共産主義者同盟(火花)

政府について(4)

齋藤隆雄
304号(2006年12月)所収


5. リベラリズムと共和主義

 最近の規範的政治理論や構造主義的な発想では社会主義と自由主義とはきわめて近しい関係にあるという。何故かというと、どちらも集団の中の個人を個別利害を追求するエゴイストと規定するからだと。どうもこの辺から話がややこしくなってきているようだ。政府もしくは国家の問題を論じるとき規範理論や倫理問題が同時に混在することで、現実の社会が見えにくくなってきているように感じるのは私だけであろうか。
 もともと社会主義理論の規範問題と言えば、その淵源がフランス革命であるから、共和主義である。つまり、ギリシャ都市国家におけるデモクラシー思想やルソーの一般意志などが根底にある。だから、政治とは特別の公共空間を指していたと考えていい。だから、プロレタリアが高いレベルの政治意識を持っていると理解されるのも、ここに起因している。
 しかし、20世紀に入って大衆消費社会が出現したことでプロレタリア像が変化してきた。ヨーロッパの市民社会の成熟という問題がロシア革命以降の世界革命戦略に課題を突きつけたのは、この点であると理解する。文化革命の問題やヘゲモニーの問題が政府構想に介在してきたのは概ねそういう歴史的背景があっただろう。
 だから、共和主義という点で言えば自由主義(リベラリズム)は全くの相反する枠組みだということが言える。では、何故近しい関係にあると言われることとなったのか。それは、ロシア革命以降の階級闘争自体に起因している。
 政治闘争における個別政治課題においてファシズムが突きつけた課題は小さくない。ハンナ・アーレントが共和主義を守ろうとして四苦八苦したことに示されるように、いわゆる公共空間に於ける一般意志の絶対性が揺らぐことになったからである。ワイマール体制の下でファシズムが生まれたことよって、政治的意志決定におけるデモクラシーの危うさがあからさまになり、英米流のリベラリズムが大衆消費社会という新たな資本主義社会の構造展開に沿うように装いを新たに登場してきた。それは戦後の階級闘争に大きな変化をもたらした。つまり、ファシズムという敗北した帝国主義諸国の政治体制があたかも打倒されるべき独裁体制であり、勝利した帝国主義諸国の政治体制が真の民主主義体制であるかのような枠組みが左右を問わず流布した。ここに隠された欺瞞は明らかである。英米帝国主義諸国においても、ソビエト連邦諸国においてもこの欺瞞を大いに政治的に利用した。自由の戦士であり、大祖国防衛戦であり、圧制からのレズスタンスであるが故に、それは解放戦争であったのである。
 戦後の階級闘争は、共和主義の狭い公共空間への異議申し立てが個別課題として登場してきた。いわゆる戦後民主主義という闘争の基準は、言葉通りの共和主義的デモクラシーというよりも、それまで政治的公共領域から排除されていた人々の政治参加という意味合いが大きい。つまり、共和主義が持っていた、家父長的な有産者の特権化された政治領域から大衆的で抵抗的な異議申し立てを中心とする政治領域へシフトしていった。典型的には、帝国主義からの民族解放闘争であり、公民権運動であり、参政権運動であった。そこでは「どのような政府か」は問われなかった。敢えて言うなら、漠然とした「社会主義社会」というイメージだけがあったと言える。
 リベラリズムに於ける個人主義的で自主独立な主体を前提とする政治理論は、歴史的には英国に於ける宗教戦争からの脱出過程で生まれ、アメリカ独立革命でその典型が形成されたと言われている。ここには協同性や共同社会という人間の連帯性とは全く異なる社会が想定されている。リベラリズムに於ける革命性は、この個別個人の権利要求という意味に於いて戦後の大衆社会に親和的な要因があった。しかし、それはあくまでも競争社会という永遠の階級闘争概念と重ね合わされた不滅の資本主義社会を前提とされていた。
 戦後階級闘争がリベラリズム的なものへと変質していった時、既存の労働者階級政党はこの運動の持つ両義性を曖昧にしたままに個別政治課題へとのめり込んでいったと言える。しかし、このことに最初に直感的に気付き始めたのは、スターリン体制下の東ヨーロッパであった。ソ連崩壊の口火を切ったのがポーランドの連帯であったという歴史的事実がそのことを示している。東欧のソ連からの離脱という課題はソ連型社会主義理論との長い苦闘の歴史であった。それは単なる理論上のあれこれではなく、如何なる社会を作るかという問いを社会主義共和国の側からの突破口として求めたのであった。
 更に、他方ではハンガリー動乱以降の先進国労働者階級は左派リベラリズムの側からの突破口を模索していた。スターリン批判が持っていた意味は個人崇拝と独裁制、官僚制への批判に止まらず、プロレタリア独裁が持つ共和主義的限界を如何に突破するかという課題でもあった。日本に於いてプロレタリアという主体とは何かという主体性論争が起こったのは、公共領域へ参加する政治的な人間像をどのように規定するのかというファシズム的危機以降の共和主義的限界への挑戦だったと言える。更に、左派リベラリズムからの多様な抵抗闘争(反差別運動、マイノリティ運動、フェミニズム運動等)を運動の中に組み入れるためには、従来の階級概念を再規定する必要が生まれ、現在においてもなお格闘が続いている。

