共産主義者同盟(火花)

公学校体制の終焉と私学体制(1)

渋谷一三
256号(2002年12月)所収


<はじめに>

 大学生の学力低下が社会問題化し、小中学校では学級崩壊・学校崩壊が社会問題化したのを受けて、文部科学省は週3時間の総合学習を本格導入した。また、学校週5日制がスタートし、学力の一層の低下を心配する声が大きくなっている。
 文部科学省は従来の方式では授業そのものが成立しなくなった状況に強いられて、興味・関心の育成という方向へ方針転換した。受身の授業よりは、中身を自分で決定できる総合学習にすれば、学級崩壊を免れることが出来るのではないかという試行である。
 これを受けて、報道機関は学級崩壊を報道しなくなった。もちろん、これは、当の文部科学省が学級崩壊の実態調査なるものを止めてしまったことに引きずられてのことではあるが。
 他方、国立大学合格者の親の所得水準はますます高くなり、親の年収と合格率は強い相関関係を示し始めて久しい。大学進学からDrop Outせざるを得ない生徒階層には、高校すら意味ないものとなり、高校中退者は激増している。高卒の資格を取るために我慢している層を含めれば、大学へ進学しなかったほとんどの生徒は、高校生活に何の意義も見出していない。高校の階層化は確実に進行し、低位の学力の高校では授業の成立が難しくなっている。これが小中学校ほど問題化しないのは、停学および退学という懲罰制度を高校が持っているからにすぎない。
 かくして大学進学を望む親の階層は、小学校時代から学習塾へ通わせ、可能であれば私立中学校へ進学させるコースを選択し出した。学校5日制と総合学習の導入はこの傾向に一層拍車をかけている。
 公学校体制はどうなっていくのか。私学はどうなっていくのか。本稿ではこの点を検討することを通じて、過去の教育理論の検証と現代の人間の置かれている状況を検証したい。そして「近未来のあるべき教育方法・手段」を検討してみる。

1.

 総合学習の実態から言えば、私学や進学率を追求している学校においては、例えば小学校段階では英語の学習を導入したり、算数や数学の発展、教科の枠組みにとらわれない合科的学習を<教授>する形で行われている。
 片や小学校からNative Speaker(その言語を母国語とする人)に英語を教わり、英語で「楽しく」お遊びをし、片や公立学校では地域の歴史や特性を学ぶとして、テーマを大方は環境問題か地域とされた上で学力のない児童・生徒は学んでいるふりをしながら遊んでいる。こと受験に関しては優劣ははっきりしており、大学進学を目指す階層はますます私学にシフトしていくことは疑いない。
 学習塾に通わす経済力もなく、ましてや私学に通わす経済力のない階層は、まかり間違って大学受験をすることになっても、合格できるのは私学の大卒資格を与えるための大学にしか合格できず、経済的に無理になってきている。
 かくして国立大学合格者のほとんどは、年収800万以上の家庭の子息となってしまっている。学歴が階級闘争を緩和する手段として機能していた時代は終わったのです。戦後民主主義の時代には低所得層に社会の上位に這いあがれるチャンスとして、芸能界やスポーツ界より遥かに多くの幻想を与えることに成功し、確かに労働者上層部や小資本家になる道を与えていた。それは「有能な人材」を体制の側に取り込み、下層階級を分断することに成功していた。 ......こうした時代が終わったのです。

2.

