共産主義者同盟(火花)

森発言に見る統治危機と迷走する右派 

流 広志
226号(2000年6月)所収


 神道政治連盟懇談会での「日本は天皇を中心とした神の国」であり,それを国民に承知させるとした森首相の発言によって,森内閣の支持率が急低下した。そもそも,森総理大臣の誕生は,小渕前首相の突然の病気入院によって,あわてて青木官房長官,森幹事長,村上正邦参議院議員会長,亀井政調会長,野中幹事長代理の5人の自民党幹部の密室の謀議によって決定された政権交代劇で仕立てられたのであり,政権の正統性に強い疑念があるものであった。政権という意味では自由党と自民党と公明党の三党連立政権−小渕政権の支持率は下がりつつあったのであり,それに代わった森内閣は,当初,期待が込められた御祝儀的な人気で高い支持率を記録したが,それが頂上であった。
 森発言の舞台となった神道政治連盟懇談会は,いうまでもなく神社本庁系の政治団体の関係団体である。神社本庁は,第二次世界大戦の敗戦後,GHQによって,政教分離策が施行されたことから生まれた神社神道の財団法人である。1945年12月15日にGHQは国家神道(神社神道)に対する政府の保障・支援・監督・公布を廃止し,国家と神道を分離する指令を出した。翌1946年1月1日,天皇の人間宣言が放送され天皇の神格性が否定された。2月1日には神祇院が廃止され,翌2日には国家神道が廃止され,3日に財団法人神社本庁が発足した。以後,神社本庁は,元号法制化や日の丸・君が代の国旗国家法制化や天皇奉祝運動,紀元節復活策動などの反動的諸運動の中軸を担ってきた。
 そもそも近代の神社神道は,その理念を国学に発し,平田国学などは明治維新の勤皇派の拠り所となった。国学の一派たる水戸学派は廃仏毀釈や神仏分離を強行した。明治政府の成立後しばらくは王政復古などの理念による古代制度への復古策が取られたが,やがて復古派は破れ,近代国民国家建設に向かう。その過程で,神社統廃合による一村一社化という神社神道の合理化と格付けによる神社のヒエラルヒーが打ち立てられた。国家神道は,明治維新後の国家による信仰体系への全面的介入によって成り立ったのである。したがって,明治初期の廃仏毀釈をはじめ,昭和に入ってから戦争のための国家統制が強化される過程では,創価学会の前身である創価教育学会をはじめ,天理教や大本教などの民間信仰宗教や戦時期には日蓮正宗や日蓮宗身延派,キリスト教団体,等々の宗教団体への弾圧と統制が強められたのである。国家神道の解体は,こうした国家による弾圧を受けた諸宗教団体から歓迎された。しかし新憲法では,第一条以下で象徴天皇制が規定された。そこでの象徴天皇の地位は主権の存する国民の総意にもとづく日本国,国民統合の象徴と定義された。
 森発言の意味をその背景を含めて正確に理解するためには,日本の階級闘争上で天皇制の持つ意味やその歴史や中曽根の新国家主義や右派の動向や現在の統治危機の状況などを明らかにしなければならない。そうした点についてある程度明らかにしていきたい。

