共産主義者同盟(火花)

戦術論争発展のために

−構造改革派と榎原理論と『国際主義』編集会議と火花派との間で−

流 広志
232号(2000年12月)所収


 12・18ブント(共産主義者同盟9回大会)の資本主義批判の欠如という総括視点の提起以来,ブント系の一部にとっても,資本制社会の構造の解明とその構造変革というテーマが党派的課題として強く意識されるようになったが,そのために,構造改革派と問題意識その他の点でその区別が曖昧化した面がある。1960年代末には,構造改革派のブント化が言われた。構造改革派の中から,街頭実力闘争,暴力革命,革命戦争路線,等々を肯定的に評価する部分が生まれ,分派闘争と分裂,三派全学連,全共闘,新左翼への合流が起こったからである。そのような政治的流動化の中で,共産主義者同盟の側から,構造改革派を含む大ブント構想が提案されたりもした。
 第二次ブントの分派闘争と論争,諸実践が明らかにしたことの一つは,権力奪取一般のこの抽象性によっては現実を根本的に変革する諸実践を導き出せないのである。資本主義批判とは,資本主義的経済社会編成体の社会諸関係の構造や機能,規則,等々を問題にすることであり,このレベルでの変革を問題にすることである。そのことが,構造改革派の路線と12・18系とりわけRG派の違いをわかりづらくしているように思われる。とりわけ,RG派榎原均氏の1980年代末あたりからの所論の提起についてはその意味内容を把握しないまま,イメージ的に構造改革派と重ねられているように思われる。われわれは,1990年代に入っての綱領改定での資本−商品−貨幣の廃絶を社会革命の課題とするという提起や『戦術・組織総括』や『火花』掲載文書などでの新しい運動や組織への着目や肯定的評価,などにたいして,『国際主義』編集会議(旧青年共産主義者同盟(準))から,構造改革派とどこが違うのか,路線の継承関係はどうなっているのか,とくり返し問われた。構造改革派と火花派の違いは自明のことと思っていたので,こうした反応には驚いた。そこで,構造改革派と榎原理論と『国際主義』編集会議とわれわれとの間の込み入った理論関係を解きながら,共産主義的戦術についての論争を発展させるための問題提起を行いたい。同時にどこが誤解でどこが違い対立しているのかが整理されるだろう。

