共産主義者同盟(火花)

唯物論戦線の構築のためのノート(6)

流 広志
317号(2008年1月)所収


主体性論と西田哲学

 前回は、廣松渉氏の「意志の論理学」をみたわけだが、そこで、共同主観的一致が意志と道徳の基礎にあるという氏の見解を確かめた。しかし、他方で、氏の言う共同主観的一致がどのようにして得られるのか、また、それがどのように変化するのかのメカニズムなどについては、氏の見解は、必ずしも明瞭ではない。その原因は、氏が、下部構造による上部構造の規定を述べているにも関わらず、下部構造の解明とそれの上部構造への反映という領域について、明らかでないことからきていると思う。
 マルクスは、『経済学・哲学草稿』で、「国民経済学と道徳との対立も、また一つの外観であるにすぎず、そしてそれは一つの対立であるとともに、またなんらの対立でもないのである。国民経済学は道徳的法則をただ自分のやり方で表現しているにすぎないのだ」(岩波文庫158頁)と述べている。この段階では、マルクスは、観念論から脱していないが、すでに、経済と道徳の間の結びつきをはっきりと指摘している。
 新自由主義は、基本的には、無=自由主義であり、それは、資本の自由、資本の専制支配の自由を意味するものであり、その限りで、上層には自由を、労働者大衆には、不自由を意味するものにすぎないが、マルクスは、19世紀の段階で、「生産が富者たちとの関係においてもっている意味は、生産が貧乏人たちにたいしてもっている意味のなかにはっきりと示される。この表明は、上に向っては、つねに洗練されており、遠まわしで、あいまいである。つまり見せかけであるが、下に向っては、粗野で、露骨で、率直である、つまり真相である」(同)と述べている。廣松氏にないのは、こうした点である。
 廣松氏における主体の自由は、一つには、共同主観形成の動力学というところに求められ、二つには、共同主観的理想の認識を先駆的に決意性として選択するということにあるとされた。それは、自由を「必然への服従が、ここに自己の根源への環帰としてうけとられ、自由即必然、必然的自由として、必然への洞察たる科学そのものが随順に転化され、そこに人間における絶対自由のまさにその同行において、「自由の王国」はこの地上に生まれ出るであろう」(『唯物論と主体性』現代思潮社18頁)ととらえる主体性唯物論者の梅本克巳氏の自由論とは違う。戦後のスターリニズムに反対する新左翼に大きな影響を与えた主体性論は、哲学的には、西田幾太郎の思想を一つの源流とし、マルクスの初期の『経済学・哲学草稿』や「フォイエルバッハ・テーゼ」を基礎としていた。
 この西田哲学は、初期の純粋経験の立場から、後には、ヘーゲルの現象学の領域に踏み込んでいき、その中で、行為的直観という実践的な視点を取るにいたり、社会哲学や政治哲学などを基礎づける方向に転じた。そこで、まるで、初期マルクスのようなヘーゲル左派的な観点を打ち出すようになる。その基本的な性格は、梅本氏が言うように、自由主義的なものである。西田は、西田幾太郎全集の付録11の1940年3月7日の対談で、「全体主義というのは何もかもその全体というだけ。個人というものを否定してゆく。否定してゆく、個人主義というものが悪いとか。そこで個人主義と全体主義というものがどういうところで互いに結びつかなければならぬかという意味がわかっておらんというんだ」と述べている。西田は、個人と全体の双方を否定しつつ同時に結びつけることを、無の論理を使って行うわけである。この対談では、まるで戦時体制を批判しているように聞こえるが、そうではなくて、全体主義と個人主義の結合を主張しているのであり、「革命的」なことを述べているわけではない。しかし、彼の門弟たちからは、ドイツ・イデオロギーを取り入れたと言われる和辻哲郎やマルクス主義に傾倒していく者が出た。それは、西田のヘーゲル現象学的な社会哲学や政治哲学や歴史哲学などの領域への踏み込みがあり、そこで、現実的な人間の主体性の解明という領域に踏み込んだことによるものだろう。そのことは、以下の西田の言うところと、マルクスの『経済学・哲学草稿』の一部に似たところがあることからもうかがえよう。