 私は、先に公私の関係を論じたとき、公共領域とは私的利害の闘争の場であると言った。規範的政治理論においては、このことを認めることがない。なぜなら、それを認めれば政治理論は成立しないからである。
 公共領域とは政治理論の前提であり、アリストテレス以来公私二分割という方法論は疑いを入れない公理であった。政治(ポリス)は公共領域であり、経済(オイコス)は私的領域であるという二分法はヨーロッパ社会の理念であった。政治が法を、経済が倫理をその支えにして成り立っていた。しかし、市民革命以降の共同体の解体過程においてこれらの公理は現実を規定する力を失ってきた。そして、現れたのがブルジョアジー達の社会観である自由主義(リベラリズム)であった。
 リベラリズムとは合理的個人からなる集合体という原子論的な社会観を基礎としている。それは自律的で合理的な個人が相互に主体的で合理的な判断に基づいて共同体を機械論的に構成するという考えである。ここに見られる個人とは、いわゆる土地持ちの市民というブルジョアジーの姿であり、スミスからロックへ至る近代政治経済学の基礎的な枠組みであると言える。
 では、共産主義理論はこれらの政治理論をどのように解体し、自らの社会を構想しようとしているのか。先に述べた自由主義理論との決別は今や急務の課題でもある。
 社会改革を論じようとする限り、これらの問題から遠ざかることはできない。左派リベラリズムの内部においてもこの課題は矛盾をはらんだものとなってきている。
 先頃、話題となっている「格差社会」を論じた橘木氏もこのことをつぎのように述べた。
 「リベラリズムとリバタリアンという対立する二つの考えのうち、はたして、日本は今後どちらの考え方を採用するのか。」
 また、フェミニズムからの異議申し立ては、オーキンの次の言葉で明らかである。
 「個人的な事柄は政治的であり、公的領域?家族の領域という二分法は根強く存続する男女の不平等を隠蔽する点で誤っている」
 更に、リバタリアンは次のように言う。
 「社会を構成するのは個人と個人が創出する種々の組織との間に自生的に成長した関係網である。社会は生まれるが、国家は作られる。」ハイエク『法と立法と自由』
 何故、このように公共領域を敢えて設定して人間を分割しようとするのか。フェミニズムでさえこれらの政治理論の枠組みの中で論議をせざるをえないのは、何故か。
 それは「公共」という名の組織体である政府と私人との関係如何という図柄から抜け出せないからである。政治論の貧困は、この公私という関係性から人間の社会構成体を見るという呪縛から逃れられないが故に生じると言える。そして、だからこそホッブス的なリバタリアンという自由主義と革命的実践を精神とする共産主義とが、少なくともこれらの枠組みから遠いという意味において、同じように見えるという錯覚が生じるのである。
 しかし、これら二つの両極にあるものが最も相互に遠い存在であるということも事実である。なぜなら、リバタリアンが言う個人とは血の通った歴史的で生身の人間ではなく、抽象的であたかも工場で作られた規格品ロボットと同じものでしかないからである。彼らの言う、合理的個人は論理的に相互に関わるだけであり、物と人との関係しか想定されていない。そこには人と人の関係が存在しないのである。
 他方、共産主義は物による人の支配を認めはするが、それを是認はしない。人と人との関係が物と物との関係になるという現実から出発するが、それを人と人との関係になることを目指すのである。一部の構造主義者が言うようなリバタリアンと共産主義との同一性というのは、人と物との関係を所有概念に還元するリバタリアンと物と物との関係を資本主義的生産関係の中に見出す共産主義との関係を同一と見なす強引な「政治的」解釈なのである。
 我々が今日最も留意すべきは、リベラリズムとの距離であろう。20世紀の階級闘争における最も危うい落とし穴が、このリベラリズムおよびその左派たちとの目指すべき社会像をめぐる不用意な融合である。夥しいほどの言説と思想潮流がこの中には存在するが故に、批判する精神を常に研ぎ澄まさなければ、斯くの如くの詐術に陥ってしまうだろう。




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