共産主義者同盟(火花)

低迷する民主党連立政権支持率2

渋谷 一三
346号(2010年6月)所収


<はじめに>

 前回の文章を書いた時点での民主党支持率は30%を切った段階でしたが、今回5月の時点では20%を切った世論調査が出てきている。実際のところはわからないことは言うまでもないが、支持率が低下していることは確かなことだ。
鳩山政権は、結局、普天間基地を廃止することすらできず、徳之島に犠牲の一部を押し付けることをもってして沖縄の負担の軽減をしたことにするという、何とも矮小な政治図式しか描いていないことがはっきりとした。このことが支持率の一段の低下を招いていることは間違いない。
米軍基地の費用を負担することにした「おもいやり予算」の「思いやり」なる名称は、財政赤字に悩む米国の圧力に屈して、在日米軍基地の維持費用を出すことにした属国根性を隠すためである。「安保ただ乗り論」や「関税外障壁」なる障壁をでっちあげての日貨排斥の「貿易摩擦」など、米国の圧力にやすやすと乗り、その後の日本は、多額の費用を供出して米国の軍事戦略にとってなくてはならぬ好位置にある沖縄の軍事基地を維持させているのである。普通のブルジョアジーであれば、アジア第1位(当時)の「自衛隊」という軍隊を持つ日本軍を維持すれば十分と判断して在日米軍基地を全廃する判断をする。実際西ドイツはそうした。また、全く別に、プロレタリアートの闘争の結果としてフィリピンでも米軍基地を撤廃している。日本のブルジョアジーが如何に情けない政治部しか持てなかったか、世界史的に見ても極めて稀有な現象であった。
民主党を勝利に導いた小沢さんは、この点では明確な態度を持っている。「現行憲法のもとですら、日本は軍事力を持ってよい。軍隊を持つ独立した普通の国になる。」というのがそれだ。だが、民主党や社民党としては、軍事に対する態度を明確に打ち出すことが出来ていない。その結果、思いやり予算を廃止するという最大の「仕分け」を言い出すことすら出来ずにいる。普天間の一つや二つ、廃止したところで、米軍の軍事戦略に影響はない。普天間などは訓練基地に過ぎず、それも内戦への干渉をするヘリ部隊が中心なのだから、グアムでもニューヨークでも構わないのだ。要は、日本の都合を聞く姿勢を見せることが、米軍基地廃止運動へと発展することを恐れて、辺野古にこだわっているだけである。
問われているのは軍事への態度である。
本稿はこの点から、民主党の支持率の低下の意味を考え、小ブルジョア政権の限界と「労働者階級の政策」なるものを考えて行きたい。

1.この時点で鳩山政権が瓦解した。

 鳩山辞任は日米合意を先行させ、辺野古への移転しか実現できなかった鳩山政権の軍事への態度が原因である。
 何のことはない。自民党政権が合意した14年前の内容を踏襲しただけのことであり、米帝に対して何も物言えぬ政権であることを自己暴露してしまったのである。
 先にも述べたが、国際条約は、政権が変わろうと遵守することから始めるのが国際的常識である。国際反革命から革命を防衛するためにレーニンですら帝政ロシアの結んだ条約を遵守したのである。たとえ条約ではなく、「合意」であったにせよ、国際的合意を破棄することから始めもせずに、自民党時代の合意をなかったかのごとくに振舞う態度が国際的に通用するはずもない。鳩山政権は自民党の為した合意が何故に14年間も放置され遅々として進まなかったか、その原因を明らかにし、合意を破棄することが合理的であることを米との間で確認することから始めるべきであった。だが、そうしなかった。政治素人集団だったからか?有り得ないことだが、そのきらいはある。
だが、日米合意の破棄から始められなかった根拠は軍事に対する態度がないことが根本原因である。
 小沢さんのごとく自衛権を公然と認め自衛隊を普通の軍隊として実態を公然と追認するという態度を取ることが出来れば、「思いやり予算」の削減をちらつかせながら普天間基地の廃止を突きつけるという当たり前の選択肢もあった。だが、鳩山首相ら他の民主党の面々は自民党政権の軍事に対する態度を踏襲しているだけで、「日米同盟」なる安保条約への過大な依存あるいは幻想を基本的態度としている。
米国の核の傘に入り、対外的軍事侵攻は米軍にやってもらって、自衛隊は訓練と国内の反革命軍として維持するという態度である。
 海兵隊は必要だっただの、沖縄の軍事的位置の重要性を初めて知っただの、書生論議を反省するような情けないことを言っている体たらくの鳩山個人はもとより、民主党全体としては軍事に対して何も考えていず、自民党の軍事路線の踏襲しか「考えて」いない。小沢派があるとして、小沢派以外に軍事へのはっきりした態度をとれている部分はいない。これが、辺野古への移転=基地の削減すらできない=「思いやり予算」の廃止など視野にないという態度へと結果している。
 菅政権も鳩山政権と同じ態度でしかない。
 だが、「政治と金」などという青臭い小ブル的言説に絡めとられて、菅政権の支持率は上がっているそうだ。だとすれば危険です。いい加減に目を覚まさないといけない。鳩山辞任と引き換えに辺野古移転という「決着」をつけ、財政赤字の中で「思いやり予算」を削減することもできない政権を支持していることになる。それは辟易としていた自民党政権を支持することと同じことなのだが、自民党への嫌悪のあまりの幻想という小ブル的態度でしかない。民主党の軍事路線は自民党と変わらないばかりか、自民党ほどに定まってすらいない。米軍基地の縮小こそ労働者階級の要求である。米軍基地の縮小という1点に限れば、それは「正しい」大ブルジョアジーの要求ですらあるべきなのです。民主党はこのどちらでもなくただ動揺しているだけの政党でしかない。
 これは、高速道路の無料化問題やこども手当てでも同様である。農業政策においてもただ動揺しているだけの無方針政党です。この点は後にみることにします。

