共産主義者同盟(火花)

沈黙と抵抗、そして、サパティスタ新たなる宣言(1)

早瀬隆一
204号(1998年8月)所収


1 サパティスタ新たなる宣言

「権力者の戦争が声高に語る時は過ぎた。われわれは連中にこれ以上話させはしない。平和、われわれが享受するにふさわしく、われわれ全員が必要とする平和、つまり正義と尊厳ある平和のための言葉を語るときが来た」
           (「第5ラカンドン密林宣言」 CCRI-CG・EZLN 1998.7)

7月19日、EZLNは5カ月にわたる沈黙を破り、声明「第5ラカンドン密林宣言」を発表した。
この間、メキシコ政府による先住民地域の軍事化の激化に対して、EZLNは一切の軍事的対応を取らなかった。昨年12月のアクテアル村の惨劇(注1)に端的に現れる準軍事組織の暴虐にも、本年1月以降の連邦政府軍による共同体侵入の頻発にも、そして6月10日の惨劇、すなわち連邦政府軍によるエル・ボスケ地区3カ村への襲撃・先住民8名の虐殺にもである。EZLNは 2 月以降、声明の発表を行わず、文字通り沈黙のうちに自らをおいてきた。チアパス州のサパティスタ支持基盤組織と先住民諸組織に属する先住民は、沈黙のうちにしかし一切の屈服を拒否して、営々と自治と抵抗を堅持してきた。連邦政府軍や準軍事組織のもたらす死と破壊によっても、あるいは買収によっても、先住民の男と女は尊厳を失うことはなかった。
メキシコ政府による先住民への戦争の激化、仲裁全国委員会(CONAI)の解散(注2)、市民社会における全面戦争への危機感の醸成、国連等の仲裁介入の動向etc、情勢が沸騰点へと向かうその瞬間をとらえるごとく、EZLNは沈黙を破り、「第5ラカンドン密林宣言」を発表した。
「第5ラカンドン密林宣言」において、EZLNは、「COCOPAの先住民法案と絶滅戦争の停止に関する全国協議」の実施を表明している。しかも、EZLNの代表団自身が国全域の各行政地区に赴き、COCOPAの先住民法案の内容について説明し、全国協議の実施に参加していくというのである。

「われわれは、先住民の権利の認知と絶滅戦争の停止を求める闘いをこの第5ラカンドン密林宣言で呼び掛けている。その闘いの一環として、『すべてをみんなのために、われわれは何もいらない』という原則を確認しつつ、EZLNは、次の協議をわれわれ自身の手でメヒコ全域で実施することを通知する。<COCOPAの先住民法案と絶滅戦争の停止に関する全国協議> そのために、われわれは、COCOPAの法案に関する全国的協議を国内の全行政地区で実施することを提案する。その場で、すべてのメヒコ人の男と女がこの法案に関する意見を表明できるようにする。EZLNは、国全域の各行政地区に独自の代表団を派遣し、COCOPAの法案の内容について説明し、全国協議の実施に参加していきたい。そのために、EZLNは、この呼び掛けが表現する内容をよく知ってもらうため、国内の市民社会や政治・社会組織にむけて、適切な時機に公的な場で語るだろう」
             (「第5ラカンドン密林宣言」 CCRI-CG・EZLN 1998.7)