『国際主義』第21号早川論文での榎原資本主義批判の批判

 共産主義者同盟RG派は,『資本論』の再解釈の中から資本−賃労働関係を所有と労働の分離による資本−賃労働関係の再生産として,資本制的取得法則の解明による正しい資本主義批判を導き出したと主張した。そこで,資本主義に固有の経済的隷属が資本−賃労働関係から結果する所有と労働との分離にあることを見いだし,それが資本家階級への労働者階級の一切の隷属の基礎であり,階級闘争は労働者階級の経済的解放を目的としなければならないと主張した。
 この点について,『国際主義』第21号(青年共産主義者同盟(準)「共産同(赫旗派)批判−12・18系「資本主義批判」を中心に−早川順平,1988年5月)が批判を提出した。その論旨は,労働と所有の分離批判では,私的所有制度を防衛する暴力装置である国家権力の打倒と権力奪取と法の領域での私的所有の廃止という社会主義革命の決定的な論点を見失ない,『経済学批判序文』においてマルクスが生産関係の法律的表現にすぎないとした所有諸関係の領域の決定的な意義を否定することになる,といったものである。
 早川氏は,『経済学批判序文』の,社会の経済的構造としての生産諸関係の総体という実在的土台(下部構造)と政治的法律的な上部構造との区別を踏まえているとは思うが,RG派榎原氏が私的所有を基礎として搾取が成立するという伝統的なスターリン主義経済学を批判して資本制的生産様式は資本制的私的所有関係を前提として私的所有そのものを再生産する,と述べたことを批判した。
 その際に早川氏は,(a)法制度としての私的所有制一般と(b)自己労働に基く私的所有と賃金制度に基く資本主義的私的所有の区別を意図的にあいまいにしていると批判している(前掲早川論文 143頁)。早川氏は,榎原氏が,@(a)を前提とする自己労働に基く私的所有の,本源的蓄積過程における直接的生産者の収奪を契機とする,他人労働に基く資本主義的私的所有への転化−これも(a)を前提とする−の問題と,A累進的規模での資本の再生産たる蓄積過程における資本関係の拡大再生産の問題とが混同されたために,Aが@の歴史的条件であり,Aの前提には常に(a)があることを捨象してしまったために,残るAだけを批判しただけであり,資本主義批判ではなく資本関係拡大再生産批判をしたにすぎないというのである。早川氏は榎原資本主義批判が資本関係拡大再生産批判という経済主義に他ならないという結論に達したのである。
 この部分の最後を早川氏は,青年共産主義者同盟(準)の1984年の『マルクス・レーニン主義をかかげて』11月号論文を引用して締めくくっている。「極論すれば,仮に,資本が消滅し,従って個別資本による雇用者への支配力が消失しても,生産力の一定の水準では,私有制を防衛する国家権力さえあれば,(従って,経済的には商品経済が存在すれば)資本の蓄積は不可避的,必然的に進行することになる。共産主義革命が,国家権力の奪取−私有財産制の廃絶を旗印にするのは,こうした根拠に基づくものである。私有制の廃絶によって,個別資本は,又は,一般に富の所有者は,それを資本として蓄積・拡大再生産することが不可能になる。従って,プロレタリアートの革命運動は,その政治目標に向けた闘いとして,結束した,思想統一された運動とならなければならない」(前掲論文 144頁)。
 ここにあるのは,国家権力による私有財産制防衛という意志の強制が,商品経済から資本蓄積を可能にし,富の所有者(商品経済であるからその定在は商品であることが前提されている)が資本の蓄積・拡大再生産をすることができるという国家意志と権力による強制によって所有制変革を通じて生産関係を変革できるという思想である。
 なおこの点については,最近,伊藤一氏が「社会」的側面での社会変革が必要だと主張するようになっている。それは変化ではなくて,従来から主張していた側面を強調するようにしたのにすぎないという。上部構造の「政治」的=「国家」側面と「法律」的=「社会」側面の区別と連関であり,これらの側面に応じて戦術が違うというものになっている。

