共産主義者同盟(火花)

政府について(6)

齋藤 隆雄
322号(2008年6月)所収


7.計画、協議という意識性と資本主義

 計画経済、あるいはそれを修正した協議型経済といった構想が「実現を目指すべき社会構造(あるいは社会主義社会)」としてこれまで語られてきた。この構想の基本は意識性と計画性である。そしてこの意識性と計画性は生産と流通、需要と供給の全過程を管理することにあった。この管理の過程で労働力需要も生産財供給も目的意識的に配分するというのがこれまでの歴史的経験であった。しかし、歴史的にこれらの試みは敗北に終わっている。
 経済規模が巨大になればなる程、意識的な管理が困難になり、労働者管理が官僚統制へと変化していくというのが歴史的教訓として残った。ではその困難は絶対的な法則なのであろうか。
 そのことを知るには管理計画とは対極にあるとされる市場性と比較すれば分かりやすい。これまで論議されてきた枠組みは資本主義が無計画な生産活動であるのに対して、社会主義が計画的であるという捕らえ方の構図がこれまでの描かれてきた論議であったが、そこには市場性がまったく考慮されていないという欠点があった。市場に管理的意識性はないが、事後的な計画性があるのではないかと考えれば、市場の持つ管理性とは、社会主義的意識性とはどこが違うかを考えなければならない。
 労働者管理と市場的計画性との決定的な違いは、同じ計画性であっても、一方は労働者相互の協議を通じて実現していこうとするのに対し、他方は商品の量的売買を通じて行われる。一方が討議を通じて行われるのに対し、他方は物を通して行われる。もっと全体を俯瞰して言うと、労働者管理は協議と修正の絶えざる繰り返しであるのに対し、市場は個々の資本家の目算という個別の計画性と販売結果による価格と生産量の修正の繰り返しである。この二つの違いは、あらゆる事態を予想しようとする労働者管理と個別の緩やかな計画性に依存する資本主義との違いでもある。
 純粋な労働者管理が官僚統制へ変貌していくのは、あらゆる事態を予想することができずに、資本と労働市場の管理が個別経済権力に依存せざるを得ないからである。ソビエトロシアでしばしば見られたように、工場管理者と経済官僚との癒着は計画性の指標となるものが常に政治的な性格を帯びるからである。ソビエト崩壊以降、ロシアの資本主義が経済官僚たちの資本家への変身を結果したのは故なしとはしない。他方で、資本主義の緩やかな計画性は個別資本の価格競争による絶えざる圧力によって労働市場が痛めつけられるという現実がある。計画とはあくまで予想であって、現実経済との修正を常に迫られる。そのツケは、資本主義は労働市場における過酷な価格競争によって払われるのに対し、労働者管理は財市場での不均衡を結果することとなる。

 「計画」経済という場合に、その理想となる姿は労働者階級の主体性であり、労働者相互の協議であり、政治である。しかし、これらは一つには計画性という意識的な活動が産業構造の変転を捉えきれず、また協議という政治的意識性もまた集合的な意志形成の場を大衆運動という形態ではなく、生産原点へのこだわりとそこから脱却に成功していない。一国の経済全体を管理統制するためには、個別の産業計画の積み上げだけでは不可能であり、個別の産業分野における労働者利害の調整だけでも不可能である。
 ブルジョア政府の個別資本家相互の利害調整の下で形成される産業政策もまた巨大独占資本を中心に経済権力の下で形成される。そこでは労働者階級の意識性は僅かに議会制民主主義の機構を通じた個別政策の修正という形でしか実現しない。では、我々にとって社会主義という経済の形とはどのような姿をしていると考えるべきなのだろうか。
 これまでのアプローチは二つの方面からなされてきた。一つは労働者管理社会主義という形態に市場経済を取り入れる方法である。この方法を理念的に提起したのがイタリア共産党だったが、具体的なものを実現する前に「共産主義」の看板を降ろしてしまった。また、ユーゴにおける社会主義もその実験に意欲的であったが、民族問題という基本的な問題を解決できずに敗北した。
 もう一つのアプローチは資本主義経済に民主的な経済政策を導入するという試みである。この試みは理念的には社会民主主義政策や社会福祉政策、あるいは有効需要政策などといった名称で呼ばれ、実際には50年代におけるアメリカ独占資本労働者階級を中心とした政策や、あるいは欧州での社会民主主義政権下で行われた諸政策に現れた。これらの政策は結果的にはインフレーションという副作用を生み出し、企業の多国籍化が進行する結果となった。本来の目的であった完全雇用は実現できずに、新自由主義政策に取って代わられた。
 これら二つの可能性が潰え去ったことで、現在残された道筋は非常に狭いものとなっている。戦後の諸改革の経過をソビエト崩壊も含めて振り返るなら、労働者階級の理想とするような経済体制の形は、あれこれの資本主義がもたらす負の側面への批判としてしか構想できなくなっている、というのが現実であろう。
 ではここで、論議の最初に戻って、「実現すべき社会」のイメージから問い直してみる必要があるだろう。つまり、市民社会の基礎にある資本主義的生産の構造を「無政府性と計画性」という観点からではなく、「個別と共同」という観点、すなわち当初私が問いかけた「公共性」の本質の問題から議論を出発させるべきではないだろうか。
 協議型社会主義生産が敗北し、官僚制と硬直性を生み出したのは、協議という方法が近代ブルジョア社会の政治ルールである民主主義を基礎に置いていたからである。労働者が個別生産点において自らの個別利害に社会性を与えようと試みたとしても、彼らの自然的状況が生産点である以上、狭く分断されたものしか生み出さないのである。彼らが同時に消費者でもあり、社会的制度の受益者でもあるという統合された社会人としての独立を支える構造がそこには存在しない。   
 おそらくここで当然出てくるであろう反論は、労働者の個別利害を統合するのが「階級政党」であると。しかし、歴史が教えてくれた教訓は、個別利害の統合は個別的統合でしかなく、ブルジョア市民社会を越える社会性を生み出せなかったということである。なぜなら、民主主義を基礎に置く以上、商品生産社会の基本ルールである民主主義からは自由にはなれないからである。
 資本家階級が支配する国家の理念である民主主義や人権は、実際の市民社会での権力構造を覆い隠すベールであるという批判は、ブルジョア国家の下での労働者階級政党の暴露としては有効である。しかし、権力を掌握した労働者階級が行う資本の収奪の下では資本家階級の自由は制限される。これは実際の市民社会の権力構造が剥き出しのものとなるからである。それを覆い隠すベールは準備されていない。これまで生み出されてきた「社会主義国家」が依拠したベールは「民族主義」であった。このことの悲劇を我々は何度となく目撃してきただろう。
 社会主義革命の困難性は、このブルジョア的な市民社会を覆うベールを剥ぎ取り、その根拠となる資本と商品からなる社会性の欺瞞を暴露すると同時に、新たな社会性・共同性である労働者階級の公共性を構築することにある。それは政治的革命の以前においても以後においても、不断に意識的に作り上げて行かねばならない種類のものである。政治革命はその長い過程の一時期に必要となる方法以上のものではない。

