共産主義者同盟(火花)

沖縄「独立論」について

坂本巧巳
200号(1998年4月)所収


 このかんの火花誌上での議論の中で、沖縄「独立論」に対する私達のとるべき態度について問題になったので、現在起こっている「独立論」について少し考えたいと思う。
 かつて復帰運動を担った元コザ市長の大山朝常氏が「ヤマトは帰るべき『祖国』ではなかった」としたためた『沖縄独立宣言』が話題の書となったり、また昨年5月、「(日本復帰・日本再併合)25周年 沖縄独立の可能性をめぐる激論会」が、かつて反復帰論を唱えた人や、反基地運動を担う人々、ヤマトンチューを含めた学者・文化人等、幅広い呼びかけの下に行われたり(注1)、とここ最近、沖縄において「もうヤマトとは一緒にやれない、独立することも考えなければならないのではないか」という論調が広がってきている。
 そのことの直接的な背景は、言うまでもなく米軍基地の問題をめぐる日本政府の対応(あるいはそこに象徴される、歴史的なヤマト−沖縄の関係)への怒り、またそれを許容する日本社会のあり方に対するあきらめ、失望である。県ぐるみで挙げた基地重圧拒否の声に対して、特措法「改正」で応えるという強権政治の告発。そして、「自分たちならこんな国(社会)にする」という未来への希望、等々がそこに含み込まれている。
 ヤマトのメディア状況の中では、実際に「独立論」として語られていることの中身をすべて知ることは難しいが、いくつかの書籍・雑誌等を見る限りでも百花斉放、十人十色の多様な意見が主張されており、一概に「これが独立論」と言えるようなものはない。ただ、大まかに共通する傾向として、「本土復帰」のマイナス面に対する批判と同時にオルタナティヴな社会の建設が主張されているのが特徴的だ。
 それは例えば、81年に示された「琉球共和社会憲法私(試)案」「琉球協和国憲法私(試)案」(注2)においては国家の「廃絶」や死滅が宣言されていたり、喜納昌吉氏が「国境線からの独立」「独立イコール国家ではない」と述べていること等に現れているように、国家としての独立よりは社会革命への志向(「人権」「エコロジー」、「ネットワーク化社会」、経済の自立、…)がより強く伺われる。また、沖縄・琉球の文化的独自性に依拠し、文化運動と機軸とした独立のイメージも目立つ。また、独立を志向することによって「どこからどこまでが、どのように独立するのか」という自問が行われ、より明確な形で沖縄本島内部−諸群島を含む周辺地域内における地域格差や差別関係が意識されるようになっているともいえるだろう。
 例えば、「独立論」の論者の一人である高良勉(たからべん)氏は旧来の「琉球独立運動」の事大主義、民衆蔑視を批判して、ナショナリズムがその内部において様々な差別を隠蔽してしまうことを指摘している(注3)。このような点で沖縄「独立論」においては、ひとしなみに「民族主義」として括ることはできない内容、民主主義を徹底させていこうという志向が孕まれていると言えるだろう。
 ただ、前号早瀬論文で指摘されているように一般的に独立論が民主的であるとは言えないし、「経済的自立」のイメージは、沖縄県の提唱する「国際都市形成構想」やフリートレードゾーン化等といった、振興予算を前提とした構想、「地方分権」「規制緩和」論と重なるような論調も多い。沖縄における反戦地主の闘い等と連携した活動を続けている学者の新崎盛暉氏は、現在の「独立論」についてそれが「運動論を欠いた青写真」である、と批判的だ(注4)。独立論者の新川明氏との論争(注5)の中で「意識の面だけで独立が語られていて、生活構造はますます日本という国家に依存するような状況になっている。そういう生活構造の上で依存関係をどう断ち切るかこそ、現時点での最大の課題ではないかということです。」(注6)と語っている。

 最後に、そうした沖縄で起こっている「独立論」に対してヤマトにいる私達がとるべき態度について考えたい。それは既に早瀬論文においても確認されているように、「独立」の主張それ自体を支持することではない。沖縄「独立論」はヤマトでも相当の反響を呼んでいるが、それについて新崎氏が次のように評しているので、肝に銘じておきたい。「過度に中央集権的な国家体制や高度管理社会の行き詰まりを打開する途を、琉球やアイヌの自立・独立をバネとした国家や社会の解体・再編に求めようとする。沖縄の思想状況を過大に評価し、自らの思いこみの投影によって沖縄を理解しがちな傾向を持つ。しかしこうした論議や具体的運動の過程に、日本人としてどのようにかかわっていくのかという問題意識や責任感覚は、意外なほど希薄である。」(注7)また、「独立論」の立場にある人々も同様に、ヤマトの人間が沖縄「独立」に安易な拍手を送ることへの拒絶感を表している。(注8
 沖縄の側からする「民族自決」の原則的立場について、先に引用した高良氏は次のように語っている。「つまり、植民地宗主国や先住民族への支配国は自分たちの経済、政治、軍事的な利益が損なわれるときは平気で強制的に先住民族を切り離したり独立させる可能性があるからです。そのことは琉球弧が戦後二十七年間、米軍の占領支配下に切り離された経験からもわかるでしょう。 (中略) したがって、私達は独立を強制されるときは、独立しない自決権を行使するのです。」(注9
 沖縄が「独立するか否か」という決断については、ヤマトにいる私達は、もとより虚心に構えるほかない。ただ、沖縄において「独立」をも射程に入れた真剣かつ豊穣な議論をしている人々が達している水準、リアリティーをもって、事態に接しなければならないと思う。

(注1) 「激論会」の模様については、同実行委編『激論・沖縄「独立」の可能性』(紫翠会出版1997年)にまとめられている。
(注2) これらの憲法試案については、それらを含めた当時の自立・独立論に対して火花派として批判的検討を行っている(「『本土』−沖縄プロレタリアートの革命的団結を克ち取るために!」1987年発行)。
(注3) 高良勉『琉球弧(うるま)の発信』(お茶の水書房1996年)p.35等     
(注4) 新崎盛暉『沖縄現代史』(岩波新書1996年)p.104
(注5) 本文中に挙げた「激論会」を受けて、新崎氏が97年5月30日付沖縄タイムス紙上で「沖縄独立論の虚実」とする独立論批判を行い、それに対する反批判が新川氏によって行われている(『世界』1997年9月号、前掲『激論・沖縄「独立」の可能性』所収「沖縄『独立論』のこと」等)。
(注6) 新川明・新崎盛暉・屋嘉比収・岡本恵徳「検証・独立論<座談会>」
    『けーし風(かじ)』17号(新沖縄フォーラム刊行会議1997年) p.20
(注7) 新崎『沖縄現代史』p.108
(注8) 新川「沖縄『独立論』のこと」p.220
(注9) 高良勉「真剣な独立論議を」『激論・沖縄「独立」の可能性』 p.178




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