火花派と『国際主義』編集会議(旧青共同(準))との論争から

@.階級意識論から科学的意識への移行を

 同じ『国際主義』第21号の津村洋氏の『−共産同火花批判−共産同の歴史的総括論争を!』で津村洋氏は,火花派における階級意識論の否定をもって,ただちにそれは自然発生的意識である経済主義的=ブルジョア意識への屈服をもたらすと結論し,それにマルクス主義的階級意識・階級形成論を対置しなければならないと主張している。なぜなら資本主義の発生以来,これらの二つの根本的な政治闘争観が対立しているので,そのどちらかの意識しか存在しえないからというのである。津村氏は,それをレーニンの『なにをなすべきか』から導きだしている。それではイデオロギーにブルジョア的とかプロレタリア的とかいう階級的性格を与えるものはなにか。
 ここでつぎのことを確認しておきたい。すなわち,生産諸関係は人間の自由意志に依らない諸関係で下部構造に属するものであり,その解明には自然科学的な方法が取られなければならないというマルクスのテーゼである。「このような諸変革の考察にあたっては,経済的生産諸条件における物質的な,自然科学的に正確に確認できる変革と,人間がこの衝突を意識し,それをたたかいぬく場面である法律的な,政治的な,宗教的な,芸術的または哲学的な諸形態,簡単にいえばイデオロギー諸形態とをつねに区別しなければならない」(『経済学批判序文』国民文庫 16頁,下線は引用者)。
 レーニンが労働運動の自然発生性に対置して持ち込まなければならないと言ったのは,インテリゲンチャなどによってその労働運動などの自然発生的な諸運動の外で形成される科学的意識のことである。科学的意識は,レーニンが指摘しているように資本主義の下ではブルジョアジー出身の者も含めてその形成に参加するものである。またマルクスが『資本論』で述べているように科学はそれ自体としては一般的労働である。それを資本が包摂して自らの運動に引き入れていくのである。これらのことを合わせて考えれば,津村氏たちのあらかじめ存在する二つの意識の対立をアプリオリに前提する階級意識論・階級形成論を否定すれば,ブルジョア・イデオロギーに屈服することになるという主張は誤っている。科学にブルジョア科学とプロレタリア科学があるわけではない。そうではなくてブルジョアジーの利害に従属した科学意識が存在するのである。それがブルジョア・イデオロギーである。プロレタリア・イデオロギーは,科学的認識とともに変化発展していくものであり,科学意識におけるブルジョア・イデオロギーとの闘争を通じて発展するのである。
 『唯物論と経験批判論』などでレーニンは,理論における党派性の区別と認識,理論における党派闘争の発展を主張した。それは神学的信念や観念を持ち込んで科学をそれに従属させる神学者や観念論者の宗派主義と断固として闘争しその狭さから科学を解放することなしにはそれをプロレタリアートがそのまま利用することができないからである。レーニンがナロードニキとの論争やマッハ主義者,ブルジョア経済学者や小ブル理論家,主観主義者,等々,ブルジョア・イデオロギーとの闘争をいかに熱心にまた全面的に実行したかということは簡単に確かめることができる。われわれ自身それがどこまでできているか自己点検がいることを認めた上で,『国際主義』編集会議がどれだけそういう作業を行ったのか尋ねてみたい。私は,論争の土俵をこの科学的意識の形成という領域に移せば,広大な可能性が切り開かれると考える。
 なお,この津村論文を含めてわれわれの側からの批判と反論が『火花』誌上で何人かの執筆者によって行われている。あわせて参照されたい。

A.論争の経過と伊藤一氏による論争の評価について

 青年共産主義者同盟(準)は,1984年の『11月号論文』で二つの政治闘争観の対立,全人民的政治闘争論,の立場を確立し,87年2月総会において,革命党・革命路線を確立するための準備段階としての「政治サークル」化とその任務への集中のための大衆闘争(三里塚現闘体制)からの撤退を決定した。以後,1992年三回大会での「共産主義運動再構築の展望−党綱領原則部分の提起」(『展望』)を採択し,同時に政治サークル『国際主義』編集会議を結成する。『展望』は,「生産関係変革は上部構造に属する所有関係の意識的変革によって可能になる」(『国際主義』第23号 6頁)が,それがあらゆる体制変革の一般法則であると述べている。その後,『国際主義』編集会議は,党派間共闘の場へ積極的に関わっているが,この綱領原則部分の立場は変えていない。
 火花派と青年共産主義者同盟(準)は,1980年代末以来,機関誌上での相互批判を行い,討議を行った。機関誌上での最後のやり取りは,『火花』では,『火花』第123号(1991年11月),124号(同年12月),126号(1992年2月)掲載の『国際主義』22号の伊藤一氏による『国際主義』編集会議結成大会にむけた要綱(案)と提案説明への批判である国崎論文にたいする伊藤一氏の批判と反論の文章掲載(1992年129号,130号)である。その後,1992年10月の『国際主義』第24号に,論争の経過を整理した『共産主義者同盟(火花)との誌上論争について』(編集委員I)と量子力学や自然科学の領域についての論争を提起した津村洋氏の『火花派−国崎論文への疑問 〈研究メモ〉「量子力学の発展と唯物論の擁護」(1)について』が掲載された。これが『国際主義』側の最後の誌上論争の文章である。『国際主義』24号,25号にこちらの反論の投稿を合意していたが執筆が間に合わず実現できなかった。
 誌上論争の中断の責任がわれわれの側にもあることは疑いない。こうなった原因の一つに,この間,火花派第三回大会における党派間共闘への消極的態度への転換があったからである。われわれとは逆に青年共産主義者同盟(準)はこの時期に,党建設に向けた政治サークルへの改組を行い,党派間共闘,党派闘争(論戦)の場へ積極的に関わるようになっていった。われわれは,綱領改定と『戦術・組織総括』で,党派間共闘の場に限定されない広大な領域へ進出し,活動の可能性を切り開くことを積極的な前進と考えた。『戦術・組織総括』は,党派間共闘を否定したわけではなく,そこに限定しない広大な運動の場を活動領域に加えるということを言ったのである。だが,このように,われわれと『国際主義』編集会議の間のギャップが拡大していった。
 この論争について伊藤一氏は,『火花派との党派間思想闘争をめぐる困難と危機』(1994年9月)という文章を書いている。その中で,伊藤氏は,火花派との建設的な政治的討議は,@主体性論的な討議姿勢,A公開への消極性,B同様の主張であっても,他者であれば批判し,自分自身であれば許容するという不整合・自己矛盾が非常に多く,その自己点検の姿勢があるように見えないこと,が土台にあるために困難であるという評価を下している。批判的評価は火花派の改定綱領にも向けられているが,その際に伊藤氏がわれわれが考えている改定のポイントではないところをもっぱら指摘して批判していることが議論を噛み合わせずらくしていると思われる。もちろん論点の提起が自由になされること自体に問題はない。しかし,論争相手がここがポイントだと強い思いを持っている箇所をはずされては論争する意欲を失わせかねないものである。その点をどう考えるのだろうか。
 綱領改定のポイントが資本−商品−貨幣を廃絶する社会革命にあることは,『綱領改定特別号』1994年6月の「綱領改定にあたって」「大会での,綱領改定案をめぐる討議・採決報告」「戦術・組織総括」を読めば一目瞭然である。このポイントをめぐって『国際主義』編集会議,そして伊藤一氏の考えとの間にどんな違いがあり,論点があるのか,等々を明らかにしていけば,少なくとも@Bの印象が間違った印象であったことはわかるはずである。以下を検討し,誤った印象を正されることを期待する。

