共産主義者同盟(火花)

昨今の北朝鮮情勢について(中)

市田市蔵
210号(1999年2月)所収


 前回は「ミサイル問題」を中心に、北朝鮮現体制に対するわれわれのスタンスの確認といった角度から少々分析を加えた。今回は題材を変えて、昨年秋に正式にスタートした、いわゆる金正日新体制について焦点を当ててみたい。

2:金正日新体制の始動

(1)8年ぶりの最高人民会議代議員選挙

 昨年7月26日、北朝鮮では約8年ぶりに最高人民会議の代議員選挙が行われた。
 候補者名簿や選挙区数、代議員定数も対外的に発表されない異例の選挙だったが、結果発表によると当選者は687人、投票率は99.85%とのことである。朝鮮総連からも、議長の韓徳銖をはじめ7人が選出されている。
 当選した代議員の中身についてはかなり大幅な変更があったようで、韓国統一院の分析によると、全代議員の約65%にあたる443人が新人であり、また約12%にあたる81人が軍人だと言われる(『ラヂオプレス』の分析では軍人は86人とのこと)。
 任期5年の、日本で言えば国会に相当する「最高主権機関」を形成する政治的イベントが、8年もの間機能停止に陥っていたのは怪しむべきことである。
 もっとも、憲法(旧憲法=1972年採択、1992年修正)では「不可避の事情によって選挙を行うことができないときは、選挙をするときまで、その任期を延長する」(第90条)と規定されており、法的には不備はない。また、北朝鮮の現実の政治体制から考えれば、選挙や議会は形式的なもの、いわば「セレモニー」に過ぎず、朝鮮労働党を軸とする権力構造が維持されていれば実質上の問題は存在しないとも言えよう。
 とはいえ、それまでは任期にしたがって行われていた「セレモニー」が明確な理由も表明されぬまま長期間停止されるのは、正常な状態とは言いがたい。「不可避の事情」とは何なのか、当然にも疑問が生じる。
 この点については金正日の行政ポスト就任問題と絡んで、さまざまな解釈、憶測がなされてきたわけだが、今日から見れば次の二つの「事情」を指摘することができる。
 まず一つは「経済危機」である。その直接的な契機はやはり1989〜90年の冷戦構造の崩壊、1991年のソ連邦の消滅、それらを含めた朝鮮半島をめぐる国際的な政治環境の変化だろう。これらのいわば外的な変化が、エネルギーや生産物資の供給の激減、国際政治の舞台における孤立等々として北朝鮮国内に反映した。1993年の労働党中央委員会総会では、「第三次七カ年計画」(1987〜93年)の失敗が公式に表明されたが、事態はそこまで来ていたのだ。同総会では便宜的にその後三年を「調整期」とすることが決定されたが、周知のように経済危機は深まる一方であった。
 代議員選挙を踏まえて新たに最高人民会議を開催するとすれば、経済危機克服の成果もしくはその糸口だけでも示す必要がある。「セレモニー」であれば、なおさらだろう。それができなかったため、「セレモニー」は長期間の停止に至ったのである。
 もう一つは「後継体制問題」である。1994年に死亡した金日成の後継者として金正日が権力基盤を掌握するのに、それなりの時間を必要としたようだ。
 もちろん、これはいわゆる権力闘争の存在を意味しない。北朝鮮では1970年代までに金日成系列以外の政治派閥は根絶されており、また金日成から金正日への権力移譲もすでに1970年代中期から行われ、1980年の労働党第6回大会以降は名実ともに金正日の執権が確立されていたからである。
 ただしここで、1992〜3年に浮上したいわゆる「核疑惑」を巡る対外的緊張が、1994年には金日成の第一線復帰によって「南北首脳会談開催合意」「カーター訪朝・米朝会談再開」として急速に緩和されたことを思い起こしたい。このとき、十数年来の「金正日=実権、金日成=後見」という構図が一時的に停止したのである。結局、その後に金日成が死亡したためトラブルはそれほど表面化せず、権力継承も既定の方針にしたがって行われたわけだが、スムーズな権力移譲には画竜点睛を欠いた。言い換えれば、金日成を頂点とする権力構造・指導系列は、そのまま金正日を頂点とするそれとは重ならないことが明らかになったと言えよう。
 「セレモニー」を行うには準備万端が整っていなくてはならない、つまり十全な権力継承が不可欠である。そのために金正日は金日成の「遺訓」を奉って金日成との一体化を演じつつ、徐々に権力構造・指導系列を自己のものに置き換えていくという方法で対処した。相応の時間を要したのもその故である。
 とすれば、一つの疑問が湧いてくる。ともかくも昨年に至って代議員選挙が行われ、最高人民会議が再開された事実は、北朝鮮現体制にとって、程度はともかく経済危機克服の見通しが立ち、政治的安定が確保される状況になったことを示しているのだろうか、と。
 この点については、また後ほど触れることにしよう。

