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ベーシック・インカムをめぐる若干の考察

早瀬 隆一
345号(2010年5月)所収


1. ベーシック・インカムをめぐる議論は面白い

 本誌339号で斎藤さんの書かれた「ベーシック・インカムに学ぶ」に触発されたこともあり、何冊かの関連書籍に目を通してみたのだが、これが実に刺激的であった。筆者は政策に関する書物は苦手というかおうおうにして辛気臭く感じてしまうのだが、このベーシック・インカムについてはそうではなかった。それはベーシック・インカムをめぐる議論が、現在における貧困問題への対応であるとともに、現行の福祉国家の枠組み−完全雇用・社会保険・公的扶助−とは異なった文脈を持つがゆえに、賃金労働、所得、社会と個人、家庭内労働などといった概念を問い返すもの、したがってまた新しい社会のありようを模索するフィールドとなっているからである。ベーシック・インカム日本ネットワークの運営委員の一人である堅田香緒里さんは「(ベーシック・インカムの要求は)既存の社会編成を問い直し、ずらし、不和を生じさせうるもの、すなわち<政治>なのである」(注1)と綴っている。まさにその通りだと思う。以下、筆者なりに考えたいくつかのことについて徒然に記してみたい。しょせん関連書籍を少し読んだだけの付け焼刃、ご批判こそ期待する。

2. ベーシック・インカムへの注目の高まり

 ベーシック・インカムはそれ自体は実にシンプルな政策である。論者によって微妙に違うものの、基本的には「すべての人に、その生活に必要な所得を、無条件で給付する」という政策である(注2)
 この政策構想やその要求はここ数年日本においても注目を集めはじめている。それは経済学者や社会運動の域にとどまらずネットなどを通して広範な層の人々の話題にものぼっている。この3月末には研究者やベーシック・インカム要求を促進してきた人たちによって「ベーシック・インカム日本ネットワーク」が立ち上げられてもいる。
 こうした政策が今日広く注目されるようになった背景には、完全雇用・社会保険・公的扶助という福祉国家の枠組みの破綻が誰の目からも明らかになっている現実があることは間違いあるまい。今日、既存の処方箋は人々の信用を失い、多くの人々が閉塞感と将来への不安を感じている。このことは同時に既存の「常識」を問い直す土壌ができているということでもある。ベーシック・インカムという既存の体系からは一見空想的にも見える構想に、共感であれ反発であれ関心が寄せられるのは不思議なことではない。

3. 無条件性

 ベーシック・インカムが貧困への対応として人々の生存を守る政策であることは異論のなきところであるが、なぜこれまでの社会保障施策の履行や改革(例えば生活保護の完全履行)ではなくベーシック・インカム要求なのだろうか(注3)。ベーシック・インカムを特徴付けているのは、その給付が「無条件」であるということである。ここでいう無条件とは、所得や資産の有無、賃労働への就労の有無、婚姻の別、性別、世帯関係、能力etcによって制限されることがないということであり、生ある者すべてに均一に支給されるということである。行政による稼働能力調査や資力調査は行われることがない。これはこれまでの福祉国家の文脈−賃労働に就くことを軸に組み立てられているそれ−とは明確に異なる考え方である。ベーシック・インカムへの反発も共感もこの無条件性をめぐってなされていると言ってよいだろう。ベーシック・インカムを要求する理由(無条件性の理由)については、論者によってその主張は多彩である。それぞれの労働観・社会観・国家観がそこには反映されているからである(注4)(注5)
 筆者としてしっくりくるのは、賃労働をめぐる序列を軸とした既存の福祉政策への批判から、人々の生に対する分断と序列化を拒否し、生存そのものを根拠として給付を要求する考え方である。これは生活保護等の福祉受給をめぐって生起する差別や屈辱に晒されている当事者たちの声と結びついている。例えば山森亮さんは「ベーシック・インカム入門」のなかで、「賃金労働に従事し生活できる者たちを標準として、高齢者、障害者など労働できないとされる人々や、賃金労働はしているが、それだけでは生活できない人たちを、それより一段劣るものとして、そして労働可能と看做されながら賃金労働に従事していない人々を最も劣るものとして序列化していく、そうした仕掛けを福祉国家は内在化しているのである」と記している。同書において紹介されている1960年代後半イギリスにおける要求者組合のシングルマザーたちの主張は、なぜ福祉受給の当事者から無条件性を特徴とするベーシック・インカムの考え方が生まれたのか分かりやすい経緯と言えよう。シングルマザーの福祉受給者は「同棲ルール」と呼ばれる規則(同居あるいは定期的に性的関係をもっている男性がいれば給付を打ち切るというもの)のもと、福祉行政による性的関係に関する監視が行われることとなる。このことが受給者にとって「屈辱」や「抑圧」であることは想像に難くない。このことはケースワーカーや査察官の問題ではなく制度に内在する問題である(注6)。彼女たちはこうした屈辱への批判からベーシック・インカムのような対象を特定しない制度が必要と考えたというわけである。