 「歴史的現実の世界は制作の世界、創造の世界である。制作というのは我々が物を作ることであるが、物は我々によって作られたものでありながら、何処までも自立的なものとして逆に我々を動かす、加之我々の物を作る働きそのものが固、物の世界から生まれるのである。物と我とは何処までも相反し相矛盾するものでありながら、物が我を動かし我が物を動かし、矛盾的自己同一として世界が自己自身を形成する、作られたものから作るものへと行為的直観的に動いて行く。我々は制作的世界の制作的要素として、創造的世界の創造的要素として、制作可能なのである。而して斯く我々が歴史的制作的なる所に、我々の真の我というものがあるのである。故にこの世界は労苦の世界である、人間は自由と必然との矛盾的存在であるのである。単に考えられる矛盾だけならば、何の当為もなければ労苦もない。世界に始があると考えねばならぬと共に然考えることはできない。それは自己矛盾である。併しその問題は姑く哲学者に任せて置いてよい。矛盾が現実の生命の事実なるが故に、我々に無限の努力があり、無限の労苦がある。無限の当為もそこから出て来るのである。矛盾は人生の事実であるのである。それは我々の生か死かの問題でもあるのである。而してそこに歴史的現実があるのである」(全集第9巻9〜10頁 一部、現代語に勝手に直している。以下同じ)。

 「対象的世界の実践的な産出、非有機的自然の加工は、人間が意志している類的存在であることの確証である。すなわち人間が、類にたいして、自分自身の本質にたいするようにふるまい、あるいは自己にたいして、類的存在にたいするようにふるまう存在であることの確証である。あるいは自己にたいして、類的存在にたいするようにふるまう存在であることの確証である。なるほど、動物もまた生産する。蜂や海狸や蟻などのように、動物は巣や住居をつくる。しかし動物は、ただ自分またはその仔のために直接必要とするものだけしか生産しない。すなわち、動物は一面的に生産する。ところが人間は普遍的に生産する。動物はたんに直接的な肉体的欲求に支配されて生産するだけであるが、他方、人間そのものは肉体的欲求から自由に生産し、しかも肉体的欲求からの自由のなかではじめて真に生産する。すなわち、動物はただ自分自身を生産するだけであるが、他方、人間は全自然を再生産する。動物の生産物は直接その物質的身体に属するが、他方、人間は自分の生産物にたいし自由に立ち向かう。動物はただそれの属している種族の基準と欲求とにしたがって形づくるだけであるが、人間はそれぞれの種類の基準にしたがって生産することを知っており、そしてどの場合にも、対象にその〔対象〕固有の基準をあてがうことを知っている。だから人間は、美の諸法則にしたがってもまた形づくるのである。/それゆえ人間は、まさに対象的世界の加工において、はじめて現実的に一つの類的存在として確認されることになる。この生産が人間の制作的活動的(werktatig)な類生活なのである。この生産を通じて自然は、人間の制作物および人間の現実性として現われる。それゆえ労働の対象は、人間の類生活の対象化である。というのは、人間は、たんに意識のなかでのように知的に自分を二重化するばかりでなく、制作活動的、現実的にも自分を二重化するからであり、またしたがって人間は、彼によって創造された世界のなかで自己自身を直観するからである。それゆえ疎外された労働は、人間から彼の生産の対象を奪いとることによって、人間から彼の類生活を、彼の現実的な類生活を、彼の現実的な類的対象性を奪いとり、そして動物にたいする人間の長所を、人間の非有機的身体すなわち自然が彼から取りさられるという短所へと変えてしまうのである」(岩波文庫96〜7頁)。「対象的な感性的な存在としての人間は、一つの受苦的〔Ieidend〕な存在であり、自分の苦悩〔Leiden〕を感受する存在であるから、一つの情熱的〔leidenschhaftlich〕な存在である。情熱、激情は、自分の対象にむかってエネルギッシュに努力をかたむける人間の本質力である」(208頁)。

 西田幾太郎は、『善の研究』の純粋直観の立場から、後に行為的直観の立場に移行して、歴史や社会といった現実の領域に、絶対矛盾の自己同一なる論理を立てて、踏み込んでいる。彼が制作という概念を導入したのは、ヘーゲル的な歴史哲学を意識しているのだろう。だから、ヘーゲル左派であったマルクスのこの時期の思想と似たような部分があるのも当然なのだろう。しかし、西田の場合は、そこに人間一般の作る働きであるとか、それが絶対矛盾的自己同一的に自己生成していくとか、だからこそ、労苦するのだとか、仏教的な思想や世界観やロマン主義的な表現主義であるとか、いろいろな思想が、無の媒介によって、結び合わされている。
