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金日成の死をめぐって

氷上 潤
157号(1994年9月)所収


 金日成−朝鮮民主主義人民共和国国家主席・朝鮮労働党総書記が,7月8日急死した。
 朝鮮の労働者・勤労大衆にとって,共和国の形成以来,最高権力者の地位に就き,苛酷な専制支配体制を築いてきた金日成の死−この死によって生じる政治流動は,自らの政治経験を積み重ねていくための大きな機会となるだろう。金日成は,20年以上も前から,後継体制を打ち固めるべく,息子の金正日への権力の世襲を着々と準備してきた。しかしながら,その広がり・深さがどのようなものとなるかを予想することはできないが,権力の継承をめぐって,特権的な支配階層内部の対立・駆け引きが生じるのは避けられはしない。労働党・国家機関内部の対立が顕在化した形で展開していくならば,労働者・勤労大衆が自主的に政治の場に進出していくことが可能となるような局面も開けていくだろう。
 私たちは,金日成の死をめぐる流動の中にあって,なによりも,労働者大衆の動向にしっかりと目を向けていくようにしなければならない。

 しかしこの日本の地にあって,金日成を「優れた指導者」とし,その死に追悼の意思を表明するという立場を取っている人達が,「左翼」「反体制」を掲げる運動・組織の中に存在している。こうした人達には,権力者の死は見えても,その権力の下で,「アメリカ帝国主義のスパイ」として死を強制されていく人達の存在は,目に入らないようである。
 こうした人達は,共和国政府が,「社会主義」を堅持し,資本主義と「対峙」し,日本帝国主義を告発してきたことを積極的なものとして評価する位置に立っている。しかし私は,ここに狭い「反体制」イデオロギーに身を委ねてしまうことの怖さを感じざるを得ない。このような態度の取り方は,かつての「ポル・ポト派の大虐殺はなかった」というポル・ポト派擁護の宣伝,さらに言えば,“左”・“右”の立場の違いはあるが「南京大虐殺はなかった」という体制擁護派の宣伝がオーバーラップして見えてくる。
 「反体制」であれ,「体制派」であれ,一つ一つの具体的現実,一人一人の現実の生活・生命を見えなくさせてしまうような政治イデオロギー依存の体質−悪しき政治文化は,一掃されていかれねばならない。

 資本主義への否定・告発それ自身は,必ずしも進歩的なものとはいえない。このことを私たちは,金日成(−金正日)体制の成立・存続という歴史的現実からも見て取らなければならない。この体制は,プロレタリアートの階級闘争の展開という見地から見て,きわめて反動的な体制として築き上げられた。少なくとも今日のアジア地域において,労働者大衆の政治的自由が最も抑圧されている国だといって間違いないだろう。“社会主義”“労働者国家”という看板によって,また“主体”“自主”といったスローガンの特殊な理論化によって,労働者大衆への徹底した抑圧・管理が正当化されているのである。
 共産主義運動に求められるものは,資本主義への否定ではなく,資本主義の歴史的存在意義を踏まえながらそれを越えていく水準において労働者大衆の運動を促進していくことである。朝鮮半島をめぐる状況は,このことの単なる理論的確認ではなく,実際に,現実に組織していくべき運動の性格・方向としてつかむことを要求している。

 朝鮮半島南部・韓国におけるプロレタリアートの成長を否定するものはいないだろう。しかしこの韓国プロレタリアートの成長は,韓国資本主義の発展と不可分の関係のものとしてある。こうしたことは,不可避にその墓掘り人を生み出し続けることによってしか,自らの運動を展開させていくことができないという資本主義の存立条件,そうした歴史的性格(そうしたものとしての歴史的進歩性)を示すものに他ならない。
 一方,朝鮮半島北部・共和国社会の停滞という状況も,今日,周知の事実となっている。「停滞」といったとき,何よりも問題なのは,党・国家官僚による支配特権の維持,労働者大衆からの収奪体制の維持という政治の下で,プロレタリアートの疲弊が蓄積しており,その一方で,政治的経験を蓄積していく機会・場は徹底して封じ込められている,ということである。
 共和国における労働党支配の崩壊は不可避だが,その支配体制の下で蓄積されてきた共和国プロレタリアートの困難はきわめて大きなものとなっている。社会基盤の整備等,共和国社会を再構築していくにあたって,一定の資本の導入は避けられないだろう。とすれば,共和国プロレタリアートには,資本の導入を受け入れつつ,その資本との闘争関係を設定していくという戦術が求められてこざるをえない。これまで共和国プロレタリアートが置かれてきた状況から,そうしたイニシャチブの形成はスムーズには進まず,相当な紆余曲折を要するだろうが,そこにおいて,韓国プロレタリアートの存在はきわめて大きな位置を有するものとなるだろう。
 「帝国主義の一切の介入に反対する」といった後追いのネガティブな対応ではなく,私たち日本のプロレタリアートもまた在日朝鮮人とともに,共和国社会への資本の運動の浸透の不可避性を見据えながら,そうした状況に対応しうる連帯運動の在り方を探っていくことが求められているといえよう。

 金日成の死は,労働党支配の崩壊のテンポを速めるものとなることは間違いない。事態の急激な展開に備え,日本−在日−南北朝鮮を貫いたプロレタリアートの運動の創出を展望し,進んでいくようにしなければならない。


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