B.火花派綱領改定のポイントの資本ー商品貨幣を廃絶する社会革命をめぐって

 われわれの改定綱領のポイントは,ソ連・東欧のスターリニズム体制崩壊の総括を通して今日の共産主義革命が資本−商品−貨幣の廃絶を実現する社会革命の課題にあることを強調したことにある。それにたいして『国際主義』編集会議の,国家権力を奪取してプロレタリア意識・意志に依拠した国家権力が私有制度を法的に廃絶することで現存の生産関係を廃棄することができるという思想が対立している。この対立が解けないでいることこそが,@Bの主観的印象を生み出しているものと思われる。
 伊藤氏は「権力奪取と商品廃絶との関係を含む社会的構造の検討,従来の共産主義運動の諸見解の点検と変革こそが,商品廃絶に向けた大衆の自覚成長の重要な条件になるはずである」(前掲文書)のになぜそれをしないのかと批判する。伊藤氏はこの中で,社会革命の領域の重要性についてはすでに自分が提起していると述べている。しかし,最近にいたるまで,伊藤氏及び『国際主義』編集会議が商品・貨幣関係がなんであるかについて具体的に検討し,明らかにしたものを見たことがない。『火花』誌上では不十分ではあってもいくつかの掲載論文がこの問題を扱っている。そしてこの点では榎原氏の論考が進んでいたのでそこから学んだこともある。そうしてこの領域で榎原氏の作業を批判的に検討・評価できると思えるところまで到達したものと考えている。
 われわれが『国際主義』編集会議との論争を行っている間に,榎原氏によるマルクス価値形態論の検討から導かれた「貨幣形成の交換過程に直面した商品所有者たちのうちでの無意識のうちでの本能的な社会的共同行為」をどう廃絶するかという問題提起がなされた。われわれの綱領改定論議や戦術・組織論議にこの榎原氏の問題意識が影響していることは確かである。だが,われわれと違い,榎原氏は,商品・貨幣を廃絶するのは文化であるという考えを提起している。

