共産主義者同盟(火花)

唯物論戦線の構築のためのノート(1)

流 広志
312号(2007年8月)所収


 イギリスの経済学は、同時に、倫理学(道徳学)でもあった。その基本になったのは、功利主義である。竹中=小泉構造改革路線は、功利主義を欠く、禁欲道徳を説教した。小泉は、人々に向かって、「痛みに耐えて我慢せよ」と繰り返した。プロテスタント的な禁欲主義が、節約から蓄積を生みだしたと説くマックス・ウェーバーのように、資本主義は、「節約=蓄積」によって発展するという考えのようだった。小泉=竹中の構造改革路線が、新自由主義と呼ばれるのは、古典派経済学以来の自由主義とは違う点があるからである。新自由主義は、利己心を強調しながらも、勤勉と節約の道徳を強調するアダム・スミスとそれを継承したハイエク主義の流れを汲んでいる。
 古典派経済学の源流には、唯物論と功利主義(快楽主義)倫理があった。例えば、ベンサムの「最大多数の最大幸福」の原理であるとか、J・S・ミルの全体の幸福の増進が功利主義の目的であるとかいうのがある。ところが、新自由主義の場合、全般的福祉は、利己心による完全な自由競争によって、「神の見えざる手」の人知を超えた働きによって行われる適正な配分が行われ、自動的に実現されるとした。アダム・スミスの時代の多数派の被支配階級が、新興ブルジョアジー、進歩的小ブルジョアジー、労働者などからなっていて、その多数派を旧来の支配階級から解放するのに、大いに役に立った思想であったが、ブルジョアジーが支配階級となり、その他が被支配階級になってからは、支配階級としての特殊利益を一般的利益として表現して、階級支配の現実を誤魔化す煙幕にすぎなくなった。功利心による競争は労働者の場合は労働者同士で行わされ、それによって、自らの首を絞めるものになっただけである。勤勉や節約の道徳は、労働者には厳しく求められるが、ブルジョアジーや金持ちにとって、高級嗜好品の贅沢は、一つの美徳であり、ステータスとしての必要事になっている。功利心は、ブルジョアジーには、快楽の増大をもたらすが、労働者には競争による労働条件の悪化をもたらす。もちろん中には、一握りの成功者が出て、ブルジョアジーの仲間入りを果たすものもいる。封建制度からの解放をもたらした功利主義道徳は、ブルジョア制度が支配するようになると、今度は、それが支配思想・支配道徳になって、労働者階級にとって拮抗になる。
 小泉構造改革路線という反唯物論的な「痛みに耐える」禁欲主義道徳を伴う自由主義、苦痛を通して快に達しようという苦行主義、そして、利己心をかき立てて、人間活動の活性化をはかり、その成果を一握りの成功者に独占させ、総取りさせようという「全般的福祉」の否定、アダム・スミスにあってはまだ高い位置を占めていたスコットランド道徳流の利他心の位置の引き下げ、上層の腐敗・不正に対する寛容と労働者大衆に対する非和解的な厳罰主義的な厳しい態度、自らは道徳から自由でありながら労働者大衆に高い道徳水準を求めるご都合主義、等々を根本から批判するために、唯物論戦線の闘いを強化せねばならない。また、最近、倫理学に関する議論があまりなく、自分が守らない「国民道徳」のがらくたが、教育基本法改「悪」などを通じて、強制されようとしている。そして、一般に、これと闘う側が、道徳観を共有していたり、道徳論そのものを忌避する傾向があって、それではこの分野での有効な戦線を築きにくい情況にある。もちろん、広松渉氏のように、共同主観論を基礎に、ディルケム社会学の再構成やパーソンズの機能主義的社会学への注目であるとか、システム論的あるいは機能主義的な規範問題へのアプローチということを課題として説き(『世界の共同主観的存在構造』)、『唯物史観と国家論』で、その展開をある程度するという試みもある。それでも、積み残された課題が多いように思える。それはやはり人間行動の原理というか、行為の動機やその仕組みというか、要するに、ベンサムが言うところの「意志の論理学」にあたる領域の議論の必要を意味しているのではないだろうか。このレベルでの戦線構築も必要だと思うので、以下、それに資するであろう論点を考えていきたい。

