共産主義者同盟(火花)

アジア経済危機についての中間報告

流 広志
197号(1998年1月)所収


はじめに

 最近,いろいろな人,とりわけ若い人と話したりその主張をきいて気づくことがある。とりわけ,勢力を伸ばしている宗教団体や新たな社会運動の人たちに顕著なことなのであるが,そのひとつは,こうした人たちに共産主義という言葉にまったく拒否反応がないということである。この点だけで言えば,共産主義にたいするタブーがなくなったということは,1990年代になってからは,ある程度世代を越えて拡がっていることを実感させられている。自民党支持者の農民と話していてもそのことははっきりとわかる。近年の選挙結果でもそれは確かめられる。したがって,共産主義というたんなる言葉を語るだけでは,たいしたことを言ったことにならないということになったのである。これまで,というのは「冷戦」時代には,共産主義ということを語るだけで,一つの決定的な立場を表すものであり,これを肯定することも否定することも,重要なまた重大な選択を意味しているものであった。ところがそれはいまやそれほど重くなくなってしまったのである。ふたつは,そうした人たちが共産主義の具体的な綱領内容を当たり前のこととして語ることである。こちらが,価値労働ではだめだ,無価値労働に移行すべきだ,という内容のことを説教されることがあり,これでは一体どちらが共産主義者なのか,と戸惑うことがある。こうしたことが,無階級社会が現実のものとなりつつあるということを意味するのであれば,共産主義者として喜ぶべき事態ではある。ところが現実には,現存社会は,階級社会であり,むしろそれが強まる方向に進んでいる。現在の「改革」派は,無階級社会を目標として掲げていないし,平等化は自由競争を阻害するものだとしてこれに否定的な態度を取っているのである。そこでこれは社会が二つに分かれているということを意味していると考えざるを得ないのである。つまり,ブルジョアジーの社会,「市民社会」と,プロレタリアートの社会,ここではたんに社会と呼ぶ「社会」との二つの社会が存在し,これらが共存しているという過渡的な状態である。二つの社会性が共存・混在しているような状態である。それをそれらの人々が意識として反映していると考えるのである。こうしたことは本稿では取り上げないけれども,こうした問題意識を踏まえるならば,現在のアジアそして日本を襲っている経済危機は,これをプロレタリア的な方向で乗り切ろうとするなら「社会」の解放として展望されなければならないというのが共産主義的展望であろうと考える。以下,このことを踏まえて,現在のアジア・日本経済の現状を事態の途中経過を押さえるという意味を含めて検討してみたい。

1.アジア通貨危機の発生

 1997年,夏,それは最初は新聞でも小さな扱いの記事に過ぎなかった。タイの通貨バーツの切り下げはその後のアジア諸国から日本,ヨーロッパへと拡がる通貨危機の序曲としてはささやかなものであったのである。7月2日のタイ当局の通貨切り下げの実施は,アジアの一小国に起こった出来事に過ぎず,アセアンの世界の経済成長センターという神話は揺るぎないものと信じられていたのである。
 タイ経済は,172億ドルにのぼるIMF(国際通貨基金)などの国際機関の緊急融資を受け,厳しい経済運営条件を付けられて,タイのプロレタリアート大衆は,失業,増税,生活困窮,等々に追い込まれている。タイの経済危機の要因は,主に製造業において,外資の導入などで,日本・欧米企業の直接投資の増大で順調に成長し続けたところに,高い経済成長率を絶好の投資先として進出した国際投資団や金融資本が,土地や株式に大量の資金を投入し続けて,バブルを発生させたことにある。1980年代後期の日本と同じことが起こったわけだが,巨大債権国である日本ではなんとかこれをずるずると何年にもわたって持ちこたえられたが,そのような余裕の少ないアジア諸国ではそんな余裕はなかったのである。とりわけ,これらのアジア諸国が自国通貨を米ドルと連動させるドル・ペッグ制を取っていたので,このところバブル的な経済成長を続けるアメリカの通貨=ドルと連動させ続けたことには相当な無理があったのである。

*似たようなことは,メキシコ危機の際に見られ,経済成長率を重視する現在の新自由主義経済学が経済実態を読みとれないという致命的な欠点を持っていることは,今回も明らかになった。