左翼系の天皇制論について

 天皇制についての左翼の規定は,戦前の日本共産党の諸テーゼが最初のものであり,また労農派と講座派の日本資本主義論争のテーマでもあった。 
1923年3月の日本共産党臨時大会の綱領草案では,「国家権力は大土地所有者と商工ブルジョアジーの若干の部分に握られている」とした上で,「君主制の廃止」を掲げた。1927年7月15日,ブハーリンの下に置かれた専門委員会で,日本に関する共産主義インターナショナル執行委員会幹部会のテーゼ(27年テーゼ)が承認された。このテーゼでは,「日本は,資本家が優位に立つブロックたる資本家と地主ブロックによって支配されている」として,ブルジョアジーの革命的役割を否定し,「日本革命の推進力は,プロレタリアートと農民,および都市ブルジョアジーである」と規定している。天皇制については,君主制の廃止を掲げている。また12項で「皇室,社寺,大地主の土地没収」を掲げている。
 それにたいして1931年のコミンテルンの政治テーゼ草案は,天皇制を金融資本を先頭とする支配階級のファシズム的弾圧,搾取の有力なる道具と規定しており,ブルジョア独裁下の日本革命の性質を社会主義革命とした。それは労農派と同一の見解であった。
 1932年テーゼは,それまでのブルジョアジー・地主ブロック君主制権力論を否定して,天皇制絶対主義国家論を採用している。32年テーゼはいう。「日本の天皇制は,一方では主として地主という寄生的封建階級に立脚し,他方ではまた急速に富みつつあった強欲なブルジョアジーにも立脚し,これらの階級の頭部ときわめて永続的なブロックを結び,かなりの柔軟性をもって両階級の利益を代表してきたが,それと同時に,日本の天皇制は,その独自の,相対的に大いなる役割と,似而非立憲的形態で軽く粉飾されているに過ぎない,その絶対的性質を保持している」。このテーゼは,天皇制が独占資本と地主の頭部とのブロックとしてこれら両階級に依拠すると同時にそれを超越した相対的に独自な自立した絶対主義国家機構としての性質をもつとしたのである。したがって,日本革命の性質は社会主義革命への強行転化の傾向を持つブルジョア革命とされたのである。
 しかしこの32年テーゼは「天皇制のイデオロギー的役割,日本国民の『天皇崇拝』感情,つまり半宗教性に対する分析はなく,むしろ過小評価していた」(犬丸義一『天皇・天皇制批判の系譜』)。32年テーゼ後,日本共産党では野坂参三による天皇制の絶対専政独裁機構と「現人神」としての半宗教的役割の二つの機能の区別とそれに沿った前者の即時撤廃と後者については一般人民投票で決定されるべきであるという区別がなされている。野坂は後者についてはただちに天皇制打倒を掲げない用心深い闘争を主張した。
 敗戦後,GHQによって進められたブルジョア的民主化によって,32年テーゼにいう天皇制の階級基盤とされた寄生地主制と財閥,軍部,国家神道が解体された。野坂参三のいう天皇制の絶対専政独裁機構という第一の機能は失われた。天皇制問題で日本共産党の戦後から現在までの主張は,パックス・アメリカーナ体制の維持強化のための国際分担を担う日米安保体制のために独占資本は危機管理体制構築を迫られており,そのために国民に安保意識や愛国心を植えつけなければならなくなっているが,そのイデオロギーの柱が天皇制イデオロギーにほかならないというものである。

 31年テーゼの規定である明治維新ブルジョア革命説と天皇制ブルジョア独裁の道具説は,同時に労農派の規定でもあった。労農派はかかる規定から日本革命の性質を社会主義革命と明確に規定した。しかしそれは天皇制を君主制一般に解消し,ブルジョアジーの利用する道具として捉えたものに過ぎず,天皇制の特殊性や歴史規定を欠いたものに過ぎなかった。労農派の流れを汲む現在の社会民主主義者などの天皇の政治利用反対というスローガンはこうした労農派の諸規定を継承している。
 この31年テーゼの特色を管孝行氏は「(1)明治維新をブルジョア革命と規定したこと,(2)日本を高度に発達した帝国主義国家と規定したこと,(3)天皇制を『金融資本を先頭とする支配階級』の,弾圧,搾取の『有力な道具』と規定することによって,旧制度的遺制ではなく,現存する権力の必須な要素として(つまりひとつの現代性として)とらえたこと,(4)日本の革命の基本性格を『プロレタリア革命』と規定したこと等であるといえよう」(『天皇制解体の論理』三一書房 17頁)と整理している。その上で管氏は31年テーゼと労農派が「絵に描いたような近代ブルジョア社会というようなものはどこにも存在せず,必ず,ブルジョアジーの階級独裁は,旧制度的残滓を,制度的にも,生活習慣的にもひきつれており,その旧さの性格の差違こそが,近代的諸国家の,権力構成,社会経済構成の,民族的様式の特殊性を形成するものなのだという,自明の認識の欠落が問題の根幹によこたわっていたのだといわざるをえない」(同上 20頁)と批判する。また氏は,31年テーゼは日本におけるプロレタリア革命と打倒ずべき権力の直接の関係に迫る可能性を示したが「権力(単なる『政権』ではなく,社会的には政権と,政権の階級的基盤として基本的に示される関係をつつみ込み,全体としてあの『幻想の共同体』を形成するところの国家の中枢)の動的構造性や,大衆の意識性との相互共犯関係が全くとらえられなかったために,天皇制の今日性を捉えることと,本質的な天皇制の解体学を構築することとをつなく回路が断ち切られてしまったのであった」(同上 21頁)と評価している。
 管氏は,31年テーゼ労農派と32年テーゼ講座派の両者を批判して,松浦玲氏の明治維新説に「松浦が天皇制に日本近代国家の特殊性を見る見方が,『本質的でない』とする点を除いて賛成であり,明治維新は封建支配者による近代国家の形成であり,ブルジョア革命ではなかった,それゆえ,この近代資本制国民国家は,国家主導によって資本主義化を進めると同時にブルジョア民主主義化されない「後進国」となった,しかし,天皇制は日本近代国家の特殊性として現代まで持続している」,としている。管氏によれば,「天皇制とは,日本における近代資本制国民国家の民族的様式であり,それは戦前の天皇制と戦後の象徴天皇制の間で,いささかも変容することのない本質的な性格をなしている。いいかえれば,天皇制とは日本のブルジョアジーが自らの階級独裁を貫徹し,かつその階級独裁の事実を隠蔽するために選びとった国家(=幻想の共同性)の様式にほかならない」(同上 266〜267頁)と規定する。この管氏の天皇制論の特徴は,ブルジョア独裁が,一方ではそれを貫徹すると同時に隠蔽するために選択した様式としての国家=幻想の共同性の様式とする独特の近代資本制国家論にある。管氏は日本の近代史を,封建支配層による近代国民国家の成立→国家主導による資本主義化(国家資本主義的ブルジョアジーと地主のブロック権力)→戦時国家独占資本主義(ファシズム)化→平時国・独・資(天皇制・ブルジョア独裁国家)とし,差別性・侵略性隠蔽の現代の天皇制・ブルジョア独裁国家の階級解体工作(脱階級化)を官僚独裁によるファシズム化と規定している。

