共産主義者同盟(火花)

[学習ノート]経済学ウオッチング(10)

斉藤隆雄
247号(2002年3月)所収


3.社会と市場

資本主義経済の勃興期における労働市場の形成が国家権力の暴力的過程の中で完成されたということはポラニーも認めています。しかし、その過程の中でスピーナムランドのような社会の側からの抵抗が生まれ、市場経済と社会との軋轢の中で歴史が進行してきたというのが、彼の歴史観ということになります。
では、何故このような歴史観が生まれてきたのかというと、イギリスに発祥した自由主義思想、古典派経済学の根幹にある人間観に対する強烈な批判意識があると考えられます。自然思想や合理的人間観、古典派が前提とする功利的経済人の姿は、市場経済を前提として社会を描こうとした当時の思想家たちの幻影に過ぎないと言いたいのです。人間社会は本来そういうものではもちろんないし、また古典派が描いた経済システムも実は不完全な資本主義システムを対象とした理論であったというのです。つまり、市場システムは人間生活にとっては極く一部分の領域を占めるに過ぎず、古典派の言う干渉政策そのものが人間社会を防衛する自然な現象であるというのです。
「経済的機能は、土地のもつ多くの生活機能のうちのただひとつにすぎない。それは、人間生活に安定性を与えるものである。すなわち居住の場であり、肉体的安全のための一条件であり、風景であり、四季である。」p.243
ポラニーは、1825年恐慌以降の産業ブルジョアジーの地主階級との闘争の中で、32年修正救貧法、44年ピール銀行条例、46年反穀物法とブルジョアジーの攻勢が成功し、「自由放任の教義」が社会を席巻するが、彼はこれを「自然なところは何もなかった」と揶揄しています。
「…市場システムと干渉はお互いに相容れない言葉であるということではけっしてない。なぜなら、市場が確立されないうちは、その確立のために、そしていったん確立されればその維持のため、経済的自由主義者は政府の干渉を求めなければならないし、また躊躇なく求めるものであるからだ。それゆえ、経済的自由主義者はなんの矛盾もなく政府に法の力を行使するよう要求できるし、自己調整的市場の前提条件を作り出すため市民革命という暴力的手段に訴えることさえできるのである。」p.202
自由主義者の言う自然とはブルジョアジーが意識的に作り出したシステムであり、国家権力を最大限に行使したブルジョア独裁体制であるという規定とこれはそう遠くないと思えます。だが、ブルジョアジーが作り上げたこのシステムはすぐさま社会からの反抗を産み出し、1830年代に競争的労働市場が作られ始めるや否や、労働者階級は自己意識を持ち始めることとなるのです。
彼の描いた市場システムというものは、彼の言葉で言うなら、「自己調整的市場システム」ということになる訳ですが、それは自然発生的に生まれてきたものではなく、産業革命とともに登場した大規模な生産機構が生み出した資本家階級の権力と労働力を商品擬制とすることで成り立つ意識的なシステムである、ということになる。であるから、当然自由放任などということはあり得ず、むしろ彼の理論を敷衍すればそれは社会との決定的な抗争に生み出さざるを得ないということになるのです。古典派が見誤ったのは、人間が商品となり売買されたことで、商品の再生産とその費用の根拠をスピーナムランドの時代に求めたことによる、ということになるのです。ですから、彼によれば欧州大陸諸国における資本主義発展史においてはスピーナムランドの悲劇は経験しなかったと言います。
一方で、彼が描いた「社会」における配分システムとはマルクスが描いた「資本主義に先行する諸時代」の生産様式のことだと考えられます。つまり、まだ交換がなく、贈与と互酬の時代に特徴的に現れたシステムということなのです。彼が依拠する先商品社会のパラダイムはマリノフスキーの研究が基礎となっているようですが、ここでは深追いはしません。むしろ、彼の社会観がマルクスのそれとどれほどの距離があるか、見ていきましょう。