若干の用語説明が必要であろう。COCOPAとは、「チアパス州における対話、調停、および尊厳ある和平のための法律」(1995.3.9成立)に基づき設置された「和解・和平委員会」のことであり、上院下院議会政党代表14名、政府代表、チアパス州政府、州議会各1名によって構成されている。また、COCOPAの先住民法案とは、サンアンドレス合意を受けてCOCOPAが策定した憲法改正案のことである。このCOCOPA法案は1996年11月29日に提示され、EZLNおよび先住民全国議会はこれを支持する。しかし、メキシコ連邦政府はこの法案を拒否、サンアンドレス合意の内容を全く無化した政府案を対置したため、憲法改正作業は宙に浮いたまま現在を迎えている。
EZLNは、「第5ラカンドン密林宣言」において、COCOPAの先住民法案について、「サンアンドレス合意のすべてを組み込んではいないものの、/対話に継続性と存在理由を付与しようとする精神を踏まえており、紛争の平和的解決の道を切り開くことのできる堅固な基盤である。/COCOPA先住民法案は、インディオ民族が下のほうから作り出したものを基盤にして作成された。それはひとつの問題を認知するとともに、それを解決するための基盤を築いている」と述べ、これを支持することを改めて表明している。
いずれにせよ、EZLNの新たな宣言によって、全国協議の実施を巡る攻防がメキシコ政治・社会の焦点となることは間違いない。この具体的提起を受けて、先住民諸組織、政治諸組織・社会諸組織の動員(注3)が開始されるであろう。人々の尊厳を賭けた営為がメキシコの地で<戦争の論理>を凌駕して進むこと、これに連帯することが求められている。 “沈黙を武器とする闘い”“全国協議の実施”、サパティスタの打ち出す声明はいつも私たちの固定化された常識を撃つ驚きを伴ってやってくる。“沈黙を武器とする闘い”“全国協議の実施”、それは<国家の論理><戦争の論理>という土俵をすり抜け社会を組織しようとする文脈、私はそんなふうに理解している。チアパスに配備された7万の軍隊を尻目に無数のサパティスタが全国各地に馳せていく。実に痛快ではないか。全国協議の実施という提起の前に7万の軍隊は無力である。否、無力であらせねばならない。
全国協議への妨害を許さず、EZLNの国内移動の自由を防衛するための国際的動員、そして、先住民への戦争を停止させるための国際的動員が求められている。市民社会のあらゆる位相において、それぞれの読者が出来得る取組を行うよう、改めて要請しておきたい。
以下、本稿では、第2項・メキシコ政府による先住民地域の軍事化の激化、第3項・サンアンドレス対話、第4項・自治実践の営為、について述べ、この間のチアパス情勢の報告とする(第4項・自治実践の営為については次号掲載)。

(注1) 1997年12月22日、チアパス高地にあるチェナルホ地区アクテアル村を準軍事組織が襲撃、住民45名が虐殺される。犠牲者の多くは同村に避難していたラス・アベーハスに属する住民である。準軍事組織とは軍・州政府・カシケによって組織され育成されている民間武装組織であり、軍の庇護のもと低強度戦争の先兵として活動している。

(注2) 先住民への戦争の激化のなかで、6月7日、サムエル・ルイス司教が仲裁全国委員会(CONAI)の代表を辞任、CONAIは解散声明を発している。

(注3) 日本において「動員」という言葉は、行政命令的な概念あるいは人々を抽象的で均一的な数として表す概念として立ち現れてきた。正確には運動の負的側面が「動員」という言葉にそうした否定的意味合いを付与してきたというべきかもしれない。いずれにせよ私はこの言葉が好きではない。しかし本来、「動員」とは、人々が社会的に登場し現実に対して主体的に働きかけていくことである。少なくともサパティスタが「動員」(に対応するスペイン語)と語るのはそうした意味である。このことに注意を喚起したうえで、本稿においては「動員」という言葉を使用する。