功利主義と唯物論

 功利主義者たちの前提は、個人主義であって、抽象的普遍的個人の同型性ということが仮構されている。それが、功利主義者とエピクロスの違うところである。エピクロスは、幸福・快を善として、人間目的を幸福の追求、快楽の実現と苦痛の減少ということにおいている。彼は、価値判断、倫理・美・善悪・正邪の基準を、快か苦痛かという点に置いている。その点から、この安全を確保するために、相互に安全を保証しあう社会契約が成立したというのである。エピクロスは、「思慮深く美しく正しく生きることなしには快く生きることもできず、快く生きることない人は、思慮ぶかく美しく正しく生きないのであり、(思慮ぶかく美しく正しく生きるということのない人は、)快く生きることができないのである」(『エピクロス』岩波文庫76頁)と述べ、自らは、農業共同体で慎ましい生活を送りながら、研究や教育に打ち込んだと伝えられている。
 功利主義者が、快楽を基本的基準としたのに対して、アダム・スミスは、利己的本能を重視し、それを人間活動の基本基準と考えた。スミスの利己心は、人間本能であって、それを自由にすることによって、「神の見えざる手」の働きが、社会の利益を生みだしてくれるというのである。その点は、さすがに時代が下ってベンサムになると、「最大多数の最大幸福」という社会利益の実現のためには、「社会を構成する個々人の幸福、すなわち彼らの快楽と安全が、立法者が考慮しなければならない目的、それも唯一の目的であること、それこそ各個人が立法者に依存しているかぎり、それに従って自分の行為を形成するようにさせられなければならない唯一の目的である」(『世界の名著ベンサム ミル』中央公論社105頁)とした上で、「作用因または手段の性格をもつ快楽と苦痛そのものを考慮することが必要だろう」(同109頁)と、物理的、政治的、道徳的、宗教的源泉からの人為的制裁について書いている。

 アダム・スミスは、社会利益は、利己的個人の利己的活動が「神の見えざる手」で実現されるとして、基本的には社会に不介入の「夜警国家」論を説いた。とはいえ、彼は、『国富論』第5篇で、社会全体の一般的利益として、「社会を防衛する経費と主権者の尊厳をたもつこと」、「司法行政」、「社会全体の利益になる施設や公共事業」の三つを主権者=国家の仕事だと主張している。大河内一男の解説によると、スミスは、利己的本能が社会利益につながるのは、特権によってそれを妨害する階層(特権商人と大地主)ではなく、自由競争という条件下の、マニュファクチャ時代の新興階級階層である新興製造業者とそれと国内市場の形成によって結びついていた市民階級と賃金労働者という「社会の中層ならびに下層階級」においてであると考えた。この中層と下層は、スミスの生前の18世紀後半から19世紀の最初の3分の1の時期には、特権階級に対して共同の利害を持って共闘していた。やがて、この中層=ブルジョアジーと下層=プロレタリアートは対立するようになる。が、それは、アダム・スミス死後のことである。スミスは、マニュファクチャ時代に、新興のブルジョアジーの利害を代表したのである。
 アダム・スミスは、その経済理論において、商品価値・社会的生産物を、労働賃金(v)と剰余価値mの単なる収入に分解したために、年生産物全体が消費されうるという誤った結論の上で、重商主義に反対して、消費こそ生産の目的であると主張した。しかし、社会的生産物は、不変資本c+労働賃金v+剰余価値mに分かれるのである(マルクス『資本論』第2巻 資本の流通過程 第3編 社会的総資本の再生産と流通 第18章)。スミスは、それによって、生産の目的は、全生産物の消費であり、したがって、全体の利己心が満足させられるという誤った結論を導き出した。それは、不変資本cの加速度的蓄積を含み、消費のための生産ではなく、生産のための生産、利潤のための生産を基本とする資本制生産の真の姿ではない。しかし、やはり不変資本は当然、アダム・スミスの目に映っているわけだから、彼は、それを別の回路から導入して、説明するのである(詳しくは前掲の『資本論』第2巻第3篇第18章などを参照

