共産主義者同盟(火花)

バブルの移転の仕組み−1

渋谷 一三
319号(2008年3月)所収


1. 本稿の目的

米国でのバブル発生後、遅れて日本にバブルが「輸出」され、米国でバブルが破綻した後その破綻処理に伴って日本のバブルが巨大な不良債権を残して破綻した。いわば、米国の損失だけを肩代わりしたような結果となった。
 ケインズ主義の終焉を扱った渋谷論文では、米国によるバブルの損失の移転ないし「輸出」として度々キーワードのように使われてきた。今回はこの事情を少し詳しく論証しようと思う。

2. 架空資本(利子生み資本)の膨張が、損失の移転を可能にした。

 そもそもバブルの発生自体が架空資本の膨張によるのだが、このこと自体も自明のこととして扱うわけにはいかない不幸な事態が存在する。19世紀のオランダのチューリップ・バブルを引き合いに出し、バブルの90年周期説などを唱える学者が私より先にいるからだ。
 この説に反論するためには、19世紀のオランダのバブルの分析をする必要があるのだが、残念なことにこの説を唱えた学者自身が資料を提示していないこともあって、この時期のバブルの分析をすることは、国会図書館にでも通わない限り不可能に近い。また、反論する目的は1980年代のバブルとの相違を論証することにあるのだから、対比すべき80年代のバブルの分析が為されていなければならない。
 この二つの理由から、19世紀のバブルとの比較は断念して、1980年代のバブルの分析を架空資本の膨張に着眼して行うこととする。

3. 変動相場制=金本位制の停止による為替変動の必然化とデリバティブ・為替差益(差損)の発生

 米国が金本位制を停止せざるを得なくなったのは、世界中の金を集めたところで取引される貨幣の信用を裏付けるにはほど遠くなるほど、世界における実需取引高が増大したためであった。もちろん信用の裏づけのために必要とされる金の保有量は、取引高の十分の一以下でよいのではあるが、これでも追いつかないと市場が判断し、ドル不安が起きたのが直接の引き金であった。政治を捨象して「純経済学」風に語れば、原因はこれだけということになるのだが、実際には、ベトナム侵略戦争の戦費の負担が国家財政を大幅な赤字にし、さらにベトナムから敗退する政治状況も大きな要因にはなっている。ベトナムからの敗退が75年、プラザ合意まで10年ある。
 この10年間に進行した事態の分析は別稿に委ねたいが、骨子だけを言えば、この10年間にユーロ・ダラーが膨大に蓄積し、ユーロダラーだけで国際決済が出来てしまい、米国本国のドルあるいは銀行が国際決済から取り残されてしまうという事態が進行している。この状況を打破しないかぎり、米国の銀行業は危なかったし、「管理不能」に陥った海外のドルの米本国への還流回路を作ることは是非とも必要なことであった。この利害は、米国だけの利害ではなく、安定した決済通貨としてのドルを必要とした日・独にも共通した利害であるかのような様相を呈した。それというのも、膨大な量のユーロダラーの存在は、それ自身が、いわば有り余った資本・行き先のない資本・「過剰」資本の存在の証明であり、
架空資本がこの期間に膨大に発展したことを示しているからである。
 投資先を「失った」架空資本が資本市場の中でなお利子生みを求めて跋扈しているさまは、独・日にとって統制しなければならない魔物のように映じたのである。
 かくして世界はプラザ合意に至る。85年プラザ合意以降、世界経済は金本位制を捨て変動相場制に移行する。
 プラザ合意は、85年9月。このあと日・米・独3国の協調介入が行われ、声明当時、1ドル240円台であった円相場は87年2月までのわずか17ヶ月の間に140円台に到達、その後1ドル79円まで進むことになる。
 ドル安の進行という事態は日・独の通貨管理当局がドルを大量に買い込んで溜め込むことを意味する。別の見方をすれば、フローしていた「過剰」資本を日・独の通貨管理当局が吸収して、市場に出回るドルの量を調整してあげたことになる。その上その溜め込んだドルの価格はほぼ半額になってしまったのだから、フローしていたドルはそのドルが表わす価値の量としても半分になってしまったことになる。この面からも「過剰」であるかのように映り、市場をさまよっていたかのように映じた「過剰」資本が姿を消したかのような現象が目の前の新しい風景として現れる。
 他方、ドイツあるいは日本の側から物事を見ると、米国の全ての物価が半分になったかのように見える。これは物に限ったことではなく、不動産から会社組織にいたるまで全ての金融資本も半額になったかのように映るのである。事実、日本は米国の不動産を買い漁り、例えばソニーが映画会社をまるごと買い取るなどに象徴される事態が起きるなど、米国の全てが半額になったかのように行動した。

