共産主義者同盟(火花)

共産主義のプランを大胆に提起しよう

流 広志
298号(2006年6月)所収


在日米軍再編は日米軍事一体化の米帝の日本併合推進策

 小泉政権下の最後の国会が終わった。日米同盟関係の総仕上げに向けた日米首脳会談で、政権の仕事を終えようとしている。小泉首相が8月15日の靖国参拝での政権のシメを狙っているという見方があるが、それは冒険的すぎよう。報道は、ポスト小泉レースに焦点を移している。世論調査で高い支持を受ける安倍官房長官は、統一教会系のイベントに祝電を送ったことが暴露されたように、反共で一致すればカルトとも仲良くつきあう。これは当然「霊感商法」の被害者から反発を買うものだ。
 今国会では、連立与党は、数の力を背景に、教育基本法「改悪」、憲法改悪のための「国民投票法案」、「共謀罪法案」を提出したものの、小泉首相にやる気がなく、国会延長が不可能となって、継続審議となった。政府与党は、これらの法案成立を今後も狙ってくる。だが、憲法9条維持を掲げる「9条の会」は、5000を超える草の根の組織を持つまでに広がり、共謀罪新設策動や教育基本法改悪に反対する人々は、ネットなどを通じて、運動を大きく広めている。とくに、後者についてのネット世論の広がりはすさまじく、関心や危機感の強さをうかがわせる。連日、集会デモが活発に行われた。政府与党は、このような反対世論の高まりに追いつめられた。
 他方で、政府与党は、中国脅威論を煽りつつ、在日米軍再編と日米安保の再編を進めようとしている。05年2月19日の日米安保協議委員会の「中間発表」で示された基本方向に沿った2008年までの米陸軍司令部の座間基地への移転と自衛隊の2012年度までの陸上自衛隊中央即応集団司令部の朝霞駐屯地からの移転計画は、司令部機能の効率化と共同体制の強化をはかり、日米軍事一体化を強化するものである。「中間発表」は、国際テロや大量破壊兵器の拡散などの不透明・不確定な新しい脅威が生まれており、軍事の近代化に注意しなければならないと指摘している。脅威の意味が「不透明」であるが、軍事の近代化を急速に進めている大国といえば、中国であるから、後の部分は暗に中国を指しているのだろう。
 このような日米安保協議の内容は、この間、マスコミで流されている不透明で不明確な脅威としての中国脅威論のもとになっているものである。それを垂れ流ししているのは、主にフジ・サンケイグループ系メディアと『読売新聞』だ。『産経』『読売』両紙は、中国の軍事費拡大の不透明なことの脅威を強調し、日米同盟の重要さを訴えるというパターンの社説を再三書いている。これは、日米安保協議委「中間発表」の引き写しである。両紙は、アメリカの広報紙の役目を果たしているのである。自分たちなりに、自主的に分析し考えた上での安保論ではなく、ただアメリカが不透明で脅威だというから、脅威だとして、日米同盟を強化しろとアメリカの受け売りをしているのだ。
