共産主義者同盟(火花)

米英の対イラク戦争について

渋谷一三
260号(2003年4月)所収


1.大義名分の立たない開戦

 今回、イラクは大方の予想に反して国連による査察を全て受け入れてきた。米国の主張によれば、イラクは生物兵器や化学兵器を大量に保有しており、それがテロ組織に使われ米国の安全としいては世界の安全にとって脅威だというのである。
 この主張自体が矛盾に満ちていて説得力を持たない。米国こそが生物兵器や化学兵器を開発し且つ大量に保有しているのだから、仮にイラクにその廃棄を求めて査察をすると言うのであれば、まず米国がこれらの兵器の廃棄を実行し国連による査察を受けなければならない。だが、米国はそうする意志など全く持っていない。あくまで、自国の安全と軍事的優位を保つために、米国が核兵器・生物化学兵器を保持するのはよく、他国がこれらの兵器を持つことは許せないというのである。すでにこれらの殺人目的兵器を保有してしまっており米国が戦争をしかければ国内世論も持たず、かつ、米国自体の犠牲も多大なものとなる英・仏・ロシア・中国などの諸国に対してはしぶしぶ承認しなければならないにしても、イラクや北朝鮮などの弱小諸国がこうした兵器を保持し、米国による世界秩序支配にそむくのは絶対に許せないことであり、これを許すことは世界秩序を支配できていないことと同義だからこそ、支配の維持のために絶対に許してはならない事態ということが本当のところである。
 日本の運動は、あるいは世界の今回の反戦運動には、この視点の押し出しが弱く、生物化学兵器や核兵器などを自明の「非人道的兵器」とするあまりに、イラクや北朝鮮がこれらの兵器を開発したり保有することへの拒否感情からか、「保有したって構わないじゃないか」という矛盾の突きつけがなされていない。反戦運動を担っている人々がイラクに対して生物化学兵器の廃棄を要求し査察を要求することは全く正当なことなのだが、この立場と米国を中心とする国連の査察の立場とを混同しているとしか思えない。国連による査察は、あくまで米国中心の世界秩序維持のためであって、生物化学兵器や核兵器の廃絶が目的ではない。
 このことを事実をもって象徴的に表しているのがパキスタンの核保有である。米国はアフガン侵攻の前線基地をパキスタンが提供したことにより、パキスタンの核保有を事実上承認し、不問に付しているばかりか、その保有数を客観的には増大させる役割を果たした。
かつて北朝鮮のミサイル技術の供与を受けたパキスタンが米国の技術供与を受けられることになり、北朝鮮の「市場」でなくなった。パキスタンという「市場」を失った北朝鮮はイラクという「市場」を開発するしかなかったのだが、物事を別の視点からみれば、米国が北朝鮮とイラクの接近を促したと言える。
 世界の殺人目的兵器廃絶を志す運動体は自前でこの運動を展開するべきであって、米国の動きに思い入れや一面での一歩前進などという評価や期待などもってはならないということを、今回の開戦は今一度心ある人々に警告してくれている。