(2)軍事独裁体制の完成

 さて、選挙後の9月5日に開催された最高人民会議第10期第1回会議では、「新憲法の制定」「国防委員会委員長の推戴」「国家指導機関の選挙」の三つの議案が討議された。金正日は当初の予想に反して国家主席には就任せず、「推戴」という形で国防委員会委員長に再任された。とはいえ、国防委員会もまた「国家指導機関」の一つであるにもかかわらず、その委員長人事だけが単独の議題として扱われているところに、いわば「格の違い」を見ることができる。
 ともあれ、金正日が国家主席に就任しなかったのには理由があった。というのも、同会議で採択された新憲法(1)では、旧憲法に記された国家主席に関する条文がそっくりそのまま削除されていたからである。その代わり、新たに付された序文には「偉大な領袖金日成同志を共和国の永遠の主席として奉じ」という文言が登場する。国家主席職は「永久欠番」化されたようだ。
 新憲法では、国家機関に関する規定についてもいくつかの変更が見られるが、これも基本的には主席制の廃止に伴うものだろう。国家主席を「首位」とする中央人民委員会は廃止され、それらの権限は復活した最高人民会議常任委員会にほぼ移されるとともに、国家主席が担っていた国家を代表する役割もまた、同常任委員会の委員長が担うことになった。今回、同委員長となったのは金永南であるが、キャリアなどから考えて順当な人事と言えよう。
 もちろん、大方の評価の通り、同常任委員会委員長の権限はあくまでも形式的なものと見るべきである。実際、当の金永南は同日、金正日を国防委員会委員長に推戴する演説のなかでこう述べた。「国防委員会委員長の重責は国の政治、軍事、経済力量を総体的に統率指揮し、社会主義祖国の国家体制と人民の運命を守護し、防衛力と全般的国力を強化発展させる活動を組織指導する国家の最高職責であり……」()。同様の表現は9月7日付『労働新聞』の社説にも記載されているという(9月8日付『毎日新聞』)。
 とはいえ、この旨は新憲法の条文に明示されているわけではない。条文からそれらしきものを探すとすれば、旧憲法第111条の「国防委員会は、朝鮮民主主義人民共和国国家主権の最高軍事指導機関である」という文言が、新憲法第100条では「国防委員会は国家主権の最高軍事指導機関であり、全般的国防管理機関である」となったこと、また「国防委員会の任務と権限」として新たに「2 国防部門の中央機関を設置、または廃止する」がつけ加えられたぐらいだろう(ちなみに、「国防部門の中央機関」とは人民武力省を指すものと思われる)。
 しかし、意外なところに興味深い表現を見つけることができる。たとえば、旧憲法第91条「最高人民会議は次の権限を有する」に記された20項目の権限のうち、新憲法では「20 戦争および平和に関する問題を決定する」が削除されているが、これに相当する権限はほかの役職にも見当たらない。また、旧憲法第95条「最高人民会議において討議する議案は、朝鮮民主主義人民共和国主席、朝鮮民主主義人民共和国国防委員会、最高人民会議常設会議、中央人民委員会、政務院及び最高人民会議委員会が提出する」が、新憲法では「最高人民会議で討議する議案は、最高人民会議常任委員会、内閣と最高人民会議部門委員会が提出する」となっている。
 限られた材料ではあるが、以上の規定から、国家の軍事部門に関わる問題については国防委員会委員長が独断的な決定権を有し、しかもその決定について「朝鮮民主主義人民共和国の最高主権機関」(第87条)たる最高人民会議に諮る必要がないことが明らかとなる。つまり、金正日は軍事に関する「フリー・パス」の権限を掌握したのである。
 先の金永南演説にもあるように、軍事力が「国家体制と人民の運命」に関わるものである以上、それを左右しうる軍事部門の最高権力者こそ「国家の最高職責」という規定は確かに間違いではない。代議員に軍人が増えたのはその反映だろうし、国家主席職を「永久欠番」化したのも、任務の多い公職に煩わされないよう「名を捨てて実を取った」結果だろう。
 とはいえ、同時に一つの事実が浮き彫りになった。それは、北朝鮮が金正日の超法規的な権力の下にある軍事独裁国家に他ならないことである。