『国際主義』編集会議・榎原理論・火花派の商品貨幣廃絶の展望について

 『国際主義』編集会議は,政治革命(権力奪取→所有制の意識的変革を通じた生産関係の変革→商品貨幣の廃絶,ただし最近の伊藤氏の所論では,政治革命先行→過渡期の社会革命への移行→国家,商品・貨幣廃絶となっている),火花派は社会革命,そして榎原氏は文化革命(持続的社会的パフォーマンスを継続し人間関係を変革するブルジョア文化でないもう一つの文化圏の形成による商品・貨幣関係廃絶。ただしこの文化革命は,政治で文化はつくれないという意味で,中国の文化大革命とは違うことが注意されねばならない)。このように商品・貨幣廃止の展望,その領域と手段,について三つの立場がある。
 早川論文の段階での『国際主義』編集会議の立場は,従来のマルクス主義者の多くの原則的立場であるし,「展望」(円山テーゼ)でも,プロ独権力が商品経済廃絶への労働者大衆の自覚を発展させ,合意形成を行うとしている。しかし最近,伊藤一氏は,法律的上部構造の領域を政治的上部構造とは独自の領域であることを強調し,前者を「社会」,後者を「国家」と呼ぶことを提案し,この法律的上部構造=「社会」の領域における社会革命が「国家」の外の独自の領域の課題としてあることを強調している。
 それにたいして火花派改定綱領と榎原理論は,資本関係と商品・貨幣関係の区別を前提に,それらを社会領域の課題として扱っているという点で共通している。違いは,改定綱領が政治革命を必要条件として商品貨幣を廃絶する人々の新しい結合関係を生み出す社会革命の課題をかかげているのにたいして,榎原氏は商品・貨幣関係は意志によっては廃絶できないので,それを無駄なものにする諸条件を迂回して創りだすほかはないとして,人間関係の変革を文化の領域の問題としたことである。それは,社会を象徴的秩序ととらえることからきている。社会=象徴秩序説は,構造主義以来,様々な分野で受け入れられているが,マルクス主義の中ではアルチュセールによるマルクス主義の再構成の仕事が知られている。
 榎原氏は,1991年末に,ソ連・東欧体制崩壊を総括して「資本の廃止は,資本家階級を収奪することによって実現される。このことはロシア革命が証明した。ところがロシア革命以後のソ連邦は商品,貨幣の廃絶を実現することができなかった。ペレストロイカの提起にはじまる市場経済の導入は,商品,貨幣廃絶の試みが失敗したことの帰結であった」(『情況』1991年12月号 「価値形態・貨幣・社会主義」62頁),「貨幣形成の本能的共同行為を国家機関による計画化,つまりは政治や行政といった意志のレベルで廃絶しようとしたことが,最初のボタンのかけちがいであった。本能的共同行為を意志でもって統制したり廃止したりすることはできない。これを廃絶するには,本能的共同行為が無駄になるような諸条件を迂回してつくりだす以外にない」(同上 63頁)と述べている。この迂回とはどのようなものなのだろうか。その前提として,「意志のレベルの問題ならば,民主主義で解決しうる。同意にせよ強制にせよ人は他人との間に政治的意志関係を結ぶことができる。共産主義的政治にあっては論理にもとづく説得が基本であり,感覚への訴えは技術である。ところが文化の問題となると,論理も文化の様式であるので相対化されてしまう」(同上 64頁)ということがある。文化は政治でつくれない,文化は流行するものであり染まるものであり,その伝達手段はパフォーマンスである。結論は,「社会的パフォーマンスを共同で持続して演出しつづける」(同上 64〜65頁)というものである。文化の重力は人数ではなくて,人と人との関係のあり方に規定されているので,自分たちのその位置づけと他の文化圏の人々がどう見るかということを含み,国家レベルではなく,国境をこえる世界的規模の社会的パフォーマンスを持続することは文化圏の形成であるというのである。こうした榎原氏の考えは,最近の『社会綱領案骨子』に簡潔にまとめられている。その中で科学知から文化知へという考えが述べられている。