 以上,簡単に整理・検討したように,最終的に32年テーゼの天皇制絶対主義規定に立った日本共産党=講座派と労農派によるブルジョア独裁の道具説(立憲君主説)をとる31年テーゼの規定とは,戦後においても左翼の二大潮流である社会党=社会民主主義と日本共産党に受け継がれた。前者においては天皇制は,支配階級の利用する道具であって,そうした政治利用を排すことが天皇制問題での基本的な態度になった。日本共産党系においては,天皇制は米帝に従属する日本独占資本の日米安保体制に現れる対米従属を維持するための反動イデオロギーの一つとされている。それは基本的にはブルジョア民主主義革命を首尾一貫して実現できない対米従属で反動化している日本独占資本がすがりついている前時代的な封建的な反動イデオロギーであり,真の進歩的民主的ブルジョアジーがヘゲモニーを握れば消え失せてしまうという類の遺制であり意識でありイデオロギーに過ぎないのである。管孝行氏は,両者を批判して,27年テーゼに拠りつつ,日本資本制近代国民国家の様式として,日本近代国民国家の体制変化に応じて形態変化を遂げながらも様式として共通性を保持してきた天皇制・ブルジョア独裁の貫徹と隠蔽の役割を担う国家=幻想の共同性としての様式としての天皇制論を提出した。そして現在の天皇制の官僚独裁のファシズムへの転化,すなわち平時国・独・資から戦時国・独・資への転化をはらむ支配階級の危機を天皇制の共同幻想による民族主義的なイデオロギー統合によって押し進めざるを得ないために,いささか漫画チックにでも天皇を担ぎ出さざるを得なくなっているというのである。これらの他に服部之総説の天皇制ボナパルティズム論などがある。