(3)経済政策におけるアポリア

(α)新憲法における変化の兆候

 ところで、今回制定された新憲法には、その他にも注目すべき文言が盛り込まれている。一つは、第75条「公民は居住、旅行の自由を有する」との条文の新設であり、もう一つは経済関連の条文の変更である。
 前者の場合、これまで北朝鮮では一貫してプロレタリア大衆に対する厳しい居住制限・移動統制を強いており、それが現政権の権力維持にとって重大な役割を果たしてきたことを考えれば、非常に大きな変化と言いうる。もっとも、これについては新旧を問わず憲法上で「言論、出版、結社の自由」が謳われつつも、実際には保障されたためしがないことを思い起こせば、結局のところ画餅の謗りを免れがたい。あるいは、昨今の食糧危機に伴い、権力維持のもう一つの柱であった「配給制」が崩壊し、食糧の自主調達を名目とした移動の自由が黙認されている状況を踏まえれば、それは現状追認以上の意味を持たないのかも知れない。しかしそれでも、現政権がこの時期、黙認状態を文言上ではあれ公認とせざるを得なかったという点を重視する必要がある。というのも、それは、北朝鮮社会に存在する現状と法律の乖離に対して法律の修正でしか対処できない、北朝鮮現体制の姿を示しているからである。そしてまた、朝鮮プロレタリア大衆の現況こそ、そうした変化を引き寄せるに至った根本的な要因なのだ。
 他方、後者に関してはまず第一に、旧憲法第24条における「協同農場員の自宅畑経営を始めとする住民の個人副業経営から発生する生産物も個人所有に属する」という部分が、新憲法同条では「自留地をはじめ個人副業経営による生産物と、その他の合法的な経営活動を通じて得た収入も個人所有に属する」と修正されたことが挙げられる。「その他の合法的な経営活動」が具体的に意味するところは明らかではないものの、私的な経済活動を容認するものと受けとる余地はある。
 また第二に、旧憲法第33条の条文に続けて、新憲法では「国家は、経済管理で大安の事業体系の要求に即して独立採算制を実施し、原価、価格、収益性のような経済的テコを正しく利用するようにする」との文言が記載されたことに注目したい。「経済的テコ」とは漠然とした言葉だが、文脈から判断すればおそらく市場の持つ調整機能を意味するものだろう。
 さらに第三には、旧憲法第36条の「朝鮮民主主義人民共和国において対外貿易は、国家が行い、又は国家の監督下で行う」が、新憲法では「……対外貿易は、国家、または社会協同団体が行う」へと、あるいは旧憲法第37条の条文「国家は、わが国の機関、企業所、団体及び外国の法人又は個人との企業合弁及び合作を奨励する」が、新憲法では「国家は……または個人との企業合弁と合作、特殊経済地帯での各種企業の創設・運営を奨励する」へと修正されたことも見逃せない。対外的な合弁・貿易における国家独占の緩和を示す表現にしても、「羅津・先鋒自由貿易地帯」を指すだろう「特殊経済地帯」への特別の言及にしても、従来は極めて集権的・限定的であった対外経済活動に幅を持たせる内容となっている。
 もちろん、これらについても法律による現状の追認という意味合いは否定できない。食糧問題に顕著なように、北朝鮮ではもはや生産と分配を国家が一元的に管理・統制することは不可能である。事実、ここ数年「ヂャン・マダン」(3)という形で、自然発生的な商品経済が拡大を続けている。こうした傾向を放置するより、一定の枠内で許容するほうが得策なのは確かだろう。しかし他方、あえて憲法上に文言を追加する以上、やはりそこには現体制の何らかの「意志」、今日の経済危機を思い切った政策転換で乗り切ろうとする姿勢を読み取ることも不可能ではない。現に韓国統一院は新憲法の以上の特徴にいち早く反応し、「市場原理の初歩的原理を導入しようとしている」との評価を加えた(9月9日付『読売新聞』)。

