共産主義者同盟(火花)

郵政民営化について

渋谷 一三
281号(2005年1月)所収


<はじめに>

郵政民営化推進派の言い分は以下の通り。
(i)貯蓄部門の民営化によって、財投の資金がなくなり、無駄な公共投資をしなくてすむようになり、スリムな政府の実現が可能になる。
(ii)官営では貯蓄を民間への貸付に回せない。
(iii)法人税を払うようになることによって、現存する宅配業者と同等の競争条件になる。
(iv)郵便事業と銀行業を兼業している企業は世界に例を見ない。
(v)郵政3部門全てが赤字であり、実質的には増税によってこの赤字を補っている構造を打破できる。
 おもしろいことに、小泉純一郎と松沢しげふみによって立ち上げられた「郵政民営化研究会」の参加者の半数以上が民主党国会議員であり、自民党からは小泉純一郎だけらしいということだ。
 以下、その主張を検討することを中心にして、郵政民営化問題の隠された本質を暴露していきたい。

1.貯蓄部門の民営化によって、財投の資金がなくなり、無駄な公共投資をしなくてすむようになり、スリムな政府の実現が可能になる。

(1)『郵便貯金が安全なのは、郵便貯金法三条に「国は、郵便貯金として預入された貯金の払い戻し及びその貯金の利子の支払いを保証する」という規定があるからである。国が補償するということは、万一のときに税金で補填するということだ。実際、郵貯などの貸出先の国鉄清算事業団は経営破綻した。焦げ付きはなんと28兆円もの巨額に上った。しかし、この28兆円は郵貯の不良債権とならず、たばこ税を上げたり、最終的に税金を投入することで処理された。』(PHP研究所発行「郵政民営化論」小泉純一郎・松沢しげふみ編)(以下、特に書かない限り、同書からの引用)
 『郵便貯金は、250兆円もの資金量を誇っている。金融機関としては、世界最大である。また、郵貯単独で、全ての都市銀行の資金量の総額にほぼ肩を並べている。』
 要約して議論を紹介することにする。というのもこの点に関しては議論の余地があまり無く、誰に言わせてもほぼ同じだからである。
 郵貯で集められた金のほとんどは財投に回されて「運用」される建前になっている。この資金を財務省が理財局資金運用部に回し、資金運用部が財政投融資対象機関に回して使っていく。また、この金は、償還できないものに使ってはならない建前になっている。この財投融資受け皿機関として様々の特殊法人が設立されることになり、さらに「償還できないものに使ってはならない」という制約から、「無駄な」公共事業をやり続けなければならないことになる。道路公団や住宅都市整備公団などがその典型である。歴史的には無意味ではなかったが、使い続けなければならない構造から、道路公団は今日不採算路線の建設をし続けることになり、Urban Netと名称変更した住宅公団は遠くて高い家賃の団地を作り続け売れ残り物件の山を抱え込むことになった。改革は迫られており、その根源は財投にあったのも確かなことである。余談になるが、国鉄民営化反対闘争の最中、黒字採算と思われた新幹線支部の労働組合と交流した時、支部長から明かされたのは、赤字なのだということだった。鉄鋼が不況になればレールの交換を無理にさせられ、アルミ業界が不況になった時には列車のモデルチェンジで窓を小さく小分けし、アルミ部分を多くした「新型」車両を大量に新規発注させられ、まだ耐用年数を十分にのこした「旧型」車両は廃棄させられたそうである。このようにして、国鉄を食い物にして赤字を国鉄に転嫁してきたのだと嘆いていたのを思い起こす。
 歴史的に無駄ではなかったというのは、新幹線にせよ高速道路にせよ、その当初には、これらの巨大な建設費を民間がまかない、その上維持運営するなどということは有り得ないことだったからである。仮に民間に参入させるとしたところで、誰も手をあげることなどできなかったであろう。不採算になるからではなく、十分においしい利潤を得られることが分かっていてである。また、高速道路も都市近郊の大規模開発も、その当初は不採算路線・不採算団地などなかったが、建設が進んだ結果、採算が採れるところは無くなってしまっただけのことである。
 財投をなくせば、今日200を越える特殊法人の大半が潰れ、何も仕事がない数万人の職員を削減することが出来る。これらの職員の人件費を払っているのは赤字という形式を通して回りまわって近い将来の国民なのである。これは国鉄とは違う。明らかに仕事がない、小役人の天下り先としての特殊法人が潰れることに何の同情もいらない。
 財投を無くす。そのために郵便貯金を無くす。この限りでは、筆者も大いに賛成である。

