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民衆自身の自己統治能力の獲得とその下での復興か!
 政府・資本による復興か?

二階堂 譲
163号(1995年3月)所収


<I>

 1月17日払暁、まだ正月気分のさめないその日に、淡路島と阪神地区を襲った大震災か ら1ケ月半が過ぎようとしている。この地震で五千四百名以上の方が亡くなり、避難所生 活を余儀なくされている被災者は、今に至ってもなお十万人を越えている。とうてい全て の人が仮設住宅に入居できるはずもなく、その対策についてもなんら進展していない。ま た、この震災で失業状態にある勤労者や「便乗解雇」の攻撃にさらされた労働者は数万人 以上に登っているという。ライフラインや交通線などは刻々と回復し、三宮などの繁華街 では復旧作業が進んでいる。しかし街中に入ると17日の惨状そのままの状態であり、復旧 のメドさえ付いていない情況である。兵庫県は復興のプランとして「ひょうごフェニック ス計画」を提起したが、これは行政が主導する以上、民衆生活不在のものにならざるをえ ず、建設土木資本を潤す事業にのみなるのではないのだろうかという危惧を感じる。国家 ・資本の利益を優先した復興作業と政策が推し進められる中で、民衆の生活の維持や復興 が置きざりにされているのである。
 被災を受けた淡路・阪神地区は、マスコミなどで伝えられるよりも更にひどい状態であ る。倒壊した家屋、高速道路、鉄道、傾いたビル、ヒビの入ったマンション、焼失した区 画、そしてその中でなんと無事に残っている家屋、ピルが変に目に付く。この情況を「人 災」だというのは正解であろう。しかし誰の責任なのか。国家・資本・それと癒着し「株 式会社」と自賛していた地方自治体―神戸市、それが諸悪の根源である、と言うことも正 解であろう。しかしそれだけではうなずけないものがある。全ての人間が自らが自然の一 部であり、自然と共に人間が存在しているということを考えたことがあるだろうか。人間 の作り出した文化・文明・科学技術がいかにもろいものか。自然を支配した気になってい た人間がいかに無力であったか。防災体制が不充分で貧困な地区にもっとも大きな被害が 集中し、富の偏在というものがいかに民衆の生命を奪い生活に大きな打撃を与えるのか、 これらのことをいまさらのように思い知らされた。

<II>

 この事態に対し政府は、早急な何の対応策も講じれず何の具体的な復興政策も打ち出せ ないという無残な姿をさらけ出してしまっている。「人にやさしい政治」という言葉の本 質は「何しろ初めてのことなので」何もできないということであった。また、「国民の生 命財産を守る」と豪語していた自衛隊は、この軍管区の最高司令官である中部方面総監自 らが「あれ以上のことはできなかった」と語り、災害時には何の役にも立たないことを自 ら暴露した。このような大震災が起こり大きな被害がもたらされて、より一層国家・資本 ・腐敗した官僚機構が、民衆の生活にとって何の支えにもならないばかりか、その命さえ も奪っていくものであることを明確に示したのであった。
 この様なとき政府や新進党、元自衛隊幹部らは、災害派遣を巡って自衛隊の機能の強化 ・即応体制作りを主張しているが、軍事組織では大災害時に有効な行動などきっぱり言っ てできないであろう。自衛隊の即応体制作りなど何の役にも立たないのである。現地の救 援活動を望見したりマスコミの映像などで見て分かると思うが、能力を発揮し現地で指揮 しているのはオレンジ色のユニホームを着た消防隊レスキューである。彼らが救援活動の ハードな面での機材などを備え持ち、ソフトな面での作業・被災者のケアを行っている。 自衛隊員や警察官はその指揮の下に動いている。
 これらのことを考えると、現在の組織で拡大充実させるとすれば消防組織であり、レス キュー隊である。これを地域と密着した分権化した組織にし、大規模な災害や海外の災害 派遣時にも出勤できる一定の集権性を持たせるという形がよいであろう。これはあくまで も現在の国家機構を前提とした話である。自衛隊を改組し「緊急災害救助隊」を組織する という意見も聞かれるが、自衛隊の災害派遣も結局のところ治安維持を目的にしたもので あり、災害時に救援活動を主要目的として行動するものではない。また、警察機構は「緊 急警資本部」の指揮下で行動しているため、その目的はやはり治安維持目的のものである ことには変わらない。自衛隊・警察機構は解体し、それを前提としない新しい救援組織を 作っていくべきであろう。支配者たちの目論んでいるのは、「危機管理体制」の強化であ り自衛隊の強化である。大災害を利用し、まるで「火事場ドロボウ」的なこれらの目論見 に対しては徹底して事実を突きつけ批判していく必要がある。