マルクスは市場システムについてとりわけ別個に論じているわけではありませんが、分配という経済機能が分業を通じて行われるというスミス以来の古典派的枠組みから大きくは逸脱していません。『資本論』第12章分業とマニュファクチュアに次のような記述があります。ここでは、作業場内分業と社会的分業とを比較論議しています。
「作業場内分業にあっては、先験的かつ計画的に守られる規則が、社会内分業にあっては、内的な・沈黙の・市場価格の晴雨計的変動において知覚されうる・商品生産者たちの無規律な恣意を征服する・自然必然性として、ただ後天的にのみ作用する。…社会内分業は独立の商品生産者たちを相互に対応させるのであるが、彼らは、競争の権威-すなわち彼らの相互的利害の圧迫が彼らに加える強制-以外に何らの権威も認めないのであって、それはあたかも、動物界において『すべてのものの、すべてのものに対する戦い』が、すべての種の生存条件を多かれ少なかれ維持するのと同じである。」p.238
これに対してポラニーは、前回にも触れたように商品を通じた社会的分業を特殊な形態として見て、社会の生成原理を生産と分配の機能を果たす経済システムと市場システムとを別個のものとし、この自己調整的な市場システムが社会を飲み込むか、社会が再吸収するかというせめぎ合いの中に歴史を見る訳です。マルクスでは、社会は先資本主義的な社会における共同体構造が解体され、より進んだ資本主義的な社会が登場し、その中で商品擬制としてある労働者が協同的な社会を再獲得するという歴史観であるのですから、そこに根本的な異同があると思われます。ポラニーがマルクスを見る目は、次の言葉に端的に現れています。
「マルクスのイデオロギーは、自らの産業的・政治的力を高遠な政策の武器として使用することを環境から教えられていた都市労働者の考え方を結晶化させたものであった。」p.238
ポラニーによれば、マルクスの思想は欧州大陸における労働者階級の状況を反映したものである言うことになります。つまり、大陸においては資本主義創世記には囲い込み運動がなく、発達した都市経済と文化に農村共同体からの流入労働者が吸収され、都市賃金労働者は当初から自らの地位に対する政治的立場を獲得していた、というのです。この政治的立場は、絶対王政の下で抵抗していたブルジョアジーとの共同闘争を可能にし、同時に国家に対する政策要求という観点を、都市労働者はブルジョアジーから学んだということになります。ここに、マルクスのプロ独理論の基礎を見るわけです。
他方、イギリスにおける労働者階級はそのような国家に対する政策要求という観点をブルジョアジーから学ぶ素地がなく、社会そのものの変革を求めた所に、イギリス独自の、いわゆる「空想的社会主義」を生み出したとするわけです。
ポラニーから我々が学ぶべきは、自己調整的市場システムの古典派的呪縛からの解放でsしょう。新古典派やハイエクなどが資本主義経済を唯一無二の経済体制として称揚する、その根拠そのものが現実から逃避であるということが明らかになるからです。ある意味で、彼らの思想を「空想的資本主義」と呼んでもいいかもしれません。そして、マルクスの側から見れば、労働者階級の国家権力奪取による市場システム改革は、実現すべき社会の構造そのものの課題を突きつけるという、焦眉の問題に新たな視点を与えることになるかもしれないということです。計画経済が崩壊した現在、市場システムに取って代わる新たなシステムが社会の側に用意されていなければならないという、きわめて当たり前の前提が我々を空想的共産主義から脱出させる糧になるだろうということです。

