共産主義者同盟(火花)

2005年の経済情勢

渋谷 一三
282号(2005年2月)所収


<はじめに>

 前稿で「グローバル化とは米国標準の世界標準化戦略に過ぎなかった。」と述べた。本稿では、この点を少し詳しく述べていきたい。
 各企業は新製品の開発競争にしのぎを削ると同時に、自社製品の規格を世界標準にすることに躍起になっている。世界標準になれば莫大な利益が約束される一方、いくら技術的に優れていても世界標準にならなければ開発費すらペイできない運命が待っている。この典型的な例がビデオにおけるベータとVHSの戦いだった。よりコンパクトでより高性能のベータ方式が劣勢を意識した他社の総連合によって葬り去られた。ベータのSONYはその後会社そのものが低迷することになってしまった。
 世界標準をとらなければならないという現実は一方で市場が世界的規模になっていることを表現しているが、他方、世界標準を取るために各企業(特に劣勢に立った米国企業が多いが)は「自国」の国家を使っている。いわゆる、なりふり構わぬ状態である。この意味では資本は世界化しておらず、国籍を持っている。
 この局面が2005年という年の特徴をなしているように思われる。

1. 国際標準化機構(ISO)の設立

 ベータとVHSの争いは日本企業間の世界標準を巡る争いであった。技術的に劣るVHSはSONY以外の全電器会社を連合に巻き込むために特許使用料を取らないという協定を結びSONYを孤立させることに成功した。極めて異例のことだった。また、発明会社が双方とも日本企業であったために政府を使うということにもならなかった。この点でも特殊な事例であった。
 この事例は、優れた方式の方が負けるというこれまた一見変わった結果で終末を迎えた。が、より一般的なのは、国家を使用(利用という域を超えている)して世界標準化を達成するという方法である。
 この方法が実現したのは1995年。中立性を装うための常套手段に忠実にジュネーブに本部を置き加盟128カ国で設立されたISO(International Standard Organization)(国際標準化機構)である。
 WTO(World Trade Organization)(世界貿易機関)で、加盟国に国内の規格を国際規格と整合させることを義務付ける「貿易の技術的障害に関する協定」(TBT条約)が95年に発効したことと連動してISOが作られたわけである。
 この義務協定が重要である。世界標準をとれば瞬く間にその裾野の関連産業もふくめ、ある国のある企業の規格が世界に伝播させられるのである。戦いがより熾烈になることは容易に想像できる。政治が経済に影響をおよぼすことが可能になってしまったのである。
 欧州はEUの発展を追求する過程で、規格の面においても統合することを先行的に迫られ、これを着実に実行してきた。この経験を生かし、デジタル携帯電話の領域でアジア各国を中心にいち早く各国政府に働きかけ欧州方式を採用させてしまった。軽くて小さくて高性能の日本方式はまたもや敗北した。技術的に劣る米国方式も同時に敗北した。米国は苦い経験を積んだと思っているのである。ところがビデオ戦争で妙な経験をした日本政府は携帯電話におけるこの敗北もビデオにおけるベータの敗北と同質と受け止めたためか、苦い経験と総括出来ないでいた。今もってそうかもしれないが、私は民族主義者ではないので、日本政府の無能ぶりなることに深入りするつもりは無い。
 日本はさらに敗北を続けることになる。次世代テレビとされる高品位テレビで最も優れているNHKが開発したハイビジョンが欧州と米国から拒否され、ローカル方式にされてしまったのである。政治的無能さが経済に影響を与えた。コンドームも同じ敗北を味わうことになる。岡本技研の0.03ミリという圧倒的にうすく丈夫なコンドームがISOの規格制定というエイズを利用した欧米の政治的目論みによって、逆に倍の厚みの0.06ミリにせざるを得なくなったのである。さきに、義務規定があることが重要だと注意を喚起しておいた。国内でもより悪い0.06ミリの物しか製造販売できなくなってしまったのである。日本の技術水準に到底太刀打ちできないと恐怖した米欧がISOを使い、粗悪品を使うことを日本人にも強要したのである。「市場に任せろ」というのはうそだったのである。
 具体例を取ってきた。ISOという経済機構の体裁をとった政治機構が国際標準を決めていくのだということを知っていただくためである。