 つづいて「中間発表」は、極東地域において、日米同盟の安保能力を維持するとともに、(1)朝鮮半島の平和的統一支持、(2)核問題・弾道ミサイル開発問題、不法活動、日本人拉致その他の人道問題などの平和的解決の追求、(3)中国との協力関係の発展、(4)台湾問題の平和的解決の促進、(5)中国の軍事の透明化、(6)アジア太平洋地域におけるロシアの建設的関与の促進、(7)北方領土問題の解決、日露関係の正常化、(8)東南アジア支援、(9)地域協力の発展、(10)軍事技術・武器の移転の管理、(11)海上交通の安全確保、をあげている。
 そして、自衛隊と米軍との間の相互運用性を向上させることと日本の安全の基盤及び地域の安定の礎石としての日米同盟を強化するために行われる包括的な努力の一環として、在日米軍の兵力構成見直しに関する協議を強化することを決定した。この文脈で、双方は、沖縄を含む地元の負担を軽減しつつ在日米軍の抑止力を維持するとのコミットメントを確認した。すなわち、在日米軍再編は、日米同盟強化の一環として行われるということである。
 05年10月の「中間報告」の普天間基地の辺野古沿岸移転は、他の基地や施設の再編とリンクした基地近代化による基地能力強化を目的としており、危険性が増すものである。それに対して沖縄県民の圧倒的多数がノーを突きつけているのは当然である。
 「中間報告」には、不透明・不確定な漠然とした曖昧な対象が含まれ、さらに、イラクにおける日米協力までをも含む広範な地域を対象とするような新たな地球規模の日米協力が盛り込まれている。
 5月2日の日米安保協議委員会の最終報告の合意は、これらを基本的に確認した。ローレス米国防副次官は、海兵隊のグアム移転費用102億7千万ドル(約1兆2千億円)のうち、日本負担が59%の60億9千万ドル(約7千100億円)で、その他の経費を入れた負担総額が260億ドル(約2兆9800億円)に上ると述べた。その後、この発言に対しては、さすがに、「積算根拠が不明確」(麻生外務大臣)、「途方もない数字」(安倍官房長官)などの閣僚からの批判がでた。
 この間、こうした米軍再編の動きに対して、神奈川県相模原や座間や大和市などで反対の声が出たし、空母艦載機が移転されようとしている山口県岩国基地では、移転反対の住民投票で、移転反対が多数を占めると共に反対派市長が新岩国市長に選ばれた。沖縄県名護市辺野古の沿岸のV字型新滑走路建設とそのキャンプ・シュワブへの普天間基地移転案には、沖縄県民の多数が反対し、沖縄県稲嶺知事も、協議には応じつつ、反対の姿勢を崩していない。在日米軍再編で負担増を強いられる自治体・住民の反対の意志は強く、政府も特別な振興策を提示して、なんとか懐柔をはかろうとしているが、協議は難航している。それにもかかわらず、小泉政府は、「最終報告」を閣議決定し、地元の理解を得られないまま、今月末の日米首脳会談での、在日米軍再編問題の総仕上げを目論んでいる。
 しかし、地元を無視したかかる日米安保合意の強行は、沖縄をはじめとする基地負担強化に反対している地方自治体・住民のさらなる怒りと反発を買うことになるだろう。米軍は、大衆反乱に対する治安力・抑止力でもある。したがって、それはプロレタリアートを縛る鉄鎖の一部であるから、反戦反基地闘争を支持・支援・連帯し、日米同盟をうち破る闘いを促進しなければならない。