2. 軍事は政治の集中的表現であること

 対イラク侵略戦争に反対する人々のなかには、反戦だけの人々もいる。反戦だけでは反戦も実現できないことを象徴的にあらわしているのが、米・英軍による「非人道的兵器」の使用である。
 米軍は今回もすでにかなりの量の劣化ウラン弾やクラスター爆弾を使用し、さらに先日、気化爆弾「デイジーカッター」も投下されたとの報道があった。
 ウランは質量が238あり鉄や鉛などの4倍以上もある。このため弾頭にウランを入れると破壊力が増し、従来なかなか貫通することの出来なかった対戦車砲などの弾頭にウランを入れることによって1発で貫通することが出来るようになった。さらに廃棄に困る原発の使用済みウランを無料で廃棄できるという一石二鳥のすばらしい兵器だそうだ。
 前回の湾岸戦争時にも米軍はこの劣化ウラン弾を使用した。この結果、イラクでは白血病患者が急増し、ガンの発生率も4倍以上に膨らみ、「奇形児」の出産も急増したことが確認されている。また、使用したがわの米軍兵士の間でも白血病が発生したことが報告されている。受ける被害の質から言えば、劣化ウラン弾もまた立派な核兵器なのである。
 クラスター爆弾は空中でさらに小型のたくさんの爆弾が放出されることから、無差別爆撃になり、殺傷を目的とすることになる。
 また、アフガン戦争でも使用された「デイジーカッター」は、気化燃料の広範囲な爆発により半径300メートル内に存在する全ての生物を瞬時にして爆殺・窒息死させるものだ。  かくして劣化ウラン弾やクラスター爆弾等を「非人道的兵器」に指定する運動が必要になってしまった。米国がなにやら開発するたびにジュネーブ条約の中にその兵器を指定するように運動しなければならないというのは虚しいが、そうせざるを得ない。
 ところで「非人道的兵器」というのは語義矛盾を感じる変な名称とは感じませんか。兵器自身が戦争の道具であり、戦争は必然的に人を殺戮するのですから、兵器に人道もへったくれもない。なのに、「非人道的兵器」を指定せざるを得なかった歴史の重みはどこから由来するのだろうか。
 この問いに唯一答えを与えてくれるのは、軍事は政治目的を達成する手段であるということです。「非人道的兵器」か否かを分けるのは、軍事目標を破壊することを主たる目的にするのか、兵士の殺傷・非戦闘員の殺傷が主たる効果となるかという点にある。である以上、もちろん境界はあいまいなものである。例えば銃は、戦闘員の殺傷を目的にするものであって武器の破壊や建物などの軍事目標を破壊するものではない。だが、銃は「非人道的兵器」には区分されない。この場合、戦闘員の殺傷は戦闘能力をそぎ、戦闘の決着を早める効果をもち、しいてはそれが戦死者を減らすことになるという、恐ろしく迂回した論理によって「人道的兵器」となる。だが、ゲリラ戦などの場合、だれが戦闘員で誰が非戦闘員なのかの区別は侵略側には難しく、実際は非戦闘員の殺戮に使われるのだから、厳密に規定できるものではない。また、同じ銃に鉛の散弾を入れることは国際法で禁じられているが、これは確実に殺傷できるものの即死ではなく大変に苦しんだ末に死亡するため、双方の利害の一致という力学によって禁じられたに過ぎない。
 このように、銃一つを取ってみても、人道的兵器と非人道的兵器との境界は厳密に規定できるものではない。だが、実際に非人道的兵器に指定されているものをみていくと、それが大量に人を殺すか否かに基準はなく、軍事目標を達成するために迂回的手段で苦痛を多くもたらすか否かの比較によって決定されていった歴史がうかがえる。言い換えれば、軍事によって達成しようとした政治目標を効率的に、できるだけ少ない死傷者で達成できるのが「人道的兵器」であり、そうでないのが「非人道的兵器」であると言うことになる。
 こう見てくると、反戦のみの主張はその軍事を必要としている政治そのものを批判することが出来ず、ただその政治の集中的表現である形態のみを批判しているに過ぎないということが突きつけられる。「非人道的兵器」をやめさせようとする運動は、戦争による殺戮を無くすことは出来ない。戦争という形態のみを批判する運動は、戦争形態を必然化させる政治そのものを無くすことが出来ない。
 そこで筆者は「非人道的兵器」という流布している用語をあえて避け、「殺人目的兵器」という用語を使ったが、これでも核兵器などを括ることは出来ない。用語はどうあれ、大切なのは戦争を必然化させる政治そのものの批判であることが、用語の検討から得られた結論だ。そこで次章は、この政治の批判に向かおう。