 それは、「歴史的世界においては主体が環境を限定し環境が主体を限定する。主体と環境とは何処までも相反するものでありながら、主体は個性的に自己自身を否定することによって環境を限定し、環境は個性的に自己自身を否定することによって主体を限定する。主体と環境とは個性を通じて相互否定的に相限定し、世界は作られたものから作るものへへと個性的に自己自身を限定して行く。主体というのは矛盾的自己同一の作用的方面であり、環境とは見られた物の方面である。作られたものから作るものへと、世界が個性的に動いて行くということは、世界が表現作用的に自己自身を形成し行くことである。而してそれは絶対否定によって媒介せられるということ、絶対に超越的なるもの、絶対無によって媒介せられるということである」(同51頁)だと西田は言う。
 ここで西田は、無に絶対的という規定を与えられている。これは、それに対して、相対的な無というものがありうることでもある。このようにして、無にもいろいろあるということを主張した点が、西田の無論の特徴なのであるが、その元には、仏教における唯識論の影響があるのだろう。西田の思想は、一見すると、ヘーゲル的な観念論のように見えるのだが、その根底に絶対無というものを置くことによって、現実的な歴史的変化を取り入れられるようになっている。もちろん、そのことは、ヘーゲルの論理学においても、有と無の対立からの成という形で述べられてはいるのだが、その無はあくまでも無一般、抽象的な無にすぎないものであった。つまり、どんな有も否定できるということ一般でしかない。西田の場合は、絶対無と絶対有との対立と絶対的矛盾の自己同一という規定によって、弁証法を歴史の生成発展の根本に置く。それに対して、ブルジョア経済学などの諸科学は、社会が歴史的に変化してきたことを経験的知識的には認めているが、その理由を明らかにすることなく、ただ目の前の諸関係を永遠であるとして扱う。そのことは、ベンサム・ミルらが、人間心理や道徳を、ただ、目の前にある現象を拾い集め、整理したにすぎないものを、人間一般の心理や道徳として示したことで明らかである。ミルは、自らの道徳論を、既存のキリスト教道徳と一致すると述べた。
 西田は、「人間が環境を作り環境が人間を作ると考えられる。併し人間があって世界があるのではない。人間というものも、歴史的に造られたものである、歴史的世界から生まれたものである。歴史の世界には単に与えられたものというものはない。与えられたものは作られたものであり、作られたものから作るものへの世界である。作られたものから作るものへの頂点において、人間というものが生まれるのである。かかる世界は単に独立する多の外的な相互関係として機械的に考え得る世界ではない。又単に一つのモナドの発展の如く合目的的に考え得る世界でもない。絶対矛盾の自己同一として多が一一が多の世界でなければならない。多即一一即多の絶対矛盾の自己同一の世界が作られたものから作るものへと動き行く世界であり、作られたものから作るものへと動き行く世界は多即一一即多の絶対矛盾の自己同一の世界であるのである」(78〜9頁)とのべ、仏教における「即」を絶対矛盾の自己同一という概念に解して、対立物の統一をはかる。これが、ある種の融和主義になることは明らかである。その点について、西田派の和辻哲郎に師事し、後に、マルクス主義者となり、主体性唯物論者となった梅本克巳は、「西田哲学は、・・・唯物論と観念論との「止揚」を企図したもので、明治以降の天皇制絶対主義下の日本的近代的自我が自己を基礎づけるために生み出した、きわめて日本的な観念論である」(『唯物論と主体性』現代思潮社336頁)と述べているが、個と全体を「即」の論理で結び合わせようとしたのには、そうした意図があったものと言えよう。ただし、それは、後に、種の次元を導入することで、具体性を与えられることになる。そうしなければ、特殊具体的な現象世界の論理を解明できないからである。個と全体の対立ということだけだと、個人と全体あるいは全体としての国家とか世界の対立しか出てこず、例えば、現にある民族という現象を説明できないのである。あるいは、「具体的人格は歴史的身体的でなければならない。社会は作られたものから作るものへという歴史的生産作用として成立し、我々の自己はかかる矛盾的自己同一的に自己自身を形成する社会の形成要素としてあるのである」(哲学論文集第3集210頁)。という時、全体は、絶対的一般者としての神という極であくまでも一なるものであり、個人は、個物的多としてあることが、矛盾的自己同一であるというあり方においてある。われわれは、すでにデュルケーム・廣松氏の社会論を見たので、この神が、社会の「魂」として物象化されたものであると理解することができる。