2 メキシコ政府による先住民地域の軍事化の激化

「あななたち、メヒコ、あるいは世界のどこにでもいる男、女、こども、老人、ホモセクシャル、レスビアン、主婦、低所得都市居住者、工場労働者、農民、先住民、給与生活者、芸術家、知識人、科学者、学生、教師よ、続け。続けるのだ。そう、あなたは続くと言うのだ。ヒドラが嘘を撒き散らし、人を殺しているばかげたリングにとどまることを拒否する。そして、偽装した戦いではない本当の対話を建設する。それはおそらく可能である。きっと可能だ。できないわけがない。ヒドラを自己解体させるのだ。われわれが作るのは戦いの場ではない。われわれ全員が座れるテーブルを作らなければならない。それはこれまでとは違う別種の幅広く、深みのあるテーブルである。あなたたちとわれわれがサンアンドレスで2年前に作ったようなテーブルである。昨日をテーブルの台座、現在をテーブル・カバー、そして未来を食事とするようなテーブルである。長持ちし、壊れないテーブルである。石、それも数多くの小石、つまり数多くの抵抗(時代が不利なとき、希望が採用する形式)によってできたテーブルである……。
では、お元気で。まだ記憶を保っているなら、忘れないで。あなたは手にひとつの石をもっている。その石は、新自由主義というカテゴリーすら恐れるものである。そして、あらゆる石と同じように、その石はけっして……死ぬことはない。
  メヒコ南東部の山中(の石)より 反乱副司令官マルコス 1998.2月 」(注4)

昨年12月のアクテアル村の惨劇から半年有余、メキシコ政府は先住民地域の軍事化をやめるどころか、同事件をも口実として軍を増強、チアパス州全域を<戦争の論理>で覆い尽くしている。チアパス州の先住民地域に配備された軍隊は5万とも7万とも言われており、地域の交通を厳しく制限、同地域を厳戒体制下に置いている。
1月以降、軍による先住民共同体への侵入は数知れず、不当尋問・暴行・拷問・略奪・器物破壊が頻発している。準軍事組織も軍の庇護のもと奔放にその活動を展開している。 去る6月10日には、軍によって先住民大量虐殺の惨劇が再現される。
サンクリストバル北方のエル・ボスケ地区の役場町サンファン・デ・ラ・リベルター、ウニオン・プログレソ、チャバヘバルの3カ所を軍・州治安部隊1000人が襲撃、少なくとも住民8名が殺害され、多数が負傷、57名が逮捕されたのである。自治地区政府の表明によれば6名が逮捕後に射殺(処刑)されたという。
エル・ボスケ地区は、反乱自治地区政府が建設されている地区であるが、この襲撃によって反乱自治地区政府は役場から排除され、翌日には軍の庇護のもとPRI派地区政府が役場を占拠している。軍は同作戦がロス・プラタノスで起きたPRI派1名殺害の容疑者逮捕のためとしている(注5)。軍による直接の襲撃は5月以降各地で起こっている。5月1日には、「土地と自由」自治地区の役場町アンパロ・アグア・ティンタを軍500人が急襲、53名の先住民と8名のグアテマラ人を拘束、「土地と自由」自治地区政府によれば軍の急襲後20名の先住民が行方不明となっているという。内務省はこの軍事行動が自治地区政府によって拘束されたグアテマラ人2名の保護のためのものだと発表している。6月3日には、軍・州治安部隊1000人がニコラス・ルイスを襲撃し、PRI派住民に対する拉致容疑なるものをもって非PRI派先住民164名を拘束、うち6名が誘拐容疑で収監されることとなる。
刑事事件容疑の捏造と犯罪者逮捕に名を借りた軍事行動のエスカレーションは、「チアパス州における対話、調停、および尊厳ある和平のための法律」と同法に基づく停戦をなし崩し的に無効化(注6)するものであり、先住民による自治実践の営為の圧殺−各地で創出されている自治地区政府の物理的解体のため、連邦政府軍がより直接に前面に登場しつつあることを示している。そしてそれは、EZLNを<戦争の論理>に引き込もうとする軍事挑発でもある。
軍・準軍事組織のもたらす死と破壊にもかかわらず、サパティスタ支持基盤組織や先住民諸組織に属する先住民は自治と抵抗を堅持している。メキシコ政府による非武装の先住民に対する一方的な暴力の行使と蹂躙は、<道理>が誰のものであるのかを日々明らかにしている。
こうした情勢の中で、欧米市民社会を中心にメキシコ政府への批判が高まっている。そして、軍の監視や避難民への援助を目的として、欧米を中心に数多くの社会組織・政治組織がチアパス入りし、豊富な活動を展開している。2月以降、メキシコ政府は、入国管理法を盾にこれらの活動を目的外滞在と認定し、軍・治安警察による拘束・強制国外退去を敢行している。5月1日にはイタリアの国際人権監視団134名が監視団としての許可(10日間)を取りチアパス入りしたが、うち40名は帰国当日に帰国便の手配が出来ず、やむなく滞在許可期限超過となった。メキシコ政府は超過滞在となった40名を永久入国禁止、他のメンバーも10年間入国禁止とする強硬かつ国際慣例からしても無謀な措置で対応した。メキシコ政府がいかに国際的な“目”からチアパスでの事態を覆い隠すことに躍起になっているかを物語るものであろう。

