共産主義者同盟(火花)

労働運動を考える(4)

流 広志
208号(1998年12月)所収


5.プロレタリアートと大衆の概念について。少々。

(イ) プロレタリアートの概念について

 ここで,プロレタリアートの概念について明確にしておくことが必要であると思う。私は,これまで,プロレタリアートという概念と大衆とか民衆とか人民とかいう概念をはっきりと区別して扱うよう心がけてきた。それは,両者が実際に異なった概念と考えるからである。私は,プロレタリアートという概念は,実在抽象であり,後者は思考抽象であり,前者は,資本主義生産の日々の現実の行為によって生み出される抽象であって,大衆とかいう後者の抽象は,思考が現実を頭の中で抽象化したものと考える。
 その点を考慮して,私はプロレタリアート(労働者階級でも同じ)という言葉はそのまま使い,大衆とか民衆とか人民とかいう言葉は固定して使わないように気をつけてきた。
 しかしこのことには説明がいるだろう。実在抽象と思考抽象の区別については,イギリス共産党のメンバーでもあったゾーン=レーテルという人が,『精神労働と肉体労働』(水田洋・寺田光雄訳,合同出版,1975,以下引用は同書)という本であきらかにしている。少々くわしく見てみたい。
 ゾーン=レーテルは,前掲書の第1篇 商品形態と思考形態 二,思考抽象か実在抽象か において,「精神形態と社会形態は,両者とも《形態》であるという,共通性をもっている。マルクスの思考様式は,形態把握によって特徴づけられる。その点において,それは,他のすべての思考様式から区別される」(54頁)と述べている。
 それからヘーゲルとマルクスの形態把握の違いについて,『経済学・哲学草稿』『ヘーゲル法哲学批判』『ユダヤ人問題によせて』におけるヘーゲル批判をあきらかに踏まえて,「形態は,マルクスにとっては,時間的に制約されたものである。それは,時間のなかに生成し,経過し,そして変遷する。形態を時間被拘束と理解するのは,弁証法的思考の特徴であり,ヘーゲルに由来する」(同上)が,ヘーゲルのそれが「思考過程」にすぎないということを指摘する。つまりそこでの「形態変化的過程」(同上)は,思考が自らの対象として構成した抽象化された形態の変化過程にすぎないのである。したがってヘーゲルにあっては,「自然や歴史における,形態諸変化は,・・・・,つねに論理学との関係をとおして,そしてそれと類比して,理解される」(同上)のである。したがって,「ヘーゲルの弁証法的把握は,それが精神に,手労働に対する優位のみならず,独裁支配の権限を与えるという形で,現れる」(同上)。

 「それに対してマルクスには,形態の発生と変遷を支配する時間は,もとから,歴史的で,自然史的あるいは人間史的な時間として,理解される。そこで,歴史的な意識諸形態の形成においては,そこに働く抽象過程を無視すべきでない。抽象は,概念形成の仕事場と同じである。そして,意識の社会的存在規定についての論及が,形態に合致する 意味を所持するには,抽象過程の本性についての唯物論的把握が,その土台に置かれえなければならない。社会的存在からの意識の形成は,社会的存在の一部である抽象過程を前提する」(55頁)。

 ゾーン=レーテルは,この抽象過程について,これを精神労働と肉体労働の分離という社会的分業と関連づけている。すなわち,「理論的思考の伝統そのものが,頭脳労働と手労働の分離の一産物であり,そして,ピタゴラス,ヘラクレイトス,およびパルメニデスをもつそのはじまり以来,頭脳労働者にとっての頭脳労働者の伝統であったということ,しかもそうした点では,今日までほとんど変化がなかったということ,これらのことが当然考慮されるべきなのである」(55〜56頁)というのである。

