共産主義者同盟(火花)

社会主義と言われた像の再検討(2)

渋谷 一三
340号(2009年12月)所収


<はじめに>

 先の衆議院議員選挙前に、自民党の幹部は「今回は風なんてものじゃない。地殻変動だ。」と嘆いていた。私は前号・前々号で小ブルジョアジーが大ブルジョアジーから離反し、自己を確立したと表現した。朝日新聞は、相変わらず風と表現していた。そのために、二大政党制の健全なる発展を社説として掲げることになった。
果たしてどちらの分析が正しいのか。これは事実をもって検証可能だ。近々自民党が政権復帰するようなことがあれば、「地殻変動」ではなく、「風」が吹いたということであり、小ブル政党が誕生したのだという私の分析は間違っていたということになる。

さて、私はそこから、労働者階級の政党がないと述べた。選挙の分析をするために、「社会主義像」の再検討が必要とされた。
今号ではこの2点に絞って、大胆に提起したい。趣旨を鮮明にするために、あえて、大胆に提起したい。

1.「非合法党の建設」

スカルノから政権を奪取したスハルトによるインドネシア共産党大弾圧。死者は100万人前後に上ったとみられる。その直後、選挙で政権を取ったチリのアジェンデ政権に対する軍部のクーデターと共産党員の大虐殺。新左翼の誕生に前後して、共産党員が世界的に二百万人規模で虐殺された。
日本の新左翼が、街頭主義を自嘲して、武装闘争至上主義を競うようになった直接のきっかけは、古くはルイ・ボナパルトに始まって、このインドネシアとチリの生々しい大虐殺だった。犬死同然の大虐殺は、どうせ死ぬなら敵と刺し違えて死ぬという殲滅戦思想の復権をもたらした。
で、各党派はこぞって武装闘争のレベルを競った。連合赤軍事件もこの範疇内の出来事と見てよいでしょう。
そして、連合赤軍事件をもって武装闘争路線は破産した。軍事を扱う質を日本の新左翼運動が持てなかったと言ってもよいし、死を目前にはしていない先進国における軍事の問題だったと言ってもよいのではないでしょうか。ここを課題にして現実が立ち止まっていると言うのならばまだよいが、実際は後退につぐ後退を重ね、「新左翼」は現実を把握する力のない歴史上の概念に近くなりつつあり、「全共闘」に至っては完全に過去の一時代を象徴する言葉になってしまっている。だから問題は、なぜかくも後退してしまったのかにある。
議会主義政党を否定したのは、その状況が、例外なく、軍事を前にしたときに軍事力の前に屈服し、労働者階級の利害を貫くことが出来ない点にあった。近くは戦前の日本共産党の相次ぐ転向事態であり、遠くはパリ・コミューンに対する軍事反革命の勝利だった。ここから議会主義の否定がはじまってはいるのだが、根幹は労働者階級の利害を貫き通す物質力(武力およびそれを行使できる組織力)を獲得することにあった。
それがいつの間にかよく似た言葉である「非合法党の建設」になり、根幹をなす労働者階級の利害とは何かを置き去りにすることを可能にした。そして実際に「合法」そのものを蔑み「非合法」それ自体を賛美する倒錯へと発展したと総括することも可能な事態を現出した。
「合法」か「非合法」かは敵が決めることで「非合法」それ自体が目的ではないという当たり前の議論もなされはしたが、当たり前すぎて、省みられることはなかったといって過言ではないだろう。要するに「非合法」党それ自体が目的になってしまったのである。
 かくして現在、労働者階級の利害を代表する党がなくなり、小ブルの利害を代表する党が姿を現し始めるや否や、政権を取る事態になったのである。そして「新左翼」は現実を把握する力を失い、現実分析の中で労働者階級の利害を生き生きと語る力を失っているのである。
 もうよい。労働者階級の利害を代表する党として歴史の舞台に再登場しよう。とりあえずそれが合法政党とされようがどうでもよいことだ。議会の中に議席を持つことも否定されることではない。レーニンを引き合いに出すまでもない。問題は労働者階級の利害を代表する党が客観的に不在であることになるのだから。
 そのさいに教訓にしなければならないことは、労働組合の問題と社会革命(市民運動)を巡る領域である。

2.労働組合運動そのものは資本主義の運動である。

 過去の火花紙上で具体的に折に触れ展開してきたことである。労働組合運動そのものは労働力という商品の所有者がその商品をより高く売ろうとする運動であり、他の商品市場と全く同様の労働力市場における一つのセクターの動きにすぎない。その運動の副産物として労働者階級の学校になることはあっても、あくまで副産物としてであり、それが証拠に確固とした党との連携なしに「労働者階級の学校」になったためしはない。
 近くは、日本の帝国主義としての復活とともに労働組合が衰退して行き、ついには「連合」という資本主義経済の片一方のセクターに純化した組織体を生み出すに至った。これは必然的な過程であり、「連合」に反対した多くの組合があったにもかかわらず、「連合」が発足してしまった事態に、その必然性をみてとらねばならない。
 ところが昨今、小泉政権によって米国追随経済政策が貫徹された結果、労働者は疲弊し、派遣社員という名の非正規工を含め、ほとんどの労働者が未組織の非正社員の労働者となっている。
 この労働者の疲弊を前に労働組合結成の動きが勢いを盛り返しつつありますが、ブルジョアジーにとっても労働組合を作ることは資本主義体制の永続化のためには欠かせぬことでもあります。労働組合を作る動きにも色々有るということで、それ自体が革命的であるかのような取り上げ方は決してしてはならず、この戦線に参入してきているブルジョアジーの代理人、小ブルの代理人との厳しい争いに勝つべく、労働組合結成の運動そのものの中でブルジョア階級の利害のための結成運動を暴露罵倒していく必要があるでしょう。