8. チベット問題と政府

 本論考を長い空白を置いて再開するにあたって、とりあえずは論議を中断したく思う。そこで、現在誌上で論議となっている、チベット問題をもって最終回とする。
 これまでの議論で民族問題は埒外に置いてきたが、民族自決権は民主主義の範囲の中にあってブルジョアジーが政治的に利用してきた歴史的経緯は注目する必要がある。ユーゴスラビア解体の経緯から見て、民族自決を無条件に擁護するという原則は、その自決を表現する主体、地域、政治綱領等をよほど吟味する必要がある。そして、問題となっているチベット独立運動はどういう観点から論議すべきかを明らかにするべきだろう。
 第一に、歴史的経緯からするダライラマ亡命政府の擁護は政府の性格上からして、無条件ということにはならないと、思われる。筆者は十分な知識がないが、彼が宗教上の権力と政治上の権力を同時に所有していると思われるので、彼のいう自決はチベット人民にとって脱中国共産党支配という目的以外にはあまり意味がなさそうである。
 第二に、独立運動の旧来の形態からいえば、ソビエト解体の歴史から学ぶことができる。中華人民共和国の解体後に各自治区が独立するというスケジュールである。現在、ソビエト支配下の各共和国は資本主義化の下で過酷な階級支配が復活している。それは、かつての官僚支配の過酷さと種類は異なるとはいえ、自由という名の下で民族問題が後景化し、階級問題が前面に浮かび上がってきている。これを歴史的な進歩と呼ぶか否かである。
 第三に、個別チベット独立運動を目指す主体がどのような階級的利害を代表しているのかが充分に明らかになっていないということである。チベット地方の地誌的な状況からいえば山岳ゲリラ的な運動が存在しているのか、あるいは都市を中心とした中国民主改革派とのつながりを有しているのかによっても、評価が分かれる所であろう。
 以上のような問題点を考えるなら、チベット独立運動は中国革命を抜きにしては語れないのではないか、と思われる。中国共産党解体と帝国の連邦制への分離と新たな経済圏の形成という非常に困難なプログラムを提示することが求められている。チベットだけが分離独立するというスケジュールはブルジョア的にはあり得るかもしれないが、我々の立場からは存在しない。なぜなら、ソビエト解体以降の階級闘争の世界的な有り様を見るなら、自決権承認と言うだけではその地に暮らす人々の協同的な政治や生活経済を解決したり発展させたりすることにはならない、という歴史を我々が学んできたからである。
 また、同時に中央アジア地域における地下資源を狙って虎視眈々と息を潜めている帝国主義国家のブルジョアジーたちの動きも無視できない。彼らが善意で支援している訳ではないことは言うまでもない。そして、おそらく中国内陸部の諸民族への帝国主義の資金援助は地域の「経済発展」を促進することは間違いない訳であるから、中国の資本主義的発展に取り残された地域への甘い誘いになることも予想される。
 しかし、チベット問題は我々に新たな問題を提起していることにはちがいない。東チモールにおけるオーストラリア政府の役割を見るなら、資本主義世界から取り残された諸地域における人々の生活と協同社会を再建するためには、資本を受け入れる以外にはないのか、という問いである。確かに資本を受け入れることによって、見かけ上の所得が向上し資本主義的生活が拡大することは間違いない。貨幣経済の拡大とその下での新たな階級矛盾の再生産が始まることによって、一旦は人々の共同性が解体し、そしてその後に来る近代的個人主義が発展することで新たな共同性が建設されるのだという考えもこれまではなされてきた。
 その資本主義的発展を担うのが民族主義であることも確かであるし、そのことが世界のブルジョアジーには必要でもある訳である。グローバリズムは国境を解体することではなく、その地域の人々を管理し、工場に送りだし、消費生活を再生産させるという役割を担う政府を必要としているのである。そのためには民主主義さえ支配の道具となり得るのである。
 チベット問題の困難は、だから世界中の苦闘する労働者と生活者の困難でもある。私がチベット独立運動を無条件に支持できないのは、それがあまりにも安易であり、今日の世界情勢の困難を解決する方向性を指し示すことができないばかりではなく、帝国主義の利権と支配を助けることにもなる可能性を孕んでいるからである。

 政府問題を論説してきたこの間、十分には言い尽くせない部分があったことをお詫びしたい。近い内には再開したいとは思うが、一旦はここで終了とする。




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