『今回30兆円の国債が増えて600兆円になる。』
 郵貯を無くして政府が困るのも、銀行が困るのも、実はこの国債の引き受けという機能にある。
 今日、日本の国債は国際的信用を失い、その引き受け手を国内に見出す他はなく、都市銀行にも無理やり引き受けさせている。大蔵省との護送船団方式でやってきた時には「お付き合い」料として引き受けてきた銀行も、自由化の圧力の中で付き合っていくことなどできなくなっている。預金残高では世界10位以内にいた3行が実質上の倒産の憂き目に遭ったのは単にバブルによる不良債権だけではなく、国債の負担が特に米国ムーディー社などに嫌われ、その格付けが下がったことによる。もちろん国際的策略が絡んでいることは疑いないが、それは常にそうであって、不良債権だけではなく、日本国債の破綻の可能性が「策略」が貫徹する根拠を作っていたことは確かである。金融庁にいいように支配され恫喝され合併を余儀なくされた銀行が国債引受をやめたがっているのは確かである。であってみれば、なおさら郵貯に国債を消化して貰わなければならないが、郵政民営化をしてしまえば国債問題が急浮上してくる。この肝心の点に関しては民主党も何も語っていない。この点の検討は別稿にするが、郵貯が国債の受け皿であり続ければ財政赤字はより多くなり国債問題がより深刻になることだけは確かである。
『MITの経済学者、アッシャーは次のように言っている。「日本は、公共民間両部門とも、債務超過に陥っている。日本企業の自己資本比率は低く、公共部門の債務もGDPの150%を超え、さらに膨張し続けている。金融情勢を改善するためには、企業の自己資本比率を高め、政府は財政改革と規制緩和に取り組む必要がある。財政投融資の不良債権総額は、民間銀行の77兆円の不良債権よりずっと大きい可能性がある。」』
『ビジネスウィーク誌の1999年2月15日号に掲載された論文を紹介したい。「永年にわたる無駄な公共投資の支出は、すでにGNPの110%のレベルにまで日本の負債総額を吊り上げてしまっている。2002年には140%にまで達してしまうだろう。もしすべての考えうる債務―年金の赤字、償却される大量の貸付―期限がきたとしたら、2005年以前のいつかに、日本が必要とする資金のすべてを調達することができなくなるかもしれない。」』
『英国のエコノミスト誌1998年12月18日号では、「財投は最終的に利子をつけて資金を返済しなければならない。この3月(98年)までに、融資は395兆円に達し、GDPの70%に上っている。」』

(2)98年度の簡易保険は112兆円。『民間の最大手、日本生命の資金量が30兆円あまりであるから、郵貯と同様に比肩する企業がない巨大国営企業になっている。』が、『一時払い養老保険が元本割れを起こ』している。
 簡易保険については、論議がそれほどなされていない。一般的に経営危機が指摘されている程度であり、切捨て合意なされている節がある。というのも、米国の圧力によって保険業界が自由化されて以来、日本の生命保険会社は軒並み経営危機であり、高齢化社会の本格的到来によって支払い危機すら予想される。この環境の中で、郵便局の簡易保険制度は無審査であるだけに、効率が悪い保険である。その上、簡保の宿なる無駄な上物を作りまくった負担がある。有審査の民間保険会社が倒産=支払い無しの状態に限りなく追い込まれている状態の中で、民営化せずに保険部門を保持し続ければ、大量の税を投入して死亡支払い金を支払わなければならない。民営化して、倒産させてしまうことが一番国家財政への負担の少ない方法であることは間違いない。また、簡易保険領域でも、アリコの50〜80保険のような競合相手が登場している。民営化して「簡保の宿」などの不良事業を切ったところで経営悪化はまぬがれようもない。「倒産―支払い無し」が規定路線のようだ。