 ベンサムは、快楽と苦痛の基準をもちいて、諸種の刑罰を分類・整理し、法律改正や新監獄(一望監視方式=パノプティコン)の計画までつくった。しかし、エピクロスにあっては、快と苦の間に、弁証法的関係が認められていたのに、ベンサムにあっては、それは、快苦の量計算とバランスという力学的な「意志の論理学」になっている。ベンサムは、アリストテレスの「悟性の論理学」よりも、「意志の論理学」が重要であると主張し、その理由を「悟性のはたらきがなんらかの影響力をもつことができるのは、ただ意志のはたらきを方向づける能力によるからである」(前掲書79頁)という。それは、力学主義的なブルジョア的俗物(マルクス)の見地であって、エピクロス的唯物論とは異なる。
 エピクロスは、快の生活を生み出すものとして「素面の思考」をあげている。「快の生活を生み出すものは、つづけざまの飲酒や宴会騒ぎでもなければ、また、美少年や婦女子と遊びたわむれたり、魚肉その他、ぜいたくな食事が差し出すかぎりでの美味美食でもなく、かえって、素面の思考が、つまり、一切の選択と忌避の原因を探し出し、霊魂を捉える極度の動揺の生じるもととなるさまざまな臆見を追い払うところの、素面の思考こそが、快の生活を生みだすのである」(前経書72頁)。また、エピクロスの快苦の弁証法は、「或る場合には、善を悪として扱うし、反対にまた、悪を善として扱うこともある」(前掲書71頁)というものである。そして、もちろん、彼は、快・苦が逆転する限界について言及している。快も過ぎれば、苦に転化する。その上で、彼は、快苦の種別性についても指摘している。「いずれの快も、それ自身としては悪いものではない。だが、或る種の快をひき起こすものは、かえって、その快の何倍もの煩いをわれわれにもたらす」(同76頁)。
 それに対して、ベンサムは、功利性を対象の性質として、それが、その利益の対象者に、利益・便宜・快楽・善を生みだし、気概・苦痛・害悪・不幸を防止する傾向だとした上で、この対象者に、社会を入れている。個人の利益の総計を社会の利益と見なすベンサムの社会観は、個人と社会の利益が矛盾・衝突する階級闘争の現実からして、あり得ないことである。ベンサムは、「社会とは、いわばその成員を構成すると考えられる個々の人々から形成される、擬制的な団体である」(『世界の名著ベンサム ミル』83頁)という。 そして、彼の「意志の論理学」は、事実上、快・苦の心理学・道徳学の形式的法学である。エピクロスが、認識の源泉を感覚に置いたが、ベンサムは、外部からの刺激が生み出す感受性心理として、快楽と苦痛を描いたのである。こうして、彼は、快苦の個人心理と、それに対する外部からの刺激の機械的関係を説いたわけである。そして、外部からの刺激・作用の源泉・制裁として、物理的、政治的、道徳的、宗教的の4つをあげた。ベンサムは、その中で、物理的制裁が、他の三つの制裁の基礎であるとしている。物理力という自然力は自分自身で作用できるが、官憲も人々全体も、自然力をとおしてしか作用できないからだというのである。この点で、ベンサムは、基本的に物理主義的力学主義、あるいは機械主義的力学主義というべき考えを表明している。