2. グローバル化をキイワードとした米国のISO支配

 ISOは前節で例示してきたように製造業を巡る政治経済戦争であった。おのずと限界を露呈している。すなわち、製造業よりも巨額の、金融資本を巡る政治経済戦争の手段たりえないという限界である。
 結論を先に言えば、金融の自由化はISOによってではなく、グローバル化なる経済用語あるいは新自由主義なる政治用語によって露骨に国家間の争いとして実現されてきた。ここにおける戦いが逆にISOを規定してきたといえるのである。
 それは98年8月27日、史上3番目の米欧での株の大暴落という劇的な形で始まった。米12%、英13%、独18%の暴落だった。翌日アジアに波及する。日本19%香港33%マレーシア59%。仕掛けはニューヨーク株式市場だった。この点に注目しておいていただきたい。ロシア売りである。直撃を受けてロシアの株価は実に84%も下落する。一夜にして価値が6分の1に下落してしまったのである。
 この資金は「Hot Money」と称せられ、公式的には短期資金とされHedge Fundとされる。資金の源は「ソ連邦崩壊により軍需に回されていた資金が民間に回り、金融市場にあふれた」からとされているが、鵜呑みにするわけにはいかない。軍需に回されていた資金の源は?民間に回される?馬脚が出ているのである。公的資金が隠匿された回路を通って市場に投入されていることを自ら暴露してしまっている。隠匿されているので分からないが、ヘッジファンドの資金のかなりの部分が米では政府筋から出ている可能性がある。
 IMFによる「改革」によってロシア経済は混乱を増幅させ、IMFが決めた追加支援の実行を求めるロシアのキリエンコ首相に米は拒否を通告、2日後のルーブルの大幅切り下げ、そしてついには外為取引停止へと突き進んでいった。ロシア経済が立ち直るのはエリツィン政権が終わり、IMFの言うことを聞かないプーチン政権が誕生してからのことである。
 とすると、IMFで意図的にロシア経済を米欧に都合のいい状態に置き、その締めくくりとしてロシア売りを仕掛け、世界的株価暴落を実現したと考えることも出来る。この株価暴落によってそれ以前に1万7000円台で推移していたバブル崩壊後の日本の株価が一気に1万4000円割れをきたし、BIS規制割れに陥る銀行が多発した。この後、銀行倒産が相次ぎ、半ば官製の日本長期信用銀行まで外資の手に渡ることになる。これは現在も継続し、単独でも巨大な銀行同士が合併によるコストダウン効果などなくても合併を繰り返す事態となっている。
 こうした打撃を背景にして金融自由化を迫ったからこそ、これに呼応するコイズミ政権が発足することになった。日本の市場関係者およびISOに泣かされた製造業者ともに閉塞感に陥り、何もしなくても悪化する一方ならば、規制緩和と金融自由化を呑み、逆に攻勢に出ようとでもいう気分だったのだろう。
 全てを「政府の手を離れた」「国境を越えた」ヘッジファンドのせいにする論調ばかりが見受けられるが、よく考えてみる必要がありそうだ。そもそもIMFは米が中心になって「社会主義諸国圏」を包囲し、帝国主義諸国間の金融を安定させるために作られた組織である。そのIMFのロシア資本主義化計画に基づいてロシアは経済を運営したのだが、計画をしてその実行段階に入ってしまった後に米国が資金提供を拒否するというシナリオは、非人為的なものだろうか。意図的であれ意図的でないにせよ、人為的所為であることは確かである。
 自由化にしても然り。人為的所為である。規制の撤廃ではなく規制の緩和である。誰にとっての緩和かと言えば、日本にとっての緩和であり、緩和する程度は米国水準と同一になるように「緩和」するのである。米国が競争に参入できるようになることは容易に想像がつくであろう。
 ここでもう一度ロシアで何が為されたかを検討してみよう。91年の国有企業就労人口は78%程度であったものが5年後の96年には38%となり、民間企業と逆転する。この間、外資企業は1000から15000近くとなる。国営企業は株式化され株式売却益を国家財政に返納するという方式すら採ることが出来ず、安値で個人に売却されるという形しか採れなかった。国家財の収奪である。収奪された富は民営化された企業の初期赤字という形で移転されていく。どこに移転したのかといえば、赤字にならざるをえない環境=すなわち国際環境に吸収されていったのである。要するに外国資本が入り組んだ形で少量ずつの分け前にあずかるという形式でロシア国外に移転されたのである。
 他方、民営化は外資が入り込むという形で急速に進展したのである。外資が入り込みやすくするために国営・公営企業が急速に解体させられていったのである。そしてこれこそがIMFの方針の確固とした部分だったのである。
 瞬時に国境を越える資金による恫喝とその実行を背景に、米国資本の利害に連邦政府がその手先として地ならしをするというのがその実態だったのである。
 日本もそうであり、ISOやIMFはその国家形態をとった手段だったのである。

