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5月31日を忘れない

渋谷 一三
349号(2010年9月)所収


 イスラエルなる国家を樹立したシオニストは、またぞろ非武装の市民を殺戮した。
 ユダの民はエジプトで「迫害」され、モーゼに率いられてエジプトを出た。これが出エジプト。エジプトの階級社会の下での被抑圧
民族であったかもしれないし、別民族と規定しにくいいわゆる「賤民」だったかもしれない。いずれにせよ「故国」をもっていなかった民がある日突然パレスチナの地に祖国を作るのだと言い出し、米帝の都合により支援を受け、イスラエルなる国家を建設し始めた。「エジプトに戻る」でもおかしいのに、なぜかパレスチナに「戻る」と称して。
 第2次帝国主義間戦争の戦後処理の一環として米帝の利益の為にであることの結果だからこうなった。 
 その後のイスラエルによる蛮行は枚挙に暇がないのは、みなさんのご存知の通りである。

 2010年5月31日、イスラエルはその虐殺の歴史に新たな血を塗った。パレスチナの民に人道援助物資を運んでいた非武装トルコ人民の血を塗りたくったのである。ナチスドイツによって虐殺されたユダの血をもって虐殺許可証を得たかのごとくにイスラエルは虐殺を繰り返している。すでに流されたユダの血を遥かに上回る血を吸い続けている。
 今回のトルコ人民虐殺は、相手が救援物資を運んでいることも非武装であることも知っての蛮行である。トルコの支援部隊は前もって国際的に人道支援物資を運び込むことを表明していた。武器の密輸をするならば夜陰に紛れてレバノン海岸に接岸したあと陸路でトンネル等を使えばよい。トンネルで運べないような大型の武器など船で目立たずに密輸することなど出来ようもないことはイスラエルも承知のこと。パレスチナへの食料支援を国際的に公然と打ち出されたことへの孤立感と危機意識がトルコ人民を虐殺する蛮行へ走らせたのだろう。
 だが、そんな言い訳は言い訳にもならない。イスラエルの封鎖命令に逆らう者は殺してよいというのがイスラエルの「理屈」だ。古今東西そんな理屈など理屈として認められたことなどない。だが、食料支援であってもイスラエルに公然と逆らう運動を黙認してしまっては、運動が爆発的に広がり、大量の物資に紛れて武器をパレスチナ人民に届けることも容易になるだろう。文字通りなりふり構わず、イスラエルはトルコ人民とイスラム教徒を虐殺した。このことの意味は大きい。イスラエルは没落しつつある米帝と共に没落し、消滅させられる道を選んでしまった。労働党への政権交代で糊塗しようとする戦略は最早無効である。イスラエルは今回の虐殺の意味をまだ分かっていない。イスラエル人民も「民族共存」などという都合のいい寝言を言っていられるような水準ではだめだということを理解しなければならないが、分かっているのだろうか?


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