(注4) 「サンアンドレスのテーブル 上の世界の忘却と下の世界の記憶」(副司令官マルコス 1998年2月)

(注5) 自治地区政府はPRI派1名の殺害はPRIの内部抗争と声明している。

(注6) 連邦政府チアパス担当官ラバサは、作戦は犯罪者逮捕が目的であり停戦は継続すると破廉恥にも表明している。

3 サンアンドレスの対話

ここで“サンアンドレス合意”について振り返っておきたい。サンアンドレス合意の履行が、EZLN・先住民諸運動・市民社会諸運動にとつての要求の重要な柱であり、同時に、サンアンドレス合意の獲得過程にEZLNの戦術観が端的に表現されていると思うからである。
サンアンドレス合意とは、「チアパス州における対話、調停、および尊厳ある和平のための法律」に基づく連邦政府とEZLNの対話交渉(以下サンアンドレス対話という)、その第1テーブルである「先住民の権利と文化」に関する合意のことである。
サンアンドレス対話は、1995年4月22日チアパス高地のサンアンドレス・ララインサールを会場として開始された。1.先住民の権利と文化、2.民主主義と正義、3.福祉と開発、4.チアパス社会の諸セクターの仲裁、5.チアパスにおける女性の権利、6.対立の停止という6つの作業テーブルが設けられ、第1テーブル「先住民の権利と文化」に関する合意が、1996年2月16日メキシコ政府・EZLNの間で調印される(注7)。
サンアンドレス対話は、従来見られたいわゆる「和平交渉」とは様相を異にしている。否、EZLNの政治的質と発展する先住民諸運動・市民社会諸運動は、「和平交渉」を「別の何ものか」に転化したのである。

「サパティスタは、当事者同士の交渉だったものを開かれた参加型で統合的な対話へと変換した。その対話とは、社会に顔を向け、広範な潮流の意見の参加を要請し、それぞれのテーマの議論に関連する全員を巻き込もうとするものだった。」(「サンアンドレス対話と『先住民の権利と文化』、到達点と転換点」1996.2.14 EZLN)

第1テーブル「先住民の権利と文化」には、1.共同体の自治・先住民の権利、2.先住民の裁判権保障、3.先住民の政治的参加と代表、4.先住民女性の状況・権利・文化、5.通信メディアへのアクセス、6.先住民文化の育成と発展、という6つの作業部会が設置されたが、EZLNは、先住民諸組織の代表や先住民問題の専門家に、顧問・招待者として対話に参加してもらう方針を採用する。先住民諸組織の代表55名、専門家51名のサパティスタ側顧問としての招請が発表され、6作業部会にはそれぞれのテーマごとに20名づつの招待者が発表された。政府もサパティスタへの対抗上、多数の顧問・招待者を招請する。政府は官製の諮問会のような賛成・反対の意見の一般的表明の場を想定していたのであろう。しかし、そこでは対話が成立したのだ。しかも、政府側顧問・招待者の多くがサパティスタ側の意見に同調したのである。EZLNは、サパティスタ側の顧問や招待者に、先住民自治に関するEZLNの提案を支持することではなく、先住民自治に関する各自の視点や考えを対話の場に提出してくれるよう要請したという。すなわち、「明確な方針をあらかじめ定めないという方針」をもって対話に臨んだというのである。普通、相手方との交渉に際しては、内部の意思統一を厳密に行うのが常識的である。そのことが交渉に勝つには必須だとすら思われている。しかし、EZLNは、サンアンドレス対話を、歴史的に形成され各々が独自の主張を持つ先住民族諸集団・先住民族諸組織の対話の場として組織し、そこでの対話の内容そのものを政府に突きつけ、これに政府を従わせることを目指したのである。「人々の意志に従って統治する」、EZLNがよく語る言葉である。

