共産主義者同盟(火花)

速報 尊厳の行進、大地の色の行進、メキシコ市到着

早瀬隆一
235号(2001年3月)所収


「私たちはただ、訊ねるためにだけきた。
私たちは訊ねるよう呼びかける。
私たちは訊ねるためにやってきた。
私たちは訊ねるために進む。
私たちを先住民として承認するのか。私たちをメキシコ人として承認するのか。
答えのために、私たちはやってきた。
答えのために、私たちは進む。」(ミチョアカン州モレリアでの演説 2001.3.5.)

 3月11日、サパティスタ代表団がメキシコ市に到着した。
 2月24日チアパス州から始まったサパティスタの旅は、12州での先住民をはじめとする多様な人々との出会いを獲得し、「小さきもの」の多様な「ことば」を足し合わせながら、メキシコ市に到達した。ソカロに至る沿道は、人、人、人で埋め尽くされ、オープンカーならぬオープントラックに乗った目出し帽のサパティスタを群衆が囲む。まるで凱旋パレードのような光景が現出した。大統領府を背景としたソカロ(中央広場)を埋め尽くす8万有余の人、人、人。
 新しい世紀、新しい時代が始まるのだとの確信が街からあふれだした。
 そこには新しい時代の新しい闘いが、確かに存在した。

 「私たちは対話と和平のため、すべての人々に、私たちに連れ添って連邦政府の所在地であるメキシコ市へ向かうよう招待する。そこで私たちはともに、上院や下院の議員たちに対して、正義について説得を重ねよう。正義とは、先住民の権利と文化を憲法で承認することである。」(2001.1.1EZLN声明)

 サパティスタは今回の行進を、尊厳の行進、大地の色の行進と呼んでいる。マルコス副司令官、タチョ司令官ら24名の中心メンバーで構成されるサパティスタ代表団の首都行進は、メキシコの12州を巡りメキシコ全土の先住民や市民社会と対話すること、COCOPA先住民法案に基づく住民の権利と文化の憲法による承認について、「法律を作る人たち」=国会議員と対話すること、を直接の目的としている。サパティスタ代表団が立ち寄った12の州では、それぞれ数万の人々が集会場を埋め尽くし、代表団が通過する沿道は声援を送る人々で溢れた。

 サパティスタが、その闘いの土俵を国家から社会に創り換えたとき、既存の「ゲリラ対策」はその本来の機能を失った。「低強度戦争」は彼/彼女らを苦しめることはできても、彼/彼女らの存在を消し去ることはできなかった。チアパス州に配備された7万の軍隊も、その力の無効性を宣告された。

 首都行進においても、メキシコ政府の古臭い政治手法はことごとく失敗した。

 政府が行進への国際赤十字の同行を拒絶したとき、非武装のサパティスタの旅を防衛するため、先住民諸組織、市民社会諸組織、そして海外からのオブザーバーが旅への同伴をかってでた。

 保守ジャーナリズムが「外国人に防衛された旅」なるキャンペーンをはれば、メキシコ市民社会が名乗りをあげ、防衛の役割は外国人オブザーバーからメキシコ市民社会に引き継がれた。

 政府や保守ジャーナリズムの「サパティスタを孤立させよう」「隔離しよう」との策謀は、しかし、皮肉なことに、ますますサパティスタの行進を人々に開かれたもの、人々に支えられたものに発展させた。「メキシコ官憲に護られゲリラ指導部が交渉のため首都へ向かう」という物語は現実の前に崩れ去った。そんな物語を鵜呑みにしているのは日本の商業報道くらいのものである。CNNですら「マルコスはまるでロックスターのようだ」と報じている。各地で代表団を歓迎する人々の姿、その表情は喜びや希望で輝いている。わけても先住民の人々の表情からは積年の思いが伝わってくる。「我々はここにいる」、彼/彼女らは全身でそのことを歴史に刻印している。

「夢と苦しみを足し合わせなさい。歩みながら、明日を集めなさい。」
今回の行進−各地での対話や交流は、一般的かつ旧来的な意味でサパティスタへの支持を結集することを目的あるいは意味とするものではない。サパティスタの旗のもとへの結集を彼/彼女らは求めない。サパティスタが求めるのは、それぞれの夢であり苦しみであり言葉を足し合わせることである。互いに別であることを尊重しながら、そこに協働を創り出していく文化の在りようが見て取られねばならない。
「私たちは多くの声のあいだでのひとつの声にすぎない。尊厳がすべての声のあいだで復唱するこだまにすぎない。それらの声に私たちは足し合わされ、それらとともに私たちはさらに多くなる。私たちはこだまでありつづける。私たちは声であり、そのようなものになる。私たちは反映であり、叫びである。私たちはつねにそのようなものになる。」
(メキシコ市での挨拶2001.3.1)

 ともあれ、サパティスタ代表団の旅はメキシコ市到着をもって終わるのではない。メキシコ市を舞台とした活動がすでに始まっている。13日にはCOCOPAとの公開対話が実施された。対話を密室での交渉に矮小化しようとする政府や議会強硬派の策謀に対して、市民社会に開かれた対話を追求するサパティスタの攻防がすでに顕在化している。14日には、上院10名下院10名による聴聞会への出席要請が、無署名文書という責任の所在を曖昧にする形でサパティスタに提出され、サパティスタが即座に拒否声明を発表するという一幕もあった。同声明において、サパティスタは全ての議員との対話−国会総会での対話を要求している。  3月10日、サパティスタ代表団は、先住民の権利と文化が法的に承認されるまで、メキシコ市に滞在することを明らかにした。サパティスタ代表団の首都滞在はそうとう長期にわたることが予想される。圧倒的な注目と連帯を !!

<断片的補注>
 残念ながら日本の商業報道はサパティスタの行進をほとんど無視している。購売数が全てであるこの国の商業報道にとって「ゲリラ」とは「テロ」や「誘拐」をやるべき存在であり、サパティスタのような闘いは報道に値しないものなのだろう。貨幣によってしか現実に向き合えないこの国の商業報道に哀れみあれである。

本文書は主としてインターネットによって得られる情報を参考としており、引用は山崎カヲルさんのサイトからのものである。声明等の翻訳・発信に取り組んでおられる皆さんに感謝し心より敬意を表しておきたい。

 尊厳の行進の過程を通して特徴的なことの一つは、先住民女性の活躍である。行進にはスサナ、ジョランダ、フィデリア、エステルという4名の女性司令官が加わっている。各地での集会ではそれぞれの土地の先住民女性が挨拶に立っている。マチスモ(男中心主義)を社会的伝統とするメキシコにおいてこのことは大きな社会変化である。「私たちは生命を与えるものたちだ。女性なしでは、世界を変えることはできない」(エステル司令官)

 各地での演説において、サパティスタは、「互いに別であること」と「ひとつであること」、そしてその関係について、繰り返し述べている。本文書ではその主張について掘り下げる時間はない。サパティスタの演説などはインターネットで入手できる。わけても3月1日ソカロでのマルコス副司令官の挨拶は感動的である。彼/彼女らのことばにぜひとも触れていただきたい。そしてそれぞれの理解と考えでサパティスタの主張や運動に向き合ってもらえばよい。ここでもなお、多様性は力である。
なにはともあれ注目と連帯を!!




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