共産主義者同盟(火花)

小泉政権の「地方分権」の意味すること

渋谷一三
298号(2006年6月)所収


 2003年経済諮問会議の答申の基本理念として、次の項が掲げられた。それは『国土の均衡ある発展』との田中内閣列島改造論以来の理念を捨て、『地域間の競争』をそれに対置したものだった。『国土の均衡ある発展』が実際に意味したことは、都市の生み出す富を地方交付税などを通して農村部・過疎地などに投入し、農村部における雇用を確保するとともに、ここにおける土建屋政治の資金源とし強力な支持基盤をつくることだった。

 このことは、自民党が選挙区制度を利用することによって、農村部という少数の利益誘導を通じて支配政党の座を守り続ける構造の確立を意味していた。野党が社会党・共産党だった時代には自民党の支配を維持することは至上命題であり、農村の利益誘導をし、公共事業に巣食う土建屋小ブルジョアジーを養うことは都市の大ブルジョアジーの利害と一致していた。

 ところがソ連邦の崩壊・「社会主義圏」の崩壊によって、社会党右派に動揺が広がり、ここにきっちりと楔を打ち込み、10年かかって民主党という第2ブルジョア政党を作り出した小沢現民主党党首の奮闘によって、ブルジョアジーの戦後体制の変革が可能となった。都市の富を農村部に注入し続けることによって、国家財政は空前の累積赤字を抱え込み国際信用の低下を生むとともに、都市の基盤整備が相対的に遅れ、都市部の労働者のみならず都市部小ブルジョアジーの不満が鬱積してきた。都市の富を農村部に注入する政治体制の変革が求められるとともに、民主党の誕生によってこの変革をすることが可能となったのである。

 農村小ブルジョアを切り捨て、競争力のある小ブルジョアだけ残ればよいとすることによって、大ブルジョアジーの国際競争力を復活強化する路線に転じた。本来、この路線転換は民主党が行うはずであったが、軍事を巡る「非現実的態度」でごたごたしている民主党に代わって、自民党が「自民党をぶっ壊す」小泉政権にシフトすることによって中途半端に行うこととなった。小泉政権が都市部での自民党の圧勝という成果をもたらしたのは決して偶然ではなく、農村部の小ブルジョアが小泉支持を打ち出したことの方が不思議なくらいである。この段階での民主アレルギーと自民離れができないメンタリティのなせるわざだったのか?

 ともあれこの方針転換が小泉政権発足直後の経済諮問会議答申として、美辞麗句でカモフラージュしつつも明確に宣言された。『地域間の競争』原理の導入である。意味することは東京の生み出す富は東京に投下するということであり、これにより、相対的に遅れてきた都市の社会資本整備を円滑に行うとともに、膨大な財政赤字をもたらし続けてきた農村部の公共事業を廃止し、財政再建を行い、円への国際信用を上げる道を模索しだした。この時点で、地方への利益誘導を柱とした田中派政治(竹下・橋本)の終焉が約束されたのである。

 実際、郵政民営化騒動によって田中派は終焉した。橋本は医師会の献金疑惑という形式をとって脅迫されつづけ、結局無抵抗になり続けることによって逮捕されずに生殺しにされ続けている。逮捕しない限り、この脅迫は有効であり続ける。田中派の終焉を見届けて、小泉は首相の座を降り、自らの○○疑惑を取沙汰されない位置を確保しようとしている。

 以上見てきたように、小泉政権のいう「地方分権」は「地方の切り捨て」であり、お荷物となった農村部の「都市のあと追い発展」「都市のおこぼれ発展」への路線転換を美辞麗句で表現してみせたものに過ぎない。再び農村部より相対的に貧困となった都市部の大衆からは支持され続ける路線ではある。だが、それゆえに過疎化の進行を促進こそすれ解決することはできない。また、中央以上に監視機関のない地方公共団体においては、小さくなったパイの取り合いを巡る談合や汚職が多発するだろう。だが、そんなことなど知ったことではない。それが小泉政権のいう「地方分権」にすぎない。 




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