共産主義者同盟(火花)

国家による「ボス交」か、日朝プロレタリアートの連帯か

日朝首脳会談を問う

市田市蔵
254号(2002年10月)所収


首脳会談の内容

 去る9月17日、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)と日本のトップ会談という、史上初の試みが行なわれた。今回の首脳会談で話し合われた議題は大まかに言って、(1) 拉致問題、(2) 安全保障、(3) 国交正常化交渉の再開、の三つである。
 同日発表された「日朝平壌宣言」では、これらの議題は以下のように確認された(カッコ内は日本語正文の表記)。

1) 今年10月中に日朝国交正常化交渉を再開。
2) 日本は、「過去の植民地支配の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明」。
国交正常化後、日本は北朝鮮に対して、無償資金協力、低金利の長期借款供与、国際機関を通じた人道主義的支援等の経済協力の実施、国際協力銀行等による融資、信用供与等の実施を行う。具体的な内容は正常化交渉で協議。
国交正常化の実現に伴う基本原則として、1945年8月15日以前の「両国およびその国民のすべての財産および請求権を相互に放棄する」。
在日朝鮮人の地位などについても正常化交渉で協議。
3) 国際法の順守、互いの安全を脅かす行動をとらないと確認。「日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題」について、「日朝が不正常な関係にある中で生じた」問題であり、北朝鮮は再発防止措置をとる。
4) 北東アジア地域の平和と安定のため、相互に協力する。
地域の信頼醸成を図るための枠組み整備が重要であると確認。
朝鮮半島の核問題解決のために、関連する国際的合意の順守。核・ミサイルなど安全保障問題に関して、対話を通じた問題解決の必要性を確認。
北朝鮮は、2003年以降も「ミサイル発射のモラトリアム」を延長する意向を表明。

 すでに明らかなように、この会談開始直前に行われた実務者(外交官僚)協議の中で、北朝鮮側はこれまで強硬に否定してきた「日本人拉致」を認め、「5人生存、8人死亡」という安否「結果」を告げた。昼食を挟んで行われた午後からの会談では、金正日総書記自ら次のような言葉を述べたという。

 「背景には数十年の敵対関係があるが、誠に忌まわしい出来事だ。特別委員会を作って調査した結果がお伝えした報告だ。70年代、80年代初めまで特殊機関の一部に妄動主義者がいて、英雄主義に走ってこういうことを行ってきたと考えている。二つの理由があると思う。一つは特殊機関で日本語の学習ができるようにするため、一つは人の身分を利用して南(韓国)に入るためだ。私がこういうことを承知するに至り、責任ある人々は処罰された。これからは絶対にない。この場で遺憾であったことを率直におわびしたい」(日本側説明―新聞各紙)

 率直に言って、驚くべきことである。とはいえ、それは北朝鮮が党=国家機関を通じて拉致を行ってきた事実に関してではなく、これまで頑なに否認してきたことをいとも容易く認めたという事実に関してである。
 経過から言えば、日本政府が公認した「8件、11人」のすべてではないにせよ、北朝鮮が物理的強制力ないし詐欺まがいの甘言によって誘拐・拉致を行ってきたことはすでに明白であり、もっとも顕著な原敕晃さんの事例について、不十分ながら、われわれも本誌上で言及した(「〈コラム〉拉致・監禁について」第167号所収、1995年7月)。
 言うまでもなく、こうした行為はプロレタリア階級の行使する政治とはまったくかけ離れたものである。朝鮮労働党に対して強く弾劾するとともに、全人民の前に真実を率直に表明するよう要求する。

