共産主義者同盟(火花)

小沢民主党の行方(2)

渋谷 一三
317号(2008年1月)所収


<2008年>

 各種新聞の世論調査によれば、今総選挙をするなら、民主党に投票するとした人が、第1位で、民主党が政権を取る可能性が極めて高い。
族議員の古賀選対委員長の圧力により決定したであろうガソリン税の一般財源化阻止に対し、民主党は次の内閣の大綱として、ガソリン税の一般財源化と特例の10%増し課税の廃止を決定した。歓迎できる政策ではある。しかし、それ以外には具体的政策を出すことが未だにできておらず、準備不足の感は否めない。
それにしても、自民党政権の対米追随・利権政治にはうんざりしており、民主党政権の誕生の年となるとして対応すべきでしょう。
米国の通貨ドルの下落はとどまることがなく、ユーロ発足時と比べて約半分に下落した(発足時1ユーロ0.8ドル。07年末1ユーロ1.47ドル)。この傾向は08年も続くこととなり、基軸通貨の地位をユーロに譲る年となる可能性が大きい。いずれにしても時間の問題であることは間違いない。ということは、大きな情勢の変化をもたらす。米国が産業資本においても再び輸出国に転じる可能性が出てきたのであり、ある種の産業においては日本企業の競争相手として復活する可能性も出てきた。米国はすでに十分に格差社会であり、労働者の平均賃金は日本の半分になっているのである。
米国に追随して日本も、日本に遅れて韓国も格差社会になった。階級間の対立は鋭くなり、低所得階級は労働力の再生産費が安くなったことに照応して、教育からもDrop out(落ちこぼれ)した。勉強などする必要がないし、たかの知れた勉強をしたところで年収200万以内の労働にしかつけないことが「約束」されている。「荒れ」は学校から家庭へと深化している。もちろん犯罪も増加し、凶悪化している。08年にはこの傾向もまた深化する。

<格差社会を緩和できない民主党の政策>

1998 裁量労働制の対象を拡大する労基法の改悪
1999 派遣対象を原則的に自由化した労働者派遣法の成立
2000 労働者派遣法の改悪=製造業への派遣解禁。派遣期間を1年から3年に延長。裁量労働制の導入要件の緩和・期限付き労働契約の期間延長(1年→3年)。                    
この一連の労働関係法の改悪により、職に拘束されることを嫌う「フリーター」という一部の若者の「優雅な」現象が、低賃金でかつ正社員に従属させられる奴隷的労働へと姿を変え一般化した。
Goodwill(=善意。ディスコから経営資源を派遣に鞍替えしてグッドウィルグループをつくり介護保険制度を利用して介護分野で成り上がった何某という人物の経営する会社)グループだけではなく、贈収賄で潜行していたリクルート社、「ほりえもん」で有名になったlive door社、楽天市場で成り上がったかのようにみえる人材派遣の楽天グループなどなど、人材派遣業は今や成り上がりを輩出している業種となった。
逆に言えば、労働者派遣という業態を取り入れることによって企業は人件費を抑制し、自由に解雇できる労働力を手にすることが出来、経営の「リストラ」に成功して来たと言える。
労賃の切り下げの迂回経路が完成したのだった。
05年には早くも「下流社会」という本が出版される。趣味から食生活、購買傾向、性行動さらには人生観に至るまではっきりと異なる社会階層の登場を豊富な資料を駆使して描いて見せた名作。そして、06年には「格差社会」という本が出版される。階層の固定化が進行していることを指摘した点がポイント。要するに、「抜け出られませんよ」ということで、教育の荒廃から家庭の荒廃へと連なる労働者階級下層の成立と荒廃を摘出している。
98年から僅か7年という急速な変化だった。
民主党は格差社会の是正をうたうが、一連の労働法改悪を改正する構想は全くもっていない。唯一具体的なのは、農民への補助金の交付であり、疲弊し荒廃している都市部の労働者下層階級への「格差是正」策を打ち出すことが出来ていない。このままでは、自民党に農民への補助金交付政策を取られかねない。この政策を取られたら最後、民主党の過半数議席の確保は難しい。依拠する階級・階層のはっきりしない中途半端な政党に逆戻りするだけの話ではある。昨今キャンペーンを張られた給食費未払いの家庭の急増とか朝食抜きの児童の増大などを担っている階層は、都市部の下層労働者階級なのである。高速道路料金の無料化で喜ぶのは、週末の小旅行を楽しめるプチブル層と労働者上層部ならびに輸送業者を筆頭とする産業ブルジョアジー、そして皮肉にも荒廃した下層階級の暴走族ぐらいのものである。この程度のことでは、都市部の格差是正とは何の関係も無い。必要なのは、労働関連法の復旧ないし改正である。
教育に関しても然り。荒れから荒廃へと進行している下層労働者階級の子弟は、先にも述べたように、中卒程度の勉学すら必要の無い単純労働にしか就けない。したがって、勉学などに努力するつもりなど毛頭も無い。さらに嫌が応にも、高級化した商品やビル群を目にする。駅のコンコースは人造大理石でぴかぴかに光っているのに我が家は掃除することにすら疲れた主(婦・夫)不在の「共稼ぎ」世帯の雑然とした環境なのだ。この落差は、小学校高学年にでもなれば漠然としたものではなくなる。教員を増やしたところでどうとなるものでもない。