(β)ジレンマと危機感の表明

 では、実際のところどうなのか。現状の消極的追認か、積極的な政策転換か。
 現時点では、それは未知数としか言えない。実は、北朝鮮では1970年代中期における西側からの工業プラント導入や1980年代中期以降の対外合弁推進、経済特区の設立など、意外なほど新たな試みを行っているが、それらはいずれも部分的限定的なものであり、成功したとは言えない。つまり、積極姿勢の担保になるような実績がないのである。
 もとより、現在の北朝鮮の経済状態からすれば、外資の導入による生産基盤・社会資本の全面的再建や技術革新を通じた国際競争力の確保、また、それを保障するものとして、統制経済の維持と部分的市場化の消極的容認という二元論から混合経済への、あるいは全面的市場化への再編成といった、いわゆる「改革・開放」政策が、その程度や進度はともかく論理的客観的には要請されざるを得ない。
 たしかに、この要請に基づいたと思われる動向も、わずかではあるが伝えられている。
 「北朝鮮が一連の食糧危機を契機に、オーストラリアなど各国に専門家を派遣して市場経済の研究を始めたことを、国連開発計画(UNDP)などの国連機関が明らかにした。同機関は北朝鮮が農民に一部耕地の私有を認めていることも確認し、『北朝鮮は制度改革に努力している』と評価している。」(12月2日付『毎日新聞』夕刊)
 「韓国・聯合通信によると、韓国政府当局者は、北朝鮮が近く香港に100人規模の経済専門家を派遣して『市場経済』の研究に本格着手するとの情報を明らかにした。アジア開発銀行(ADB)に加入、融資による資金不足解消を目指す布石と見られる。」(12月4日付『毎日新聞』)
 とはいえ、そうした政策転換にあたって常に問題となるのが、市場化過程での政治体制への影響力である。既存の社会主義諸国の中で、政治変動なき市場化への移行を果たした例はない(4)。まして北朝鮮の場合、経済建設における国是としての「自立的民族経済」路線を修正するとすれば、それはまさに朝鮮労働党=金父子の絶対的権威を自ら否定するに等しく、仮に政策転換が実現したとしても「改革・開放」政策が不可避に伴う政治的多元化傾向によって、いずれにせよ現体制の極端な集権的統治が未曾有の危機に曝されることは必至である。
 その意味で、9月17日付『労働新聞』に掲載された、同紙と政治理論誌『勤労者』の共同論説「自立的民族経済建設路線を最後まで堅持しよう」(5)は、非常に興味深い。まず、発表時期。これは最高人民会議から二週間弱である。当の会議では、8年ぶりにもかかわらず経済政策に関する討議がなされずに終わったことを考えれば、補完的な位置を持つものと捉えることができる。とすれば、次にその内容が問題となる。
 表題に示されるとおり、同論説の主旨は「自立的民族経済」の固守を宣言することに尽きるが、構成としては、近年の韓国経済の急落を題材に自らの経済建設上の優位を説き、帝国主義の陰謀としての世界経済のグローバル化を批判する、という形をとる。以下、特徴的な主張をピック・アップしてみよう。