 労働者上層部や小資本家階級は公学校教育にますます幻滅し、私学にシフトしていくことになる。すると、公立学校はますます児童・生徒数が減り、社会の中下層の子弟のみが通学することになる。これは、階級的教育が可能となる良い機会になるだろうか。けっして、なりはしないことは、英国における階級的学校制度を想起すれば十分であろう。ここにおいては、下層階級の子弟には中途半端な職業教育を施し、決して大学に進学できるようにはならないシステムになっている。
 昨今文部科学省が進めている施策を見ると、受験の現実はそのままにしておいて、「受験の学力」を否定するという方向で一貫している。「ゆとりの時間」「意欲・関心の重視」「総合学習」「カリキュラムの改定=小学校での教育内容の多くを中学校に回し、それをまた高校に回す」など等。文部科学省の主観的意図が英国の教育制度の導入にはないにせよ、フィードバック方式による教育の弊害として細切れの本質的理解を不可能にする教育がなされてきた結果、中学はもとより高校においてすら分数や比例などの小学校で扱われていた算数の内容が理解できないままになっているという現実に強いられる形で、カリキュラムの大幅な簡素化をせざるを得なくなった。他方、大学からは大学教育に耐えられる程度の学力は要求されるわけで、このジレンマを解決するには、大学へ進学する階層にはそれなりの学力を習得させるようにし、大学に進学しない階層には(モラトリアムとしての期間を与えるためだけの大学に進学する層も含む)「消化不良を起こさない」ようにゆっくり(ゆっくりやれば理解できるというものでもないのだが、)やるという複線化を進行させる以外にはなかったという事情もある。
 かくして全共闘運動が当時の「中教審路線」に猛烈に反対した根拠は、ますます拡大し「実を結んだ」のです。すなわち、全共闘は教育の複線化に階級教育の端緒を鋭く嗅ぎ取り、これに戦後民主教育を対置するという限界性を抱えたまま、「真の平等」の具体的実現を求めたのでした。しかし、全共闘運動の敗北が象徴するように、現実は「複線化」が一層進行したのでした。今日それは、英国の階級教育に極めて類似した様相を呈しています。
 そこで、次章では、「挫折した」全共闘運動が無意識に依拠していた教育理論についてその推移を概括しておきたい。

3.戦後民主主義教育

 第2次世界大戦の敗戦後、労働者階級は天皇制への幻想の反動から、戦争は決して民族的利害を代表するものではなく、資本家階級の利害のために労働者階級が命まで犠牲にさせられるものであることを「学んだ」。
 こうした時代的雰囲気の下に、まだ侵略戦争に手を染めていなかった社会主義への漠然とした憧れを漂わせた反資本家階級教育とでもいうべき労働者階級の教育が模索された。ただし、これはレッド・パージによって早々に弾圧され、代わって「生活綴り方」運動に代表される現実を直視し認識する能力の育成に力が注がれた。貧困や貧困から由来する葛藤や苦しさを真に解決しようとするならば、必ずその貧困をもたらしている資本主義そのものと闘う人材に育つであろうという期待を込めて。貧困から来る葛藤や家族の間の軋轢を正しく認識できれば、少なくとも貧困層を覆っていた人間間の憎しみや人間不信、誤った対象への攻撃などから本人が解放されるであろうという期待を込めて。
 こうして一世を風靡した「生活綴り方運動」も弾圧され、かつ、赤裸々な生活を綴らせてしまうだけの無責任でしかありようのない現実の前に、この運動も収束していき、資本家階級との妥協の産物として戦後民主主義教育の時代が訪れる。
 民主主義そのものは資本家階級の概念であり、商品の平等性の仮象に照応する資本主義的概念にすぎない。資本家階級にとって危険なものではなく、ことに日本を支配した米国にとっては危険なものではなかった。他方、弾圧されずに労働者階級の教育が出来るという思惑を秘めて、当時の労働者階級志向の教員たちは「民主主義」という大義名分を掲げて自分たちの領地を少しずつ広げていこうと夢想した。
 今になって考えてみれば、敵が反対できない大義名分というのは敵の概念だからなのだが、当時はそうは認識できなかった。
 だが現実には教頭(教員のかしら)が法制化され管理職となり、職員会議という「本来」民主主義であるならば最高決議機関になるべき会議が一度もそうはならなかった。このことの根拠は民主主義そのものにあるのだが、民主主義とは多数決であると捉えた人々は、教職員の側の力のなさの結果と捉え、ますます組合運動に没頭することになる。その結末は連合への加入であり、文部科学省との協調路線であった。
 戦後民主主義教育の結末が現在の協調路線であったという結果を知っている現在の私たちにとって、民主主義一般の主張が平等の仮象への幻想で人々の頭を呪縛するものでしかないことは、比較的簡単に理解できることです。