象徴天皇制下の森発言の意味と右派の狙いについて

 森発言については,天皇制についての独特の理解があった。それは森首相自身による釈明記者会見で,「天皇を中心とする」とは,日本国憲法の規定にある天皇の地位は主権者たる国民の総意にもとづく国民統合の象徴であるという意味であり,戦前の天皇主権を肯定したものではないし,「神の国」とは自然の中に自然を超えた存在を見る日本人の古来からの感覚を述べたものに過ぎないと釈明した。自らの発言が誤解を与えたことを陳謝したが,同時に,天皇とは文化的伝統の持続の現れであるとして三島由紀夫が主張した文化天皇論を開陳して見せた。それに対して,国民主権を否定する発言だとして,野党のみならず多くの国民が森発言に拒否反応を示した。中心と象徴はまったく意味が違うという明らかなでたらめな解釈や神道を特別扱いするような発言は仏教団体をはじめとする諸宗教団体などの反発を呼び起こした。
 この森発言の背景には,1990年代に入ってから,支配階級が陥っている統治危機の深まりということがある。米ソ冷戦下においては,ひたすら日米安保体制を維持し米帝の側に立ち,反ソ反共を国是として経済成長路線をひたはしっていればよかったし,その延長上に豊かな日本という未来図を簡単に描くことができた。ところが,米ソ冷戦が終了し,またバブル崩壊とその後の経済不況と低成長や環境破壊や財政危機などの諸問題が発生してくる中で,楽観的な未来図を描くことが困難になった。むしろ現在のたんなる延長は破滅への道であることが誰の目にも明らかになってきたのである。ところが,それにたいする根本的な解決策を提起するどころか,自民党は,公明党を抱き込んで,金融恐慌を回避するとしてなりふり構わぬ税金投入で破綻金融機関を救済し,公共事業で予算を支持基盤にばらまき,消費を喚起するとして地域振興券を散布したのである。その効果は大したものではない。最近の景気回復と言われているのは,アジア経済の好調による輸出増による部分が大きく,消費は低迷したままである。しかし,国・地方合わせた借金残高は645兆円という強大な規模に達している。その債権の多くは金融機関が保有している。

 石原都知事の「三国人」発言といいこの森発言といい,右派的な政治家が,戦後民主主義がタブー化した言葉を復活することに大きな意味があると思い込んでいるふしがある。石原都知事の「三国人」発言は,日帝敗戦後の一時期に旧植民地出身者を差別する言葉としてあったが,現在では死語となっている。その発言の趣旨は,不法入国の外国人を指した言葉であると釈明したが,岩波国語辞典によると第三国人とは「当事国以外の,外国人。特に,日本にいる,朝鮮人・中国人をも言う」とあり,あきらかな差別発言なのである。石原都知事は当然その公的な立場を考慮すべきであり,そうであれば,不法入国の外国人による犯罪が問題だと言えばよかったのだし,それで発言の意図は十分に伝えられるのである。さらに問題は,この発言が自衛隊に向かって発せられた煽動的発言であったことである。もし東京都で大規模災害が起きれば,不法入国の外国人がその混乱に乗じて騒動を起こしかねないが,そうした場合には警察だけでは対応できないので,自衛隊の治安出動が必要だとする石原都知事の予断に満ちた空想こそが,在日外国人に対する差別排外意識の現れなのである。在日外国人は何をしでかすかわからない連中というのが,この首都の長たる都知事の在日外国人にたいする認識なのだ。都市暴動の例としてロサンゼルス暴動が引かれたが,ロス暴動は,その前にレーガン大統領による下層住民対策の切り捨て,福祉,教育予算の大幅カットなどの政策による下層,マイノリティーの困窮化,貧困化,零落化という下層の人々を絶望のふちに追いやる過酷な状態が生み出されていたのである。石原都知事は前々からレーガン,サッチャーへのシンパシーを口にしていたし,都知事就任後も,弱者には我慢してもらうと言っていたことからして,こうしたレーガノミクスをまねた弱者切り捨て政策をとれば,その先に,どういうことが待っているかをある程度予測しているにちがいない。下層,弱者を追いつめていけば,窮鼠猫を噛むということが起きかねないということを。
 結局,石原都知事の政策を実現するためには,強い強制力が必要だという事情が石原都知事をして自衛隊の前で治安出動を煽動させたのである。当初より石原都政は,大銀行への外形標準課税にしても,下層,弱者切り捨て策にしても,強権を持って遂行しようとする態度が露骨であり,話しあいとかねばり強い合意形成とかではなく,一部側近による密室の協議による政策決定とトップダウン方式による政策遂行という強権的独裁的政治手法と態度を取っている。もともと,自民党系の反創価学会派の四月会を構成する霊友会と密接な関係があるといわれる石原東京都知事の誕生は,四月会系の霊友会,立正佼正会,仏所護念会などの宗教団体の組織支援と芸能人などの応援をえた宗教組織票と知名度の高さからくる人気票で,他候補とそれほどの差もない少数票による当選であったこともあり,また議会内に味方もないことから,大衆受けするパフォーマンスによって議会外に味方をつくりながら政策を進めるほかない立場にあり,したがって世論の逆風は石原都知事に強いダメージとならざるをえない。したがって,石原「三国人」発言にたいする佐高信氏や辛淑玉氏らの石原辞任要求の声があがったことは,それを過小評価しようとする向きもあるが,すでに福祉現場などで石原都政への不満の声が上がりつつあることなどを合わせて考えるならば,その影響は小さいとは言えない。石原都政の住民サービス低下や福祉切り捨て,弱者切り捨ての血も涙もない慈悲もない強権的独裁的政治に対する不満と批判の声はますます大きくなるだろう。石原ブレーンに自由主義史観研究会などの右派系組織が結集しつつあるという情報があるが,石原発言を支持する声の背後に特定の宗教団体や右派団体などの組織の影がありはしないのかどうか,注意が必要である。石原発言の差別排外主義と石原都政の強権政治と下層,弱者の切り捨て策は,強権的政治手法によるブルジョア的政策を求めるブルジョア一派の意向を汲んだものであり,それを許してはならない。