構造改革派は問題を提起すらしていない

 『国際主義』編集会議の伊藤氏は,構造改革派の特徴として,権力奪取に任務を狭めることへの反対をあげている。また,火花派が改定綱領でそうした思想を語り,また社会革命を重視するとか新しい運動というのは用語上も構造改革派と類似しているが,これが構造改革派と同じなのか違うのかをはっきりしなければならないと伊藤氏は批判している。
 しかし伊藤氏が言うように,構造改革派には火花綱領が指摘している商品・貨幣の廃絶まで進む社会革命ということを重要課題として提起しているところはあるだろうか。私の知る限りでは,構造改革派はこういう課題を提起すらしていない。それに変革の主体を市民としているところがほとんどである。火花派改定綱領はそれがプロレタリアートであるということをはっきりと述べているし,プロレタリア独裁,プロレタリア世界革命,等々のマルクス・レーニン主義の概念が満ちている。
 権力奪取に任務を狭めるのに反対するというのは,プロレタリア革命は権力奪取だけでは終わらず,それをテコにした世界革命の発展を促進することであり,社会革命の一層の前進の条件の確保にすぎないということを意味するものである。権力奪取がたんに政治性格だけを変革するだけに止まることはありえないし,そうしてはならないということである。それは,この官僚専政という政治性格の保守のために,社会革命圧殺装置へと国家体制を反革命的に転換させたスターリニズムの総括でもある。
 商品・貨幣の廃絶は,商品・貨幣関係が人と人との関係を必然的に特定の形式=形態として規定するという社会関係なので,国家政治の強制や合意では廃絶できないので,これを前提とする自治,連帯,エコロジー,循環型社会,によっては実現できない。われわれと構造改革派の間にはいくつかの言葉の類似以外になんの共通点もない。「新しい運動」という用語を使ったからといって,われわれが構造改革派に内容において近いなどということはいえない。それに改定綱領でも『戦術・組織総括』でもプロ独をはっきりとのべているのに,それを否定ないし曖昧にしている構造改革派とわれわれとの間には共通性はない。
 綱領改定は1994年であり,それから6年の歳月が過ぎた。この間に蓄積した経験や理論蓄積の到達段階からは改定綱領にもいろいろと問題が見えてくるということはある。綱領は不磨の大典ではなく実践の規準であり発展させることは当然である。構造改革派との違いを明確に強調して誤解のないようすることを改定点に入れても良いと考える。

生産関係と社会革命の戦術

 伊藤氏は,「社会」=法律的上部構造とし,権力奪取,政治革命による過渡期前期の任務から社会革命による国家死滅の任務への移行という歴史的順序を導入しているが,法秩序を意志で変えることで商品・貨幣関係を意志で廃絶できると主張しているように見える。それにたいして榎原氏は,私の理解では,社会を外部の思考形態であり象徴秩序の論理と機能の独自の世界と了解しているので,それを政治−意志によっては廃絶できないとしている。象徴秩序によって形態規定されている人間関係を変革するためにわれわれができることは,別の形態規定を生み出すような持続的な社会的共同行為(パフォーマンス)しかないというのが榎原氏の結論である。それを実現する知は科学知のような分析抽象ではなく象徴を生み出す総合抽象による文化知だという。
 私は,資本−商品−貨幣を廃絶する社会革命という場合は,商品・貨幣関係を超える人々の社会的結合の水準に向かっている社会的諸運動の発展ということであり,その結合は形態的関係であることを意味しているものと考える。それから,マルクスの『直接的生産過程の諸結果』(国民文庫 103〜194頁)の資本のもとへの労働の形態的包摂が先行し,それからまったく独自の資本主義的生産様式が立ち上がり,資本のもとへの労働の実質的包摂が生じ,生産様式,労働生産性,資本−賃労働関係に完全に不断に継続しくり返す革命が起こるということと『経済学批判序文』の新しい高度な生産諸関係は,その物質的存在条件が発展しきるまでは,古い生産諸関係にとって代われないということの意味を合わせて考えるならば,社会革命とは,ブルジョア社会の中で,新しい高度な生産諸関係が形態として先行し,後に実質的な包摂に発展するという過程に対応するものといえよう。したがって社会革命の中身とはこういう革命を基礎にして社会諸関係を変革する実践としてとらえなければならないのではないだろうか。そうであればこのような形態的包摂を文化という領域に限定する理由はなくなるし,政治という領域に限定する理由もなくなる。
 そうであれば,そこから戦術についての広大な領域が開けてくることがわかる。なぜなら,新しい高度な生産諸関係の形態的包摂の先行が確認されるならば,そのつぎにはその実質的包摂と独自の新たな生産様式,協同労働関係,の不断に継続しくり返す革命の過程へと進むという発展方向がわかり,この経済基礎における変化がジグザグはあっても上部構造の変化へと進むことが確実なので,この変化を反映する諸運動は確固とした現実的根拠を有するものとなって力をえることができるからである。