<グローバル経済の必然か?>

韓国も格差社会になってきた。ノムヒョン政権のせいとする向きもあるが、そうとも言えるし、そうでないとも言える。経済のグローバル化という掛け声の下に、韓国ブルジョアジーのいいなりの経済政策を取ったという意味では、ノ・ムヒョン政権のせいだが、経済のグローバル化が格差社会を必然的にもたらすのであれば、ノ・ムヒョン政権のせいではないといえる。
民主党は、このことへの態度を明確にする必要がある。経済のグローバル化が格差社会を必然化させるのか否か。態度を明確にはしていないが、その政策を見る限り、経済のグローバル化が格差社会を必然化させると「思っている」のが民主党である。したがって、格差の緩和を提言しようと四苦八苦している。無理もない。格差の緩和ではできることはほとんど無い。補助金や生活保護的政策を打ち出せば、それに巣くう人間が必ず登場するし、失業保険と同じで、ブルジョア階級が労働者を簡単に馘首できる環境を整え、労賃を下げる保障となるだけのことだからである。この政策の財源を労働者階級から取る消費税の増額かブルジョア階級から取る法人税の復旧という選択肢のどちらを選ぼうと、こうしたまわりくどい方法より、直接に労賃を下げる手法の方が、社会的コストが格段に低くて済む。結局、社会全体としては、直接に労賃をさげる新自由主義の方が優れているということになる。
民主党の労働政策は、労働諸法の改正ないし復旧を決断しない限り、新自由主義に負ける。
筆者は、資本主義を前提にしたうえで、なお、経済のグローバル化が格差社会を必然化させるとは考えていない。少々迂回するが、次にこの事情を検討してみよう。

<世界経済の平準化?>

 今日資本は日夜国境を超えている。株式市場はインターネットで結ばれ24時間世界のどこかの市場が開いている。金融もネット化されており、膨大な量の金が取引と通して瞬時に世界中を移動している。
 企業も国境を越えている。国境を越えてはいるが国籍を超えているわけではない。産業の空洞化が叫ばれた90年代、日本企業は労賃の安い韓国、ついでベトナムそして中国・インドへと企業進出を果たした。電気製品などは軒並み日本製だがほとんどが海外で生産され、最終組み立てのみ日本で行う状態になっていた。今や、それすらもなくなりつつあり、日本企業が外国籍で生産することが珍しくなくなっている。
 労賃の安い外国の労働者と競争するには、日本の労働者の賃金はたとえば中国の労働者の低賃金と同じ水準にまで引き下げられなければならない。だが実際はそうはなることが出来ない。為替相場というもう一つの帝国主義の支配機構によって、為替上日本の労働者の賃金と中国の労働者の賃金が同じになった場合、日本の労働者のほうが遥かに貧しい生活状態に置かれる。物価の水準が同一ではなく、中国の方がはるかに安いからだ。為替の実際上の不均衡によって輸出入が成立してもいる。中国が自国通貨を安く設定しているのも輸出立国という現在の方針に基づいているのである。したがって、日本の労働者の賃金は、中国の労働者の賃金より名目上高くあり続けなければならない。
 もう一つの事情もある。日本企業は国境を越えて展開しているが、その購買の多くを日本国内に頼っており、日本の労働者の賃金をある程度維持しておかなければ、せっかく安く生産しても販路が少なくなるという事情がある。国籍を超えることは出来ないのだ。企業の株の過半数以下を外資が持っていることが当たり前になっていても、この外資は今夜にでも株を売却してより安く購入できる他国の企業の株式に変わっているかもしれない。この点でも、国籍を超えられていない。
 さて、この事情を逆さに見てみると、賃金の世界的平準化は完全には進まないばかりではなく、企業の利益率・商品価格・技術力の世界的平準化も完全には進まないということが分かる。企業の世界的平準化が傾向であっても、平準化されてしまえばその企業は埋没・倒産という憂き目しかなく、不断に平準化に抗して生き続けなければ生きながらえることが出来ない。
 ある日本企業が世界的に存続できているということは、その企業の労働者の賃金を世界的平準にしないで済む力があるということであり、高価格で販売しうるということである。同じ技術水準を持つ企業の国際的競争の場合、その「母国」の生活水準やら社会保障の水準やら、消費傾向やらの複数の要因が競争の行方を左右することになる。法人税を国際水準に下げるという小泉内閣の政策が取られたのも、こうした事情に由来する。
平準化の不断の傾向と差別化への不断の挑戦のバランスの上にしか世界企業の存続はなく、危ういものでしかない。
 しかし、だからといって平準化してしまえば真の意味でのグローバル経済は出来上がっても資本主義としての企業の存続はなく、日本企業に相対的に高い賃金を支払わせることは必要な矛盾としてあり続ける。

 さてこうしてみてくると、いまや飛ぶ鳥を落とす勢いの派遣業は絶滅させてよいという結論が導き出される。派遣業の手数料は釜ケ崎の手配師の水準よりも高い暴利であり、社会的コストは派遣業者の富の分だけ高くついている。この分を全て削って労働者の取り分にしても、企業にとってのコストは同じだという理屈である。簡単に首を切れない労働者という「不自由」を飲んでも、「格差是正」のための社会的コストより遥かに安上がりというものだ。

民主党はさっさと労働関連諸法の復旧を政策に掲げるべきである。




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