 森発言は,もしかすると石原発言支持がけっこう多かったということを見て,右派的なものが多くの人々に受け入れられる状況があると判断した上での発言だったかもしれない。ところが,事実はまったく逆であった。右傾的な雰囲気はすでにピークを過ぎていた。森首相は,そうした雰囲気を醸し出している連中に多くの人々がうんざりしていることに気づかなかったのである。すでに,病に倒れる前に小渕政権の支持率は下がり始めていたのだ。そこで,結局のところ,森発言の釈明の過程を通じて明らかになったのは,日本国憲法の象徴天皇制規定を圧倒的に多くの人々が承認しているという事実である。それから,天皇を現人神とする天皇=神とする人がほとんどいないということである。そして神社神道を多神教と理解している人が多いということである。また神道一元論は否定されており,神々,神仏とする多様な信仰形態を認めている人が多いということである。したがって,森首相を含めて,国家神道の復活は反対だし,天皇主権には反対で国民主権に賛成だし,人間天皇を認めているし,現憲法の象徴天皇制を良いと認めているし,信教の自由を尊重するし,政教分離は当然としている者が圧倒的に多いということが改めてわかったわけである。戦後民主主義の価値を肯定する人が圧倒的多数であるといいうことである。したがって,象徴天皇制という天皇制の存在を肯定しているわけであり,そのことは,民主主義国家観と象徴天皇制の間になんらの矛盾を見ていないことを意味する。
 日本国憲法の主権者たる国民の総意に基づく地位と日本国・国民統合の象徴としての天皇制とは,日蓮宗の僧侶の丸山照雄氏の『象徴天皇制とは何か』(河出書房新社)に引用されている1946年6月27日の衆議院本会議での金森国務相の答弁を見ると今回の森発言とその釈明の中で述べたことときわめて似た認識が示されている。その金森発言を孫引きする。「我々の心の奥深く根を張っているところの天皇との繋がりの心と言うものが基礎になって,日本国民の統合ができております。これに依って天皇を憧れの中心として,それを基礎として我が国体ができておると言うことのご説明は完成していると思います。その点が憲法に於いては正確に擁護せられておりまして,何等天皇の地位に根本的なる変更があった,詰まり国体が変わったというような疑惑の起こる余地は全然ないものと思って居るのであります」(同上 57頁)。これは,はっきり言えば,日本国憲法第一条以下の象徴天皇制規定によって,もともと天皇を崇拝する信仰心によって国民統合が成り立っている国体の変更はなく,新憲法においても天皇の地位は変わらず,もともと天皇制とはこういう象徴天皇制であったということを言っているわけである。すなわち国民統合の象徴とは,天皇を信仰する心の結びつきによる国民統合を象徴しているものであり,主権者たる国民の総意とはそうした天皇との心の結びつきを意味するものだということである。そうした心の結びつきによる国民統合のあり方としての国体は日本国憲法によっても変わらないというわけである。すなわち,戦後直後の保守派にとってはこうした国体は戦前も戦後も変わっていないと認識されているわけであり,象徴天皇制を支える国民の総意が失われていない以上は,国体の変更はなかったというわけである。しかし,天皇の地位が主権者たる国民の総意に基づくとされているように,主権在民が前提であり,国民の主権の行使による以外の支えがないとされたのであって,天皇主権の戦前の国体は失われているのである。国家体制は変更されたのだ。
 ところがこうした戦後初期の保守政治家と違って森首相は,発言の釈明の中で制度としての国民主権や戦後民主主義を肯定しつつ,伝統的文化的心理的宗教的国体の継続を「日本は天皇制を中心とする神の国」という言葉で表現したのである。こういう宗教的イデオロギー的心理的民族性を国家イデオロギーとして顕揚せんとする意図の背景には,続発する少年犯罪の凶悪化や家族制度の危機であるとか国家財政の大赤字による先行き不安であるとか経済情勢の不透明感であるとかいう未来を見失った保守政治のあせりが現れている。教育勅語の良いところとして森首相があげたのは,家族主義や道徳心の強調などであるが,それは1980年代の中曽根内閣時代の教育臨調路線などに現れた太古からある日本人の民族性としての和の精神とか自然信仰とか精神的文化的な価値の復権という幻想を引き継いだものである。しかし実際には戦前天皇制を支えた家父長制家族制度は長子相続制とセットであって,私有財産の財産相続制度と不可分に結びついていたのである。