戦術論争の土俵について

 ここまで個人的な問題意識を含めた戦術論争の土俵整理の作業を試みた。そこで,戦術を未来のユートピアから導き出す構造改革派に対して,榎原理論が,商品・貨幣関係の解明からブルジョア文化ではない文化圏の社会的共同パフォーマンスによる創造という戦術を導きだしたことが明らかになった。両者の違いは明確である。
 『国際主義』編集会議伊藤氏は,政治−意志による所有関係変革による商品・貨幣廃絶から,上部構造の二側面の一つである法律的上部構造=「社会」領域独自の課題としての住民の相互関係変革の社会革命によって国家死滅を可能にし,貨幣・商品の廃絶を可能にするなどの社会関係への変革を過渡期におけるマルクス主義的党派の任務の移行と関連させている。過渡期では政治権力を不要にする社会的党派性がますます重要になるというのである。ここで戦術の重点が政治から社会の領域に移行している(伊藤一氏『共産主義運動年誌』創刊号〈寄稿〉年誌編集委「素案」へのコメント)。
 私は,ブルジョア的生産諸関係の下での生産力発展にともなって,新しい高度な生産諸関係への実質的包摂に先行する形態的包摂が発展しつつあり,新しい運動は,このような基礎における変化を反映して過渡期に想定されている社会的党派性が実現すべき水準に向けて前進しつつあると考える。それは形態的なものである。例えば,理論的レベルで言えば,地域貨幣の試みは,地域社会の特定の人間関係をあるていど意識的な形でネットワーク化するものであり,商品・貨幣そのものを廃止するものではない,それは形だけのものであり,それを目に見える形にしているという形態を実現したにすぎない。それを単純に実体化してはならない。それがユートピアではないのは,それが今あるものの形を表しているからである。それが長期間,広い地域で可能になっているのは,新しい高度な生産関係の形態的包摂があるとすれば納得できる。それがなかったことが,オーウェンらの協同組合工場の実験が何年ももたずに孤立したまま終わった原因と考えられる。
 伊藤氏が未来の過渡期に想定している社会的党派性がすでにこういう新しい運動に形態としてあらわれているとすれば,過渡期階級闘争は形態的にはすでにはじまっていることを意味することになるだろう。それならば,マルクス主義的共産主義の戦術がこの水準を引き上げることを含まなければならないことが了解されるだろう。

 われわれはプロ独,世界革命,商品・貨幣を廃絶する社会革命,共産主義革命を目指しているが,その戦術は,レーニンが当時の最新の資本主義経済の特徴である独占資本主義・帝国主義の研究を踏まえて戦術を提起したように,実在的土台の自然科学的方法による探求の結果を踏まえ,階級闘争のプロレタリアートの勝利の諸条件などを考慮した上で決定されるものである。したがって戦術論争はその中身の広さ深さを絶えず拡大深化するものとして発展させなければならない。
 本稿はそれに向けた問題提起としてある。この中には仮説的ものが含まれているが,それでも戦術論争の発展のために多少は役だつものと考える。曲解やわい曲のないように注意し,建設的討議関係の発展に資するよう気をつけたつもりだが,そういう点で問題があるかどうかを含め,意見表明を歓迎したい。




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