 こうした部分で、西田が、この頃、哲学において、現象学などの新潮流が生まれたことに、彼なりの対応をしようとしていたことがうかがえる。そこで、彼は、リッケルトなどの新カント派を批判して、弁証法などヘーゲル哲学から、具体的世界の論理的解明を志したと言えよう。そしてそれを、「即」の論理を絶対矛盾の自己同一として、そこから、見ること=働くこと、作られたものから作るものへ、無を媒介とした自己発展、等々の現象世界の基本論理を明らかにしようとしたのである。
 とはいえ、それは、「東洋的無の宗教は即心是仏と説く。それは唯心論でもなく神秘主義でもない。論理的には、多と一との矛盾的自己同一ということでなければならない。一切即一というのは、一切が無差別的に一というのではない。それは絶対矛盾的自己同一として、一切がそれによって成立する一でなければならない。そこに絶対現在として歴史的世界成立の原理があるのである。我々は絶対矛盾的自己同一的世界の個物として、いつも之に対するということもできない絶対に接して居るのである」(217頁)という仏教的な論理を哲学化したものでもある。それは、東洋と西洋の融合・統一の論理でもある。そして、西田は、神を道徳の根拠としてもちだし、さらには、倫理的実体としての国家ということを主張している。
 他方では、「或民族が一定の土地に住み、一定の生活を営むことによって、一つの社会が形成せられる。人間が自然と結合するというのは、技術的に結合することでなければならない。最始に云った如く、我々は身体的存在でありながら、身体を道具として、表現作用的に物を形成することに可能なのである。如何なる原始的社会と云えども、その存在的基礎として、何等かの経済機構を持たなければならない。而して経済機構と云うものは技術的に成立するのである。私の所謂歴史的身体的なものでなければならない。技術というのは、個人的と考えられるが、技術は言語などと同じく、その成立の根拠において、社会的でなければならない。ギリシャ人は最初に技術を神の賜物と考えていた(Espinasによる)」(284頁)と述べ、唯物論的なことを言う。梅本氏は、西田哲学の特徴は、観念論と唯物論の「止揚」を目指したというとおり、西田哲学は、半唯物論的である。
 西田は、「或民族が、或自然的環境において、技術的に生活を営むことによって、社会が形成せられるのである。無論、そこに主体というものがなければならない。民族というものが主体的と考えられる、而して民族というものは種族的と考えられる」(283頁)として、現にあるものをそのまま無批判に主体として立てることで満足している。これは、ある人々がある自然的環境において、技術的に生活を営む、つまりは生産活動と生活を営む経済活動によって、社会が形成され、それが主体となるということをひっくり返したものである。それは、『経済学・哲学草稿』で、マルクスが、まだ、ヘーゲル左派として、「自己意識」の哲学から抜け出ていなかったのと似ている。すなわち、マルクスは、「動物はその生命活動と直接的に一つである。動物はその生命活動から自分を区別しない。動物とは生命活動なのである。人間は自らの生命活動そのものを、自分の意欲や意識の対象にする。彼は意識している生命活動をもっている。〔人間は生命活動をもつものとして規定されるとしても〕それは人間が無媒介に融けあるような規定ではないのである。意識している生命活動は、動物的な生命活動から直接に人間を区別する。まさにこのことによって人間は一つの類的存在なのである。あるいは、人間がまさに一つの類的存在であるからこそ、彼は意識している存在なのである。すなわち、彼自身の生活が彼にとって対象なのである。このゆえにのみ、彼の活動は自由なる活動なのである、疎外された労働はこの関係を、人間が意識している存在であるからこそ、人間は彼の生命活動、彼の本質を、たんに彼の生存の一手段とならせるというふうに、逆転させるのである」(95〜6頁)と述べ、この段階では、意識をもって、人間を動物と区別しているのである。それに対して、『ドイツ・イデオロギー』以降においては、マルクスは、人間を社会諸関係の総体と規定し、社会関係をもって、動物と人間の区別を立て、それを人間性の基本規定としている。