 「しかし,商品抽象の本質は,それが思考によって生み出されたものではなく,その起 源を人間の思考のなかにもたず,彼らの行為のなかにもっている,ということである。 ・・・それは,言葉の厳密な意味での抽象である。そこから結果する経済学的価値概念 は,完全な質喪失性と純粋に量的な区別性によって,また,市場に現れるであろう各種 商品やサーヴィスへの適用可能性によって,特徴づけられる。こうした諸特質によって, 経済的価値抽象は,量化的自然認識を担う諸カテゴリーと,もちろんこの全く異質な分 野の間の最小限の内的関係が明らかにならないうちは,実際驚くべき外的類似性をもっ ている。自然認識の諸概念は,思考抽象であるが,経済学的価値概念は,実在抽象であ る。それは,確かに,人間の思考のなか以外のどこにも存在しない。しかしそれは,思 考に源を発するのではない。それは,直接的に社会的な本性であり,その源を,人間相 互の交通の空間時間的領域にもっている。諸人格がこの抽象を生み出すのではなく,彼 らのふるまい,つまり彼ら相互のふるまいが,そうするのである。《彼らはそれを知ら ない,しかし彼らはそれをなす。》」(58頁)。

 このように,ゾーン=レーテルは,自然認識の諸概念を「思考抽象」,経済的価値抽象を「実在抽象」として,抽象の二種類を区別している。
 「交換関係は,労働を抽象化するのである。あるいはわれわれの言い方では,交換関係は,労働を抽象的なものにするのである。この関係の成果が,商品価値である。商品価値は,抽象化を行う交換関係を,形態としてもち,そして抽象的なものにされた労働を,実体としてもつ。《価値形態》というこの抽象的な関係規定のもとに,《価値実体》としての労働は,《価値の大いさ》の純粋に量的な規定基盤となる」(62頁)。
 つぎにマルクスが「実在抽象」の特徴をどのように述べているかを見てみよう。引用は『資本論』第2巻第1編第4章循環過程の三つの形 からである。

 「自己を増殖する価値としての資本は,階級関係を,賃金労働としての労働の存在に基 づく一定の社会的性格を,包含するだけではない。それは一つの運動であり,種々の段 階を通る循環過程であって,この過程自体が,さらに三つの異なる循環過程形態を含ん でいる。したがって,それはただ運動としてのみ理解されるもので,静止物としては理 解されえない。価値の独立化を単なる抽象と見る人々は,産業資本の運動が現実性にお けるin actuこの抽象であることを忘れている」(岩波文庫 四分冊 156頁)。

 ここでマルクスは,「価値の独立化を単なる抽象と見る人々」を「産業資本の運動が現実性におけるin actuこの抽象であることを忘れている」と批判している。これは,ゾーン=レーテルの「思考抽象」と「実在抽象」という区別と重なる。以下の部分で下線を引いた部分を合わせて読んでみれば,そのことは一層はっきりする。

 「ここでは価値は,自己が保存されると同時に増殖され大きくされる種々の形態,種々の運動を通過する。われわれは,ここではさしあたり単なる運動形態を問題にしているのであるから,資本価値がその循環過程で受けることのありうる諸革命は,顧慮されない。しかし,このことは明らかである。すなわち,あらゆる価値革命にもかかわらず, 資本主義的生産が存在し,存続しうるのは,資本価値が増殖されるかぎり,すなわち独立化された価値としてその循環過程を描くかぎりにおいてのみであり,したがって,価値革命が何らかの仕方で克服され,相殺されるかぎりにおいてのみである,ということである。資本の諸運動は,個々の産業資本家の行為として現れる,すなわち,彼が商品と労働の買い手,商品の売り手と,生産資本家として機能し,したがって,彼の活動によって循環を媒介するというように,諸行為として現れる。社会的資本価値が一つの価値革命を受けるならば,彼の個別資本は,この価値運動の諸事件を充たしえないために,この革命に耐ええないで滅亡するということが起こりうる。価値革命が急性となり頻繁となるにしたがって,根元的自然過程の強力をもって作用する自動的な独立化された価値の運動は,個々の資本家の見込みと計算とに対抗して,ますます威力を現わし,正常な生産の進行は,ますます非正常な投機に屈従するものとなり,個別資本の生存にたいする脅威は,ますます大きくなる。かくして,これらの周期的な価値革命は,それらが否定すると称されるものを,すなわち,価値が資本として経験し,その運動によって維持し明確化する独立化を,確証するのである」(同上 下線は引用者)。