「大多数が先住民で構成された人民軍である以上、EZLNはこの段階の諸テーマ(自治、権利、領域問題、自決権、女性の状況など)に関して独自の概念を有している。しかし、会議の場で、われわれは顧問や招待者にEZLN独自の概念を強要しなかった。むしろ、対立する要求や、議論され構築されつつある要求などより幅広い要求を取り込み、それらの要求を政府代表団に突きつけるべきと考えている。そのほうがメヒコ社会全体のためになる。サンアンドレスはすでに民族対話のテーブルであり、メヒコ社会が民族の新しいプロジェクトを構築するために模索されてきた表現の場として位置付けられている。」(「サンアンドレス対話と『先住民の権利と文化』、到達点と転換点」1996.2.14 EZLN)

以降、政府側は顧問・招待者の数を制限することを主張、合意文書の作成を内容とする対話第2段階においては、各々の顧問は3名とされた。また、中断することとなる第2テーブル「民主主義と正義」に際しては、政府側は顧問・招待者を参加させず、サパティスタ側の顧問・招待者の発言には一切対応しない方針をとり、対話を従来型の閉じた交渉=取引の場に押し止どめることに全力をあげることとなる。
もう一つ重要なことがある。サンアンドレス対話は、サンアンドレスの場にのみ存在したのではない。顧問や招待者として直接に参加した人々だけのものでもない。
顧問や招待者としてのサンアンドレス対話への参加と連動して、それぞれの先住民族集団・先住民族組織の内部において論議が組織された。共同体から地域にいたる様々なレベルで共同のフォーラムが開催され、先住民の権利とりわけ自治について、無数の論議が組織された。そして、1996年1月3日から8日にかけて、先住民全国フォーラムが開催され、32の先住民族集団、179 の先住民族組織から代表約500名が参加する。このフォーラムにおいては、サンアンドレス対話と同じテーマの作業部会が設けられ、サンアンドレス対話での討議内容が報告され、それを土台として論議が展開された。こうした取組は1996年10月の先住民全国議会の創設に結実していく。かかる先住民自治の内容をめぐる論議の過程自体が「自治の過程」に他ならない。
サンアンドレス対話において、先住民諸組織が議論の中心に据えたのは自治に関する問題である。自治に関する先住民諸運動の提起は、「共同体・行政地区・地域という3つのレベルで、憲法によって認知され、明確な権限と確定された領域を有する自治体制を確立すること」であった。
メキシコ政府とEZLNの間で調印された文書(注8)は、画期的な前進ではあれ、EZLNや先住民諸運動の要求を十分に満たすものではなかった。同文書では、自治を体制として認知することや行政地区・地域における自治の定式化はなされなかった。また法的多元主義の問題、憲法第27条の問題(農地問題)についても同様である。しかし、EZLNは、同文書を「最低限の合意文書」として受け入れることを、支持基盤組織の協議において賛成多数により決定する。合意の達成は全国の先住民運動の前進の基礎とすることが出来るとの判断であった。
サンアンドレス合意を踏まえ、1996年11月29日、COCOPAは憲法改正案の文案を合意当事者である連邦政府とEZLNに提示する。COCOPAの憲法改正案はサンアンドレス合意から後退したものであった。例えば、先住民は政党登録しなくとも選挙プロセスに参加(立候補)できる等の合意項目がCOCOPAの改正案では欠落している。しかし、第1項で触れたように、サンアンドレス対話の継続を図るべく、EZLNはこれを承認する。しかし、連邦政府はCOCOPA法案に対置して、サンアンドレス合意をほとんど無視した政府案を発表、以降、憲法改正は宙に浮いた形になってしまっている。
現在、連邦政府はEZLNに「交渉」を呼び掛けている。そして「交渉」を拒んでいるのがEZLNであると宣伝している。しかしこれは誰でも分かるペテンである。「先住民の権利」に関するかぎり、対話は既に行われたのであり、いくつかの合意が既に成立したのである。問題は政府が合意を履行することでなければならない。政府のいう「交渉」とはサンアンドレス合意をなかったことにすること、このことに他ならない。