 『ドイツ・イデオロギー』の段階では、このようなヘーゲル左派的な観念論から抜け出て、同時期の「フォイエルバッハ・テーゼ」においては、フォイエルバッハの唯物論を批判するまでに、唯物論の立場を徹底させていくのである。
 フォイエルバッハ・テーゼの第一テーゼは、「いままでのすべての唯物論(フォイエルバハのもふくめて)のおもな欠陥は、対象、現実・感性がただ客体または直観の形式のもとにのみとらえられて、感性的な人間的活動・実践としてとらえられず、主体的にとらえられないことである。したがって活動的な側面は、唯物論とは反対に抽象的な観念論―これはもちろん現実的な、感性的活動をそのものとしてはしらない―によって展開された。フォイエルバハは感性的な―思惟客体から現実的に区別された客体を欲する。しかしかれは人間的活動そのものを対象的活動としてとらえない。だからかれはキリスト教の本質のなかで理論的な態度だけを真に人間的なものとみなし、これにたいして実践はただそのきたならしいユダヤ的な現象形態においてのみとられられ、固定される。したがってかれは『革命的な』『実践的・批判的な』活動の意義をつかまない」(『ドイツ・イデオロギー』岩波文庫)と述べている。
 ここから、主体性唯物論が展開されるのであるが、それは、スターリン主義の弁証法的唯物論の機械主義的な体系に反対する一派をなすことになった。戦前の唯物論研究会で加藤正が起こした主体性論争が、フォイエルバッハ・テーゼを根拠として行われ、それは、加藤の除名に結果したが、戦後の主体性論争も、このテーゼをめぐって論争されたのである。それに、戦後主体性論争の場合は、戦争体験が色濃く反映されており、さらには、中国革命や中ソ論争やハンガリー事件やチトーらのユーゴ・スラヴィアからのソ連批判であるとか、様々な契機が加わって全面的な論争になった。いずれにしても、その中で、「フォイエルバッハ・テーゼ」の第一テーゼは、マルクス主義的唯物論のポイントになっているのである。

梅本克巳の自由論

 戦後主体性論争の当事者の一人だった梅本克巳は、「人間的自由の限界」という論文で、自由とは、「人間が人間の主人たること」(エンゲルス)と規定している。それは、「人間が自己自身の意識的主人公となる」(『唯物論と主体性』現代思潮社3頁)ということを意味すると梅本はいう。もちろん、その前提として、「物質的に各人が自己の主人公となること」(同)を述べている。そして、戦後という時代状況を踏まえて、「悲しいことではあるが結局われわれに智慧を与えてくれるものは苦悩の現実である。それが深ければ深いだけ迷いも少いといえるであろう。現存のものによってはもはや救済のぬけ道はないということの自覚だけが、一切の右顧左眄をたちきってくれるのである。残されたものはそれへの推移の技術的措置にあるといってよかろうが、問題は、そうした共産主義の背景とする立場において、人間の自由の可能性が究極においていかに取扱われているかである。そこにおいて自由を与えられる人間なるものに対して、共産主義において、また総じてその背景をなすマルクシズムの哲学において、人間における自由の、その可能性の背後が、どれほどまでに自覚されているかといるかということである。そこで十分に発揮されるといわれる個性とか人格というものの背後にあるものについてそれがどれほどまでの洞察を下しているか、そこで平等に食を与えられても、そこに前提される人間に対してホモ・ファーベル以外の規定を許さぬとすれば、結局、人間はついに人間に還帰しえないのである」(同3〜4頁)と述べている。