 文化の持続性のシンボルとしての象徴天皇制と文化を民族性の本質とする文化民族主義が結びつき,中曽根の場合は天皇制を中心とする家族国家論が,そして右派文化人からは文化国家論が登場した。そこには,観念主義的神秘主義的妄想が,共同幻想として国家を覆うベールとして顕揚し,1979年の第二次オイルショックを契機にした経済不況から高まりつつあった緊張に対応せんとするブルジョアジーの意図があったのである。それは社会的歴史的基盤を欠いていたためにきわめてイデオロギー性の強いものとなった。ところがそれはプラザ合意以降の経済成長とバブル発生による好景気の到来によってあっというまに消え去り,逆に国家を邪魔者扱いする新自由主義の自由放任市場主義の席巻にとってかわられたのである。そして国鉄分割民営化をはじめとする国営企業の民営化がつづく。
 すでに鈴木内閣時代から,民間ブルジョアジーの間から,政策に自分たちの利害が反映していないとしてブルジョアジー自身が政策立案に直接参加することが臨調という形態で実現された。中曽根内閣ではその方式が拡張され,教育についても臨教審が設けられた。そこで強調されたのが,宗教心,道徳教育,家族の復権,などであり,森首相の一連の復古的発言はそうした方向を踏まえたものである。しかしそれは,1990年代のオウム真理教事件をはじめとする宗教団体の相次ぐ犯罪やマインドコントロールの問題性や国家官僚の犯罪続発や警察不祥事発覚などの国家の権威の低下や政治家・官僚・ブルジョアジーの癒着の発覚や家族の変容や教育の危機などの社会の根本的変化を未来に向かって解決する方向ではなく,過去の方向に向かって退歩する方向でしかない。それはその教育勅語の評価の仕方であきらかである。教育勅語にも良いところと悪いところがあったというのは,教育勅語をたんなる言葉の寄せ集めと捉えていることからきている。教育勅語がまさに勅語として機能する歴史的な文脈から切り離せない言葉であることをわかっていないのである。教育制度の中で機能する言葉は,制度を通して人間の行為を規定するのであり,強制力がある。だから教育勅語から良いところだけを言葉として取り出しても,それは違った歴史文脈社会文脈ではまったく違った意味を持ち,機能するのである。
 こうしたブルジョア民族主義道徳を当のブルジョアジーや保守政治家や右派知識人自身が厳格に守る気はあるのだろうかという当然の疑問が起こる。こりもせず談合をくり返している経営者や交通違反のもみ消しを頼む経営者や総会家や裏社会と手を結んでいる経営者や政治家や選挙違反をくり返す政治家や無責任な嘘話や大げさな誇張話をかきちらして売文に明け暮れている文筆家や権力に取り入って箔をつけたり提灯記事で利益を得ている文筆家たち自身の道徳性や品性は改まるというのだろうか。
 それはともかく,民族性を文化にもとめ,心理的観念的なものにもとめる宗教心,道徳,家族の強調は,この発達した資本制社会においては,神秘主義を利用した金儲け宗教や妄想犯罪集団化するという事実が明らかとなった。それは資本の神秘性が完全に全社会を覆いつくしているからであって,それが心理や観念や幻想を規定する力が圧倒的だからである。そうした点に無自覚で無批判であれば,当然,資本主義的な宗教や道徳や家族が形成されるのであって,自己増殖する価値(貨幣),剰余価値の搾取,資本関係,社会的労働力が資本の生産力として現れる,などの資本の形態や機能の観念的神秘的な写しとなるのである。
 森発言に現れた心理的観念的宗教的な天皇中心の「神の国」の国体観は,すでに1980年代に中曽根によって強調され,当時の財界や右派イデオローグによってつくられたイデオロギーにほかならない。それは,国際国家化に伴う民族アイデンティティの分散を防ぎ,家族国家や文化国家という幻想とイデオロギーによる新国家主義(ネオ・ナショナリズム)による国民統合の中心に天皇制の伝統文化の持続性を民族性の文化的継承であるとするでたらめな心情的歴史観を置くものであり,そこで新京都学派の和の精神論や国学ばりの日本の独自性や特殊性をきわだった強調を取り入れ,日本の戦争責任追及の声を自虐的だとして攻撃し,西田哲学から借りた薄っぺらな無の思想を振り回したことをさらに戯画的に薄っぺらにしたのである。中曽根は,新京都学派の梅原猛の怨霊鎮魂思想を靖国国営化を正当化するために取り入れたりしている。だが,国家は,中曽根によって強行された国鉄分割民営化の際に無念の死を強いられたり,配転解雇攻撃にあった国労組合員らの国鉄労働者の怨霊や生き霊の無念にたいして,鎮魂の姿勢を見せるどころかますます怨霊化せざるをえないところに追いつめているではないか。