村上ファンド事件に現れた資本主義の末期症状・世界経済の危機

 他方で、世界同時株安が起きている。その震源は、アメリカの双子の赤字という構造的要因を抱える中での景気減速である。
 6月13日の日経平均は前日比614円41銭安と今年最大の下げ幅を記録した。一方では、日本の大企業が過去最高益をあげていることがつぎつぎと公表されており、政府はあいかわらず経済のファンタメンタルズは好調を維持しており、株安は一時的なものにすぎないとアナウンスしている。しかし、グローバル化している資本市場は、その国の経済的要因とは一定独立した要因に大きく動かされるようになっているのであり、日本の株安は世界同時株安の一環であるから、世界的なマネーの動きに大きな変化が起きている可能性が高い。それは、アメリカの景気減速、金利引き上げ、インフレ、双子の赤字、ヨーロッパの金利引き上げ、日本のゼロ金利解除の時期をめぐる思惑などの諸現象に関連しているものだ。資本市場で株を売り抜けている投資家たちが、資金を金融商品の購入にあてられているのか、あるいは商品取引所での売買に投入されているのか、それとも預金のまま眠っているのか、等々、どうしているのかを見れば、少しはそれが見えるかもしれないが、まだわからない。
 ホリエモン・村上ファンドの事件は、日本における資本市場の未整備を露呈したものである。かれらは、短期の利ざやを稼ぐグリーンメーラーであり、それはアメリカでは今は厳しく規制されている。日本ではこうしたグリーンメーラーを非とする風土があったが、小泉―竹中コンビは、それを葬ろうとし、村上ファンドやホリエモンたちを時代の旗手として持ち上げた。小泉政権は、グローバル化政策の一環として英米の経済制度を国際標準として導入してきたが、それを支える基盤が整っていない上に、基本的に文化の違いが横たわっているのであり、上から導入された経済制度と既存の経済のあり方や社会のあり方・文化が、軋轢を起こし、混乱を引き起こしているのだ。
 市場原理主義者や新自由主義者が信奉するハイエクは、自生的秩序としての市場ということをいったが、その際に、彼は、イギリス型の市場経済像を前提にしていた。しかし、彼は、自生的というからには、その地域・国による文化・歴史・風土・習慣などによって、市場経済の具体的様相やルールそのもの、そしてルールの運用の仕方などに違いが生じることは自明であるにも関わらず、それには無頓着であった。英米系市場主義者は、もっとこうした違いに無頓着であり、竹中―小泉コンビは、英米で何百年もかけてようやくつくられた英米流の市場経済のルールを、わずかな期間で、日本にそのまま移入して根づくと信じているようだ。しかし、そんなことはありえないし、それはたんなる抽象的な信条にすぎない。
 日本的文化や伝統・歴史的なやり方は、英米流市場経済と摩擦を起こす。日本社会が一神教の絶対神の似姿である人間=個人が主体となる市場経済を完全に受容することなど不可能である。そのことを如実に示したのが、ホリエモンや村上ファンドに対して噴き出した多くの人々の違和感や批判である。それは、理屈ではなく、歴史的に培われてきた感性の次元での拒否感・違和感であるように思われる。
 それは、長年培われてきた共同体意識の強さの現れであり、長い歴史の中で育まれてきた共産制意識だろう。例えば、共有制の段階がつい百数十年前まであったし、今でも、家族に共有制が存在しており、会社をみんなのものと思う共有観念が色濃く残っている、等々。小泉構造改革は、それを、英米流個人主義と私有主義などの導入で破壊しようとしたのである。しかしながら、それに対する人々の抵抗は、根強かった。それに反して、右派や保守派は、愛国心を口先で唱えながら、グローバル・スタンダードの導入を叫び、英米への一体化、アメリカ合衆国日本州化の先兵となった。改憲策動・共謀罪新設策動・教育基本法改定策動などは、そのための地ならしとなる法案であった。なぜなら、9条はアメリカがのめない条項であり、これをなくして集団的自衛権行使できるようになれば、日米軍事一体化が進めやすくなるからである。支配階級や資本家は、愛国心を利用するが、愛国者ではないのである。
 ビスマルク率いるプロイセンがフランスに侵略してきたとき、侵略者と手を握ってパリをかれらに譲り渡したのは、ベルサイユ派の金持ちや高級軍人たちであった。かれらは、パリ・コミューンの愛国者たちを侵略軍と共に血の海に沈めたのである。また先の戦争時の日本でも、旧財閥は、戦争によって利益をあげ、高級軍人・高級官僚たちは、戦時中に、人々には「贅沢は敵だ」などと言って窮乏を強い、梵鐘・鉄鍋まで供出させながら、贅沢な宴会を繰り返していた。この間、商売のために、アメリカとも中国ともなんとか波風を立てないようにしてきたのは、日本経団連などの財界である。小泉政権とて、主観的には、対中関係を悪化させようとしたわけではなく、ただ、遺族会の票目当てに公約してしまったことを実行してきただけである。愛国心の強制を望んでいるのは、自分たちを愛させようという国家官僚である。
 教育基本法改悪の意図に現れた国家による愛国心の強制は、すでに、学習指導要領に基づいて、埼玉などでの小学校での通信簿での愛国心評価などの形で先行して進められている。教育基本法への愛国心の明記は、それにお墨付きを与えることになり、国家による不当な教育支配を進めやすくする。小泉総理自身は、小学校段階の愛国心評価を必要ないと述べているが、すでに学習指導要領が憲法を踏み越えているのであり、これを正さなければ、法の支配は、官僚命令の優越によって、掘り崩される。愛国心は、国に強制されるものではなく、伝統・文化・自然・人に触れることなどによって、自然に育まれるものだ。多くの人が言うように、官僚や政治家は、愛される国をつくることに懸命になるべきで、愛国心を上から公教育で人々に植え付けようというのは官僚主義である。日の丸君が代の卒入学式での強制も同じであり、それはなんでも国際標準・グローバル化だとして、アメリカだのに合わせようとする官僚の主体性のなさの現れである。愛国心の強制を止めろ!