 他方では、歴史を階級闘争の歴史と見ることには自ら限界がある」(同5頁)と述べている。問題は、「人間の非人間的支配の根拠は、すべて、客観的なもののうちに横たわる法則の無知からくる」(同6頁)だと氏は述べる。その上で、「意志の自由とは、事実の知識を以て決定するという能力以外の何ものでもない」(8頁)という言葉を自由の主体的根拠を欠くが、正しいと言う。それには、「作ることと作られることとの相互媒介、原因と結果との相互転換、必要と自由との交錯、その系列をぬう自由の前提は当然みとめられねばならない」(同9頁)。そして、「歴史はそれが先行のものからでてくるものでありながら、しかも先行のものを超えるものを含むことによって成り立つ。歴史は無からの創造を前提する。既存の必然系列のうちに、自己の背後に何ものをももたざる新たなる必然系列のふみこむことを可能ならしめるものとしてである。真正の意味で偶然が必然に転化するとはかくの如きものである」(同10〜11頁)と述べる。
 この前提として、ヘーゲル的弁証法を使いつつ氏は、「運動する物質は一定の条件の下に精神に転化する。そこで物質は、自己を意識し、その自己意識とともに、物質は自己を超える。物質の秩序の外に出るのである。そしてこの外に出たものに対してはじめて、物質が認識の対象となる。物質はその自己意識において、物質を超え自らに対して、すなわち物質に対して、絶対なる他者となる。精神となる」(同13頁)と述べる。この自己意識が、個人意識ではなく、社会意識であり、人間意識であるという点を、廣松渉氏なら指摘するところである。それは、『ドイツ・イデオロギー』で、言語をもって意識の発生と見なす記述があることからもそうである。言語をもって交通することで意識が発生するならば、それ以前に、自己意識は存在しないのである。あるいは、それは、社会的意識の中で、自他を区別する意識が発生するのである。すなわち、「言語は、意識とおなじだけふるい―言語とは、実践的な、他の人間たちのためにあってこそ、はじめてまた、私自身のためにある現実的な意識である。そして言語は、意識と同様、まず他の人間たちとの交通の要求、渇望からうまれたものである。なんらかの応答関係(ein Verhaltnis)が存在する場合、その関係は、私にとって存在している。動物は、なにに対しても《応答し》ない。およそ応答関係をもたない。動物にとっては、他のものへのかれの応答関係は、応答関係としては顕在化しない。意識はそれゆえ、そもそもの始まりから、すでに社会的産物であり、およそ人間があるかぎり、それはかわらない」(『ドイツ・イデオロギー』合同出版59〜60頁)。
 梅本氏は、エンゲルスが、「階級支配の記憶のなくなったとき、そのときはじめて真実の人間の道徳がよみがえるであろうといっている」(16頁)と言っているが、続いて、「罪悪こそは、何にもまして自由への、その可能性への問を不可避ならしめるであろう」(同)と述べ、自由と罪悪を結びつけている。その上で、「もとより人間的自由の可能の許しうるかぎり、われわれは一切の罪悪の根源をわれわれの手によって除去されねばならない」(17頁)と述べる。それには、「一切の安易なる諦念、妄想の欺瞞を破り、一切の神秘をはぎとる科学こそは真実の神の言葉であるともいえる」(同)と述べ、科学の力を頼むしかないと言う。そして、「自己意識にとって自己脱出が不可能であるとすれば、その「奪命」を自己の業としてうけとりうるはずもなく、まさにそれは「神符」としてうけとられる。ここに科学、また総じて人間努力それ自体が、「無」の自己還帰として反省されるのであって、親鸞の三顧転入といわえるものもこの反省の感慨以外のものではない」(17〜8頁)と言う。それは、「必然への服従が、ここに自己の根源への還帰としてうけとられ、自由即必然、必然即自由として、必然への洞察たる科学そのものが随順に転化され、そこに人間における絶対的自由の行が、科学の場所において、行ぜられ行ずるのである。この行を同じうすることによって、まさにその同行において、「自由の王国」はこの地上に生まれ出るであろう」(18頁)と言う。氏の言うように、自己意識にとって自己脱出が不可能であるならば、それはそれが必然であるということを意味する。自己意識は、必然であるという洞察、自己意識を超えられないという必然性の洞察によって、自己意識の自由即必然として実践・行為を行うことが、「自由の王国」の現実化であると言うのである。