 経済的価値抽象が「実在抽象」(ゾーン=レーテル)あるいは「現実性におけるin actuこの抽象」(マルクス)であることがわかれば,『資本論』などのプロレタリアートという概念がこの行為による「実在抽象」の産物であることもわかる。資本家がこの過程の担い手であるのと同じように,プロレタリアートもまた労働力商品の売り手,消費手段の買い手,労働の実行者として機能する,という諸行為,諸活動によって,この運動に捉えられているのである。ここではこういう区別を押さえておきたい。

(イ) 「思考抽象」としての「大衆」概念の一例−ガゼット・イ・オルテガの場合

 それに対して「大衆」という抽象は「思考抽象」である。そのことは,たとえば,ガゼット・イ・オルテガの有名な『大衆の反逆』(1930年)という著作のつぎのような箇所を見ればわかるので,これを例にとって見てみよう。(以下はオルテガ論でもなければ『大衆の反逆』論でもないことはいうまでもない)。
 彼は当時のヨーロッパの「はっきり目に見えるもの」である「大衆」の「密集の事実」から出発する。そうして彼は,これが方法論的なものであることをわざわざ断っている。すなわち,「(大衆の反逆という−引用者)この歴史的現象を把握する最善の方法は,おそらく,われわれの時代の特徴のなかで,はっきりと目に見えるものをとりだして,視覚的経験に訴えることであろう」(『世界の名著』マンハイム オルテガ 中央公論社 387頁)という。この「密集,《充満》の事実」たるや,「都市は人で充満している。家々は借家人でいっぱい。ホテルは旅行客でいっぱい。汽車は旅行客でいっぱい。喫茶店はお客でいっぱい。散歩道は歩行者でいっぱい。知名な医者の診察室は病人でいっぱい。時期はずれでなければ,劇場は観客でいっぱい。海岸は海水客でいっぱい。以前には問題にならなかったことが慢性的になりはじめた。それは,場所を見つけることである」(同上 387〜388頁)という具合である。
 先に量化的自然認識と経済的価値抽象の外見的類似についてのゾーン=レーテルの指摘を見てきたので,それを踏まえて,こうした現象記述からオルテガが,「思考抽象」の特徴を展開していくのを見てみよう。
 つづけて,「驚くこと,奇異に思うことは,理解への第一歩である」と,「驚くこと」と「理解への第一歩」ということの間に,「奇異に思うこと」というテーゼをねじこんでいる。いうまでもなく「驚くこと」と「奇異に思うこと」は別のことである。「この種族(知識人ー引用者)特有の表情は,奇異の念に打たれて世界を眺める大きく見ひらいた目にある。世界のあらゆる事物は奇異であり,大きく見ひらいた瞳にとって驚嘆に値するのである。驚嘆するというそのことは,サッカー選手には許されないが,それは知識人を駆って,夢想家のように永遠の陶酔状態のうちに世界を彷徨させるのである。その特徴は,驚嘆する目にある」(同上 388頁)と,ニーチェ的で観念的なテーゼを開陳して見せる。その際に,「大きく見ひらいた瞳」という知識人特有の「表情」を「奇異の念に打たれ」た心理状態の現象として固定していることを見逃せない。彼は,一つの形態と特定の心理状態を結び合わせようとしているのである。そうしてそれを一つの人間種類すなわち知識人の心理的=形態的(それは表情という身体形状と不可分に結び合わされる)な類型と結び合わすのである。オルテガが,「大衆」という概念をどのように「思考抽象」するかを見てみよう。

