共産主義者同盟(火花)

「共産主義運動年誌(仮称)編集委員会の呼びかけ」素案について

渋谷一三
217号(1999年9月)所収


<1>

 「共産主義運動年誌(仮称)編集委員会の呼びかけ」素案(以下、年誌素案と略)に目を通した。構成は三部構成となっており、(1)情勢と主体 (2)我々の共通認識 (3)活動の目的と進め方 となっている。
 こうした章立てに違和感を持つが、違和感一般の表明をしてもけちつけにしかならないので、おく。

「(1) 情勢と主体」について

情勢分析とそこに基づく「主体」の発見。この手法あるいは発想法の根底にあるのは、政治過程論だろうか。情勢一般は不断に推移する。そのときどきの情勢には柔軟に対応する以外にはない。だから党が必要だとも言える。
 情勢は分析する視点によって、認識上の認識も異なる。だから、情勢に基づく党建設を目指すということは、とりもなおさず、認識方式(認識するための投網)を一致させることを要求する。認識方式は一定のイデオロギーによって生み出されるものだから、結局のところ、<思想の厳密な一致>を要求することになる。<思想の厳密な一致>などあり得ないのだが、これを追求すれば、宗教的に指導者なる神を生み出し、これを崇拝するという方式を採用する以外にはない。全く無自覚にこうした道を歩みはじめるだろう。新左翼を名乗るどこかの党はずっと何十年もまじめにこの道を歩んでいることは、「年誌」のみなさんもご存知のことでしょう。
是非とも、情勢分析と主体といった発想法の危険性にご注意いただきたい。

「1 世界資本主義は恐慌を思わせる前夜に入った。
 2 世界経済の中心部では多国籍企業資本主義による大規模な資本攻勢がかけられている。
 3 世界経済の周辺部では、新自由主義・多国籍企業主導の工業化が挫折した。
 4 新たにここに組み入れられた旧ソ連・東欧圏においても、ロシアの資本主義化が破綻した。」

恐慌とは何か。別に、定義して話せというわけではない。バブルはなぜ発生するのか。現在、米国に限定されて発生している根拠は何か。バブルが世界的に発生し経済が深刻な打撃を蒙っているのに、恐慌にならないのは何故か。こうした問いに何ら答えられる位置にない。
 ちなみに、1925年の世界恐慌は米国におけるバブルの崩壊によって直接に惹き起こされている。

世界経済の中心部とはどこか。また、それは実体的には何をさしているのか。
世界経済の周辺部とはどこか。第三世界のことか。第三世界という認識のしかたが嫌だから、周辺部という言葉を使っているのだろう。「中心−周辺」という独特の認識の仕方は、その一つとして第三世界論を発生させたのではなかったのか。こうした疑いが沸々と沸き起こってくる。
 その上で、多国籍企業は今や大して力を持たなくなった感があるが、さておき、「中心部」で大規模な資本攻勢をかけているというのは、どのような事実を指すのだろうか。
 ロシアの資本主義化が破綻したと言い切っているのも、驚く。だったら、ロシアは今、どのような経済体制に入っているのか。