 その上で、彼は、「快楽とそして苦痛の回避ということは、立法者が考慮しなければならない目的であるという。したがって、立法者はその価値を理解しなければならない。快楽と苦痛とは、立法者が仕事をするための手段である。したがって、立法者はその力を理解しなければならない。そしてその力とは、言いかえれば、その価値のことである」(前掲書111頁)として、快苦の価値計算を提唱する(主観的価値説)。そして、彼は、快苦の価値を増減させる7つの条件をあげた上で、「一方においてすべての快楽を、他方においてすべての苦痛を総計する。もしも、その差し引きが快楽のほうに多いならば、それはその個人の利益について、その行為に多いならば、それはその個人の利益について、その行為に全体としてよい傾向を与えるであろうし、もしも、その差し引きが苦痛のほうに多いならば、それは全体として悪い傾向を与えるだろう」(同114頁)という。そして、それに利益を持つと思われる人々の人数を計算に入れて、快苦の総計を計算し、両者を差し引きしてみる。その結果、「快楽のほうに多いならば、その行為は一般的によい傾向をもち、苦痛のほうに多いならば、その行為は同じ社会について、一般的に悪い傾向をもつ」(同115頁)という計算になる。そして、このような計算結果に基づいて、道徳的判断、立法、司法が行われねばならないという。彼は、政府は、こうして計算された「最大多数の最大幸福」を実現するために、制裁と報償つまりは「アメとムチ」を通じて、快苦の調節をはかるという。ベンサムは、こうした社会利益の総計計算において、個人を基礎にし、その単純総計を社会利益としていて、それは、階級階層間で快苦の差がある状態を否認していることになるために、社会主義を容認する。しかし、実際には、ベンサムが基礎とする快苦を計算し快の増大を追求する個人とは、新興のブルジョア階級とプロレタリアートと進歩的な小ブルジョアの混合物の抽象物に他ならない。それは、絶対主義の支配階級たる特権商人と大地主と貴族に対しては、革命的な階級階層の利害を代表するものであり、その解放のイデオロギーであり、それに利する形で、唯物論を利用している。ベンサムの快苦の計算術は、「限界効用学派」のジェヴォンズの「快楽ならびに苦痛の計算学」に継承される。「ジェヴォンズはこの外に(生産物の使用価値以外に―引用者)彼の基礎見解たる「快楽ならびに苦痛の計算学」(Calculus of Pleasure and Pain)に関連して「労働の苦痛」(非効用disutility)なる要因を財貨形成の第二の梃子として取り上げていた」(シュムペーター『経済学史』岩波文庫下348頁)。
 エピクロスの唯物論は、ヘレニズム時代の、農業共同体の自治的な生活形態を背景にしているものである。そして彼は、政府活動の忌避を勧めている。が、ベンサムは、絶対主義政府の積極的改革を目論んだ。フランス革命に対して、その過激主義の行き過ぎには批判的だったし、基本的には啓蒙君主制主義者だったが、フランスの共和制を評価した。ベンサムの周りに集まった、ミル父子、サミュエル・ロミリー、フランシス・バーデット、ヘンリー・ブルーム、ジョン・オースティン、リカード、マカロック、ジョージ・グロート、フランシス・ブレースらは、「哲学的急進派」と呼ばれたという(前掲書21頁)。さらに、彼は、晩年には、空想的社会主義者のロバート・オーウェンのアメリカでの共産村の実験にも資金援助したという(同)。しかしながら、ベンサムの心理学と道徳学は、すでにあるそれらを整理・分類した目録に止まっている。それを、個人主義を基礎とし、功利主義を基準として、行ったのである。

