは労働者の三分の一である。中間層の三分の一は動揺するだろうが、彼らは容易に下層労働者と連帯はしないだろう。なぜなら、中間層を占める様々な社会組織はこれまでの新自由主義政策で壊滅させたのだから。彼らが自らの利害を代表する組織を持っていないことを資本家はしっかりと見抜いている。彼らは徐々に没落していくだろうが、むしろそれはファシズムの温床となる可能性さえある。ここ数年の大阪での地方政治の動きを見ても、それは明らかだろう。
橋下現象研究会がつい最近出版した書物の中で、村澤真保呂さんがその日常的根拠を見事に描いて見せている。
「新自由主義路線が単に外圧によるものではなく、市民の側からの後押しによる側面があることは明らかです。…職場と家庭の往復だけで人間関係が完結してしまうサラリーマンは、(とりわけ仕事量が増えれば増えるほど)話題や関心も広がりにくく、平日は朝早く出勤して夜遅く自宅に帰り、休日は自宅でテレビを眺めるか、繁華街や遊園地などの商業地域で消費するか、あるいは自分と同じサラリーマンの友人と遊ぶか、といった生活になりがちです。生活が勤務先、店、自宅で完結してしまうのですから、そこにはサラリーマン以外の人々や地域コミュニティとの接点もなければ、政治との接点もほとんどありません。
そのような人々がコミュニティから切り離され、消費社会のバラバラの個人になってしまった状況は、かつて新自由主義の先導者だったサッチャー元英国首相の『社会は存在しない、存在するのは国家と男性か女性の個人とその家族だけだ』という有名な言葉でそのまま言い表せます。」 * 6
まさにファッショ的状況の豊かな温床がそこにある。この状況は、今後安倍黒田路線の貫徹の中でますます激化する可能性があるだろう。

3.突破口はどこにあるのか

80年代、我々は新しい政治運動の兆しを群生する非政府組織や非利益組織に託したことがあった。また、新自由主義政策の元で抑圧されてきた世界の民衆の新しい抵抗運動にもその希望を見出した。しかし、これらの運動はハーヴェイが言うように個別の人権運動や個人の抵抗運動に狭められ、限定され、むしろ支配的思想に取り込まれてきたという負の側面が顕著になってきている。
リーマンショック以降の世界の抵抗運動は、拡大する格差と失業率の上昇に対して、座り込みと占拠闘争という形態で再度の高揚を示したが、決定的な政治方針を示せずに各地で不均等に今も継続している。これらの抵抗運動に次の社会のヴィジョンを示す必要が痛感されているものの、人々はまだ希望を持って家路につくことができていない。どこに希望があり、どこに突破口があるのかを探し求めて人々が街頭に繰り出しているが、まだ誰もそれを明示できていないのである。
だが、既に示したように現在の危機の根拠が明らかになってきている以上、それに代わる仕組みを明示できないはずはない。我々を苦しめている金融資本と世界を巡る架空資本の蓄積に終止符を打つために何ができるかを問わなければならないのは明らかである。ただ、それが困難であるのはそれを実現するための直接的な政治的な回路が閉ざされているからであり、目に見える形での変革になりにくいからである。人々を呪縛している負債の倫理が、「主観的な主体性」となって自己道徳化されており、変革の回路が道徳化されているからである。
日本よりも生産性が高いギリシャの労働者たちに我々は「怠け者」のレッテルを貼って、彼らの窮状と危機を理解し連帯する回路を失っているのは、単にマスコミの宣伝戦ばかりではなく、我々自身が労働の現実を、その負債による徹底的な収奪構造を、更なる労働をもって応えようとしているからである。我々の日々の労働が金融資本と多国籍企業のマネーゲームとM&A(国外企業買収)の元金になることを断ち切るためには、自らの労働を我がものに奪い返す回路を作り出さなければならない。そしてその武器が明らかに収奪者の資金源を断つことになると明示しなければならない。それはおそらくシステム全体を変革する前の前哨戦になるはずである。資本に労働者の未来を管理させないためには、来たるべき政治革命を担保する力が必要なのである。
これまで我々がこの負債経済に対し示した対抗政策は、金融取引税や地域通貨、ベーシックインカムや生産協同組合などであった。これらの対抗システムは狭い範囲でしか機能しなかったし、国家によって阻止されてきた。また、資本の側の情報宣伝戦においても決定的な資金力と法的規制において負けてきた。これらの教訓は今こそ生かさなければならない。
私はこの間の非政府組織や非営利組織が掲げているテーマがあまりにも政治的民主主義と主観的道徳性に支配され、労働者階級の組織すべき社会の展望を欠いていたと考える。新しい共産主義のテーマはこれらの組織が一つの頭脳となって結びつける活動が求められている。人々の解放を求める希求を現実的に結びつけ、その活動を労働者の一般知性として機能するような仕組みがその第一歩を刻むだろうと期待している。

脚注

* 1 リチャード・ダウスウェイト『貨幣の生態学』1999年 p.30
* 2 この仕組みについての詳しい解説は、浜田康行『金融の原理』北大図書刊行会1999年を参照してほしい。
* 3 D.ハーヴェイ『ネオリベラリズムとは何か』2005年p.28
* 4 30歳代の持ち家比率が近年急激に低下している。持ち家を諦めざるを得ない世帯が増加しているとみられる。
* 5 金融安定理事会(FSB)の報告によると、2011年度末時点で67兆ドルの資産を持っている。これは今話題になっている中国のそれではなく、MMF以外の投資信託やETFが中心で英国やオランダの金融機関が関係しているとみられている。みずほ総合研究所のリサーチによると、これらの資産は疑似貨幣と見なされている。
* 6 橋下現象研究会編著『これでおしまい「橋下劇場」』2013年インパクト出版p.32-33


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