 日本帝国主義国家の統治危機は,労働者上中層と民主派小ブルジョアジーのブロックがあり,ほとんど未組織の状態にある中下層労働者と失業者の大群がある,という労働者階級の真の組織化が遅れている状態の下では,代議制議会政治をめぐる政権攻防というブルジョア民主主義政治的解決によって隠蔽されるというブルジョア分派間とか小ブル民主派政党とか,あるいは小ブルジョア諸党派を巻き込んだ形での連立とかで延命が画策される。未組織労働者の多くは無党派としてよりましな選択をくり返しながら自分たちの代表の姿を声なき声で描こうとしている。なお,一部政治家やマスコミや知識人などが参政権を権利としてではなくあたかも義務であるかのように主張しているのは誤りである。参政権は権利であり,権利には行使・不行使の自由が含まれている。つい先日のペルーでの大統領選挙でのトレド候補による投票ボイコットの呼びかけは,正当な権利行使である。

森発言に見られる支配階級の統治危機の深化は,日本の資本制社会が隘路に陥りつつあることの現れであり,ブルジョアジーがそれを解決する有力なアイデアも能力も失いつつあることの現れである。社会を発展させる進歩的な力を持っていた過去を振り返り,そこから活力を得ることで自分を慰め鼓舞するほかにないのである。そして,強権的統治形態への変更を夢見,石原都知事の誕生にその端緒を見てそれを東京都民の多数のそうしたトップダウン方式の容認と思いこみ石原都政のその面ばかりを誇張して強調して評価したわけだが,ところがそれはまったくの錯覚であったことが森発言後の支持率低下でくっきりと鮮明にあきらかにされてしまった。それを見た右派の狼狽ぶりは,たとえば右派イデオローグの大原康雄の毎日新聞のインタビューでの神社神道は国家神道ではないし国家神道化をもとめてもいないなどとするしどろもどろの答えにも現れている。森「国体」発言は,民主党と共産党の連立政権が「国体」変更につながるとしたものであるが,その場合の国体とは,日本共産党が日米安保廃棄,天皇制廃止,自衛隊の解散,を掲げた綱領を改めていない以上,共産党の政権参加は国体の変更を意味するというものであった。すなわち,この場合の国体は,日米安保,天皇制,自衛隊の三本柱によって成り立っているが,それらの三本柱を失えば現国体はなくなるということをいったわけである。
日米安保は,アジア太平洋地域での日米による侵略反革命同盟であり,自衛隊はブルジョア秩序の強制のための武装部隊であり,天皇制はブルジョア的民族主義的統合の幻想,イデオロギーである。これら三本柱からなる現国体とは高度に発展した日本資本制社会の上部構造であり,日本帝国主義国家体制のことである。支配階級の政治代理人の森総理の口から公然と述べられたわけである。国体を根本から覆す政治社会革命が,ソ連・東欧スターリニズム体制の転覆の総括,協同組合社会論や権力論,国家論の総括を踏まえた新たな共産主義運動の発展という事態,資本主義世界の現段階と階級闘争の発展段階を踏まえた上での,資本制社会から共産制社会への過渡を切り開き,資本から商品・貨幣の廃止に到る中長期的展望と施策を確実に前進に導くものとして,共産主義者とその党とそしてプロレタリアート大衆の手によって発展させられねばならないのである。




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