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世界の通貨の不安定

渋谷 一三
360号(2011年9月)所収


<はじめに>

 ドル安が止まらない。ユーロ安もとまらない。その結果、相対的円高が止まらない。
 このため、輸出が基本の企業が生産拠点を海外に移す動きが加速されている。東北大震災で優秀な部品供給源たる中企業を失ってダメージを食らっていた自動車産業にこの傾向は一段と顕著である。「産業空洞化」はすでに大規模に進行していることだが、派遣社員という労働者下層階層が膨らんでいく過程が一層進行することとなる。
 イギリスでは暴動が止まらない。ロンドンからバーミンガム、マンチェスターへと拡大している。暴動・略奪・放火の「参加者」は若い労働者下層や失業者たちである。これらの人々は、リーマン・ショック後のキャメロン政権の緊縮財政政策により失業したり失業者対策を削減されたりした直接の「被害者」階層である。24歳以下の失業率は20%近くになる。
 米国ではドル安が止まらない。リーマン・ショック後の「積極財政」によってすでに限界状態だった国家財政が破綻の危機に陥っているからだ。
 緊縮財政政策を採った国家も、大規模財政出動政策をとった国家も、リーマン・ショックへの対策をとれなかったことになり、リーマン・ショックという金融バブル「政策」の破綻から脱出する回路を見出せていないことを示した。
 EUは、ギリシャ国家財政問題という表面的体裁をとりながら、やはりリーマン・ショックからの回復ができずに通貨安に悩まされ、ドルに替わって基軸通貨になることができずにいる。
 
 資本主義が、金融バブルへと政策的に舵を切った国家を中心に行き詰まった。金融バブルによって金融支配をし続け中国などの「産業資本主義」に対抗しようとする戦略が無効だったことを示している。その結果、金融資本主義的支配をしようとすることも出来なかった「中間形態」の日本の円が、相対的に高くなってしまっている。実態のない円高という意味で、バブル円高とでも表現しておくべき現象が生じている。過去の円高とは性質が違うことに注意を払っておきたい。