今、自治を巡る運動は次の3つの側面の有機的な結合をもって展開されている。すなわち、(1) 自治の憲法による認知をめぐる政府への要求−「事実としての自治」の「権利としての自治」への変換、(2) 自治の内容を巡る先住民族組織・共同体・地域・全国レベルにおける論議−それ自体が「自治の過程」と位置付けられた論議の組織化−先住民全国フォーラム・先住民全国議会創設、(3) 共同体・行政区・地域における自治実践の営為−自治地区政府の公然たる創出。サンアンドレス対話はその結節環としての機能を最大限に発揮した。そして、そうであるが故に、サンアンドレス対話は対政府交渉という機能においても政府の一定の譲歩を勝ち取ったのである。
これら諸過程において、EZLNはイニシアティブとして存在した。しかし、それはいわば触媒的なものである。EZLNは、客観的に成立しているEZLNの権威性を、自らの独自の主張や概念への支持を求めることに活用しようとはせず、むしろ社会的対話の組織化のためにこそ活用した。先住民全国フォーラムにおいても、あるいは先住民全国議会の創設においても、EZLNは呼び掛けの主体として登場しつつも、しかし、その運営や方針についてはあくまで構成団体の一つとしての姿勢を極めて意識的に堅持している。
EZLNは、「多様性の中での統一」を作り出していくための政治文化を、具体的な実践を通して発信しているかに思われる。均質的な国民国家という枠組・概念から排除・同化の対象として最も遠いところに存在してきた先住民族の政治文化、多様性を社会・文化の活力源として位置付けてきた今日における先住民諸運動、それは今日における思想・運動・組織を考えるうえで大いなる示唆を我々に与え続けている。

(注7) 1996年8月29日、EZLNは、EZLN支持基盤組織の意志に基づいて、サンアンドレス対話第2テーブル「民主主義と正義」への参加を一時中断することを表明する。それ以降、今日まで対話は中断したままである。対話中断の根拠と責任は、サンアンドレス合意の不履行、先住民地域の軍事化の進行という政府の対応にある。

(注8) 合意された内容は項目別にいっても、先住民族の政治・社会・法律・経済・文化に関する諸権利を認知するための憲法改正、自決権と自治権の認知、先住民共同体との事前協議に基づく行政地区の再編成、紛争解決のための内的規範体系の認知、共同体や行政地区の代表の自由な任命、発展計画への先住民族の参加、政党登録なしでの選挙プロセスへの参加etcと多岐にわたっており、本稿でその内容をリアルに読者に伝えるのは筆者の力量を越えている。

(注9) 先住民の求める自治は、いわゆる分離の要求とは明確に区別されている。このことは先住民諸運動が今日重ねて強調していることである。「多様性の中での国の統一」としての自治は、均質的な国民国家という枠組・概念そのものの変革である。

(参考文献)

「もう、たくさんだ!メキシコ先住民蜂起の記録」(現代企画室発行)
「サンアンドレス合意と先住民族自治」(神戸市外国語大学外国学研究所発行 中南米におけるエスニシティ研究班)

次項においては、チアパス州における自治実践の営為−自治地区政府の公然たる創出について概括する。




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