 「自分の力に依拠せず、外資をむやみやたらに導入する方法で経済を立ち直らせるというのは、愚かな妄想である。外資は文字通り最大限の利潤を搾り取るために投じられる外国資本である。……外資は阿片と同じである。誰もが外資を一度でも手にすると、ますます外資に依存するようになり、挙げ句の果てには莫大な借金をかかえるようになる。」
 「人民生活を向上させるからと言って、重工業をおろそかにしたり、外貨があってこそ経済問題を解決できると言って、対外貿易だけにかたよるのは正しい解決方途になりえない。」
 「アジアの金融危機は広範なアジア市場を完全に掌握するため、米国が計画した謀略劇である。……われわれは、帝国主義者の凶悪な下心を正しく見抜き、経済の『世界化』策動に自立的民族経済建設路線で対抗すべきである。」
 「にもかかわらず、帝国主義の御用ラッパ手と革命の背信者は、『世界化』の時代に至って、帝国主義の本性が変わったかのように宣伝している。帝国主義者のこうした口車に騙され、彼らに何かを期待するほど愚かで危険なことはない。」
 「『改革』『開放』へ誘導しようとする帝国主義者の策動に警戒を強めなければならない。……一方では制裁のこん棒で他国を屈服させ、他方では甘い言葉で『改革』『開放』へ誘導すること、これが経済『世界化』策動における米国の常とう手段である。」
 一部には正鵠を射た指摘もあるにせよ、同論説は「自立的民族経済」の優位を結論とした当為に貫かれているため、著しく説得力を欠く。が、それ以上に驚かされるのは、これらの主張が新憲法に現れた特徴を全面的に否定していることである。素直に読めば、新憲法との内容上の齟齬から、現体制内部における内紛の存在を導き出しかねない。
 だが、そう断定するのは総計だろう。むしろ、実際には両者は表裏一体として捉えられるべきである。経済政策における相当思い切った政策転換の必要性は、現体制としても否定できないが、しかし、それはあくまで政治的な波及力を及ぼさない限り、経済建設における「自立的民族経済」の原則と抵触しない限りにおいてである。とりわけ、経済政策の転換に伴ってあらわれる「帝国主義者の策動」や「彼らに何かを期待する」ような風潮は断固として阻止しなければならない。
 その意味で、同論説は直截には経済政策の転換における限定を示しているが、同時に、そうした限定を設けざるを得ない北朝鮮現体制のジレンマと危機感の率直な表明でもある。

(γ)基本的には旧態依然

 さて、同論説は今後の北朝鮮における経済建設の方向性について、こう述べる。
 「共和国の経済を立て直すための特別な処方があるわけではない。秘訣はわれわれの心の中にあり、土台もわれわれの手の中にある。自らの経済土台に依拠する固い覚悟と決心をもって、全社会的にすでに築かれた経済的潜在力を最大限に動員、利用すること、これが朝鮮労働党の示した自力更生の方策である。」
 また、1999年1月7日付『労働新聞』には、内閣レヴェルで決定された当面の経済目標六項目とともに、その対策として以下の三点の重点方針が記されている。

  「▼対策
  (1)政治思想的威力、集団主義の威力で解決する。
  (2)党の経済建設路線と主体的な経済管理原則を徹底的に固守し、経済事業と経営  活動を計画化する。
  (3)われわれ式の経済構造の威力を絶え間なく強化する。」(6