朝鮮労働党の対南路線

 ところで、上記の「日朝平壌宣言」、「金正日発言」にはいくつか疑問点が存在する。
 まず、巷間指摘されているように、「特殊機関の一部」が「妄動主義、英雄主義」という、いわば独自判断によって行動したという部分であり、それに付随して、「これらの関連で責任ある人々は処罰をされた」という部分である。
 また、「金正日発言」では拉致問題について「この背景には数十年の敵対関係があるけれども」と述べられ、それは「日朝平壌宣言」でも「日朝が不正常な関係にある中で生じた」と裏打ちされているが、首肯できない。
 さらに言えば、当初新聞の見出しに踊った「5人生存、8人死亡」に関しても、その後、被害者家族や諸運動団体、識者などから多くの疑問が投げかけられているが、これについては割愛する。
 一点目については、とりたてて詳しく検討する必要もない。いわば、対外的な「政治決着」のための表現である。
 二点目については少々複雑だ。少なくとも、「日朝が不正常な関係にある中で生じた」ことは事実だし、仮に国交があれば問題は早期に解決していたとも言える。ただし、日朝間に国交がなかったから拉致事件が生じたわけではない。
 というのも、在日朝鮮人や韓国人など、日本人以外にも拉致被害者が存在するからだ。とりわけ、1978年にはレバノン女性4人が「日本での就職を世話する」との名目で北朝鮮に連れ去られているが、その背景には、当時内戦状態にあったレバノンが北朝鮮の諜報活動の拠点となっていたこと、北朝鮮に在留する脱走米兵に配偶者を世話するなどの理由があったとされる(高世仁『拉致』講談社文庫)。言い換えれば、専ら実務上の要請として行われたものだ。
 この点から日本人拉致をみれば、金正日も述べたように、その目的は、特殊機関における日本語学習のためであり、「身分を利用して、南に入るため」である。要するに対南工作の手段の一つとして選択されたに過ぎない。したがって、問題を日朝関係の枠内でのみ捉えることは、本質を看過することになる。
 北朝鮮の対南路線を概観すると、1948年〜50年代初頭の「正規軍による正面戦」、60年代の「ゲリラ要員直接派遣」を経て、70年代初めには「在日朝鮮人の工作員化」という戦術変化をうかがうことができる(ちなみに、1974年の「文世光」事件について、北朝鮮は今年5月に責任を認めた)。こうした経過を踏まえ、70年代後半から80年代初めにおける朝鮮労働党=北朝鮮現体制の対南路線の一環として、日本人を標的とした拉致が企画・実行されたのである。
 もちろん、冷戦期には韓国もまた、さまざまな対北工作を行ってきた。しかし、70年代以降、朴正煕政権が「軍事対決から経済競争へ」という冷戦の構造変化に沿った形で「主戦場」を移行したのに対し、金日成政権は従来の戦線を維持した。むしろ、南北の経済格差が明白になってくるに連れて、「南朝鮮解放」の戦術はエスカレートし、それと不可分のものとして、国内における独裁強化・社会の一元化といった極左傾向に拍車がかかった。それを主導したのは、他でもなく金正日である。
 現在の北朝鮮社会の疲弊、経済的苦境は、こうした歴史的蓄積の産物である。金正日政権は、ここを突破するために、従来の立場を「後退」させて対日関係改善に乗り出した。短期的な目的は国交正常化に伴う日本からの資金導入だが、90年代後半からの欧州諸国との国交樹立、一昨年の南北頂上会談以来続く韓国との融和状況、この間の中国・ロシアとの関係強化に加え、新たに日本をも「対話路線」に取り込むことによって、強硬路線に固執する米ブッシュ政権を突出させ、膠着した対米関係の打開を図るといった中・長期目標も含まれる。

朝鮮労働党の政治内容

 北朝鮮が建国当初のソ連型スターリン主義を独自に「発展」させ、現在のような自縄自縛に陥った背景に、冷戦という特定の国際環境、南北分断という固有の条件が存在することは確かである。さらに遡れば、日本帝国主義による植民地支配という歴史的事実は看過できない。
 とはいえ、すべてを外部要因に転嫁して済むわけではない。百万単位の住民が餓死を強制され、万単位の住民が国外脱出を余儀なくされ、恣意的な政治処分を加えられるような政治体制が形成されたのはなぜか。それを運営しているのは誰なのか――。内在的な分析と評価は不可欠である。われわれはこの点について1993年に総括的な作業を公表し、以降の作業も含め、『火花』パンフレット「朝鮮北部プロレタリアートとの団結を求めて」(1999年)に集約した。その際、以下のように結論づけた。

 「(朝鮮労働党の言う「社会主義」「反帝自主」の内実は)実質上、外部勢力に干渉されず、自己の支配体制を維持・貫徹していくことの表明であり、国有をテコとした官僚支配のイデオロギーへと変質させられた“社会主義”の堅持でしかない。」(16頁、カッコ内は引用者)
 「われわれの判断基準は、“反帝”・“社会主義”を掲げているか否かにではなく、労働者大衆の解放、そのための条件を拡大する方向に進んでいるか否か、である。」(同前)

