共産主義者同盟(火花)

イスラエルのパレスチナ侵攻虐殺を弾劾する

流 広志
248号(2002年4月)所収



 イスラエル・シャロン政権は,一昨年にシャロン自身がエルサレム訪問を強行するという挑発行為に怒りが爆発したパレスチナの一連の自爆攻撃に対して,過剰報復を繰り返して,多くのパレスチナ人を虐殺してきた。

 3月27日のネタニアでの自爆攻撃に対して,ついに,シャロンは,パレスチナ自治区にイスラエル軍を侵攻させ,ラマラのパレスチナ暫定自治政府の議長府を戦車などで包囲し,アラファト議長を監禁状態に追いつめ,ベツレヘム,ジェニン,カルキリア,トゥルカルム,ナブルスなどの諸都市で軍事攻撃を行っている。この内,ジェニンでは難民キャンプを攻撃し,ここだけで,すでに約150人,ナブルスで約50人のパレスチナ人が虐殺されたと報道されている。アラブ各国では,イスラエルを非難し,即時撤退を求める民衆のデモが頻発しており,国連安保理でも,イスラエル軍の早期撤退を求める決議が,アメリカも賛成して,成立している。

 シャロンは,アメリカ・ブッシュ政権がアフガニスタン戦争で使ったテロとの戦争の論理をまねて,これをテロ一掃のための正義の作戦行動だと,正当化している。ブッシュは,当初,アメリカの国連代表がイスラエル軍の早期撤退決議に賛成票を投じたにも関わらず,宗教的な自爆攻撃はテロであるとして,シャロンの行為を容認する発言を行った。ところが国際社会がこぞってイスラエルの行為を非難する中で,ついに,イスラエル軍の即時撤退を求めることを表明し,ジニ特使を派遣し,調停に乗り出した。ところが,シャロンは,アメリカの要求を無視して,作戦を強行しつづけている。そのため,アメリカは,パウエル国務長官を周辺アラブ諸国とイスラエル・パレスチナに送り,介入を強化することを余儀なくされたのである。

 18歳の少女が自爆攻撃に追いつめられるなど,抑圧されたパレスチナ人の怒りと絶望はかつてなく深まっている。その責任はいうまでもなくイスラエル・シャロン政府にあり,その背後にあるアメリカにある。問題の本質は,ブッシュがいうような,宗教問題にあるのではなく,「オスロ合意」とその後のアメリカのクリントン政権が行った和平交渉の幻想がまさに幻想にすぎず,結果的にパレスチナをだました空約束にすぎなかったことにある。暫定自治はパレスチナ人にとって悲願の民族独立へのワンステップにすぎなかったのであり,そのような希望にかけたからこそ,パレスチナ民衆はイスラエルとの交渉に期待したのであり,アラファト議長派を多くが支持したのである。ブッシュ政権の誕生によって,それが幻想に終わることが確実となりつつあった時に,シャロンがパレスチナ人の心情を傷つける挑発行為を強行したのだ。

 そもそも,20世紀初期の帝国主義政治によって始まったパレスチナ問題は,一つには,ヨーロッパにおけるナチスのホロコーストに最悪の帰結を見たユダヤ人差別問題の解決を,植民地に押しつけたものであり,さらに,戦後,イスラエルを帝国主義のアラブ侵略の先兵として,また米ソ冷戦のために利用しつづけたことによって,引き起こされたものである。イスラエルは,パレスチナの地に先住していた人々を銃で追い立て,土地を強奪し,侵略して,土地と職を奪い,イスラエルの下層労働者とし,隷属化し,その力を徹底的に削ぎつつ,独立を妨害しつづけてきた。そうして,パレスチナ人の労働力や資源を奪い,利用して,自らは,核をはじめとする武装を強めてきたのであり,その力をパレスチナ人に向けているのである。さらに,アメリカはこれまで武器を供給し,また技術支援を続け,経済的にも支援して,イスラエルの後ろ盾となってきたのである。

 それに対して,パレスチナ人の反イスラエルのインティファーダという形での抵抗闘争は,子供たちが自然発生的に石などを投げつけるだけの貧弱な武器による闘争でしかない。かくして,圧倒的な武力を背景にパレスチナ人の土地を奪い,入植地建設を強行し,資源を収奪し,労働力を搾取しているイスラエルに対するパレスチナ人の民族解放独立闘争は,圧倒的な国際的な帝国主義をバックにした強国イスラエルに対して,貧弱な武器しかない弱者であり被抑圧者であるパレスチナ人の闘いなのである。

 われわれ帝国主義下のプロレタリアートと共産主義者は,抑圧者であるアメリカ帝国主義とイスラエルに対する被抑圧民族パレスチナ人の民族解放独立闘争を断固として支持しなければならない。それは,帝国主義的抑圧民族としてあることを否定して,民族間の平等を実現することが国際プロレタリアートとしての団結を強化することだからである。

 日本においても,様々なパレスチナ連帯闘争が取り組まれてきた。それは,プロレタリアートの国際主義の現れであろうし,われわれもまたささやかながらもこうした観点から,それを訴えてきた。3月27日のネタニアでのパレスチナ人の自爆決起は,ユダヤ三大祭りの一つである「過越祭」の初日であった。それは,皮肉にも,『旧約聖書』の出エジプト記で,エジプトで奴隷であったユダヤ人がそれから解放されたエジプトからの脱出を記念して行われるものである。それに対して3月30日は,「土地の日」というパレスチナ人のイスラエルからの解放闘争の記念日である。その日,ウナディコムを組織し,パレスチナ連帯闘争を担ってきた闘士であり,闘いの同志である桧森孝雄氏が「故郷の海はシオンにつうじている」などのメモを残し,かつてパレスチナに連帯しイスラエルを非難するハンストを行った日比谷公園において焼身決起した。氏の冥福を祈ると共に,その尊い遺志と熱い思いを引き継ぎ,帝国主義とイスラエルに対する被抑圧民族人民の解放闘争との連帯を発展させていくことを改めて決意する。米帝とイスラエルの侵略・虐殺を断固弾劾する。





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