右派・保守派の分裂騒動の教訓

 「新しい歴史教科書をつくる会」(以下「つくる会」)などの保守派の運動は、侵略戦争を自衛戦争に、あるいは帝国主義戦争に巻き込まれたとする被害者的な戦争観をなんとか広めようとしたが、歴史事実を突きつけられることで、挫折した。
 例えば、藤岡信勝は、慰安婦は、自らの労働力を自由契約で売った労働者であるかのように描いている。すでにこの時代に、自由に自己の労働力を売ることができるほど、地縁・血縁などの諸関係から個人が自立し解放されていたかのように描いているのである。ところが、一方では、慰安婦が貧困から家族を救うために自己を犠牲にしたこともあったとも指摘していて、結局、それが、自由で平等な労働力売り買い契約ではなかったことも認めている。しかし、そのような不平等な契約を知っていて放置したか、あるいはそれを調べもしないで、慰安所設置を決定し、業者を選任した軍部の責任については免罪する。
 このような混乱を含みつつ、反自虐史観という反の立場で、いろいろな考えの者たちを教科書問題だけで集めたことの無理は、藤岡が、教科書採択優先のために、反米的に書かれていた西尾幹二の執筆箇所を、親英米主義者の岡崎信彦によって親米的なものに書き換えさせるという無茶をしたことにも現れた。これは当然、西尾の戦争観が正しいのか、それとも岡崎のそれが正しいのかという争いを生んだ。いずれにしても、このことは、「つくる会」がいかに無節操で、政治的な目論みにつき動かされているかをあらわしている。同時に、藤岡が、歴史学者ではなく、策士であることを示している。いうまでもなく、歴史をねつ造が明らかになれば、学者としての名誉を失う。
 この「つくる会」分裂騒動からの教訓の一つは、反〜という否定的スローガンでの結集は、もろいということである。共産主義運動の中で、そのことをはっきりと認識していたのは、レーニンや関西ブントの故田原芳氏である。これは、反〜というスローガンによる結集がまちがいだというのではなく、それには限界があり、その直接延長上には高次の運動はできないという意味である。より高次の運動の発展のためには、肯定的スローガンとの結合が必要なのである。反左翼で結集しただけの集まりにすぎなかった「つくる会」が、一時的には勢いを持ちえたにしても、結局は、分解を避けられなかったのは当然である。共産主義運動においても、似たようなことが繰り返されてきたので、これを他山の石としなければならない。

共産主義のプランを大胆に提起しよう

 このところ、90年代にはすっかり亡霊扱いだった共産主義に対する関心が高まっている。それは、資本主義の実際に対する不満や不安が増大していることのあらわれである。おまけに、保守派や右派が、一生懸命に共産主義の悪口を言って、共産主義を宣伝してくれているので、これまで共産主義になんの関心もなかった人たちまでが、共産主義に興味を抱くようになっている。かれらが共産主義への悪口を書けば書くほど、無関心だった人々にまで共産主義への興味がかきたてられるのである。そして、グローバル資本主義の現実は、多くの人々を共産主義の側に追いやりつつある。そして今、中南米での多くの左派政権の誕生、ネパールでのネパール共産党も参加した民主主義革命の成功、インドでの共産党地方政権の誕生、イスラムのイスラム経済のグローバル化への抵抗の根強さ、そしてその中枢部アメリカでの経済状態の悪化やイラク侵略戦争の破綻等々、ますます人々を共産主義に引き寄せる材料が増え広まっている。
 日本においても、90年代の停滞を抜け、労働者や失業者・不安定雇用者などの運動は、数千規模が普通になってきた。アメリカ・フランス・イギリスその他では何万何十万規模での反戦運動などが実現している。日本の運動も、そのうちこの世界の流れに追いつくだろう。
 共産主義運動は、肯定的スローガンを練り上げる議論や研究をさらに活発にして、事態に遅れないようにしなければならない。すでに、会社における他人財産の運用・管理や家族共有物の運用・管理などで、多くの人が共有財産の運用・管理を経験している。そのあり方を、企業の多くにおける独裁、小泉政権の官邸独裁などのやり方ではなく、自由・平等・博愛を基本にして変革することだ。大衆闘争は、そうした社会変革の訓練場であり、そういう場にしていく必要がある。それに対して、共産主義運動は、世界プロレタリア共和制の「計画」を提出して、運動の総合を目指していく必要がある。ただ大衆運動の急進化役を務めているだけの共産主義者は、口先だけの革命家である。共産主義運動は、共産主義のプランを提起し、大衆的討論にかけ、資本主義か共産主義かの選択を大胆に提起しなければならない。




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