 それに対して、ニーチェは、功利主義道徳は、「結局は、イギリスの道徳を正当として承認することである。それが人類に、あるいは「一般的福利」に、あるいは「最大多数の幸福」に―いなイギリスの幸福にもっとも利あるかぎりにおいて、イギリス的幸福への努力がまさに道徳の正しき路であることを、かれらは全力をあげて証明せんとする」(『善悪の彼岸』新潮文庫194頁)と批判している。ニーチェは、自己保存の本能・生命への意志から出発し、キリスト教道徳や観念論道徳の「無私」性に対して、「自我主義(エゴイズム)」を対置する。その立場からすれば、イギリス功利主義は、エゴイズムの解放が不徹底で、それがもたらす必然的帰結である「万人に対してただ一つの道徳を課するということは、ほかならぬ高級の人間に対する侵害である」(『善悪の彼岸』)、「人間と人間のあいだには順位があり、したがって道徳と道徳とのあいだにも順位がある」(同)階級階層社会の現実を否定しているということになる。そして、搾取を当然とも主張している。他方では、彼は、「「敵意によって敵意は絶するにあらず、友愛によって敵意は絶す」、こう仏陀の教えの劈頭に記されてある―こう語るのは道徳ではない―こう語るのは生理学である」というように、唯物論的なテーゼをキリスト教道徳に対置している。ニーチェの思考はあっちこっちに飛んでいる。それは脱構築的なのかもしれないが、でたらめに見える。
 仏教が生理学を含んでいるということは、少量で栄養的に優れている精進料理などをみれば明らかで、道元は、庫裡で料理を担当する典座の役割を高く評価し、『典座教訓』を著わしている。さらに、道元は、『普勧座禅儀』で、「座禅ハ則ち大安楽ノ法門ナリ。若シ此ノ意ヲ得バ、自然ニ四大(人間の身体)軽安、精神爽利、正念分明、法味(微妙な仏法の力)神(精神)ヲタスケ、寂然清楽、日用(毎日のはたらき)天真ナリ」(『道元』NHK出版73頁)と述べている。これはエピクロスの言うこととよく似ている。もちろん、仏教教団には、順位・序列があるが、少なくとも大乗仏教思想的には、生きとし生けるものすべてにひとしく仏性があるという平等主義がある。われわれのように、キリスト教道徳の支配があまり深いところにまで達していないところの人間からすると、このような主張は、現実離れしているように感じられる。日本仏教の場合、煩悩即菩提とか江戸期の天台有楽思想とか、明治初期の僧侶の婚姻公認であるとか、キリスト教的な禁欲主義は、仏教の場合それほど強くもないし、歴史的に否定されている。浄土真宗は最初からそうである。ただし、日本仏教は、中世において、世俗権力としての頂点を極め、宗派としての頂点に達したが、その後、徳川幕府の下で、抑圧されると共に末端行政機構化され、宗教としては、衰退していく。逆に、学問としての研究は逆に江戸期に進んだ。明治以後、何度も宗派改革が行われたが、基本的に、また宗教的信仰的には、中世的性格を免れず、時代に対応できているとは言い難い。信仰という点では、やはり、新たな時代情況に対応できる新興宗教に圧倒されている状態にある。また、唯物論者フォイエルバッハは、「意志とは自己規定である。しかし意志は人間の意志から独立な自然規定の内部での自己規定である」(『唯心論と唯物論』岩波文庫43頁)と述べ、ニーチェが自然的人間を否定するのに対して、人間の自然性を前提とした意志の規定を与えている。