 日朝会談を受けて今月初めに行われた米朝高官協議の中で、北朝鮮は核開発が継続中であることを認めた。その後の報道では、1994年の「米朝枠組み合意」後の新たな核開発は「遅くとも1997年から始まり、ウラン濃縮に必要な遠心分離器数百台単位で、複数回にわたって調達されていた」ことが判明している(2002年10月21日付『京都新聞』)。北朝鮮流の「反帝自主」の立場から言えば、これは“米帝らの核独占に対する抵抗”“体制崩壊策動への対抗”と位置づけられるが、一方で90年代終盤といえば、北朝鮮では全国的に飢餓が進行し、中国領内に膨大な数の住民が脱出し、地方を中心に餓死者が頻発していた。そうした危機的状況に鑑み、国際機関などによる食糧援助も取り組まれてきた。
 言い換えれば、「米朝枠組み合意」に基づく軽水炉型原発の獲得、国際食糧援助によって国家資産を民政に振り向けることができ、その分だけではあれ、飢餓の回避が可能だったにもかかわらず、朝鮮労働党=金正日政権はそうした対応をとらなかったのである。この点については、以下の金正日発言に余すところなく表現されている。

 「(99年の弾道ミサイル発射について)敵は優に何億ドルもかかっただろうと言っているが、それは事実だ。〔中略〕その資金を人民生活に振り向けたらどれほどよいだろうかと思ったが、私は、人民がまともに食べることができないことを知りつつも、あすの富強祖国を建設するために、資金をその部門に振り向けることを許諾した」(1999年4月22日付『労働新聞』)。

 ここで言われる「あすの富強祖国」が労働者大衆のものではなく、少数の特権階層に限定されたものであることは論を待たない。労働者大衆の犠牲を省みず、あらゆる事態を「外交カード」と化し、現体制の維持に必要な資金・物資を獲得し、最終的には米国から国家承認を得ること、それによって自らの専制支配を永続化すること。――金正日政権の最優先課題はここにこそあるのだ。

何のための国交正常化か

 朝鮮労働党=金正日政権の性格が以上のようなものであればこそ、労働者大衆の要求を顧慮することなく、これまで大前提としてきた対日賠償(補償)要求を取り下げ、経済的利益の追求を押し出すことができた。他方、国内の「改革」が頓挫し停滞している小泉政権にとっても、失策続きの外務省としても、首脳会談を通じた国交正常化交渉の再開は“名誉挽回”のまたとない機会である。とくに、これまで正常化交渉の“ハードル”となっていた「拉致問題」について、事前の下交渉を通じて「政治決着」の可能性が濃厚となったことから、日朝両政権は互いの「利害の一致」を確証し、それゆえ“異例”の事態に至ったと考えられる。
 すなわち、北朝鮮側は拉致の容認という「譲歩」の姿勢を示すと同時に、既成事実化によって日本社会の鎮静化を待ち、実利を獲得する。日本側は要求を貫徹したという「攻勢」の構えを誇示した上で、交渉再開のムードを演出する。――双方の腹案はこうしたものだったと言えよう。しかし、「結果」がもたらした衝撃はあまりに大きかった。北朝鮮側は日本社会の反応を、日本側は北朝鮮当局の対応を、それぞれ見誤っていたのである。被害者家族の納得する結果が得られない限り、拉致問題をめぐる流動は持続せざるを得ない。
 もちろん、日本はかつての植民地支配を通じて、被害者家族が現在受けているのと同質の悲しみを、はるかに大規模な形で朝鮮民衆に強要した。したがって、その責任を果たす義務は当然ある。国交正常化も基本的にはその一環である。
 ところが、ここで問題が浮上する。つまり、金正日政権との間で行われる正常化が、北朝鮮の労働者大衆にいかなる影響をもたらすかという問題である。
 本来、植民地支配や強制連行などに対する謝罪、およびその実体的裏付け(賠償・補償)は、直接の被害者やその子孫との協議・論議を踏まえて行われるべきものである。その際には、相手国の政権がその意思を総体的にまとめ、国家としての対応に結実させ、当該国家間の交渉によって合意点を探るという方式が考えられる。言い換えれば、被害者およびその子孫の意思を最大限集約し得る政権との交渉でない限り、国家間での合意は当事者の意思を疎外するものとなり、場合によっては当事者に対して敵対的なものにもなりかねない。
 1965年の日韓条約はこの点で教訓的である。同条約は韓国の朴正煕政権との間で交わされた。クーデターで政権を掌握し、韓国労働者大衆の民主化要求を強権的に圧殺してきた軍事独裁政権である。この際にも、韓国労働者大衆の多数意思であった謝罪およびその実体的裏付けは換骨奪胎され、「経済協力」方式に収束した。確かに、今日の韓国には、この際の資金がその後の経済成長にとって原資の役割を果たしたとの評価もあるが、それはあくまで結果論に過ぎない。軍事独裁政権へのテコ入れと化した側面も大きい。何よりも、90年代に入って数多く取り組まれている個人請求権訴訟や日韓条約見直しの運動こそは、国家間での合意と民衆レベルの意思との齟齬を雄弁に物語っている。
 その意味では、すでに見たとおり、労働者大衆の意思を集約するどころか、逆にその意思を抑圧し制限することで成立している朝鮮労働党=金正日政権との国交正常化は、楽観的な見通しに立ってさえ日韓条約の轍を踏むものとなる。否、現状を冷静に判断すれば、金正日政権への“カンフル剤”として、北朝鮮における労働者大衆の苦境をさらに継続させる“原資”となるだろう。仮にそれが「誠実な謝罪」「賠償(補償)」であったとしても。
 日朝会談をめぐる動きを見れば、日本側は明らかに正常化交渉に対して積極的であった。どうやら、経済破綻にある金正日政権が相手ならば、いわば“足元を見る”形で合意に至る可能性が高く、後に個人請求権問題が浮上した場合にも、拒絶の法的な条件が獲得できると踏んだようである。もちろん、北朝鮮側もそれは承知の上で、“入り口”のハードルを下げる代わりに、可能な限り早期の妥結の実現、交渉過程での条件闘争に期待をかけたものと思われる。いずれにせよ、本来の当事者たる北朝鮮の労働者大衆を抜きにしたところで行われる、文字通りの「ボス交」である。