 このように、前者の方向性が後者の行政方針としても貫徹されていることがわかるが、問題はその内容である。大衆動員を通じた自力更生という方針は、すでに1950年代末から60年代初頭にかけての、かの「千里馬(チョンリマ)運動」をはじめ、北朝鮮では繰り返し行われてきた。旧態依然とした方針の継続が、改めて確認されているわけである。
 後者の第一点目に明らかなように、大衆動員の要はやはり「政治思想」「集団主義」に頼らざるを得ない。特定の目的意識をプロレタリア大衆の自己実現と同一視させることによってプロレタリア大衆の主観的能動性を高め、集団的な組織性の獲得を通じてその主観的能動性を効率的に発揮させるという考え方である。もとより、これは既存の社会主義諸国にも多かれ少なかれ見られたものであり、また、資本制の未発達な社会が生産力を上昇させる際の不可欠の動因とも言えよう。ただし、北朝鮮の場合は物質的な動機づけをブルジョワ的要素として極小化しようとするため、それだけいっそう「政治思想」「集団主義」の役割が極大化する傾向にある。とくに、今日の経済危機によって生産力拡大の物質的基礎たる社会資本が甚だしく荒廃している分だけ、それは激しさを増さざるを得ない。
 この点を明示するものとして、同年1月1日付の三紙共同社説(7)は次のように言う。 「党と軍隊、人民の一心団結の威力、政治思想的威力を発揮し、自力ですべての問題を解決していくのがわれわれの革命方式である。/指導者を中心とするわれわれの一心団結を盤石のように固め、その力で社会主義建設を推し進めなければならない。すべての部門、すべての単位で党隊伍を組織・思想的にいっそう固め、党の指導的役割を各面から高めなければならない。党政治活動を決定的に改善して思想の威力でこんにちの難関を克服しなければならない。」
 だが、言うまでもなく、「自立的民族経済」の結末は今日の北朝鮮の経済危機にこそ示されている。まして、それが今日の世界で求められるべき、資本主義のオルタナティヴとなり得ないことは明らかである。
 いくら「政治思想」や「団結力」でプロレタリア大衆の主観的能動性を喚起し、求心力を高めたところで、そのこと自体が物質的制約の克服を保証するわけではない。むしろ、主観的能動性の意義は物質的制約との関わりにおいて対象的物質それ自身の性質、その法則性を認識することを通じて自らの限界を自覚し、それを踏まえて対象的物質へのより高次の働きかけを獲得する過程にこそある。ところが、北朝鮮では主観的能動性の意義はもっぱらその凝縮の度合い、政治的求心力の多寡としてしか捉えられないため、凝縮の度合いが低く政治的求心力が足りない(と見られる)部分を排除し、「指導者を中心とする」「一心団結」を極限的に追求することによって物質的制約の克服を果たさざるを得なくなる。その結果もたらされるのが、自然存在としての農地等の諸資源および人間そのものの、いっそうの荒廃であることは言うまでもない。