3. 米国標準(グローバル化)とEU標準のせめぎ合う世界としての05年

 EUは通貨統合に至る過程で、インフレ率の平準化・社会保障制度の平準化・域内関税の撤廃・価値の統一などの難題を解決してきた。これらのことが成し遂げられない限り、共通通貨など導入できないからである。ユーロという共通通貨に表示される価値が同一でなければならず、参加各国の労働力再生産費が同じでなければかつてのブロック経済のように収奪する国と従属する国に分かれてしまうことになる。こうした難題を一つずつ解決する中で、いわばEU標準なるものを形成してしまった。社会保障が手厚かった諸国の労働者にとってそれは既得権の剥奪として表われた。企業レベルでみるとそれは、公営企業の民営化として表われた。各国毎に異なる電気通信料金の平準化をするために、民営化し、規制のレベルを同一にした。先に述べた携帯電話市場における日本の敗北はこうしてもたらせられた。J Phoneすなわち日本電話会社はEUのボーダフォン社の傘下に入ることとなった。EUという日本より3倍も広い市場を背景にしたこと、標準が性能で決まるのではないことを体験してきたこと、その体験を生かしてアジア各国政府に働きかけたことが勝因だった。
 EUは域内平準化の取り組みの中でもう一つの事実を学んだ。平準化とは低位平準化であることだ。低位平準化のほうがはるかにたやすいこと、低位平準化することにより域外との国際競争力が増すこと、こうしたことを学んだ。この点で米国は遅れをとる。遅れをとったがゆえにより深く学ばざるを得なかった。EU標準よりさらに低位平準化した基準をグローバルスタンダードとすることでEUにダメージを与える以外に方策がないことに直面したのである。そしてそれを実行した。
 米国は既にEUより遥かに広い低所得層を国内に抱え、さらにメヒコ系移民が大量に流入してきていた。EUより低位の基準を標準とすることが出来る物的根拠を持っていた。かくしてグローバルスタンダード(世界標準)は、EU標準より低位の基準を持つ、打倒EUの実際的意味を持つ合言葉となった。
 05年、EU標準とグローバルスタンダード(米国標準)との闘争はEUの負けという結果が予想できるまでになってきている。EU内「先進国」のほとんどは社民政権であり、この社民政権が労働者階級の既得権を剥奪し、失業率を増大させ、政権支持基盤を掘り崩すところまできている。富のほとんどを人口の1%足らずが独占する米国標準が世界を席巻する勢いである。「先進国」の労働者の相対的没落が進行し、第三世界なる言葉が死語になっていくほどに労働者階級の世界的平準化が進行しようとしている。
 日本での現われを見てみよう。若年労働者の正採用率は60%程度に落ち込み、年収で4分の1程度のフリーターなる半失業者とパートタイム労働者の比率が高まっている。若年層は将来への展望のなさから低所得層を中心に精神的にも荒廃しはじめている。「発展途上国」に就労する若者が出てくるほどに賃金の低位平準化が進行している。もはや20%程度に過ぎなくなった本工(正社員)の要求を代表することしか出来ない社民・共産諸党は支持率を低下させ急速に政治的影響力を失っている。リストラなる解雇は依然として続き、正社員層はますます薄い層となり、Out Sourcingなる人材派遣業がますます増えている。治安は悪化し凶悪犯罪が増え、従来の法体系では対応できなくなり、重罰化が進行しているが、治安悪化を留めることすらできない。継続的・系統的努力をする対象がなくなり、若年層を中心に刹那的・享楽的になり、教育も学校制度も成立しなくなっている。など等。
 こうした荒廃は米国の後追いにすぎない。ただし、欧州よりも進んでいる。絶望的とも思える「先進国」の将来は、資本主義が続くとして、どうなるのだろうか?




TOP