 ところで契約の成立と決済までには時間差があるのは不可避である。契約内容が履行されてからはじめて決済するのが当然だからである。この時間差のうちに為替相場が変動する。この差損を回避するためにデリバティブが発生する。支払い側が日本の企業である場合を想定しよう。将来円高になると思えば、ドル決済を契約時で主張するであろう。ところが実際は円安に振れたとすると、ドルで支払うために契約時より多くの円を必要とする。すなわち、為替差損を蒙る。支払い側が利益を得る場合は少ないので、為替差損はそのまま損益となり、場合によっては死活問題になる。死活問題にならずとも、損益だけは確実に出る。したがってこの場合、為替差益を目指してではなく、為替差損を回避するために同額のドルを契約成立時点で購入しておかなければならないことになる。契約成立時にドルを購入したことにしよう。決済時には円高に振れていた場合、得るはずだった為替差益は得られない代わりに、円安になった場合の為替差損を回避できたのである。
 さて、こうした事情を知った第3者が、契約成立時にドルを用立てしたとしよう。分かりやすくするために、実勢取引よりほんの少し安くドルをこの企業Aに売ってあげるともちかけよう。もちろんこの企業はこの「第三者」からドルを購入するだろう。決済時に円高になっていたとして、この「第三者」は儲かるのだろうか。儲かることができる。企業Aに用立てた時点で得た円をこの決済時点でドルに換えれば、用立てたドル以上のドルを手にするのである。
 かくなる上は企業Aはいちいちドルを手にする必要はなくなる。決済時点でのドル建て決済を、契約時に円で、この「第三者」に委託する契約を結べばすむのである。
 さて企業Aが円安にふれると想定した場合も、同様のプロセスを経て、結局のところ、この「第三者」に支払いを委託する契約を結ぶであろう。
 企業が販売元である場合の二つのケースについても同様の思考実験が可能である。
 これらが全て「第三者」に委託されれば、世界的には均衡がとれて、「第三者」内でリスクが均衡されるはずである。
 こういう想定のもとに「第三者」、すなわちリスクを分散する商品が売買される。ここでは最早、実需はどうでもいいのである。実需があろうがなかろうが、売買が成立するか否かが「実需」と映ずる。

80年代後半、日本がグローバルな資金仲介を行っていた時期には、日本は西欧をはじめ世界の資金を国際銀行市場で積極的に借り入れていた。というのも、欧米でバブルがはじけ資金を運用する企業―従って市場が狭まり、相対的に資金がだぶつき始めた時に日本はまだバブルの最中=極度のインフレ状態と同じ=にあり、資金需要が高かったからである。
こうして調達された外貨(あるいは流入してきた外貨と呼ぶほうが正確だろう)が、生保などの機関投資家によって大規模に米国国債の買い入れや不動産への直接投資に向かい、米国の経常赤字を埋め合わせる原資となった。外国からの米国への投資は、貿易外収支(資本収支)では米国の黒字として表われる。これは、意図的政策の結果でもある。米国は負債が増大すると高金利にして外貨を呼び込む政策を取る。赤字なのに高金利なのでインフレも進行し、ドル建て負債はインフレ分だけ減少したのと同じことになる。
こうしたマジックができるのは、基軸通貨国だけである。




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