(3)『郵便事業は、コストが上昇するのに値上げできないという状況にあり、構造的な赤字が発生する隘路の中にはまり込んでしまっている。』
 ヤマトのメール便を引き合いに出し、信書問題もクリアできるから、民営化して、生き残れるのなら生き残ればいいという扱いである。筆者も同意見である。国営だから信書の自由が守られるというのは幻想に過ぎないからである。

2.官営では貯蓄を民間への貸付に回せない。

 金融大臣のこの論は、郵貯が生き残れるかのような幻想を育むための詭弁である。ただし、不思議なことに本人は詭弁と自覚しておらず、本気でそう信じている節がある。彼が金融大臣にうってつけの人物である所以だろう。
 市中銀行の資金はだぶついており、それが国債の引き受けとあいまって、貸し渋り・貸し剥がしの根拠になっている。そこに同量の資金を持った郵政銀行が登場しても貸し出し先などないのである。あり得るのは郵政銀行に国債を引き受けさせて潰してしまうことだ。すなわち、国債の発行残高600兆円を郵貯の800兆円で消せるという筋書きである。ただし、郵貯の預入れ限度額は1000万円で1000万まではペイオフの対象なので、実際は郵政銀行破綻処理という名目で税で賄うことになろう。

3.法人税を払うようになることによって、現存する宅配業者と同等の競争条件になる。

 わざわざ検討するほどのことではない当たり前のことであり、何ら本質的なことではない。

4.郵便事業と銀行業を兼業している企業は世界に例を見ない。

 これも、それがどうしたという類の論。郵便の赤字を銀行業が補填せずにすむというだけのことであるが、銀行業自体が赤字なのだから、詭弁という他はない。

5.郵政3部門全てが赤字であり、実質的には増税によってこの赤字を補っている構造を打破できる。

『郵便局の総数と小学校の総数はほぼ同じ2万5千。このうち、1万2800局が赤字。』
 従業員が国家公務員であるために民間企業のようにリストラが出来ず、Eメールとの競合が予想される今後、構造的な赤字発生するお荷物になると推定している。この推定は間違っているとは思わない。
 同書は続ける。『赤字だからこそ国が経営するという。民間であればすぐに撤退してしまうというのが、郵政省の論理だ。しかしむしろ逆で、国が経営するからこそ赤字なのだ。』
『特定局長は、自らの自宅などを郵便局舎として提供する一方、一般の国家公務員試験を受けずに、国家公務員の身分が与えられる。』局長にとっては、就業機会の少ない過疎地では一般農民より有利な就職口である一方、国家にとってはどのみち雇わなければならない局長なのだから、設置費用分が節約されるという仕組みだった。だが、だから、世襲されることになる。『この制度で問題なのは、利用のごく少ない地方の郵便局にも郵便局員の平均賃金680万円をはるかに超える高給の特定郵便局長が置かれるということだ。これが半分ですめば、それだけで経営は大きく改善されることになる。』『実際、総務省も高コストの特定局に代わる「簡易局」の設置を勧告している。』『民営化することで、郵便局での物品販売などが可能になり、逆にコンビニエンス・ストア等に郵便局を併設することも可能になる。海外の民営化された郵便局に行くと、最低でも文房具が売られている。』
 要するに、人件費削減と兼業によって赤字解消が可能なのだと主張しているのだが、この程度のことで解消する赤字の幅なのかは検証されていない。あるいはわざと伏せているのかもしれない。特定郵便局の多くは廃業に追い込まれていくと見てよい。というのも、郵貯事業自体が、民営化されれば銀行との競合に負けると予想されるからだ。有利な融資先も持たず、銀行の総量に匹敵する資金をどのように融資できるというのか。また、融資をしてこなかった郵便局に査定を含めたノウハウを持っていないことも大きい。過疎地の村の萬屋的店に端末を置く銀行が席巻すると見るのが妥当だろう。さらに、この端末すらない地域が多く発生することも十分予想されるが、そのおおくの地域で実は車で金融機関に行くことが出来るのが実情のほとんどであり、「切り捨て」あるいは「過疎化の促進」という従来の批判は当たらないだろう。特定郵便局長や特殊法人職員などの特殊な利害集団だけが騒いでいるだけで、特定郵便局が無くなって困る人々などほとんどいない。困るのは老人世帯であり、これは都市部でも同じ困難に直面している。
 ここまでの検討から出てくる私の結論は、「郵政民営化すべし」であり、それは現在の小泉政権案のような10年後ではなく、即刻である。
 ところでこの「結論」はどうやら民主党の結論と同じようである。
 語られていない領域を検討することが、問題の本質を暴露することになるだろう。この「語られていない領域」は、民主党も語っていない。