3. 米英の戦争の動機は何なのか

 米国は言う。イラクはアルカイダを支援している、オサマ・ビン・ラディンを匿っている、テロ支援をしている、いやイラク自身がテロ国家だ、などなど。いつもの手だ。20年前にはリビアのカダフィ首相を公然と狙ったテロを数次にわたって敢行し、空爆すらしていた。次にはパナマの大統領を麻薬取引容疑で大量の米軍を送って逮捕し、グレナダに侵攻し、アフガニスタンに侵攻したことは記憶に新しい。
 米国の常套手段がいつもこうした、あまりに稚拙な、国家主権を全く無視したなんくせ付けであることは、上記以外にもいくらでも例を挙げることが出来る。こうした稚拙な手法であっても、情報操作とキャンペーンによって大衆を動かすことが出来ることをも示してきたのが一方での真実でもある。帝国主義の超過利潤のおこぼれに浸っている米国民は、いともたやすく帝国主義の利害と自己の利害とを同一視してしまうのである。
 カダフィ首相が狙われた時はリビアがアラブ諸国のなかで石油価格を上げようとする旗頭だった時であり、パナマの大統領が「逮捕」された時はこの大統領が運河の完全国有化を宣言したばかりか、その通行料の値上げによって国家財政を再建しようとしていた時である。米国はカダフィ暗殺に失敗したものの、パナマには「民主政権」という名の傀儡政権を作ることに成功し、米国の輸出入の要であるパナパ運河の支配権を事実上確保することが出来た。これがこのときの米国の政治目的であり、軍事目的であった。ただし、キャンペーンは反独裁と反麻薬であった。
 どうしていつも反独裁なのか。ここにも問題を解く鍵がある。
 後進国の場合、強力な政治権力を樹立して帝国主義諸国家と対抗しないかぎり、帝国主義諸国の市場にされ労働力や安価な原料の提供国にされてしまう。強力な政治権力の下に帝国主義諸国と対峙し、自国経済を保護しながらその発展を追求していく以外にはない。この事情を反映したのが、後進国における「社会主義」革命の勝利であり、あるいは「開発独裁」といわれたインドネシアやアフリカの一部の諸国の例である。米国が支援し続けた韓国の李承晩政権や朴政権などははるかにたちの悪い独裁政権だった。同じく米国最初の植民地となったフィリピンのマルコス政権も私腹を肥やすことに汲々としていた独裁政権だった。南ベトナムのゴ・ジンジェム政権もまた腐敗した独裁政権だった。
 米国の支配下に入った独裁政権には自国の経済発展を帝国主義諸国に対抗して獲得するなどという野心はあろうはずがなく、また仮にそういった野心を抱いた独裁者が登場できたとしても米国と一戦を構える他はない。したがって、こうした諸国の独裁者は私腹を肥やす以外の何の展望も持てず、必ず腐敗した。
 イラクはどうなのか。世界の石油を支配しているメジャーの系列に入らず、生意気にも純国産の石油を産出している。そればかりかOPECにおいても原油価格引き上げを狙うなど、石油支配を巡って非常に目障りな存在だった。要するに「社会主義国」同様の、米国の世界支配に背いている攪乱分子なのだ。フセインは一族支配をしているはずなのにかつての韓国やベトナムやフィリピンの独裁政権のように腐敗しない。米国に対抗するための「独裁」権力の性格を理解できない米国は、湾岸戦争時に腐敗と自滅を期待してしまった。それから10年も経つというのに、自滅しないばかりか、いくら資金や武器を援助してもイラク内反政府勢力は少しも大きくなっていない。私にとっては不思議でないことが、米国にとっては理解できない不思議であり、湾岸戦争時にバグダッド陥落まで地上戦を行わなかったのは誤算ということになるらしい。
 労働党の英国政権がEUとは対立してまで米国とともに結束して参戦した理由を解く鍵はここにあった。石油支配秩序の維持とイラク産出の石油をメジャーの支配下に置くこと、これがこのたびの戦争目的である。
 歴史的にも英国はイラクの石油を手に入れるためにこれを植民地にしようとし、イラクの一部を分離「独立」させ、クウェートという傀儡国家を作ったのだから、湾岸戦争に参戦したのはもちろんのこと、今回の侵略にも必ず加わることは明白ではあった。
 3月28日、ブッシュとブレアは米国のキャンプ・デービットで緊急会談を行った。バグダット陥落後の支配のしかたを巡る対立を調整するためである。ブッシュが米軍の駐留を続行し日本を占領した時のGHQ方式をとることを宣言してしまったからである。冗談ではない。血を流してともに戦ったのに分け前をくれずにそれを独り占めにされたのではブレア政権が倒れるだけではなく、末代まで恥をさらすことになる。ブレアは早速「国連信託統治方式」を対案として提出する。ありていに言えば、分け前を「国連」という名の下で、英国にもよこせと主張したのである。この会談の結果はまだ報じられていない。おそらく米国が今はあいまいにしておいても米国の独占で押し切り、油田のいくつかについて条件交渉に応じるということになるだろう。
 小泉はこうした分け前交渉すらせずに米国断固支持を宣言してしまったようだ。支持声明が遅れれば遅れるほど米国の怒りに触れるという強迫観念のとりこになってしまっているようだ。
 比較してフランスはしたたかである。
 政治目的を達成するために軍事があるであるから、政治目的を達成できれば軍事は必要ない。湾岸戦争後、空白だったイラクにロシアとフランスが影響力を拡大した。米英が敵対したこと、経済封鎖をして逆にこの経済封鎖をくぐりぬけて必要物品を送りとどけてやることによって影響力を拡大することができたのである。こと石油利権に関しては蚊帳の外の感のあるフランスが徹底して自国の利害を表明し続けたのは対照的である。
 フランスの人民の反戦運動の高まりとフランス政府の国連による査察を続行すべきだとする態度とは全く別のものである。が、テレビのインタビューに答えていた高校生は政府がくじけないように反戦デモに参加したと表明していた。彼自身は仏政府の欺瞞に取り込まれてしまっている。