<III>

 こういった情況のなかで注目していくべきは、被災者自身が避難場所で自らの生活維持 のために様々な取り組みを行っていることであり、若い人々や学生がボランティア活動に 参加しその社会的な意義を身で持って感じていることである。
 被災者自身が避難場所で自分たちの生活を維持・運営していることはマスコミなどでも おおきく取り扱っている。例えば、リーダーを自らが選出し、救援物資の運搬・分配・清 掃などを当番制にしローテーション体制を作り上げている。全体に物資が公平に行き渡る ように苦慮し、全員の健康維持のため医者の手配をする。また、違う場所ではリーダーが ライフラインの復旧や被災者の世話人役を自主的に買って出て、行政にかけ合ったりして いる。これらのことを自主的に行っている人々、リーダーとなって活躍している人々でさ え、震災前までは普通の労働者・民衆である。これらのことは、政府の機能・行政の機能 か瓦解した時でも、民衆はそれに変わる自治機能を自分たちの力で生み出すことができる のだということをはっきり示しているのではないだろうか。
 次に若者たちや学生たちのボランティアの存在である。彼ら彼女らはマスコミの宣伝な どを通じて駆けつけたのかもしれない。あるいは自主的に目的意識をもって参加したのか もしれない。しかし、淡路や阪神地区で被災にあっている人々のために何かしたい、役に 立ちたいという気持ちには変わりはないと考える。これらの人々は医療活動や炊き出しや 物資の運搬、障害者の介護、労働相談、生活相談、ライフライン復旧の手伝いなど様々な 活動に参加し、様々な人々と出会い様々な経験を積んでいる。これらの人々はこれまで流 れゆく日常の中で個人主義的に日々を暮らし、あるいは受験戦争の中で他者とのつながり を具体的に実感できなかった人々であったかもしれない。しかし今回の活動で人間同士の 連帯の重要性、社会参加の意義、行政の無能力さなどを身で持って感じたであろう。これ らの経験は彼ら彼女らのこれからの人生にとって大きな意味を持つことになるだろう。
 こうした自主的な自己統治能力の生成や能動的なエネルギーこそ、私たちが依拠するべ きものであり、その成果に学んでいきたいと考える。

<IV>

 一方で、民衆の自治機能が私有財産を守るために自警団を作りだし、警察の警備体制の 不備をおぎなったりしているという話を聞く。またボランティアの活動を「勤労奉仕隊」 と考え自治体の首長が「よくやってくれている」と「お誉めの言葉」を与えたり、賃金や 学校の単位を与えようとしたりし体制内に取り込もうとしている動きがある。また、ボラ ンティアの人々の活動や全国から送られてくる救援物資の数々が被災者自身の起ち上がり を阻害し、<ボランティア(救援する側)〜被災者(救援される側)>という関係を作り 出している部分もあると聞く。ライフラインの復旧に関しては陳情型の行政交渉の内容を 持つものでもあるだろう。この点には注意しておかなくてはならない。私たちが注目した いのは被災者自身の手による復興であり、被災者自身の自治能力の獲得である。更には、 被災地では日本人と朝鮮人・韓国人とが生きていくための相互協力が行われている一方、 ベトナム人を避難所から追い出したり、「東南アジア系の窃盗団」が横行しているという デマか飛んでおり、日本民衆の中に根強い排外主義が残存していることも指摘されている。 しかし、だかしかしである。「体制側が取り込もうとしている!ボランティアはしょせ ん高所に立った活動である!」という批判の仕方はもう聞き飽きた気がする。すでに動き 出している様々な民衆の運動に対して高所から評価を加えるのみであることは、運動に対 して何の有効性もないであろう。私たちが考えなければならないのは、被災者民衆白身の 手による復興への努力に対して何ができ、どのような連帯した行動ができるのかであり、 自治能力の獲得という苦闘にいかに学んでいけるかであり、日本人と在日外国人が共生で きる街づくりをいかに行い排外主義を乗り越えるのかであり、これらの能動的なエネルギ ーをいかに社会変革の方向に導いていけるのかである。
 この点に関しては、多くの仲間の皆さんがすでに実践し苦慮している最中であろうと考 える。私自身も引き続き実践すると同時に皆さんの奮闘に期待したい。私たちは、一日も はやい被災者の皆さんの生活の復旧を願うと共に、自己統治能力を獲得しつつある被災者 自身が自らの手による復興・民衆主体の街づくりに起ち上かられることを確信している。 そしてそういった営為が、行政主導の復興計画や支配者の目論見を必ずや乗り越えていく であろうと考えている。


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