タイのバーツ切り下げから,フィリピンのペソ,インドネシアのルピア,マレーシアのマレーシア・ドル(リンギット),などが次々と国際投機筋に売られていき,ついには香港ドルにまでそれが進み,このころになるとこの問題は大きく扱われるようになった。これらのアジア諸国の通貨は米ドルに対してほぼ半分に下落して1997年を終えた。国民経済を数値化すると,これらのアジア諸国の経済価値が国際市場で半値に下がったことになる。世界市場に対して自由に開かれていれば,これら諸国の価値下落は,巨額の資金をコンピューター操作や電話一本で右から左へと動かす,怪物的な国際投機筋の格好の餌食となることを意味し,結局は,国際ブルジョアジーや先進国の下への従属を強めることになるのである。自分たちの明日の運命がこうした連中に握られてしまうことをこれら諸国の政府などが率直に自国民に明らかにしているだろうか,おそらくそれを少なくとも率直に語るだけは語っているのは,マレーシアのマハティール首相ぐらいなものである。そしてマハティール首相が,ソロスなどの国際投機筋を批判すればするほど自国通貨のリンギットが売られていくという目にあったのである。国家主権と国際投機筋がぶつかりあって,国民経済が左右されるというすべては市場が自動的に決めるという市場原理にはないことで,一国の経済が揺さぶられ,そしてそのあおりをプロレタリアート大衆が受けるということが起きているのだ。国際投機筋を国際的に規制できなければ,こうした事態はまたどこかで繰り返されるだろう。
 タイから始まったアジア経済の危機は,東南アジア諸国から秋には香港に波及し,香港株式市場での株価の大幅下落,香港ドルの急落という事態を引き起こした。巨大市場・中国を抱える香港でまさかの事態が起こったのである。10月23日,香港株式市場は株価が10.4%の大暴落となった。その影響はニューヨーク株式市場にも波及し,同27日には株価は7%下落した。10月17日にはすでに台湾ドルが急落している。ここで香港当局は他のアジア諸国とは異なる政策を取ることになる。タイを始め通貨危機と株安に対して,従来のドル・ペッグ制を放棄して,変動相場制に移行させたのに対して,香港当局は,ドルペッグ制を維持するために金利の引き上げや外貨準備を使っての市場介入を行い香港ドルの価値防衛を選んだのである。市場の自由化によって,株式投資を取るか通貨投資を取るかという選択を不可避に迫られたわけである。投資規制という手を使えないからである。一国二制度を条件に香港返還を実現した中国政府はそうするしかないのである。
 ついにはこの事態はOECD加盟を果たし,先進国の仲間入りをしたばかりの韓国を襲うにいたる。11月20日,韓国通貨ウォンは大暴落した。韓国では当局が設定していた為替変動の下限まで下落したため,為替市場そのものが取引停止となるストップ安となり,経済システムそのものがおかしくなる事態にまでたちいたったのである。これが,以後なんども繰り返されることとなり,ついには,IMFの救済融資を要請せざるをえないという事態に追い込まれることとなったのである。対外債務支払いのための外貨が不足し,次々と訪れる支払い期限に支払いが間に合わなくなるという決済危機が襲っているのである。債務返済の繰り延べやつなぎ融資の実施(IMFなどの緊急融資は主にこの目的のものである)が要請されている。メキシコ危機の際と同じことが行われているのだ。債権は,国際投機筋が買い取ることになり,これが世界中に切り売りされて,新たなバブルの元凶となり,債務国は未来を差し押さえられて多くの労働者・農民・下層大衆の困窮・貧困・生活難・失業等々は増大するのである。

*もちろんこうした人々はハイエクが『隷従への道』で競争の敗北者は黙ってそれを運命としてあまんじて受け入れるという願望どおりには動きはしないし,そうした幻想的な空想的な存在と化すことはないので,こうした状況を打ち破るために必死の闘争に立ち上がるのである。ハイエクが理想とする競争の敗北者とは実在しない空想的な人間像であり,理想像にすぎない。アメリカのシカゴ学派は,結局は,金融資本の利害を反映した金融資本と投機者のための弁護論を学化したものであったことがはっきりしたわけで,もしこの学派が学としての誠実さを持ちあわせているならば,こうした事態にたちいらせた責任を感じるだろうし,自己批判をせざるを得ないのでないだろうか。われわれは,直接,スターリニズムに責任を負う立場ではないし,むしろスターリニズム批判を根底的に行ってきたという思いがあるが,それでも,少なくともスターリニストが社会主義・共産主義を掲げていた以上,それをまったくの他人事として無関係であるというふうに切り捨てることはできないと判断し,その総括を進めてきているのである。金融資本が社会に及ぼした被害に,新自由主義者は責任はないのか。おおありである。古い言い方かもしれないが少々皮肉を言わせてもらうならば,この学派の学者は今こそ学者としての良心を発揮して見せて欲しいものである。

2.韓国への波及と韓国プロレタリアートの成長

 韓国の通貨・株価の大暴落は,すでに財閥系大企業を襲っていた倒産劇の最中であるという意味で,タイや東南アジア・香港での危機の事態と性格を異にしている。すでに7月には財閥系の起亜自動車が倒産,その他,韓宝・真露などでも経営破綻が起こるなど,すでに整理の局面にあったのである。1995年に9%の経済成長率を記録し,1997年でも,6%程度の成長率を記録すると見られる他の先進国から見れば高い成長率を記録しているにも関わらず,こうした事態に見舞われている。輸出依存度が高いために,世界市場の規定する割合が多いわけで,円安による日本企業との競争で不利になったのである。並行して行われていた大統領選挙は,こうした事態にたいする対応策が最大の焦点となり,IMFの救済融資とそのプログラムの受け入れを表明した金大中氏が僅差で与党系候補を破った。結局,融資の見返りに,国際投資団や金融団の自由な活動を認めることになり,国際機関などが要求する厳しい条件を守ることで,大方の韓国の人々が陥る失業・貧困・困窮・零落・生活難・福祉後退等々,を容認することとなったのである。韓国政府が,国際資本やその利益を守る国際機関との約束に優先的に責任を負い,政府が国民と交わした約束(その根本は憲法である)にはあまり責任を負わないということになったのである。もちろんこれは,国民との契約の実行自体を破棄したのではなくて,一時的に延期するだけであり,この危機を脱すれば,約束を実行するのだ,ということなのだろう。これは目の前の嵐を乗り切るための一時的な措置なのだということなのだろう。しかし,経済困難の度に,社会政策が後退するのは,社会政策を貨幣の実現する社会性の水準で計算するから,言い換えれば,経済合理性でそうした政策を判断し決定し実行するしかないから,そういう隘路に落ち込んでしまうのである。