 「群衆という概念は,量的であり,視覚的である。本来の意味を変えずに,この概念を 社会学用語に翻訳してみると,社会大衆という概念が見つかる。社会はつねに,少数者 と大衆という,二つの要素の動的な統一体である。少数者は,特別有能な,個人または 個人の集団である。大衆とは,格別,資質に恵まれない人々の集合である。だから,大 衆ということばを,たんに,また主として,《労働大衆》という意味に解してはならな い。大衆とは《平均人》である。それゆえ,たんに量的だったもの――群衆――が,質 的な特性をもったものに変わる。すなわち,それは,質を共通にするものであり,社会 の無宿者であり,他人から自分を区別するものではなく,共通の型をみずから繰り返す 人間である」(同上 389頁)。

 オルテガは,能力によって,社会を,有能な少数者とそうでない「大衆」の二種類の人間種類の集団に分けている。もちろん,頭の中では,人間集団を好きなように分類できる。問題は,ここで能力をこの区別の基準としていることであり,このことは,説明を要するということである。この能力が,労働力ではないといことは,「大衆ということばを,たんに,また主として,《労働大衆》という意味に解してはならない」と断っていることでわかる。
 「大衆とは《平均人》である」。なぜなら,それは「群衆」という単なる量的概念から生まれたものであり,量が質に転化したものだからであるという。今度は弁証法の登場である。量が質に転化するというのは,マルクス主義者のそれではなくて,彼にとっては,量という概念(映像)が質という概念(映像)に転化したという意味なのである。「群衆」という量的概念は,彼の「思考抽象」によって,質的概念である「大衆」を生み出した。それは,平均を抽出したからであるというのである(これはカント!)。それは一貫して心理主義的な意味で語られているのである。つまり観念論なのである。それだから,彼は,《労働大衆》という現実の実在性を避けられない概念をわざわざ排除しているのである。《労働大衆》という概念を取り上げると,労働力という実在する力能を対象に入れざるをえなくなるからである。そのことは,大衆という概念を完全に心理的な概念として自ら定義している次の部分で明らかである。

 「つきつめていえば,一つの心理的実体としてなら,大衆を定義するのに,なにも人々が群をなして出現するのを待つ必要はない。目の前にいるただひとりの人間についても,かれが大衆であるか否かを知ることができる。大衆とは,みずからを,特別な理由によって――よいとも悪いとも――評価しようとせず,自分が《みんなと同じ》だと感ずることに,いっこうに苦痛を覚えず,他人と自分が同一であると感じてかえっていい気持ちになる,そのような人々全部である」(同上 390頁 下線は引用者)。

 下線を引いた部分でわかるように,すべて,心理をあらわす言葉で,要するに,主観を基準にして,「大衆」という概念を定義していることがわかる。
 おそらくわざわざ断ることもないことなのではあろうが,こういったからといって,「大衆」という言葉を使ってはならないというような結論は出てこない。そうではなくて,プロレタリアートという概念と「大衆」「人民」「民衆」とかいう概念を質的に区別し,それを踏まえておかなければならないということが,ここで言いたいことである。
知識人−大衆図式を持ち出している「大衆」批判家が,「大衆」という言葉を使って,構成された観念としての,「心理的実体」としての,虚構としての,「大衆」を批判することによって,実際には,別のこと,官僚制の擁護やブルジョアジーの階級支配の正当性や支配階級の一員としての知識人の貴族的権利,精神労働の肉体労働への優位,等々を社会に対して正当化しようとしていることを見失うわけにはいかないのである。