4. 自衛隊の北朝鮮への出動か 米軍の出動の後方支援態勢を整える有事立法なのか

ブルジョアジーの選択肢はこの二つしかない。北朝鮮の圧制からの人民の解放運動については、早急に別稿が用意されることになるので、ここでは検討しないが、圧制からの解放のために今すぐ実現可能で有効な方法は国境の開放であり、脱北者の無条件の支援である。
 ブルジョアジーには圧制に苦しむ民衆の解放という視点は全くないから、実際亡命希望者すら圧力を加えない限り亡命を認めない。
 日本に難民認定を求めたアフガニスタン人が3月27日に裁判の末やっと逆転判決を勝ち取り、難民認定されたが、たった一人の難民に対してすらこのありさまであることから、ブルジョアジーが決して人道主義の立場に立ってはいないことが明らかだろう。
 中国も脱北者を摘発して送還してしまうことを北との取引条件として保持している。最大限善意に解釈すれば大量の脱北者を黙認して滞在させているのが精一杯で、公然と認めれば北への影響力を失うとともに、多大な経済的負担が生ずることが完全に予想されることから、黙認しているとも言える。だが、それならば時に摘発を強化するはずはなく、結局中国もまた国家利害から動いているということである。
ともあれ、北朝鮮が援助を引き出すためにテポドンの発射をちらつかせたり、核兵器の開発を促進したりしている間はよいが、米国が次に北朝鮮に侵攻した場合には日本に核を搭載したテポドンを打ち込む可能性は十分にある。米国は核支配体制を無視した北朝鮮を許すわけにはいかず、「核拡散防止条約」という核独占体制が崩れ、他国が核を保有するようになり自らの核独占体制に風穴を開けられる事態を放置しておくわけにはいかない。
 この政治目的を達成するには北朝鮮が援助と引き換えに核開発を断念してくれれば良かったのだが、米国の援助は核を作れない原発を建設するというだけのケチなもので、飢餓に対する援助まで含まれていなかったことが判明したことにより金正日は日朝国交回復による巨額の戦後賠償資金を得ることに方針を転換した。しかし、ピョンヤン宣言に米国がクレームをつけ、拉致問題もあいまってそれ以上の進展が望めないことがはっきりした段階で金正日政権は原発を再開し、「核拡散防止条約」という名の核独占支配体制からの脱退を実行した。
 これはその限りでは国家利害というレベルでは全く正当な行為ではあるが、米国にとって放置しておくわけにはいかない行為である。イラク後の適当な時期に米軍の北朝鮮侵略が行われるだろう。韓国は難民の流入の負担を避けるため、太陽政策を継続する路線を選択し、米国の北への侵攻にきっぱりと反対した。
 米軍の侵攻がない限り、核搭載ミサイルの日本への打ち込みは有り得ないが、拉致問題を排外主義的に利用する小泉政権は有事立法を実現するために北の脅威を喧伝している。この北の脅威を喧伝し有事立法を実現するという政治目的のために、自衛隊を海外派兵するよりは米軍に北をやっつけてもらい日本を守ってもらう日米安保同盟の方がいいでしょうと言外に匂わすために、イラクへの米軍侵攻支持をいち早く打ち出した。この政治目的は有事立法の実現のためであって、戦争そのものを疑問視しその阻止を世界的連携で実現していこうとする反戦運動の質や歴史的意味などは全く理解できない。したがって、北の脅威に対抗するために米国追随や必要と居直って平気であり、またそれがかなりの部分の日本人を有事立法やむなしの立場に獲得することに成功している。
 今回のイラク戦争反対運動を通して、反戦運動はますます自己の歴史的意味やそれが獲得してきた思想的深さを鮮明に簡潔に表現していくことが求められているのです。