*これは別に韓国に限ったことではないし,資本主義経済下ではそうなるしかないのであるが,要するに明らかに社会的に必要なものが,入手困難になっていくのである。これが入手が容易となるのは,経済的貨幣的に余裕がある時だけということなのである。例えば,老人介護というのは,いわゆる箱ものの建設というような条件面の整備ということ以上に,社会的関係性の変革が問われるのであり,人がいかに生きいかに老いいかに死んでいくのかということに応えるかたちで,社会諸関係を変革していかなければならないのである。この困難な課題を避けては通れない。この社会的関係性の変革には,その実践,社会運動が必要であり,その試行錯誤は必要不可欠なのである。過渡期社会はそうした実践,社会運動の発展を促進させる社会として構想されなければならないと考えるのである。経済利益がないとか少ないという事情によって社会政策が後退していくようなことでは真に人間的な社会などいつまでたっても実現などできない。経済合理性などに人類の精神も肉体も技術も集中させざるを得ないので,資本主義ではそんな殺風景な未来しか出てこないのだ。

 さて,韓国プロレタリアートは,こうした事態にどう応えようとしているのか。財閥系企業の相次ぐ倒産に対して,韓国の労働運動はその責任追及や解雇撤回闘争などに果敢に立ち上がっている。その中でやはり注目しなければならないのは,これらの労働運動が新自由主義という世界資本主義のこの間の基本思想・政策に反対する態度を鮮明にし始めていることである。韓国の労働運動の活動家の間でも,メキシコのサパティスタ民族解放軍(EZLN)の主張や闘争への関心が高まっているということを聞く。ヨーロッパにおける労働運動やストライキ,ゼネストでも,新自由主義反対というスローガンが掲げられている。フィリピンの共産主義者や労働運動でもこのスローガンが掲げられている。いまやこのスローガンは世界のプロレタリアートの共通のスローガンとなった。それは国際労働運動の共通の合い言葉となったのだ。韓国のプロレタリアートが新自由主義反対というスローガンを鮮明に掲げ,労働運動を闘うことで,国際プロレタリア運動の一部として世界史の舞台に登場しようとしているのである。とりわけ,金永三政権による労働条件の改悪に対してゼネストをもって闘い抜いたことは,韓国プロレタリアートの成長にとって宝となった大きな経験だろう。それに対して闘わずしてブルジョアジーと握手する日本の「連合」労働運動は,こうした経験を回避することでプロレタリアートを無力化しているのである。

おわりに

 現在進行中のアジア経済危機について,途中経過をざっと押さえてみた。こうした経済危機の元凶はいうまでもなく自由主義化を進める資本主義にあることは,今では誰でも知っているといってもいいくらいのありふれた認識ではある。そのことをあまりあけすけに語ろうとしないマスコミの方が完全に遅れている有り様だ。これまでもそのことはこうした現象の原因は何かということを探求したことのある人ならば容易に理解することができる。これまでは,それがわかっていても,とりたててそれを問題だとは思わなかったというだけの話で,それは修正資本主義が,経済主義的な意味ではある程度うまくいっていたという事情にもよる。
 第一次共産主義者同盟の「革命の通達」派は,池田の「所得倍増計画」というケインズ主義政策にやられたという見方がある。もちろんそれだけでは「革命の通達」派の破産を総括したことにはならないが,それにしてもブルジョアジーとその政府の政策にいちいちこちら側が振り回されているのでは話にならないというのは貴重な教訓の一つである。アジア経済危機が世界市場が密接に関連している以上,これが世界経済に何らかの形で波及するのはさけられないし,これが日本を襲っているが,当然にもつぎにはヨーロッパ,アメリカを襲うことはまず間違いのないところであり,だからこそ,IMFなどの国際機関や日本・アメリカ,あるいはAPECなどでも緊急対策に追われているのである。そしてこのことが,アジア諸国のプロレタリアートの闘争が国際的な世界的な舞台での闘争へと発展することが,今日の階級闘争の不可避の課題としてあるということを指し示しているのである。フランスにおけるパリ・コミューンの闘いがプロレタリアートの敗北に終わった時,マルクスは,次のフランスの階級闘争の発展は全ヨーロッパ的な地盤の上でなければ勝利できないと書き記した。アジア諸国のプロレタリア運動にもこの言葉はあてはまる。これら諸国の階級闘争の発展は全アジア的な地盤の上でこそ勝ち取られるだろう。




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