6.2006年BIS規制強化

 『99年の段階で国債の発行残高は330兆円。』『今回30兆円の国債が増えて600兆円になる。』同じ本の中でこんなに金額が違う。どちらが本当なのか調べることとして、巨額の不良債権としての国債をどう処理するのかが重大な問題になってきている。
 先送りを許さない重大な要因が、2006年のBIS規制強化にある。その骨子は、
(i)2006年12月より銀行の株式保有量の制限を開始
(ii)2007年より、信用リスクの格付け手法が実施される
という骨子のものである。
 日本国債がターゲットといっても過言でないほど、国債問題を直撃する内容である。
 現在、国債の利子補填のための国債発行・借り換え国債発行だけで国債発行高の9割を占めるという。詳しい数字を基にこの問題を分析するのも別稿にすることとして、郵貯が民営化されてもこの新BIS規制にすぐにひっかかりそうである。だから10年後の完全民営化としたのかもしれない。いずれにせよ、今、民営化すると決定する要因は他にあることになる。

7.Global経済化のための米国からの圧力

 語られていないもう一つの事情は米国を世界標準にしようとするグローバル化戦略からする圧力である。経済は帝国主義→ブロック化→世界大戦→新植民地主義→多国籍企業→グローバル経済化(新自由主義)と動いてきた。今これは新たな「ブロック化」へと変化している。この点の分析は別稿になるが、新たな「ブロック化」への動きこそ、グローバル化がまやかしであり、文字通りの地球規模経済の動きではなかったことの証左である。したがって、グローバル化と称された経済の動きを解明する鍵もまたここに隠されていた。結論だけ言えば、グローバル化とされ語られた経済の動きは実は米国標準の世界標準化戦略であった。
 郵貯の民営化も米国銀行資本が日本市場を席巻するための「関税外障壁」撤廃の動きそのものであり、米国標準にない郵貯なるものの撤廃要求に日本が屈するという側面を持つ。イラク侵略戦争でのコイズミのブッシュ追随ぶりを見れば、かの人物がいかに米国コンプレックスに支配されているか分かろうというものだが、米国の要求を呑まなければ日本経済は壊滅的打撃に遭うという宣伝を骨の髄まで信じ込んでしまったようだ。日本経済の競合相手は既に中国であり、資源・安い労賃を持つ中国に勝つ見込みはほとんどないというのが、時代の現状なのだが、コイズミには、対米貿易・対米資本輸出入関係が依然として根本問題と映っているようだ。
 すでに外資(実際は米国資本)の手に落ちた長銀を始め、米国銀行資本はかなりの数で日本市場に入り込むことに成功した。また、生保・損保業界も外国資本が入り込むことに成功した。ここで郵貯が無くなれば、かなりの資金が直接米国系銀行資本の手中に入る。伝統的に預貯金をしない米国民によって巨額の資本を集めることに苦労していた米国資本にとっては願っても無い話である。不思議なのは古き民族主義を鼓舞すべき右翼団体がこの事情に気づいていないようであることだ。

8.結論

 郵政の民営化は不可避であるが、バブル前にすべきだった。今民営化するのは米国にいいようにされるだけのことであり、民営化を先送りにした上で財投をやめ、特殊法人を全て独立採算制にした上で採算内容を厳密に分析して一見黒字でも必要の無い法人を廃止するなどの政治改革を断行することである。市中銀行のバブル処理が完全になされた後で郵便局制度の解体(そのソフトランディングとしての民営化でもよい)がなされるべきである。
 この結論は民族主義者でも同じであるはずのものである。別に共産主義からする結論ではない。米国の世界支配に反対する見地からの結論である。




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