 ニーチェは、人間生命を最上のものと見る西欧的人間中心主義に捉えられている。だから、仏教思想を生理学と呼ぶだけで、それを自然学と結びつけられないのである。そのことは、ニーチェが当時のダーウィン主義的な生理学から取り入れた「―「精神」と呼ばれるかの命令的な或るものは、自己と周囲を支配し、自己を支配者として感じようとする」(前掲書137頁)という言明に明らかである。このことは、「人間はかれらの生活手段を生産することによって、間接的にかれらの物質的生活そのものを生産する」(『ドイツ・イデオロギー』合同出版30頁)ことによる自然の征服、そして、生産関係が指定するところの意志の反映である。精神なるもの一般を人間生活から独立させてあれこれ論じることは、なるほど「あまりにも人間的な」ことであるが、可能である。共産主義が目指すのは、すべての人が支配者なので誰も支配者ではないという状態である。つまりは支配意志を否定するものではない。ニーチェのように、一握りの支配者と多数の被支配者に分かれ、後者がただ前者を再生産するために奉仕するという階級関係ではなく、階級そのものを廃絶することを目的にしているということだ。ニーチェは、ブルジョア的近代を嫌悪し否定するが、その代わりに、貴族主義を持ち出したり、任意の思いつきを対置したり、生理学から仏教からなにからを持ち出したり、生活様式や行動様式ではなく文化や芸術などの創造性を価値基準に置いたり、生存本能などを持ち出したりする。混乱した彼の思想は、ブルジョア的近代に対するアンチではありえても、それを克服し、未来を創造する現実的力を持ち得ない。他方で彼は、マルクスの友人の詩人ハイネやエンゲルスが高く評価した情熱的行動の人で詩人のバイロンやパリ・コミューンの戦士画家のドラクロワを評価し、無神論を標榜し、愛国主義・国民主義を批判し、ブルジョア的俗物をこきおろしている。ニーチェの文章は、破片のような断片からできているようだ。しかし、ニーチェが晩年には、生理学、無神論、急進主義派の評価へと行き着いたことは見逃せない。
 それに対して、彼が毛嫌いしたイギリス功利主義は、新興ブルジョアジー・進歩的小ブル・プロレタリアートに受肉して、かれらの自己解放運動の物質的力になったのである。いかに、かれらの思想が浅薄であり、俗物的であったとしても、それが、封建制からの物質的解放に力を与えたことは確かで、そういう歴史的な意義は認めなければならない。彼らの著作は、明治維新間もない日本にも翻訳され、自由民権運動に影響を与えた。

 J・S・ミルは、功利主義が、「最大多数の幸福」の原理は、全体の幸福の総計の増進のことを言っているのであり、個人の幸福のことを言っているのではないことを強調し、それはキリスト教の「おのれの欲するところを人にほどこし、おのれのごとく隣人を愛せよというのは、功利主義道徳の理想的極致である」(『世界の名著ベンサム ミル』478頁)として、既存のキリスト教道徳と変わらないことを言明する。ニーチェは、イギリス功利主義が、既存の道徳の寄せ集めにすぎないと批判し、道徳批判=反道徳→新たな道徳の創造ということを対置した。もっとも彼は混乱しているのであるが。
 ミルは、ベンサムが基本的には個人心理としての功利主義という個人の主観から抜け出せなかったのに対して、全体の利益という形で、功利主義の脱個人化を図ろうとした。したがって、ミルの場合は、「全体の福祉」「一般的福利」などを強調するのであり、その結果、ベンサムよりもさらに社会主義に接近する。ベンサムは、啓蒙君主制を支持したが、ミルは、共和主義者支持であり、代議制民主主義の支持者であり、労働組合運動の支持者であり、フーリエ主義・オーウェン主義の支持者にもなった。
 しかし、功利主義は、エルヴェシウスなどのフランス唯物論の影響を受けつつも、功利主義的個人心理学と過去の道徳の再解釈以上には出ていない。ただ、功利の心情の肯定とその正当化、功利主義個人道徳の積極的肯定によって、キリスト教的禁欲道徳を利用して自らの特権を保護していた旧貴族・特権階級などに対して、新興ブルジョア階級・新興小ブルジョア、労働者階級の旧体制に対する闘いを鼓舞し、その武器を提供したのであった。しかし、パリ・コミューンを経験した後のフランス社会学においては、階級階層を超越した個人を基礎としては、社会の解明は不可能であった。功利主義は、旧支配階級が支配的思想として利用していたキリスト教的禁欲主義に対して物質的利益の追求を肯定し、唯物論的な見方を多少取り入れることによって、被支配階級に戦闘力を与えたことは確かである。(つづく)




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