4.大転換

本書の表題にある「大転換」とは、20世紀初頭における資本主義の危機とそこから派生した様々な経済・政治体制全体の変革のことです。
ここでは政治上の権利(いわゆる人権や財産権など)の問題と密接に関わる課題も提起されていますが、議論の幅をあまり広げすぎないようにしたいと思います。というのは、この問題が重要でないということではなく、むしろ正反対であるからです。
しかしそれはさておき、ポラニーの言う転換とは何なのか。まずは、その骨格を明らかにすることから始めます。
労働・土地・貨幣の三大市場が自己調整的市場システムの根幹であるとした上で、既に19世紀後半から、労働と土地については社会防衛が始まり、労働立法と保護関税が広がり始めていました。そして、最後に貨幣については中央銀行がその役割を果たすことになるのです。市場経済と自由貿易を理想とする多くの経済理論は既に形だけのものになっていました。
「19世紀の支配的哲学は平和主義であり、国際主義的であった。知識階級の人々はすべて『理論上』は自由貿易論者であった…。しかし1870年代以来、支配的理論にはそれほどの変化はなかったけれども、感情的な変化には注目すべきものがあった。人類は国際主義と相互依存性の正しさを信じ続けていたが、他方で、ナショナリズムと自給自足の衝動にもとづいて行動した。自由主義的ナショナリズムは、対外的には保護主義と帝国主義に、国内的には独占資本的な保守主義に著しく偏った国家的自由主義へと変貌していった。」p.269
中央銀行は古典的経済理論にとって干渉主義でしかありません。これは意外に思われるかもしれませんが、例のハイエクのような純粋な古典派は頑迷にも一貫して中央銀行を否定しつづけています。その意味では、貨幣数量説の信奉者であるフリードマンなどは中央銀行だけは否定しようがなかったようで、古典派とはいえないのかもしれません。ただ、この時代はまだ自己調整的システムがのこっていました。金本位制です。
19世紀後半の社会防衛の進行は相互に絡まり合った形で市場経済システムを破壊していきました。一方が他方の原因であり、またその逆でもあるという、今風に言えば螺旋的な構造をもって進行していきます。
「穀物法によって生活費が上昇したため、製造業者は保護関税を要求するにいたった。そしてこの保護関税はほとんど必ずといっていいほど、カルテル政策の補完手段として利用されてもいたのである。労働組合は、当然、生活費上昇の埋め合わせとして賃上げを要求し、賃金勘定の膨張に雇用主が帳尻を合わせていけるようにつくられた関税率に対して効果的に反対することはできなかった。」p.276
20 世紀初頭に起こった政治的経済的事象の歴史的回顧はここでの課題ではありませんが、欧州における国家とその経済政策、そして拡大する世界貿易の調整役としての金本位制が国内経済に与える破局的な作用は、様々な論者が指摘しているのでここでは繰り返しません。ポラニーのここまでの議論で既に明らかなように、最後の自己調整的システムであった金本位制が、1931年に終焉し、それとともに市場システムは最終的に破産したわけです。
ですから、それ以降の国家的な改革はきわめて同時的でもあるとします。
「自由主義的資本主義が行き当たった難局に対するファシスト的解決は、経済・政治双方の領域におけるあらゆる民主的諸制度の撤廃という犠牲を払って達成される、ひとつの市場経済改革であるといえよう。」p.326
計画経済もファシズム経済もニューディール経済も、金本位制の崩壊によって起こった市場経済危機の回避的な現象であったとします。ここで我々は彼の分析が、ファシズム経済と計画経済を混交していると非難すべきではないでしょう。実に、国家独占資本主義がロシア革命における国家資本主義規定と自立的市場経済との関係から同一線上に語られてきた歴史的経緯があるからです。しかし、彼の歴史認識からすると完全に的はずれであるということになります。
これまで、スターリンがブルジョア的市民権さえ保証しなかったという事実とファシズム国家が徹底的に左翼・民主主義派を弾圧してきた事実とを同列に扱うブルジョアジーの常套的批判をよく耳にしてきましたが、ポラニーによれば、ロシア革命は遅れてきたフランス革命であり、スターリン的弾圧はイギリス囲い込み運動期の政策的弾圧政治であり、ファシズム国家のそれは発達した民衆政治の資本主義的危機の回避行動であるということになる訳です。しかし、ここではこの歴史規定の真偽を検討する場ではありません。問題は、彼の規定が資本主義における市場というものの社会的位置づけに根拠があるということです。彼の言う自立的市場システムは、1930年代に終焉したことになっています。そして今も金本位制が復活していない限り、システムとしては起動していないと捉えられます。ただ、戦後ドルと金がリンクしていたという事実からして、彼の言う金本位制離脱の世界経済が完結したのが80年代になってからであるということも、付け加えておく必要があるでしょう。「大転換」は、実は変動為替制度の確立をもって完成したと見ることもできます。