(4)まとめ

 以上を踏まえ、改めて問おう。代議員選挙や最高人民会議が行われたことをもって、北朝鮮現体制の政治的安定の指標とし得るか否か、と。もちろん、答えは否である。
 ここ数年の間、北朝鮮現体制をとりまく客観的条件にはまったく好転の兆しが見えていない。のみならず、「経済危機」は暗転する一方である。当面の対処法が旧態依然としたものでしかないことは、すでに見た。
 「権力継承」についても、たしかに相応の安定を獲得したように見るが、もともと金正日のほかに権力を継承する可能性が皆無に近いことを考えれば、既定の方針が元の鞘に収まったに過ぎない。実際には、むしろそうした権力構造あり方そのものが、現体制の危機を深めているのである。
 北朝鮮現体制は自らの内なる批判的契機の徹底した排除によって、これまで辛くも生存を維持してきた。たしかに、これならある程度の試練に耐えることは可能である。だが、批判的契機の不在は同時に、選択肢の不在という弱さを併せ持つ。先に触れたように、危機に直面すればよりいっそう、自らの内部に批判的契機を探し出し、それを次々と排除していくことをもって、旧態依然とした方針にしがみつこうとする。そうして、自らをますます痩せ細らせるとともに、逆に旧態依然とした方針が招来する危機の方はますます肥え太っていくのである。こうした悪循環から逃れられない以上、北朝鮮現体制の行き着く先はいずれにせよ「軟着陸」ではなく、崩壊しかない。
 反面、現体制のこうしたありさまは、自らの生存そのものが自己解放を求める闘いでしかあり得ない北朝鮮プロレタリア大衆にとって、自らが政治的主体として登場する条件を拡大するものとしてある。北朝鮮プロレタリア大衆はなによりもまず、ただただ空腹を癒し、生きんと欲して国内をさまよい、国境を越え、ヂャン・マダンでの売り喰いに勤しむが、このこと自体、今日の北朝鮮では過剰な政治的意味を不可避的に帯びるのだ。
 この間の事態の推移は、問題が決して政策一般にではなく現体制それ自体にあることを、北朝鮮プロレタリア大衆に余すところなく見せつけた。後退はすなわち死を意味する以上、北朝鮮プロレタリア大衆は自ら自身を特定の政治的主体へと形成せざるを得ず、またそれは現に進行しつつある(8)。

 われわれは、北朝鮮プロレタリア大衆のプロレタリアートへの自己形成に注目し、それを支持するとともに、可及的速やかに連帯行動を組織していかなければならない。

(1)新憲法の条文は『朝鮮新報』ホームページ
http://www.korea-np.co.jp/dprk/kenpou980905.htm) から、
旧憲法の条文は「朝鮮民主主義人民共和国WEB六法」ホームページ
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/3277/nkenpou.html
から引用。
(2)「共和国最高人民会議第10期第1回会議/金正日総書記国家の最高職責に」『朝鮮新報』ホームページの当該箇所
 (
http://www.korea-np.co.jp/dprk/10-1kaigi98090501.htm)から引用。

(3)直訳すれば「商広場」だが、実態に即せば「ヤミ市」である。もともとは余剰農産物の売買のために設けられたようだが、現在は食糧のほかに、主に中国からの衣類や日用品、横流しされた工業製品、庶民が「売り喰い」のために放出する物資などが売られている。配給制が崩壊しても最低限の物資が得られるのはこのためだが、「売り喰い」さえできずに餓死する人々がいる一方で、私的資本を蓄積する人々もいる。

(4)中国の場合にも、経済政策上の毛沢東思想=「自力更生」路線を固守する華国鋒から「白猫・黒猫」論のトウ小平への転換は、紛れもなく奪権闘争の結果である。なお、この奪権の過程でトウ小平は当初、「北京の春」といわれる民主化運動を積極的に利用しつつ、奪権の後には一転して「ブルジョワ自由主義」と規定し、徹底的に弾圧した。

(5)同論説の日本語訳は、約90%の要旨が『朝鮮新報』ホームページ
http://www.korea-np.co.jp/sinboj/sinboj98/sinboj98-9/sinboj980925/sinboj98092570.htm) に、また全文が『現代コリア』ホームページ
http://www.bekkoame.or.jp/~mki/kyodo.html)に、それぞれ掲載されている。引用は前者から。

(6)「朝鮮民主主義人民共和国内閣、6項目の経済政策/来年10月10日(党創建55周年)の実現めざす」『朝鮮新報』ホームページの当該箇所
http://www.korea-np.co.jp/dprk/99keizai-seisaku.htm)から引用。

(7)三紙とは『労働新聞』(党機関紙)、『朝鮮人民軍』(軍機関紙)、『青年前衛』(金日成社会主義青年同盟機関紙)を指す。共同社説の引用は『朝鮮新報』ホームページから
http://www.korea-np.co.jp/dprk/sinj99010860.htm)から。

(8)この点については、在中国北朝鮮難民の動向が一つのカギとなる。朴東明「北朝鮮飢餓難民の手記」『文芸春秋』1998年4月号、参照。




TOP