4.労働力商品化論に基づく教育論

 戦後民主主義教育(論)につづいて歴史に登場するのが、村田栄一を筆頭者とする教育論でした。村田教育論は新左翼運動の直接の影響を受け、疎外論に基づく労働力商品化論を展開した。教員は資本家階級にとって有用な労働力を提供するために、その時々の政府の要請に応じた教育を強いられる存在であると捉える。その強制の手段が指導要領であり、主任制導入であり、賃金奴隷としての教員であると捉える。
 すると教育という労働は生徒という労働力商品の商品価値を高める仕事という結論が導かれ、さぼる教員が最も反資本主義的で良い教員という結論も付随する。
 さて、なるほど生徒の大半は労働者階級の子弟ではあるが、小ブルジョア階級の子弟もどうしてなかなかたくさんいるという現実が説明不能になる。ましてや、教員が生徒という労働力商品を所有しているわけでもないのに生徒を支配せざるを得なくさせられるのはどうしたことなのかという疑問が起きる。
 こうして教員の生徒支配は資本主義の秩序を叩き込む有用性からして資本家階級から強要されている任務と捉えざるを得なくなり、公学校体制は帝国主義の成立とともに成立するという説が唱えられることとなった。この実証作業はなかなか面白いものを含んでいた。英国の歴史を見る限り、産業資本主義段階では児童も労働力として狩り出され、長時間労働・健康被害・虐待などが社会問題化していた。確かに公学校体制の成立の時期と帝国主義段階への突入は同一時期なのです。

5.教育労働サービス業論

 こうした貴重な分析を生み出しながら、労働力商品化論・疎外論に基づく教育理論は、「授業という有用効果を売っているサービス業である。」とするセンセーショナルな教育労働サービス業論に取って代わられる。なるほど、これで公学校体制の成立が資本主義の成立とは機を一にしないことの説明もつくし、生徒という労働力商品を売買する特殊な職業としての教員という矛盾も抱え込まなくて済む。筆者はこの論に接して、「目からうろこ」の思いだったことを記憶している。
 時代の流れはその後のおよそ20年間、確かにこのサービス論に従って動いているように見える。また、この後、教育労働論に新しい説も登場していない。どうやら、教育労働というのは聖職でもなければ、労働力を加工しているわけでもなさそうだ。教育内容という具体的有用効果を販売しているのであり、児童・生徒はその購入者あるいは消費者であるという。確かに、私塾の講師をみれば塾生は塾を選び、効果がないと見限れば他の塾に行く。生涯教育というのが珍しくなくなってみると、確かに自動車学校と同じように、「生徒」は有用性を購入して、自己の目的のために役立てているにすぎない。
 こうした現実を反映し、生徒の保護者たる親は、教員に生徒に対するサービスを求め、そのサービスの内容を問題にしている。すなわち、親の要求するサービス内容に合わない教員にはクレームがつけられ、ふた昔前のような「先生をたてることが結局は自分のこどものためになる。」といった作風は姿を消した。ところが、親の求める教育内容はまちまちであり、「教育の多様化」の合言葉の下に、文部省は何とかこの「身勝手な」「多様な」要求に公学校体制として応えようとしたが、所詮、無理なことで、惨めな敗北を喫した。この結果が学級崩壊であり、学校崩壊の現実であった。
 この現実を受けて、今日の文部科学省は学校間格差の拡大を、従来の偏差値からする格差ではなく、多様性を輪切りにした上での一括りとしての格差として措定することで乗り切ろうと試みている。大学受験を求める親たちの階層の要求に応える学校(旧来の偏差値の高い学校)、高卒で何らかの特殊技能を身に付けることを要求する階層に応える学校(この場合は高専を改組することで例えばコンピューター専門学校に行かなくて済むようなカリキュラムを用意する)、自営業を継ぐ階層には地域の友人ネットワークを作るに役立つようなイベント運営中心の楽しい学校生活を用意する学校、などなど。
 漫才師養成科に至っては、従来の弟子制度を現在はプロダクションの学校で養成する方向に変化してきているが、このプロダクション直営学校に行った方がその後の就労のことを考えても、その教育内容を考えても余程有利であることからして、早くも行き詰まっている。
 ここに象徴されているように、大学受験を想定している高校以外は授業そのものの成立が怪しくなっている。早くも文部科学省の改革路線は失敗している。そればかりか、事態をより「悪く」している。

(続く)




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