日朝プロレタリアートの実質的結合関係を!

 われわれは、こうした「ボス交」を認めることはできない。それ故、現下の状況に関しては、北朝鮮における労働者大衆の現状を見据え、彼ら彼女らの喫緊の課題と向き合うことによって、日朝両政権を批判しうる日朝プロレタリアートの結合関係を形成するよう呼びかける。
 今日、朝鮮労働党=金正日政権は、経済はもちろん政治的にもすでに自壊していると言って過言ではない。にもかかわらず国家形式を維持しているのは、一つには、軍・治安系統といった独裁機関の中枢幹部に金正日系列の“忠臣”を配置し、それらを優遇することによって機関全体を掌握し、労働者大衆に対する思想統制、行動制限、相互監視を行っているからである。
 さらに根本的には、周辺諸国・関係諸国がいずれも現状変更を望んでいないことを指摘できる。中国とロシアにとっては、北東アジア地域に影響力を行使し、対米関係を有利に運ぶ上で、北朝鮮の存在は欠かせない。仮に体制崩壊した場合には、ただでさえ停滞している東北地方、沿海州にさらなる混乱の種が播かれることになる。韓国は韓国で、北朝鮮崩壊に伴う混乱、その収拾にかかる社会的経済的負担を恐れ、むしろ現体制の存続、「平和共存」を願っている。金大中政権の融和姿勢に対して批判の声はあるものの、それに代わって即時吸収統一を提起するような政治勢力は存在しない。強硬派に見える米国もまた、基本的な懸念材料は核開発およびミサイル開発に絞られる。それも、第一義的には、ミサイル輸出に伴う地域的な軍事バランスの変化に対する防止である。その点さえクリアーすれば、対中関係を危うくしてまで北朝鮮の体制変更に着手する可能性は低い。
 だからこそ、北朝鮮に対して、中国・ロシアは陰に陽に資源などを供与し、韓国は「統一」を旗印に食糧や肥料の支援を行っている。米国は米国で、国連を通じた人道援助の最大の供与国となっている。金正日政権も含めて、いわば「呉越同舟」のパワーゲームを行っていると言ってよい。
 ところが、これら関係諸国にとって(もちろん金正日政権にとっても)、予測困難な「不安定要因」が存在する。すなわち、北朝鮮における労働者大衆の文字どおり自主的な行動である。
 以前から散発的に存在しつつも、暴力的封じ込めよって外部世界に知られることの少なかった、北朝鮮労働者大衆の行動は、この間、中国に脱出した北朝鮮難民の姿を通じて、誰の目にも明らかになってきた。
 昨年6月のUNHCR(国連難民高等弁務官)北京事務所への籠城、今年5月の「瀋陽事件」に象徴されるように、公然と在外公館に亡命を求めることによって、北朝鮮における労働者大衆の状況を告発し、事態の抜本的解決に等閑視を決め込む関係各国の姿をも浮き彫りにする、こうした明白な政治行動は、従来なかったものだ。もちろん、そこには地元中国の支援者をはじめ、複数国のNGOからなる支援体制が存在する。つまり、これまで困難だった北朝鮮労働者大衆との直接的な結合の条件が飛躍的に拡大しているのだ。
 しかも、こうした動きは北朝鮮内部と切り離されたものではない。長年にわたって中国と北朝鮮の国境地帯を取材してきたジャーリストによれば、1998年あたりから、中国にやってくる北朝鮮難民の意識にはっきりした変化がうかがえるようになったという。