2.社会民主党の軍事路線

 「辺野古への移転」という自民党時代の合意をなしくずしに覆すことを是とした社民党も、国際慣例上の手続きの稚拙さは鳩山政権と同じである。だからこそ連立を組めたとも言える。
 さて、これが通らなかったとして連立を解消したことは立派とも言えるし、ちっとも立派ではないとも言える。
 民主党の読みは、社民党は自分の口から辺野古への移転を呑むしかないとは言えないが、民主党のせいにしてなら「打開案」を呑み連立を解消することはないだろうというものだった。この「読み」を外させたという点では立派である。そこまでコケにされて辻元を副大臣でおいておいては、沖縄社会大衆党の部分を再び社会大衆党として現出させることになったでしょう。沖縄社会大衆党という地方政党の形式を全国党という形式にするという「大義」で社民党に結集させることができたのだったが、衆議院選挙の小選挙区ではこの沖縄でしか議席を獲得できなかったのではなかったのか。とすれば、社民党の存続も危ぶまれる事態になっていた。したがって、この時点で連立を離脱したことは立派だったと言えよう。だが、新潟選挙区での社民候補への一元化の選挙協力が、田中(夫)の民主党候補としての擁立が消えないとなれば、破算し、他にめぼしい選挙協力もないから政権離脱を決意できたとすれば何のことはない。
 さて、政権を離脱したものの社民党の軍事政策はあるのか。「米軍基地の段階的縮小と最終的全面撤去」ぐらいが社民党にふさわしい軍事政策だと思うのだが、これすら掲げることが出来ていない。その根拠は、米軍基地撤去後の軍事をどうするのかを決められないということにある。自国の軍隊はだめだ。軍隊というものはだめなのだ。非武装中立が一番よいのだという気分が漠然と支配しているようだ。というのも非武装中立を正面から具体的ビジョンとして掲げることも出来ていないからだ。
 「辺野古はだめ」、グアムなど米国への移転というのが社民党の主張であり、それなりの成算もできてきていたようだが、「思いやり予算」の削減・米軍基地全面撤去などの首尾一貫した主張を言うことができないため、説得力に欠け、「ごねているだけ」であるかのような印象すら与えてしまっていた。これではちっとも立派ではない。
 ブルジョアジーの軍隊は反革命の軍隊として登場するからだめだ。かといって赤軍などと言えば、時代錯誤の上に非合法政党化される。もういや。思考停止。ということで、軍事政策を打ち出せないでいるのに、主要な政策は普天間基地の撤去という軍事政策だという矛盾。社民党にも軍事に対する態度が鋭く突きつけられている。

3.日本共産党の主張

 日本共産党は唯一、普天間基地の移転ではなく撤去とはっきり言っている。この点では論旨は明解でよい。日米安保も破棄なので、あとは米国との交渉だけという首尾一貫性は保持している。大変に良い。
 すると現実が明確に浮き上がってくるだろう。米国は決して交渉に応じない。基地の撤去などしない。
 仮に政権を取っていたとしてどうします?自衛隊を使って居座る米軍を追い出しますか。米国の世論形成に頼る以外にはないでしょう。
そもそも自衛隊はどうするのですか。廃止などできますか。
 結局、現実を認めこれに対応し、これを変革する能力が問われている。

4.新左翼

 同じく、軍事を巡る態度を問われており、赤軍建設に失敗し、非合法党の建設にも失敗し、合法政党としても登場できていない。
 この実態を反映して、普天間基地問題に内在的にかつ生き生きと関わることが出来ていない。

5.軍事を巡って立ち止まっている。

 だが、普天間基地を撤去せよ。米軍基地を撤去せよという沖縄の人民大衆の声だけは確かなものとして発展してきた。多くの基地労働者を抱え基地撤去を簡単には言えなかった時代から、基地経済からの脱却を成し遂げ、基地撤去を公然と言えるようにまで発展してきた沖縄の動きは確かなものだ。
 民主党・社民党・日本共産党などの議会に議席を持つ政党は、兎にも角にも「米軍基地の段階的縮小・撤去」「思いやり予算の縮小・全廃」を共通に掲げ、米国の世論を興し、具体的に前進していく必要がある。普天間基地問題はその試金石であり、これをクリア出来なければ政権が飛ぶことを示したという点で、今日の鳩山政権瓦解はすばらしい出来事であった。