6.現在の労働運動の幾つかの特徴について

(ア) 「連合」労働運動の幾つかの特徴について

 1990年代の日本の労働運動は大きな部分では,総評系と友愛会系などの労働組合の統一した「連合」の結成とこれを批判する全労協と全労連の三極に分解し,現在に到っている。
 「連合」の結成によって,議会政党の再編が起こり,「連合」は,現在では,民主・リベラルを掲げる民主党支持を鮮明にしている。
 「連合」結成は労働運動にとって何を意味しているか。それは,労働運動にブルジョア的性格を与える労働貴族による労働運動支配の完成を意味している。それは,政策提言を積極的に行うという名目で,ブルジョア政治にとってさしてハードルの高くない政策を自ら提案して売り込み,労働者を裏切りながら,自らの労働貴族としての地位と利益を確保しようとする大組合幹部の利害共同体の完成を意味している。
 しかし,この「連合」労働運動についてなにごとかを語ること自体が難しい。たとえば,「連合」は,自由と民主主義という価値観を基本にすると述べているが,一体この自由とか民主主義とかは何を意味しているのだろうか,まったくはっきりしないのである。そういう場合には,「連合」が実際に行っていること,つまりその行為,実践を検討してみるしかない。
 「連合」は,大ざっぱに見れば,政府,財界,との交渉,賃上げなどの労使交渉,民主党の選挙支援,最近では若干のボランティア活動への取り組み,政策提言等々を行っているということがわかる。特に最近は,政策提言に力を入れているようだが,それがどの程度のものであったかは,「労働者派遣法」改悪の際に,なるほど若干の抵抗の姿勢を見せたとはいえ,ほぼ財界−与党の攻勢の前に無力であったことを示したことでわかる。
 これは闘わない労働運動であるという「連合」労働運動の性格を,労働者もブルジョアジーも中間諸層の人々も明確に見て取った結末であった。このことから言えるのは,「連合」の掲げた自由とか民主主義とかには,労働者の闘う自由というのは含まれていないかあるいはそれが含まれていたとしてもその比重は相当低いということ,また労働者の平等の価値もその民主主義観の中で軽く扱われているということである。
 したがって,「連合」労働組合員がこの労働組合で学ぶのは,労働者の闘う自由ではないし,労働者の平等という民主主義でもない,そうした自由とか民主主義とかを除いた自由や民主主義ということになる。では,実際には「連合」労働運動で組合員たちはどんな自由と民主主義を学ぶのだろうか?
 このことを明らかにするためには,実際の労働組合活動の中身を具体的に検討してみなければならないのであるが,これが意外に難しいのである(一方で,「もはや連合批判で労働運動を語れる時代も終わった」『風をよむ』No.31,1996.05.10,古在潔論文)という評価が存在する)。
 たとえば,山一証券破綻劇ではここの労働組合はこの事態にたいしてどんな対応をしたのだろうか。その一端として,社員の雇用確保について政府に申し入れを行ったと伝えられているが,経営陣の責任追及が甘いとして,新労組が結成されたという。経営責任追及は,労働組合の活動とはならないということなのか。それについて労働組合側が明文化したことはないのではないか。要するに,それは,そうしたことについてこれまで労働運動の側に何の用意もなかったということを意味するものなのだろう。
 本工労働者のリストラによる出向,転籍,失業,再就職,職業訓練,臨時,パート・アルバイト,派遣労働者,小商売者,小農民,などへの転化過程を包括するような労働者の在り方に対応する労働運動がないということに今さらながら気づかされる。それは確かに日本の労働組合が企業別組合であることが一つの原因ではある。
 われわれは,労戦統一反対の側,「闘う少数派労働運動」の側になじんでいるために,こういう「闘わない」という規定性のもとに見られた多数派労働運動=「連合」労働委運動を理解することには多少の困難がともなう。しかしそれをしっかりと分析したうえでないと,こちら側に労働者の多数を獲得するためになにをすればよいかを判断することはむずかしい。そうはいっても,このような一種の「否定神学」に陥って,あまりにも,自己限定している労働運動は幹部以外の当事者にとってもかなり窮屈ではないか。あれを言ってはならない,これを言ってはならない,あれをやってはいけない,これをやってはいけない,赤い旗は共産主義者と間違われる,とかいう類のばかばかしい話がまかり通っているようだ。
 これは,官僚主義の典型のような話で,実際そうなのである。要するに,そこでは,自由とか民主主義というのも,限界の枠組みとして機能しているのである。