 かくして主体は、自己意識の牢獄の中から抜け出せず、それは、科学的洞察の進展によって明らかにされる必然への服従によってのみ、自己の根源は無だが、行為においては、自由であるという自由即必然という絶対弁証法的に「自由の王国」が成立するというのである。
 自己意識が社会的意識であるという点については、廣松氏の論から明らかであり、さらに、ミッシェル・フーコーは、近代的主体が、自己意識の牢獄として、ミクロな権力によって生み出され、自己が自己を監視するという形で、作動させられているシステムであることを強調している。そのことは、功利主義が、合理的経済人を啓蒙によって作ることと同時に、ベンサムが、一望監視システムの監獄を考案するなど、近代的処罰システムを提示したように、労働者大衆の規律をできるだけ自動化されシステム化された形で設計しようとしていたことからも明らかである。工場・職場において、労働者に資本の指揮に従った労働を強制する必要があり、さらに、それは、熟練や団結をたてに職場支配権を実効的に掌握してしまう労働者に対して、できるだけ穏やかで自動的に資本が願う労働規律を守らせる社会的システムの構築へと資本主義イデオローグを駆りたてたことの証拠である。その際に、人間心理が重視され、そのために、人間心理の歴史的集計や比較検討が行われた。とはいえ、それは、功利主義的主体の類型として構成されたのであり、結局は、類型化された人間心理のモデルを強制するものでしかない。フーコーは、教育・訓育の手段は、暴力的強圧的なものではなく、穏やかで平和的なものとなって、個人化が進められたのというのである。そこで、自由というものも、個人化と結びつけられるようになる。
 梅本氏は、自由を個人意識と結びつけ、その個人意識が、物質から意識が生まれた時と同時に生まれたと主張している。物質と意識は絶対に他者であり、そこで、氏は、個人意識の誕生と罪悪の誕生を結びつけているのであるが、社会意識と道徳意識、したがって罪悪もまた社会的事実であるというデュルケーム的観点からすれば、おかしなことを言っている。梅本氏によれば、罪悪は、その社会の規範に対する違反であるが、未来の道徳の基準に向かうための自由な行為である。未来は、現在からすれば未だ到来していない「無」であり、意識のなかで空想しうるにすぎない。しかし、自己意識に浮かぶ空想は、社会的意識の部分であり、社会的理想を反映しているかもしれない。それに対して、科学が神の役割を果たして、人間を全知全能化していくとするなら、それは、梅本氏の論の場合は、自己意識の全知全能化=神化ということを意味することになろう。すなわち、それは、個人の神格化をもたらすことになろう。そして、それと科学的認識が同行するということは、事実上は、個人神格化の道具と化すことになろう。とはいえ、梅本氏自身は、「わたしたちの魂のすみずみまでを犯しているふるい社会の因襲がどのようにぬきがたいものであるか、私利私欲、相互不信、他人をおとし入れるためには手段をえらばぬ、卑劣、―こうしたふるい社会の発酵物は形は異っても共産主義者の内部を犯すものであり、共産主義者はすでにそれから自由であるとはいえないのである」(同252頁)と述べ、それに対して、内面的な人間変革の困難に屈服しない人間性の高さ、美しさを共産主義者の理想像として掲げているのであるが、その後の主体性論者の中からは、自己絶対化・自己神格化をはかり、党=特定人格の自己意識としてほとんど宗教化する宗派が生み出された。
 もとより、これは近代的資本主義社会における個人や個人主義の歴史的特殊的性格についての話しであって、超歴史的な個人一般の否定でも自己の否定ということでもない。それらは歴史的に変化するもので、「作られて作る」ものとして時代性を持っているということである。自己否定を強調する梅本氏も、その場合の自己とは、社会化された自己であると述べている。それに対して、廣松氏は、そもそも社会が形成する自己・社会的自己しか存在しないと述べている。それが、『経済学・哲学草稿』と『ドイツ・イデオロギー』の違いを反映していることは確かだが、マルクス・エンゲルスは、『ドイツ・イデオロギー』の中で、哲学者の用語と断った上で、疎外という概念を使っており、その意味内容は、止揚されているのであって、完全否定して捨て去ったというわけではないのである。(つづく)




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