6.民主党への幻想が崩壊する局面へ

 鳩山政権は普天間を具体的に前進させることが出来ずに瓦解した。菅政権は何も解決していない。普天間の試金石をクリアしていないのである。早晩このことが浮き出てこよう。
 高速道路の無料化、ガソリン税の暫定部分の撤廃はどうなったのか。
 高速道路を無料化すれば暴走族のサーキット化するのはもちろん、渋滞で機能しなくなることは筆者も前々から指摘してきた。だが高速道路料金の低廉化を求めるのは、道路公団という民意から遊離した巨大な天下り無駄遣い団体を廃止するという要求からだった。すでにペイした東名・名神などから不当に高い料金を巻き上げ、維持費用もでないような不用な道路建設をしたりするのは、それより巨額の金を人件費の名の下に消費する道路公団なる無用の長物のせいである。この不当な不用な団体を維持するために強制的に金を取られる悔しさが民主党支持を生んだのである。だから、高速料金の無料化を求めているのではなく、道路公団を廃止し、道路の維持管理に必要な適正料金をのみ徴収することを求めている。本来こうした業務を公団が行うべきだったのが、統制がなく、営利事業のような競争相手もありえないために、モンスターになってしまった。だから、営利事業でないものは民営化も解決にはならないと分かった以上、非効率の危うさを孕みつつも国家等による規制・管理の下に道路を置くのが良いというのが、「高速道路料金無料化」という不適切な表現の政策を大衆が支持している根拠だった。だから、社会実験と称して安くした分を税から補填するなどという税の無駄遣い・道路公団族のよりふんぞり返る政策など、全くの逆行である。
 この大いなる勘違いが大衆の逆鱗にふれるであろうことは疑いようもない。ただ時間の問題である。
 
こども手当てもしかり。自公政権が始めたばらまきに「子育て支援」という名目をつけたものの金額を少し増やしただけで公約の26000円の半額でしかない。公約通りにしようとすれば、巨額の財政赤字を抱え込む。財政赤字にすれば円安にふれ輸出産業に有利に働く上、インフレが徐々に進行するから国債をどんどん発行すればよいという程度の古い経済学しかもたない国民新党はよいとして、真剣に経済と関わって生きている大衆にはこの政策は疑問符がつく。あくまで、小泉「改革」によって痛めつけられた階層への臨時救済策として機能させるべきだったのだが、保育所など公的施設の拡充などと言い出す始末。こどもを保育所に入れて安い労働力を供給させるという経済政策は今や不要なのです。パートの主婦ですらあぶれ、パート並みの賃金で働かされる若年労働力が「派遣労働者」として市場に出回っている。小泉改革の成果であり、これによって安い労働力を獲得して国際競争力を再び獲得するはずだった。しかし、中国、ベトナムの労働力市場はこれより安価であることに変わりはなく、海外にでた日系企業は帰ってはこない。小泉改革は目論見とは全く関係のない中途半端な貧しさだけを生んだのだった。中途半端だというのは、国内の消費市場を狭めただけで、富を富裕層に多く移転させた結果、購買力総額は変わらないものの高級品が売れるようになっただけで、高額所得者の所得は社会的浪費や利子産み資本に投下され、消費市場全体としては細っていくのだった。
 こうした情況下で保育所を増やしたところで保育料に見合う収入を得ることなどできず、保育所にも預けられない階層が救われない。小泉内閣の破壊行為から、救済すべき対象となった、離婚してパート労働しかない女性労働者は子ども手当てでは若干の救済になったものの保育所増設では何の救済にもならない。パートで働いて保育料を払ったらいくら残ると考えているのか。
 保育所などの箱物は一度作れば赤字の垂れ流しになる。簡単に廃止することができず、構造的赤字を生む。
 26000円の公約を果たせない現実から保育所増設という2重に誤った政策でお茶を濁そうとする大いなる勘違い政策第2弾が、これまた大衆の逆鱗にふれることは間違いない。

 農業補助金も急すぎて、単なるばらまきに終わった。高齢者が残された農村の現状を変革するための補助金にするなら、農村の若年層が農業で食べていけるようにする補助でなければならないが、実際は休耕田の補償等、山間部に取り残された高齢の「元」農民が食べていく補助、農民年金とでも言うべき実態でしかなかった。フランスのように堂々と補助金を払い自国農業を保護すると宣言しない政権のもとでの補助金は、このような農業年金とでもいうべきものにしかなりようがないのかもしれない。
 大いなる勘違い政策第3弾をただすには、保護育成しやがては自立する農業分野や回収できる農業資本投下への補助金を具体的に見出し措定することしかない。篤農家の意見に耳を傾けることの中にしか答えはない。

 菅政権は上記の3つの基本政策のいずれも理解していない。ただ、「小沢が政権を取るためにしてしまった公約」に支配され迷走しているという程度の理解しかない。
 民主党への期待が、幻想だったとして崩れるのも時間の問題である。
 それは歴史の発展という観点からは大変に良いことである。




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