(イ) 「社会的労働運動」についての幾つかの特徴について

 新しい労働運動の形として登場しつつある「社会的労働運動」について,私はそれほど詳しくはない。それについては大ざっぱなことしか言えないということを断りつつ,その特徴の幾つかについて述べてみたい。(それをするために,たまたま手元にある三者,樋口篤三氏,古在潔氏,相模次郎氏,の文章を,ただ扱うテーマに応じる部分とそうした切り口に限定した形で検討させて頂いた。それ以上のものではないということをあらかじめお断りしておきたい。)
 社会的労働運動については,ひとことで言うならば,社会問題に取り組む労働運動とでもいうことになろう。これまででも,労働運動は,社会問題に取り組んでこなかったわけではもちろんない。1970年代以来,部落解放運動や障害者解放運動などの反差別運動や反原発運動や諸種の地域運動,反公害運動など,労働組合運動は,その関わる対象を社会領域にどんどん拡大してきたし,それは以前にはくらべもののないほど大きくなっている。
そこから,社会諸関係の変革という志向が,労働運動の中に登場してきた。
 しかし,それは当初は,『情況』1995年1月号の「新しい社会運動の可能性を探る」−崩壊する社会党 という対談で司会の樋口篤三氏が述べているところによれば,「左翼の労働運動の従来の反対派的なあり方では駄目だと八〇年代初めに感じたわけです。生活協同組合と労働組合の提携など今から十二〜三年前に言いましたが,賛成はゼロ,ある党派からは,生協など労働運動に関係ないのだ,と当時はあざ笑われましたね。ゴミの問題でも,例えばゴミの沼津方式といわれたリサイクル循環型に対して東京清掃の若い労働者が,一〇年前から同じ主張をしたが,自治労主流によって一蹴された。「そんなことは市民運動のやることだ」,「労働組合は労働強化につながるから反対」だと。そういう雰囲気だったわけです」(同 72頁)という状態であったという。
 樋口氏は,社会運動の新しい芽として,「第一にコミュニティーユニオン,二番目に労働者協同組合,三番目が生活クラブ型生協,四番目が外国人労働者への世話役を通しての心の連帯,できうればその組織化,そして第五に付け加えて東京清掃労働組合の労働のとらえかえしと,資源循環型の運動」(同上 79頁)をあげている。
 この場合に,労働運動は,「協同社会」を目標として,そこに向かう社会運動の一部としてあるということを意味している。
 ところで樋口氏らには1983年の三里塚闘争の分裂の対立点となった三里塚闘争は農民運動であるという,あるいはそうあるべきだ,という規定(上記対談では,それは三里塚闘争は「人民闘争」であるという規定に対置されている)がある。われわれのこれまでの見解は,一言で言えば,農民がその農民的限界を超えて階級闘争としての志向を持ったことに三里塚闘争の意義があったというものである(詳しくは,パンフレット『三里塚闘争の「分裂」に対する我々の態度』(1983年),その他『火花』三里塚関係の文章を参照)。
 しかし,樋口氏のように労働運動と協同組合運動を社会運動という範疇の下に包括してしまうのはどうか。両者の固有の性格や関連性は如何等々,説明がいるのではないか。おそらくは,その点を意識して前掲の古在論文は,「資本主義に対する根底的批判者としての労働者達」という規定を置いた上で,「経済的職業的運動(経済闘争)としての労働運動と社会運動としての労働運動とを区別しなければならない」『風をよむ』No.33)と述べている。後者は,企業が取り込めない外部としての「労働者」として闘うものだという。