5. イラクの市民の犠牲に涙できる感性を説明しきり誇ることが求められている。

 ベトナム戦争は分かりやすかった。ホーチミンは清廉な高潔な人であり、ベトナム人民は正義を代表し、米国はどのように転んでも悪の侵略者だったから。
 ここで獲得した反戦運動の質だけでは今回の米英軍のイラク侵略戦争反対に決起することは出来ない。なぜならフセインは小泉やブッシュ同様に国内の少数民族に対しては抑圧者であり、ホーチミンのように高潔な人ではない。部族対立を止揚するために1党独裁体制を敷いており、少なからぬ被弾圧者を生み出しているのは確かなようだから。ただし、歴史的に自国の領土であったクェート奪還は非難されるべきものではない。英国によって英国の利権のために分離「独立」させられたことこそ非難されるべきであるから。
 今回イラクは「国連」を通じた米国の主権侵害に対して戦争を避けるために辛抱強く従ってきた。短距離ミサイルの廃棄という国連査察項目にもなかった要求まで呑んだ。結果は米国の進軍を楽にしただけのことであり、長距離ミサイルでない以上防衛的兵器なのだが、イスラエルへの報復発射が出来なくなり、米国の財界したがって政界に強い影響力を持つ米国内ユダヤ人を開戦に取り込むことを容易にしただけのことになった。いわゆるだまし討ちである。こんなことはイラクも十分予想していたであろうが、驚くのは、にもかかわらずミサイルの廃棄を開始してまで戦争を回避しようとしたことである。
 イラクの戦争回避への忍耐強い努力はどこから生み出されたのだろうか。イラク指導部が突然歴史的進歩者の位置に立ったとは考えられない。戦争になれば負けると判断して卑屈になっていたとも考えられない。唯一考えられるのは、仏・露との関係の強化、同じく常任理事国である中国のイラク側への接近を勝ち取り政治的優位に立つ事を選択したであろうということだ。
 ところで、イラクがこのように政治的優位を獲得することを一部の軍事上の利益を捨ててまで優先した根拠は何なのだろうか。湾岸戦争以降メディアは政治的勝利が最終的軍事的勝利をもたらすことを「急に」「発見」した。米国のキャンペーンと報道管制によって米国が国内的に持ちこたえることが出来、侵略戦争に勝利することが出来、マスメディアはただ単に戦争の道具になりさがったという現実を突きつけられたからだ。ベトナム戦争のときに発見してもよかったのに、ベトナムの教訓から完全な報道管制を敷いた米国によってやっと「発見」することができたようだ。だが、人民・大衆は遅くともベトナム戦争時までには骨身にしみてこの事実を「発見」していた。全共闘諸派はブル新(ブルジョア新聞)・ブルジョアマスコミなどとレッテル貼り的表現を多用したし、「普通」の人々は新聞も何も信用ならないという意識を普遍的に持ち、新聞やマスコミを利用対象として措定していた。だからこそ、パソコンによるメール通信がいち早く世界的に配布網が作り出されてきた。湾岸戦争時には早くもイラク内部の生情報をパソコンで世界に発信する人々が登場していた。
 こうした広い意味での運動の側の人々の成熟によって、政治的勝利を得るためには(したがって軍事的勝利を得るためには)、これらの「普通」の大衆を獲得しなければならない時代が始まった。今回は開戦を阻止できなかったが、デモに参加した世界1000万以上の人々を中心にそれに共感した世界数十億の人民・大衆が「もしかしたら、人類史上初めて、運動が戦争を阻止できるかもしれない。」と感じた予感は、そう感じる歴史的根拠の上に成立していたのです。
 イラクは湾岸戦争の敗北から(クウェートを奪還しても大丈夫と踏んで進攻したのに、米英を中心とする多国籍軍に敗退させられたのだから、当然、敗北と総括していよう)、政治的陣地戦の大切さを痛感するという回路を通して、おそらく自然発生的に世界的な人民の成熟という歴史的・質的変化に対応することができたのだろう。言い換えれば、イラクに辛抱強く戦争回避の努力をさせたのは、人民大衆の世界的な成熟とその力の拡大という現実なのです。
 だからこそ、運動側は自らの質を鮮明に分析する努力をし、その政治の質を世界に発信していくことがますます求められているのです。
 イラク「市民」の死亡。イラク軍・米英軍兵士の死亡。このことをわがことと同義に感じることが出来考えることのできる人民・大衆が世界的に大規模に歴史に登場してきたのです。イラクに生物化学兵器があったとする報道があれば国際世論・米国内世論は一気に傾くと報道されていますが、この新しい大衆はイラクにそれらの兵器があったところで、これらの兵器を一式持ち、査察を受けろと言われることもなく、かつそれ以上の兵器を実際にイラク人民に対して使用した米国を許すことはない。マスコミはまた、人民の成熟を見ることの出来ないブルジョア階級の状況分析を報道として垂れ流すことによって、世論操作の一翼を担ってしまっている。
 米英軍の撤退を勝ち取ることは難しいが、これを目標にすることによって運動の側の弱さを検証すると同時に、イラク人民の犠牲に涙することの出来る自分達の歴史的進歩性と政治的優位性を鮮明に析出していこう!




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