 「九八年春ごろまでの難民・越境者たちは、〔中略〕全体として外部情報にまるで疎かった。〔中略〕だが、時の経過とともに、みるみる難民・越境者たちの知識量は豊富になり、認識も変わっていった。『政策の失敗と改革開放しないから北朝鮮は食べていけない』と考える人が一般的になっていったのだ。」(石丸次郎『北朝鮮難民』講談社現代新書、178〜179頁)

 中国という窓口を通じて外部情報に接した北朝鮮難民たちは、そこで北朝鮮社会の有りようと自らの置かれた立場を相対化する契機を得る。次には、北朝鮮内部で行われている官製宣伝に疑問を持ち、その虚偽を認識する。これらの人々が北朝鮮に帰還することによって外部情報が徐々に、しかし確実に北朝鮮社会に浸透していくのである。
 こうした事態の先駆的な実例として、中朝国境地域を舞台に北朝鮮難民の支援運動に取り組む、日本を拠点とする北朝鮮民主化支援団体「RENK(救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク)」が1998年末に公開したビデオ映像、『インサイド・ノースコリア』を挙げることができる。同映像は北朝鮮におけるヤミ市場の状況を隠し撮りしたものだが、映像内容もさることながら、北朝鮮難民の手による撮影という史上例を見ないものだった。安哲という名の撮影者が記した手記によれば、撮影機材や資金の提供は在日朝鮮人・日本人混成団体のRENKが、撮影および現場設定は北朝鮮住民が受け持つという、国境・民族を越えた共同行動として取り組まれ、その目的は、北朝鮮社会の現実を体制のフィルターなしに提示することを通じて、金正日体制の民主変革の意思を表現することにあったという。(安哲・朴東明『北朝鮮飢餓ルポ』小学館文庫)
 われわれは、こうした現に進行している事態にこそ注目し、自ら社会変革・社会建設の主人公として立ち上がろうとする北朝鮮労働者大衆の思想と行動に深く結びついていく必要がある。
 この間、拉致問題に関する社会的流動の過程で、日本社会に巣くう民族排外主義の要素が刺激され、在日朝鮮人大衆に対する卑劣な行為として現れている。こうした排外主義と対決するためにも、金正日政権と在日朝鮮人大衆のほとんどが決して同一に括られるものではないこと、北朝鮮の労働者大衆もまた、金正日政権とは本質的に非和解的な関係にあることを示していく必要がある。
 しかし、この課題は同時に、国家間の関係を所与の前提とし、帝国主義と反帝国主義といった枠組みを問わないままでは果たし得ないものだ。民族排外主義者とは逆の方向からではあれ、政権と労働者大衆との分岐を不問に付し、両者を同一視するという基本観点は同質だからである。こうした意味も含め、先に紹介した「朝鮮北部プロレタリアートとの団結を求めて」における結語を、小論の結語としたい。

 「労働者大衆の現実の姿に目を向けない観念的“連帯”、あるいは贖罪としての“連帯”ではなく、ともに解放に向かい、新しい社会――国境・民族を越えた新しい結合関係を作り出していくものとして、連帯運動を力強く創造していかなければならない。」(16頁)




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