<2>

このように逐条的に文句を言っていると、全部の箇条に対して言うことになる。意味のある事とは思えないので、この章では、「年誌」素案1から4(先に紹介した4項目−編集委注)までが対象にしている領域に関して、私の見解を述べることにする。
 多国籍企業は、企業が生産量を増大させ、自然に大きくなって国境を越えたというような単純なものではない。国境があり、障壁があるからこそ、現地生産するしかなかったという側面と、安価な労働力によって安価な商品として実現しない限り後進国の消費者を購入層として獲得できないがゆえに、市場の拡大のために現地生産をするしかなかったという側面がある。これは、時期によって異なり、業種(製品)によってもことなる。もちろん、背景に資本輸出の自由化という政治経済制度の変革がなければならなかったことは、言うまでもない。
 1951年から1965年の時期の米国経済はインフレ率は1%以内で推移し、家計所得が上昇し、貯蓄形成が広範に進んだ。非銀行金融仲介機関(証券会社など)の比率が上昇し、資金(架空資本)の蓄積が進む。株式への投資が進展する事によって、機関投資家(証券会社が主)が大きな役割を演じることになり、投資の機関化がすすむ。ここが、重要。資本輸出が可能になれば何時でも資本輸出が出来る準備が整っていた。しかし、まだ製品輸出が主で、この頃までの日本の輸出入が米国に対する大幅な赤字であった事からも読みとれる。資本輸出が出来ない以上、潤沢な資金は米国国外に出る事ができなかった。そのため、株式は長期に保有される傾向があり、企業への貸し付けも長期になる傾向があった。
 このことは、金融資本という立場からのみ考えれば効率の悪い状態である。一旦貸し付けた資金は30年とかの長期間後やっと回収され、次の借り手に貸し出す事ができる。潤沢に資金がある間はそれでよいが、必要とされる架空資本が不足した場合には、貸し付けたくても貸し付ける資金がないという状態になる。新たな信用創造をしなければならなくなり、これに基づく架空資本を作り出さなければならなくなる。この事は、現実資本(企業の土地や施設・設備などに固定化されている資本)を圧迫することを意味する。この矛盾を解決することが迫られ始めたのが65年以降である。
 ベトナムへの反革命侵略戦争が激化し、戦費が膨大になるにつれ、インフレが激化した。69年3.1%、70年−72年5.6%、73−75年9.5%、76−80年7.6%、というような統計数値です。
66年から75年までの時期には、インフレに伴い金利が上昇する。貯蓄への意欲が低下するとともに、株式への投資は減り株式市場は停滞した。企業は低コストでの資金を調達する必要に迫られ、CP(Credit Paper)(債務証書)や社債を大量に発行して借り換えを進めた。企業の負債比率は、55年−64年が1.4%だったのに対し、65年−74年期は2.5%に膨れている。
 CPや株式発行の信用創造の裏付けは国債の大量発行が回り回って行っていた。 他方、鉄鋼や自動車などで敗戦帝国主義諸国が復活し、米国の貿易赤字が発生するとともに急速に増大した。
 こうした環境の下で、後進国を米国の市場として開拓する必要が増大する。米国内で生産していては、復活した日本やドイツの比較して安価な商品に対抗できない。為替を対等にしてしまっては貿易外収入のうまみがなくなる。かくして現地生産の必要が生じ、資本輸出の自由化という政治要求が顕在化し、米国は敗戦帝国主義諸国を中心に資本の自由化を呑ませる。かくして、はじめて多国籍企業が誕生する。
 初めは消費財中心。日本を例に取ればわかりやすいので、この頃にすでにこの世に生を受けていた人は実感をともなうでしょうが、この頃にまず、コカコーラが上陸する。コカコーラの上陸は「世界経済の中心部」だけではなく、なんと「社会主義諸国」の中国領となっていたチベット(インド側から)にまで至る。
 だが、資本輸出入の完全自由化までは比較的少量の資本ですむ企業しか多国籍化できなかった。資本輸出の完全自由化によって大資本を必要とする産業の多国籍化が進展するが、敗戦帝国主義諸国や勝利したが重大な痛手を負いやっと復活したイギリスやフランスなどの国々の企業も、対抗上すぐに多国籍化する。
 この事態の進行は、新たな問題を生む。先進国内部での産業の空洞化といわれる現象の発生である。先進国内部に大量の失業者が溢れ、ホームレスと呼ばれる人々が新しく発生した。労働者内部の分化が進み、労働組合は労働者上層の利害を代表するものに純化した。こうした変化に根拠をおいて新左翼が登場した。今、この枠組みは過去のものとなっている。このことをみるために、もう少し米国の経済に即してみていく。(世界経済の中心なるものがあるとすれば、それはこの時期は米国であって、先進国一般が入るわけではない。先進国なる概念は、他国の収奪の上に自国の産業を発展させた帝国主義のことを、帝国主義と言えない立場の人々がそのことを隠すために生み出した言葉であることは承知した上で便宜的に使っています。確かに、先に進んでいるからです。)
 さて、大量の資金を必要とする産業が多国籍化することによって資金需要は切迫する。国内の中小の企業に運転資金が回らなくなる。この事態を回避するために、直接投資目的以外の民間資本の輸出入が始まる。資金需要が逼迫している国(初めは米国のみ)に資本輸出をすれば儲かる。資金需要が逼迫している国は自国の通貨を高くなる方向に誘導すれば、資本の輸入ができる。そのために金利を高くする。これが、株価の下落と不安定化を加速する。
 この時期に、米国では長期資金需要と短期資金市場との落差が大幅なものとなる。他国への直接投資は長期の安定した(=低利の)資金を必要とする。他方、短期資金が不足し、短期資金市場では金利が高くなる。この利鞘を稼げば、「濡れ手に粟」状態になる。今、おなじみの状態の萌芽がここにみられる。
 投資専門会社が生み出され、生保もこれに参入し、投資会社複合体が形成される。生保分離勘定の普通株投資が活発化する。企業年金はこうした投資に運用され、実質的には取り崩されてしまった。企業年金は軒並み損失を計上する。