5.市場・国家・社会

ポラニーの功績は、従来の経済学が市場経済の歴史的な生成過程をただ歴史的に記述するだけに終わっていたものを、古典派経済学の基本的な概念の批判に結びつけて展開したことにあります。そして、経済現象を国家や社会と離れがたく結びついているものとして描いたことも、マーシャル以降の近代経済学が描く仮想経済理論と袂を分けています。
そして、戦時中に書かれたものとしてはずば抜けて創造性に富んでいると言うべきです。彼の理論は、日本における宇野理論と比較されることもありますが、十分に根拠のあることだと考えます。しかし、彼の自立的市場経済崩壊後の世界経済が土地・労働・貨幣を退場させたとする資本主義経済とは、いわゆる混合経済という意味として、今日では捉えられるでしょうし、理論の根底にあるキリスト教的な世界観は今日では陳腐であると批判されるかもしれません。
しかし、にもかかわらず彼の理論は今流行の規制緩和政策や新古典派経済学の描く経済世界が現実とはかけ離れた空想世界であるということを生き生きと描いてくれたことは大きな功績であり、その意義は今も変わらないのです。そして、我々が国家の役割をとりわけ強調した帝国主義理論や国家独占資本主義理論を今一度、新しい視点で振り返ることを示唆してくれています。なぜなら、市場が資源の配分機能を果たすものとして自然成長的に発達してきたものと捉えたり、国家が意識的主体としてアプリオリに前提されたりする理論の背景を今一度暴露される必要があるからです。
そして、ポラニーの語っていない商品経済の競争市場について、労働・土地・貨幣が管理された市場であるとしたら、今日もなお頻発し、また資本家さえ頭を悩ましている景気変動をどのように解明するのかが問われなければなりません。彼が国家・社会・市場を一体のものとして捉え、後に「制度」としてそれらを把握する理論が生まれるのですが、未だに彼が理想とする「市場を社会が吸収する」ことができているとは言えないからです。
欧州での社会民主主義経済政策がこの「制度」としての経済把握とその発展系としてのレギュラシオン理論を背景に持っているのは、ポラニーの反古典派理論の系譜として理解する必要があるでしょう。そして、彼らの理論が政治の経済への結びつきを一体と捉える所に、自由の問題が介在する必然性をもたらしているのです。
ファシズム経済を資本主義的危機の一つの現れとして捉えた卓見は、今も欧州経済を呪縛していますが、大衆政治によるコントロールが常に経済変動の危機に曝されていることには変わりなく、自由の問題を経済生活の中に取り込めないという矛盾を解決しない限り彼らにとっての真の解決はないのだと言えます。
振り返って、我々は計画経済の敗北から何を学ぶべきかを、明らかにしておかねばならないでしょう。国家官僚的コントロールによる資本市場の廃絶が、貨幣の廃絶には至らなかったのは何故か。コスイギン改革からゴルバチョフに至るまでの政治改革と疑似市場経済導入の方向性はレーニンのネップとどこが異なるのか。これらの課題に答えなければ、中国における社会主義市場経済の実験の評価はできないでしょう。市場に対する曖昧な態度はもはや許されるはずもなく、共産主義者が直面している最も重い課題だと言えます。

6.最後に

本稿をもって、「経済学ウォッチング」を終わりたいと考えます。当初、経済政策の個々の検討をする目的で始めたシリーズでしたが、いろいろと寄り道をしている内に、市場経済廃絶の課題を検討する問題意識が芽生え、現在の世界的な景気後退局面が意味する歴史的な背景と信用資本主義の分析が欠かせないと考え、これからは学批判ではなく、政治経済分析とこれまで我々が注目してきた諸運動に対する検討を試みたいと考えます。

リーディングリスト

永田啓恭編『市場と制度』阿吽社 1993年
杉浦克己・高橋洋児編『市場社会の構想』社会評論社 1995年
H.A.ヴィンクラー編『組織された資本主義』名古屋大学出版 1989年




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