 すなわち,「争議団,少数派組合あるいはコミュニティーユニオンや地域合同労組などの運動の「原則性」「戦闘性」は,ある意味で「外部」であることに根拠を持っており,そこでの経済的運動(「取引団体に徹する」)は否応なしに社会性を帯びざるを得ないのである」(同上)という。ここで社会性というのは,「今のところエピソード的に語ること以上をなしえないが」と断りつつ,「女性ユニオンやおんな組合,外国人労働者問題,さらに管理職ユニオンそしてコミュニティーユニオンなどはすべて,従来の労働組合の「外部」ですらある」として,それらの運動が,「労働」や「生活」を含め,「生き方」を問うことから始まった運動である,という。
 そして,「思いが空回りしたまま,結論を急ぎすぎたかも知れない」と懸念しながら,「労働運動も「もうひとつの社会」を基礎に,社会的権力関係の転覆−対抗権力・社会運動として形成・発展・拡大させることである。言い換えれば「内部としての労働運動」とは区別された権力闘争をめぐる階級形成こそ,労働運動においてもカナメとなっている」(同上)と結論している。
 樋口氏の方は,どちらかといえば,既存の労働運動の「内部」性の意識が弱く,古在氏の方は,既存の労働運動に対する新たな労働運動の「外部」性を強く意識している。取り上げている組合も,樋口氏は,東京清掃労組などの自治労や上記対談の別のところで日教組をあげているが,古在氏の方は,そうした既存の大労組を取り上げていない。樋口氏は,新たな労働運動が,古在氏のいう「権力闘争をめぐる階級闘争」という領域とどう関係するのか明らかにはしていない。
 同じテーマについて,自治体労働運動−川崎市職清掃支部の闘いを取り上げながら,「社会的労働運動」の意義を明らかにしようとする『プロレタリア通信』第32号(1998年8月15日)の相模次郎論文は次のように述べている。
 社会的労働運動とは,「社会性をもった労働運動・社会的拡がり=社会的変革の志向を内在させた労働運動と言い得るだろう。/それは,一面では,労働組合運動の歴史的生成発展過程でもっていた,当初からの“仲間の連帯・防衛”からの出発,“他者への支援連帯”そして“他の階層との広範な共闘=様々な社会的解放運動の中心となって”社会全体の変革へと向かっていくという性格を今日的に復権させようとするものと言える。他面では,自らの労働の社会的意味−仕事の有り様・仕事の社会との関係性・仕事のもたらす社会的影響を問い直し,そこから労働者としての社会的自立,社会変革へと切り結んでいく回路,他階層との連帯,労働者統制をおしはかっていこうとするもの」(同上)と述べている。
 相模論文は,前出の二者と異なり,「社会的労働運動」が,他階層との共闘,社会的解放運動の「中心」となるという位置をはっきりさせている。ここでは,「社会的労働運動」は社会変革の「中心」としての労働者による社会の労働者統制に向けたものとして位置付けられている。それはもともと労働運動が持っていた性格を「復権」するものであり,樋口・古在両氏に共通する「社会運動としての労働運動」あるいは「社会的労働運動」の新しさの強調にたいして,好対照をなしている。
 しかし三者ともに,新たな労働運動の形態に着目し,この現象を,「連合」結成,総評労働運動の解体という1990年代以降の労働運動の変化に,労働者階級の解放という事業を具体的に労働運動としてどのように再構築していくのか,という問題意識を持って検討しようとしていることは共通している。
 ここでは,「社会的労働運動」についての三者の見解を少々,検討させてもらい,その特徴の幾つかをスケッチするに止まっている。しかし,「社会的労働運動」が,「連合」労働運動と区別された労働運動の新形態として登場しつつあることは間違いなく,それは,一つ一つの組合規模は小さいものの,その問題提起と実践内容の深さにおいて,社会解放の重要な主体へと発展しつつあることも確かであるように思われる。私はこうした点を見逃すべきではないと考える。

 本稿が,労働運動を考えるというテーマについて,多くの点で検討に止まっているし,不十分性を残していることを認めつつ,連載を終えたい。

(了)




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