3.議会もまた、資本の下での形式的平等概念の発達と純化の一産物・一形態である。

 商品の取引の大前提に公平さと平等がなければならない。これはマルクスが資本論で明らかにした経済学上の大きな功績の一つです。
今ここにスペースを割くことはできないので、先に進める。
 社会革命の分野を「新左翼」が切り開こうとする志向性を持ちながらも、ここへの志向を「権力奪取」からの逃亡とか、新手の日和見主義とか、軍事からの逃亡などと蔑んだ結果、いつの間にか失い、この領域を「新左翼」に失望した新左翼出身者が担う「市民運動」という日本独特の運動スタイルが出来上がった。米国にも市民運動はとうにあったがそれこそが本家市民運動であり、左翼とは何の関係も無いブルジョア的革命性の範疇内の運動です。
 さて、この日本独特の市民運動だが、新左翼出身者が運動の中枢をになったことから、新左翼からは先に見たようなレッテルを貼られ、一般市民という市民とは違う一般の市民からは「利用されるのではないか」という不審の目で見られ、なかなか困難な道になってしまったからか、この運動も衰退し始めている。
 なぜ衰退し始めたのかを、この日本独特の歴史的経緯のみに帰すのでは事足りない気がする。そこでもう少し、社会主義を名乗る運動が実現した実際の運動の社会革命の質を問うてみたい。

4.社会革命の質

 社会主義は歴史的には貧困の悲惨さから人類を救う運動として発生した。だから基本的には富の偏在という現実を前に分かりやすく平等なる分配を理念化し、空想的社会主義時代を生み出す。その後の「科学的社会主義」なる時代も根本的には全く同じで、富の偏在という分かりやすい現実を前に「搾取の廃絶」を理念化して運動を展開した。
 だが歴史はこの浅い現実認識を喝破することを突きつけた。
 まずは運動主体の側から。搾取の仕組み論に歪曲されたマルクスの経済学批判・資本主義の解明の努力。この結果、社会主義運動は生産力増大運動と搾取の廃絶へと単純化された。こうなると権力を奪取しさえすればよく、奪取した権力は「社会主義経済」なる経済を始めればよいだけで、だから実質は「旧搾取階級」への反動としてのいじめと生産増大運動とに単純化された。大本営でも同じ運動をしたのだった。これこそが、スターリン主義といわれた代物だった。
 次にも運動の側から。
 スターリニズムの醜悪な結果を前に、マルクスの復権が行われ、資本主義の批判・資本主義の解明の深化の作業が行われる。これが日本の新左翼の世界的功績だが、例によって自己卑下が過ぎるあまりに、西欧の哲学者の解釈輸入が横行してしまう。
 次に資本主義の側から。
 「社会主義」によれば、どこかの国が富むとはその犠牲になる被搾取(国)(地域)(体)が同量存在するということになるが、新植民地主義というレッテルを貼ってでも理解できない現象が生まれ、後進国の一部や中進国と呼ぶような諸国が生まれ、必ずしも他者他国から搾取して豊かになっているのではないという事実が突きつけられた。

 さて、歴史の発展の後から過去を見てみると至極分かりやすい事態というのは多々あるものです。
 例えば「集団保育」。社会主義になれば「子どもは文字通り社会的に育て」られる、と流布されたものでした。その実態は保育所であり、かくして女性は育児から解放され家庭から解放され、男女平等が実現するのだと。
 はたしてそうなのか。今の人間には理解は簡単に出来るが、貧困に喘ぎ、家父長たる男のDVを含めた支配の下にあった女性たちには、先に挙げた謳い文句は完全に間に受けられた。保育所は仮に100%行けるようになったとしても、子どもにとっては餌を与えられおしめを取り替えてもらえるだけの最低限の生物的生存を保障してもらえるだけのところ。女性にとってはかわいいわが子を手放し、大方は安いパート労働で家のローンの足しにする収入を得るか、離婚して収入を得るためにやむなく入れている収容所にすぎない。結局のところ大量の安い労働力を国内で調達するための「社会資本」であって、資本主義の装置でしかなかった。
だが、今からたった40年ほど前には保育所が女性解放の手段であり子どもを個人の所有物にせず社会的に育てる社会主義そのものの物質化だとまことしやかに語られていたのです。

このように社会革命の質も再度検証する必要があり、この点からも労働者階級の党が公然と登場する必要がある。




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