 76年から80年。米国でのバブル発生と崩壊まで。
 企業年金の損失計上は現在にも尾をひき、独特の401kなるものを生み出さざるをえなくなっているが、この時期は、企業年金の取り崩しなどの事実を受け、貯蓄形成は弱体化し、賃金も停滞する。多国籍企業が力を持っているかのように見えたのもこの時期までのことである。それも実際に力を持っていたからではなく、多国籍企業の利害を米国という国家が代表し、政治経済制度として確立するためにごり押ししたために、それを、多国籍企業の力と錯覚するだけのことだ。確かに、後進国の国民総生産高を上回る売上高をもつ多国籍企業は多く存在する。だが、それを存在させるために、あるいは、多国籍企業を出現させ持続させるために起こった経済の変化が規定的要因となる。
 資本は国際的に自由に移動するようになった。利鞘を求めてどこにでも行き、どこからでもお構いなしに撤退し、より利鞘の大きいところへ移動してしまう仕組みが仕組みとしてこの時期に出現した。ディリバティブが普通になるだけではなく、急速に拡大し、その上売買回転率が上昇する。これは、資金の回転を速くして、より利鞘の大きいところに瞬時に大量の資金が移動できるための裏付けのシステムです。このゲームに参加しなかったところは、おいしいところを取られてしまって、資金の運用先さえなくなる。否が応でも、金融コングリマリットと命名されている世界に入るしかない。
 現在というのはそういう時代であって、多国籍企業が資本攻勢をかけている時代ではない。
 ちなみに、ロールスロイスの売却は750億円程度。業績のよいボルボの売却でも7480億円。どこかの国が1行の銀行を救済するために投入した資金より少ない。
 この時代の特徴、信用創造の仕組みなどは現在研究中であり、そう遠くないうちに読者のみなさんにお届けできると思います。
 バブルの発生やその転嫁の仕組みについては既に、部分的ではあるが、拙稿で述べてきました。
 「世界経済の周辺部では、新自由主義・多国籍企業主導の工業化が挫折した」のではなく、大量に資金を流入させバブルを発生させて旨みをすった後に一斉にその資金を撤収したことが、「周辺部」におけるバブルの発生と「国民経済」の破壊の原因です。かくして米国のバブルの損失は完全に転嫁され、行き先を失った流動性の極めて高い資金=ユーロは、米国にのみ流入し、株価の乱高下を不断に惹き起こしている。

 残りの33に及ぶ条文については同じように、多くの叙述を必要とするので、一旦おく。「年誌」編集委員会のみなさんの反論をいただければ望外のことです。




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