4. <政策>と<運動>

 いずれにせよ重要なことはベーシック・インカムによって何がどう変るのか、変えられるのかということである。今日における人々のベーシック・インカムへの関心には、貧困への対応策としての関心にとどまることなく、何かそれ以上のものをそこに見い出したいとの思いがあるように見受けられる。筆者もまたその一人である。しかしベーシック・インカムという政策それ自体のうちに社会編成の根本的改革を求めるとしたらそれは誤りであろう。私たちが忘れてはならないのは<運動>の存在である。換言するならばベーシック・インカムはあくまで政府の政策であり、したがってまた<政策>と<運動>の区別と連関こそ意識的であらねばならないということである。社会や文化を変革=創造していく運動の観点からはベーシック・インカムという政策は運動にとってのひとつの環境条件である。ベーシック・インカムという政策がつくりだす環境のなかで運動は何を行いうるのか、運動にとってそれはいかなる環境なのか、として問題は立てられるべきだと思うのである。
 ベーシック・インカムという政策はそれ自体としては賃労働を廃止するものでも排除するものでもない。人々は賃労働に就き収入を得ることができるし、そのことによってベーシック・インカムによる所得が相殺されることもない。この政策それ自体によって生まれるのは生存のための所得を保障された諸個人であり、それ以上でも以下でもない。あくまで政策それ自体のみを取り出せばそういうことなのである。極端に言うなら人々の営為しだいによっては連帯性や社会性を後退させた諸個人の姿がそこに現れるかもしれない。
 しかし他方において、ベーシック・インカムによって生存のための所得を保障されるということは、大きな可能性を持ちうることでもある。多くの論者が言うように、それは、人々が多様な生を選択する条件となりうるということである。このことは今日の社会運動にとって小さなことではない。具体的な一例をあげてみよう。今日少なからぬ人々が「新しい働き方」を求めて多様な活動を行っている。ワーカーズコレクティブもそうであろうし、NPOやNGOもそうである。無償のボランティアもまた労働と言えるかもしれない。しかし現下の状況においては、ワーカーズコレクティブといった新しい試みに参画することに経済的リスクから躊躇する人もいるだろう。NPOやNGOはその目的からしてそれを担う人たちは不安定な所得を受け入れ、目的と生活のジレンマのなかにいる。NPOやNGOで働くことを希望しつつも家族や親の生活を考慮して断念する若者だって決して少なくはない。生存のための所得がベーシック・インカムによって別途保障されるならば、それはこうした諸活動を促進していくうえでの条件のひとつとなりえるのではないだろうか。これは一つの例に過ぎない。ベーシック・インカムという政策を環境として多様で無数の社会運動・社会活動が促進され、そこにおいて労働のあり方や社会の編成の在り方が実践的にとらえなおされるとともに、人々の新しい社会性や連帯性が育まれていくこと、これが筆者の望むところのものであり関わり合い方でもある。筆者は商品−貨幣の止揚と国家の死滅を核心とするコミュニズムを立場とする者の一人であり、商品−貨幣の止揚のためには商品−貨幣が実現している社会性の水準を超える関係を創り出していくことが求められていると考えている者の一人である。かかる立場からもベーシック・インカムは歓迎すべき環境条件となるであろうと思うのであるが、いかがなものであろうか(注7)。いずれにせよベーシック・インカムを活かすも殺すも運動しだい、今はそのことをこそ言っておきたい。

(注1) 「VOL Lexicon」(以文社) ベーシック・インカムの項より。「VOL Lexicon」は「資本主義とは別の世界を構想し、無数の行動と思考をつくりだすために」と題された「キーワード集」である。
(注2) ベーシック・インカムあるいはそれに類似した政策には200年の歴史があるという。様々な時代に様々な文脈で断続的に現れてきたその歴史については、「ベーシック・インカム入門」(山森亮著)に簡潔にまとめられており、参照してもらいたい。
(注3) もとより現行制度の枠組みの中で社会保障を求めることとベーシック・インカム要求は対立するものではない。
(注4) 「VOL 02」のベーシック・インカム特集は翻訳文書も含む小論文やインタヴュー・対談で構成されているが、多彩な見解を知るには手頃な書籍である。一読されることをお勧めしておく。個人への直接給付と社会組織を巡っては、「VOL 02」掲載の「ベーシック・インカムの上下左右−運動なきBIはつまらない」で廣瀬純さんが、ブラジル・アルゼンチン・ベネズエラの事例を紹介している。これらの事例は貧困家庭への給付、失業者への給付、社会運動への給付であるが、具体的事例として興味深いものであった。
(注5) ベーシック・インカムの無条件性は、官僚機構の縮小を可能とする。今日の福祉制度は受給資格の審査と継続的監視を巡る膨大な官僚群を必要とする。生活保護・失業手当・基礎年金等の多くがベーシック・インカムに統合されるならば、これらの官僚群の多くは不必要になるからである。ここに着目して「小さな政府」を求める観点からベーシック・インカムに賛同する人もいる。
(注6) 今日の日本においても事態は同じようである。シングルマザー家庭への児童扶養手当の受給には、申請や現況届の際に生活状況とりわけ男性関係が詮索される。自治体によっては近隣住民への聞き込みまで行われるという。
(注7) 私たちが「労働時間の短縮による社会的諸個人の自由に処分できる時間の増大」に特別の注目をはらってきた理由と、ベーシック・インカムがつくりだす条件との間に通底するものがあるのかないのか、その辺も考えてみると面白いかもしれない。

参照書籍
山森亮「ベーシック・インカム入門」 光文社新書 2009
橘木俊詔・山森亮「貧困を救うのは、社会保障改革か、ベーシック・インカムか」 人文書院 2009
「VOL 02」ベーシック・インカム−ポスト福祉国家における労働と保障 掲載諸論文 以文社 2007
「インパクション 168」 インパクト出版会 2009


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