1. 架空資本が支配的になった資本主義特有の現象

 ニューヨークのダウ式平均株価は一日で500ドル前後の乱高下を繰り返している。
 これは、架空資本特有の現象で、これをもってして、「ギャンブル資本主義」と嘆いたり、「カジノ資本主義」と嘆いたり、「マネー・マネイジメント資本主義」(ハイマン・ミンスキー)「投資家資本主義」(マイケル・ユシーム)と嘆いたりしている。こう言われだしたのは1990年ごろから。言い換えれば、あのバブルが米国で始まったころからである。
 米国はその後ITバブル、住宅バブルとバブルを作り出し続けるという「懲りない」手法で延命を図ってきた。それはそれで、それぞれのバブル崩壊時に大騒ぎをしながら、それなりの効果をもたらして米国式資本主義の延命を可能にしてきた。いわく、グローバライゼイション。
 米国式資本主義を世界標準として押し付けることをグローバリズムと称して推進することに成功した。この経済的根拠が相次ぐバブル創出による見せかけの回復であり、この成功の政治的根拠がケインズ主義により「守られすぎて」硬直化した労使関係、とりわけ労働者上層部となっていく本工層の高賃金を叩き、労働者下層を形成することに成功した『新自由主義』であった。
 こうした現象の変化の根拠にあるのが、支配的資本の性質の変化にある。
 産業資本主義段階から銀行資本が必要とされ形成され、信用の拡大が銀行資本によって成功裡になされた。これが次の金融資本による産業支配を生み、政治経済体制としての帝国主義=植民地を生み出したのが20世紀半ばまでの資本主義だった。この後、階級闘争の結果植民地が廃絶されることを通じて資本主義の変化が強制され、新植民地主義=多国籍企業による世界経済支配の時代へと変化していった。
 この歴史が今も続いているわけではない。この政治経済体制を維持できなくなったのが先に現象叙述として挙げた「カジノ資本主義」現象である。
 株式投資を例にとろう。1980年代は銀行からの金融支配を嫌って、大きくなった企業は株式市場で直接に資金調達をするようになった。
 このことを可能にした根拠は、企業自身に意識されていない場合も多いが、企業が多国籍化したことにある。一国の特有の習慣や、ある一国の利害に貫かれた銀行資本の利害と多国籍化した企業の利害が対立・衝突することが頻発し、これが銀行資本による企業支配を嫌う根拠となったのである。銀行資本が企業グループを持つ形態(財閥はその最たるものだった)から、銀行を必要とせず、銀行から独立した企業体への変化が20世紀末に完成した変化だった。
 株式は現実資本であり、資本市場から産業資本として出ていく生き生きとした資本形態だった。だが、一旦企業に入った資本は新規に株式を発行しない限り、配当という利子を受け取る権利を売買するだけの架空資本(利子産み資本とも言う)に「成り下がる」。今日株式市場で売買されている株の99%以上は架空資本の売買である。すなわち、過去に産業に投下された資本から上がる利益を配当という形式で受け取る権利を売買しているのであって、株式売買に使われた金が現実の産業に資本として投下されるわけではないのである。架空資本が、利子産み資本と呼ばれたり、死んだ資本と呼ばれたり、過去の労働が現実の労働を支配していると言われたりするゆえんである。
 だからこそ、投機性が高まる。極端な話、その企業が倒産するとなると、その企業の株は紙切れとなる。あわてて、倒産するとは思っていない人に売ることとなる。株券は「ばば抜き」のばばと化す。円高で倒産する企業。倒産はまぬがれるものの、赤字決算が続き、利子を得ることができない株。このように色々な「運命」が待っている。政治情勢や経済情勢を「反映」して、ばば抜きゲームを続けているのが株式市場の基本的性格となる。
 多国籍化が完了した企業は、各国の株式市場で直接に資金調達をする。同じAという企業が、「あ」国でも「い」国でも株式を発行する。
決算が連結されていれば、「あ」国でA企業の株を買った方が有利か「い」国で購入した方が有利かという問題が発生する。この質的に異なった段階では、「あ」国の株式市場と「い」国の株式市場がA企業の株券を巡って平準化しようとする運動に飲み込まれることとなる。
この運動が、今までの一国内の株式市場の運動とは異なる運動を持ち込む。この運動をスムースに行うためには、ニューヨーク市場もロンドン市場もトーキョー市場も同じルールで取引されないと、条件が複雑すぎてゲームが成立しない。「貿易外障壁」から始まり、米国の特殊な資本主義を普遍化する「グローバル・スタンダード」に至る運動が成立したゆえんである。あれだけ、米国基準の世界化であることが丸見えのブッシュの稚拙な外交であっても、ごり押しが通ったのはひとえに予想が成立し株式取引ゲームが成立する条件を必要とした投資家の一致した利害だったからだった。「投資家資本主義」と呼ぼうとする現象の背景である。
 日本でも村上ファンドを象徴とする投資家資本主義が隆盛したのも、小泉「改革」によるグローバライゼイションが完了し、企業の配当までも増やすことを決定し、最終的には企業を潰してその資産を食い潰した方が得ならばそうもするというハイエナのような、資本主義の敵対物を産み落とす資本主義らしからぬ資本主義段階に入った。
 こうした性格の全ては、マルクスが資本論で明らかにしていった「架空資本」のなせるわざである。イデオロギーだとマルクスを非難する諸氏は、自らのイデオロギー性を捨て、架空資本の支配的になった経済の特徴を虚心に認めることから始めるのがよろしい。社会主義を標榜しながら帝国主義さながらの経済運営をしている「社会主義」国の支配層も、今一度、真面目に資本論を読むべきである。マルクス葬送派もマルクス教条派も、どちらもマルクスの経済学批判を理解してはいないのである。


 以下、次号予定。


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